「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

「新しい文学」の設計図

2006-02-27 21:06:02 | 日本文学の革命
23日に「新しい文学」が具体的に生み出せそうだと感じて以来、今まで「新しい文学」の具体化に没頭してきた

いうなれば「新しい文学」の設計図を作っていたのである

「新しい文学」の構成要素として下記のようなことを考えていた

○則天去私を体現した文学

○新しい魂を持った新しい韻文

○東洋文明と西洋文明の創造的融合を可能にする文学

○インターネットの活用

○ロマン主義文学

○三統一の言文一致体の完成

こう箇条書きに並べても何がなんだか分からないだろうが
このすべてが出来そうなのである
そしてこれらが合したところに「新しい文学」が誕生するはずなのだ

近いうち「新しい文学」を生み出すことができそうだ

「新しい文学」 誕生したかも知れない

2006-02-23 21:32:21 | 日本文学の革命
意外なときにインスピレーションというものは起こるもので
今日仕事をしている最中に「新しい文学」が全面的に開けてしまった

「今日も8時まで残響か。やだな~」と残業をしているとき、「新しい文学」に関して“すべてがつながって”しまったのだ
今まで暗中模索状態だった「新しい文学」が、極めて具体的に形成され始めたのだ

これは「新しい文学」の誕生だと言っていいかもしれない
控えめに言っても、非常に具体的な道筋が開かれた

もしこれが本当にそうだとすると、「日本文学の革命」は実現したことになる

まだ僕自身半信半疑だが、「新しい文学」が誕生したかもしれない

パリのカフェ 2

2006-02-19 19:29:03 | 日本文学の革命
ぼくはパリ時代はひるも夜も、ほとんど毎日、キャフェへ出かけていった。
一杯のコーヒーで何時間ねばっていてもいい。そういう店でコーヒーを飲んでいると、必ず、誰か友達がやってくる。
すると、お互いに「やあ」「やあ」と挨拶して話し合ったり、議論したりした。
火花が散るような、生き甲斐のようなものをずいぶん感じた。当時のぼくは二十歳そこそこで、若かったが、そのキャフェで世界の歴史に残るような思想家や芸術家と毎日のように出会い、対等に話し合った。それがぼくの青春時代の大きな糧になったことは確かだ。

マックス・エルンストやジャコメッティ、マン・レイ、アンリ・ミショーなどシュール系の画家や詩人、ソルボンヌの俊鋭な哲学徒だったアトラン、後に芸術批評の大家になったパトリック・ワルドベルグや、写真家のブラッサイなんかもモンパルナッスの「ル・ドーム」や「クーポール」で毎日顔をあわせる仲間だったし、カンディンスキー、モンドリアン、ドローネーなどと一週間おきに集まって、芸術論をたたかわせたのも、「クローズリー・デ・リラ」というキャフェだった。
十年以上のフランス生活はほんとうにキャフェとともにあったわけで、いちいち思い出を話すことはとても出来ない。

ぼくの一生を決定したともいえるジョルジュ・バタイユとの出会いも、考えてみればキャフェがきっかけだった。
いつものようにル・ドームでパトリック・ワルドベルグとお喋りしていると、マックス・エルンストがふらりとあらわれた。ぼくらの席に腰をおろした彼は、コーヒーを注文すると、ポケットから一枚のちらしを取り出してぼくの前に置いた。皿の上に切り落とされた豚の頭がのっている絵。いささか不吉な感じで目を惹いた。
「あさって、興味深い会合があるんだ。よかったら一緒に行かないか」
エルンストに誘われて、「コントラ・アタック」(反撃)の集会に参加したのは一九三六年の冬のことだ。
フランス国内の反動的な国粋主義右翼、また台頭してきたヒットラーやムッソリーニの全体主義、一方、ソ連のスターリン主義の強圧的な官僚制、それらの右も左もひっくるめた反動に激しく抗議する会合だった。

セーヌ川の河岸を入った細い通り、グラン・ゾーギュスタン街の古い建物。そこの屋根裏にアトリエ風のかなり大きなスペースがあった。ジャン・ルイ・バローの持ちもので、後にピカソがそこを使って、あの巨大な「ゲルニカ」を描いたところだ。
三、四十人ぐらい集まったろうか。尖鋭な知識人ばかり。アンドレ・ブルトンや、サド研究家として有名なモーリス・エイヌ等が人間の自由と革命を圧殺する全体主義を激しく非難する。やがてジョルジュ・バタイユの演説になった。

決してなめらかな話し方ではない。どもったり、つかえながら、しかし情熱がせきにぶつかり、それを乗り越えてほとばしり出るような激しさで、徹底的に論理を展開してゆく。
ぼくは素手で魂をひっつかまれたように感動した。
会は熱狂的にもりあがり、みんなの危機感、そして情熱がひとつになった。
解散するとき、司会者が緊迫した声で言った。
「みなさん、十分気をつけて帰って下さい。右翼が待ちぶせしていて、襲われるかもしれません」
暗いグラン・ゾーギュスタン街をモンパルナッスの方に向かって、エルンストと肩を並べて歩いた。一言も口をきかずに。

それ以来、ぼくはバタイユに対する共感をソルボンヌの仲間たちや、心の通う友だちに話さずにはいられなかった。彼の書いたものも貪るように読んだ。そのうち、いつの間にかぼくのことがバタイユに伝わったらしい。
「ぜひ会いたい」というバタイユのメッセージをもらって、ぼくは心躍る思いで指定の時間に出かけた。

今でも、よく覚えている。コメディ・フランセーズの前のカフェ・リュック。
あの古めかしい劇場の見える側の席で、彼は先に来て待っていた。最初からとてもうちとけた、心を許した雰囲気になった。ぼくはあの夜の感動を語った。
バタイユは「今日、すべての体制、状況が精神的にいかに空しくなっているか」とあの時と同じように熱っぽくトツトツと憤りをぶちまけた。そして、「体制に挑む決意をした者同士が結集しなければならない。力をあわせて、世界を変えるのだ。……われわれは癌のように、痛みを与えずに社会に侵入して、それをひっくりかえす。無痛の革命だ」
バタイユの眼は炎をふき出すように輝いていた。

その後ぼくはバタイユを中心に組織されたコレージュ・ド・ソシオロジー・デ・サクレ(神聖社会学研究会)のメンバーになり、表の討論に参加すると同時に、ごく限られた同志だけの秘密結社にも加わった。その第一歩がこのリュックでの、長い、突っ込んだ話し合いだったのだ。
あの頃、ヨーロッパの情勢はナチスの不気味な拡大、左翼人民戦線の結成など、世界大戦を予感させる緊迫した気配だった。
きらびやかに着飾ったマダム、落ち着いた紳士たち、キャフェのなかはシックで華やかだったけれど、外には不穏な遠雷がとどろき、次第に迫ってきていた。

今日の日本の、つるりと安心しきったような、みんなが自分のちっぽけな安逸だけにはまりきって、ほかのことは知らない、興味もないと言っている、こんな時代とは明らかに様相がちがう。
しかしどんな時代のどんな状況のなかにだって、熱っぽく語り合い、問題意識をわけあう仲間がいた方がいいに決まっている。
また、そういう渦ができるような場があったら、みんなの為にどんなにいいだろうと思う。







パリのカフェ 1

2006-02-19 19:25:23 | 日本文学の革命
僕が憧れてやまないものにパリのカフェがある

ピカソが活躍しヘミングウェイが愛した時代のパリのカフェ
ため息が出るほど憧れてしまう

今の日本には、こういったものは全くない
アメリカ人はよく日本のことを「完璧に管理された社会」と呼んでいるが
たしかにそういう面が日本社会には強い
パリのカフェで花開いたような自由で創造的な共同体など、この社会のどこを探しても見つからない

戦前の日本では「文壇」というものがあって、パリのカフェに近いような人間関係があったのだが、今はそれも失われてしまった
今の日本には、「完璧に管理された」虚しい人間関係があるだけである

まあ 嘆いても仕方がない
それが現実ならば、そこから出発してゆくしかないんだから

そうは言っても憧れてしまう
次に載せる長文は、岡本太郎がパリにいた頃を振り返って書いたものである
当時のパリのカフェの雰囲気が躍如として出てくる

ナチスやスターリン主義の話が出てきて、この数年後にパリはナチス・ドイツに占領されてしまい、自由の空気は圧殺されてしまう
だが結局滅びたのはナチスやスターリン主義の方であり、最後に打ち勝ったのはパリのカフェの精神だったのだ

一日2千人に広めることができる

2006-02-16 04:31:53 | 日本文学の革命
「日本文学の革命」を広めるための努力をいろいろしてきたが
今までやってきて分かったのは、一日でだいたい2千人くらいに「日本文学の革命」を知ってもらうことが出来るということだ

ありとあらゆる手段を駆使してやってゆけば、そのくらいの人数に広めることができるだろう

もちろん、「日本文学の革命」というメッセージを見ても
「日本文学の革命?…なんじゃらホイ」ですましてしまう人も多いだろう
でもそれでも構わない
「日本文学の革命」という言葉さえ知ってもらえば一応十分なのである
「日本文学の革命」に火がつき出したとき、「ああ そういえばこの人の投稿見たことあるよ」と思い出してくれたなら、それだけでも「日本文学の革命」に一つの協力をしてもらったことになるのである

一日2千人ということは
十日で2万人
百日で20万人
一年がんばれば100万人近くに「日本文学の革命」を広めてゆくことができる

協力者が現れてくれて
「じゃあ おれの知り合いにも広めてやろう」とやってくれたなら
それこそ加速度的に拡大してゆくだろう

「日本文学の革命」はもう文学的には出来つつあるし
これが成功して社会的にもブレイクしたなら、「日本文学の革命」は文字通り実現することになる
一挙に新しい文学世界を築いてゆけるのだ

長く苦しい闘いだったが
あともう少し
あともう少しで実現できる!

『帰れない者たちへ』

2006-02-14 01:27:46 | 日本文学の革命
日曜日にふっと見た歌番組で中島みゆきの『帰れない者たちへ』が歌われていた
演歌歌手の藤あや子が歌っていたのだが、はじめて『帰れない者たちへ』をフルで聞くことができた

実にいい
励まされる

僕も「帰れない者」の一人だから、この歌は痛切なものだ

この曲が載っているアルバム
三千円もするのでレンタルになるまで待ってようかと思ったが
買ってしまおう

金にかえられない

軌道に乗った

2006-02-10 06:35:04 | 日本文学の革命
「数百万人への大拡大」を目指してがんばっているが、どのようにしてやってゆくか、具体的な手順が整った
軌道に乗ったと言っていい
あとは不屈の闘志で毎日やってゆくのみだ

「日本文学の革命」という運動は、ひとたび火がつけば一挙に燃え広がる力を持っている
なんとか火をつけて「革命」を実現させたい

前に風の噂で、最近大江が「フリーター テロリスト論」なるものを書いたというのを耳にした
あるいはこれは誰かが大江に「日本文学の革命」のことを教えたのかも知れない
だとしたらもう文学界の上層部にも「日本文学の革命」が伝わり始めたのだろう

とにかくバンバンやってゆこう

日本文学はこのままでは衰亡してしまう
なんとしても、それを阻止しなければならない

グリートジャーニーへの決意

2006-02-05 22:19:48 | 日本文学の革命
>2ちゃんねるの掲示板が削除されたのは残念ですが、あちらからすれば真っ当な理由でしたね。 ちゃんと自分が管理者となる掲示板を借りた方が良いと思いました。 そして、グレートジャーニーも止めた方が良いと思います。 火がつく以前に、アダルトサイトの宣伝やコピペ荒らしと同じレベルで処理されてしまいますよ。 閉鎖的とか開放的とか、そう云う以前に、スレッドはそのタイトルに関した事を書く場所ですから、スレッドの内容と日本文学の革命に何の関連性もなければ、関場さんが何を考えて書き込もうと、利用者や管理側からは荒らしとしか思わないでしょう。 それに内容的に合致したスレッドであっても、流れを断ち切って、突然自分の書きたい事だけを書き込んでは、利用者は好意的には受け取らないですよ。 これはブログに対するコメントにも云える事で、方法としては拙いと思います。 有名になる前に、『日本文学の革命』と云う単語だけで、頭から相手にされなくなってしまうかもしれません。 そうなってしまうのは残念な事ですから、方法を考え直された方が良いと思います。


ちなみにあなたはどうしたら「日本文学の革命」を世に広めてゆくことができると思うますか?いい案があったら教えてください。あなたにもいい案がないようだったらグレートジャーニーを始めますけど

「「日本文学の革命」とは一つの有益な“情報”であり(芥川賞などより遥かに有益な情報である)、それを提供しつつ板の趣旨にあったコミュニケーションをしてゆくのであるから、これはまったく合法的なものである。誰でも当たり前にやっている行為なのだ」情報提供をしながらコミュニケーションを楽しんでゆく…これは誰もがやっていることなんですよ。なんで僕だけがだめなんですか?


>関場さんがブログに行ったコメントを見てみましたが、悉くスルーされているか、削除されていますよね。 失礼ですが、あの文面と『詳しくはこのサイトを見てください』だけでは、『日本文学の革命が芥川賞よりも有益である』とは、普通の人はとても気付けないと思います。 それだけならまだしも、『あ、コメントスパムか』の一言で思考停止してしまい、それで終わりです。 そうではなく、もう少し慣らしながら、『日本文学の革命』が有益だと思ってもらえるような書き方をしないと、変わらないと思うのです 私や、こうしてブログやホームページを見ている人達は、何となく云いたい事が分かるとは思いますけどね。 『日本文学の革命』を広める方法は私には分かりません、と云うより、関場さんがどのような目標を持って、どのように進んでいきたいのかが具体的にみえてこないからです。 ですが、私にアイディアがないからと云って、グレートジャーニーが唯一無二の最善の方法だとは思えません。 今迄のようにただ1レス貼り付けて次へ、ではなく、1スレッド1スレッド、もっとじっくり腰を据えて、『日本文学の革命』の有益さを理解させてから、次へ進んだ


いや~今までじっくりとやり過ぎていたんですよ。僕は出不精な方で自分の掲示板にこもってばかりいて、ほんの限られた人としかコミュニケーションをしてこなかったんです。今までずっとそうでした。その結果どうなったか。「日本文学の革命」が全然広まらないという結果を招いてきたんです

「日本文学の革命」に敵対する人間たち、これをつぶしてやろうとしている人間たちには、ある共通の特徴があります。それは僕が“外に”出てゆくのを極力妨げようとすること、ある狭い範囲に「隔離」しようとすること、これなんです。だから僕が“外に”出ようとすると、彼らは一様にあわてるのです。なんとか邪魔しようとしてくる。そういうのを見てると「彼らが反対するとしたら、これは逆にやるべきだな。思いっきり外に出るべきだ」と思ったのです

今までやってきた感触から分かるのですが、「日本文学の革命」という言葉は相手に強烈な印象を与えるようです。多くの人間が絶句してしまう。なんだか不安を感じてしまう。中にはおびえてしまう人もいる。僕のコメントがスルーされたりすぐに削除されたり(まったく普通の投稿なのに!)されるのは、相手がそれだけ強烈な印象を受けている証拠なのです。どうでもいい相手には「ああそうですね、そうですね」と気楽にコメントを返すものですしね

でも中には向こうからこちらに来てくれる人もいる。コメントを返してくれる人もたくさんいますよ。その人たちの書いたものを見てみると、決して「日本文学の革命」をバカにしていないのです。それどころか本格的なものだと認めてくれているのです。しかも、これは嬉しい発見でしたが、相手が“ものの分かる人”であればあるほど「日本文学の革命」をしっかりと認めてくれるのです。これは大きなことですよ

今までやってきてつくづくと感じたことですが、相手に「日本文学の革命」を理解してもらうのは至難の業です。あきれるほど理解してくれない。フロイトがまだ無名のとき「自分は離れ小島で暮らしているロビンソー・クルーソーみたいだ」と言ってましたが、僕もそんな感じがしてます

しかし相手が本当に「日本文学の革命」を理解していないのかというと、そんなことはない。実は的確に何をしようとしているのを理解しているのです!僕の作品や評論を読んで理解したのではなく、何か論理を超えた直感みたいなもので理解してくれたようなのです。彼らが「日本文学の革命」と聞いて、恐れたり、おびえたり、あるいは期待したりするのは、そのためなのです

つまり結論的に言えば、「日本文学の革命」この言葉だけでも、たいへんな影響力があるということです。まさにこの影響力があるからこそ、「荒らし」だの「コメントスパン」などのレッテルを貼って(なんども言うように僕のコメントや投稿は“まったく普通の”ものなのです。ただそこに「日本文学の革命」という言葉が入っているだけなのです)発言を封じようとするのです この「日本文学の革命」という言葉が持つ影響力に賭けてみようと思うのです


>そうですか。 では、もう私からは何も云えませんね。 今年中に、無事に『日本文学の革命』が成功する事を期待しています。 (さっきのコメントは、変なところで切れてしまいましたね)

目標 数百万人への拡大

2006-02-03 18:43:41 | 日本文学の革命
「日本文学の革命」のため今やっていることは二つ

一つは文学的に「日本文学の革命」を成し遂げることである

具体的にはホームページに載せてあるものを成し遂げてゆくのだが、これはもうほとんど出来つつある
あともう少しで、本質的なところはすべて出来てしまう、という所まで来ている
いよいよ大詰めである

もう一つは社会的に「日本文学の革命」を成し遂げてゆくこと

ここで重要なのは、できるだけ多くの人々に「日本文学の革命」を知ってもらうことである
べつに全部理解してくれ、というわけではない
「日本文学の革命」という言葉だけでも知ってくれたら、とりあえずそれで十分なのだ
「数は力なり」じゃないが、大勢の人々に「日本文学の革命」を知ってもらうことは、それだけで大きなパワーになる

目標としては、数百万人を目指している
それだけの人々に「日本文学の革命」を知ってもらえたら、必ずや「革命」に火をつけることができるはずだ
「革命」の炎が燃え上がり、次々と変革を実行してゆくことができるだろう

しかし数百万…
これはキツイ
ちょっと人気サイトになると「数百万アクセス」なんてざらにあるから、できない数字ではないが…

「革命」を成し遂げるために、とにかくがんばってゆこう

このままでは日本文学は決定的に衰退してしまう
そうなったら、漱石の文学事業を継承しようなどという人間は、もう現れないかも知れない
漱石の未完成の文学事業も、日本文学の可能性も、そして日本人の中に眠っている未開拓の広大な可能性も、すべて永遠にお蔵入りになってしまうかも知れないのだ

とにかく今、死力をふりしぼって頑張ってゆこう

2ちゃんねるグレートジャーニー

2006-02-01 21:32:05 | 日本文学の革命
2ちゃんねるの掲示板がつぶされたことを書いたが、案外これで良かったのかも知れない

時間をかけて育ててきた掲示板をいきなりつぶされて、当初は激怒していたが、冷静に考えてみると、これはこれで良かった。メリットも大きいのである

2ちゃんの掲示板に多くの人が書き込んでくれたのは嬉しいが、それに対応するために読んだり書いたりと一日1、2時間も時間を費やしていた
これは時間に余裕のない僕にはたいへんな重荷だった

しかも2ちゃんの掲示板に一日にやってくる人間はせいぜい三十人くらい、しかもリピーターが多い(しかもなんのためにやって来るかというと、圧倒的に僕を叩くためなのである!)
これでは全然「日本文学の革命」を広めることに役立たない
どうかするとこの掲示板の中に「隔離」されてしまう格好になっていた

今 一番重要なことは「日本文学の革命」をできるだけ多く広めて、「革命」に火をつけることである
2ちゃんねるの掲示板はこれをやる上での足枷になっていたのである

2ちゃんねるでの拠点がなくなったことは、むしろ歓迎すべきことだ
これで時間的精神的な足枷がなくなり、自由にいくらでもいろんな所に向かうことができるのである

前々からやりたかったことに「2ちゃんねるグレートジャーニー」がある
2ちゃんねるのあらゆる所に出かけて行き、片っ端から投稿してゆくというものである
2ちゃんねるには約600もの板があり、スレッド数は数万にものぼる
これらを旅して歩くのだから、これは「グレートジャーニー」と呼ぶにふさわしいだろう

2ちゃんねるの一つの掲示板には、平均して20人くらいが来ているはずだ
つまり2ちゃんねるの掲示板に二つ三つ投稿しただけで、あのつぶされた掲示板に集まっていた人間たちを上回る人々に「日本文学の革命」を知ってもらうことができるのだ(こんなの1、2時間でできる)

しかもそれをエンドレスにできる
毎日何十人何百人という人々に「日本文学の革命」を広げてゆくことができるのだ
まさに僕にとって「宝の山」だ

しかもいろんなことを学びながらやってゆける
2ちゃんねるは話題も実に豊富だから、さまざまな話題について読んだり書いたりすることで、豊かに見聞を広げてゆくことができるだろう
いろんな人たちとの出会いもあるに違いない
実に面白そうだ

おまけに神出鬼没でどこにでも行けるから、うるさい監視を受けることもない
また「日本文学の革命」とは一つの有益な“情報”であり(芥川賞などより遥かに有益な情報である)、それを提供しつつ板の趣旨にあったコミュニケーションをしてゆくのであるから、これはまったく合法的なものである。誰でも当たり前にやっている行為なのだ

あのつぶされた掲示板があったときは、どうしてもその掲示板に引かれて文学板にしかいれなかったが、もうそんな制約もなくなった
これからは2ちゃんねるの全体に渡って拡大してゆける

もし2ちゃんねるに火がついたなら、それだけで数百万人もの人間が「日本文学の革命」を知るようになる
そうなったら「革命」の炎が一気に燃え広がるだろう

実に楽しみだ
これから「2ちゃんねるグレートジャーニー」に出発してゆこう