「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

新しい時代がやって来る 2

2020-07-31 06:34:25 | 日本文学の革命
コロナとともに急拡大したテレワークも、なんだか「大リストラ」を予感させるものである。会社員にとって最も大切な会社の人間関係が断たれてしまうのである。一人一人が孤立してしまうことになり、フリーランスのような立場に置かれることになって、会社からしたら実にリストラしやすくなるだろう。テレワークし始めた当初は「通勤しなくて済む」「ずっと家にいられる」と嬉しいこともあるだろうが、それが1年も2年も続くようになると次第に鬱状態になり、自分から辞めてゆくようにもなるだろう。ホワイトカラーの仕事の多くが機械でもできるようになりつつあり、ホワイトカラー層の大リストラが始まりつつあり、テレワークはその前触れなのかも知れない。

労働のロボット化も今まさにどんどん進行している。人間の「勤勉」など必要とされなくなる時代が来つつあり、ブルーカラー層も大リストラされそうである。

良くも悪しくも「新しい時代」が到来しているのである。われわれはそれに直面しているのであり、なんとかそれに対応してゆかなければならないのだ。
この時代から目をそむけ、昔の夢―「経済発展」や「昭和的価値観」などにうつつを抜かしていたら、身を滅ぼすだけだし、日本自体もどんどん衰退してゆくだけである。

とは言っても、この「新しい時代」にどう対応してゆけばいいか、五里霧中でどう進んでゆけばいいのか見当もつかない。

しかし昔の価値観ではこれからの時代に対応できないということ、これだけははっきりしている。今もわれわれ日本人を呪縛している「昭和的価値観」から自由にならない限り、前へ進むことはできないのである。

「アベノミクス」が崩壊したこと―「昭和的価値観」の最後の夢が破れたこと、それを新しい時代へ向かう新しい価値観の幕開けととらえたいものである。

新しい時代がやって来る 1

2020-07-31 06:30:28 | 日本文学の革命
コロナの影響を受けて企業決算が軒並みひどいことになっている。日産が数千億円の赤字(ゴーンを日本の会社員的ないやったらしいやり方で切った報いとも言えるが)、ソフトバンクも数千億円の赤字(ケータイビジネスはコロナの影響を受けていないはずだから孫正義の個人的な投資の失敗だろう)、キャノンも大赤字、吉野家も赤字と、多くの企業が苦境に立たされている。そしてこれとともに明らかになりつつあるのが「アベノミクス」の破綻である。

この「アベノミクス」は日銀に無制限にお札を刷らせることで景気を刺激し、日本をデフレから脱却させ、新たな経済発展をもたらそうとした経済政策で、もう8年も続いているものである。その間「いざなぎ超えの好景気が達成された」「景気は緩やかな成長局面にある」「今踊り場をあがりつつある」などさんざんに景気のいい話を聞かされてきたが、実感には乏しいものであった。一部の大企業はたしかに潤ったらしいが、日本社会全体では「小春日和が続いているな」程度であり、盛り上がるようなパワーは社会のどこにも感じられない。景気のいいニュースもそらぞらしく聞こえ、お札を刷りまくったことによって達成されている仮構の景気回復なのではないかと思えるものだった。その「仮構」がコロナの影響で隠しきれずに今崩壊しようとしているのである。

この「アベノミクス」の本質は「高度経済成長時代の夢をもう一度!」というものだろう。あの逞しい成長力に溢れた昭和の高度経済成長の時代、経済がどんどん発展してゆき、皆が希望に満ちていた夢のような時代、高齢者には懐かしくてたまらない昭和的価値観に満ち満ちていた時代、その時代をもう一度取り戻そうとする試み、それが「アベノミクス」だったのだろう。

たしかに「何もなかったが夢だけはあった」という青春時代のような時代だったのであり(それに対して今の時代は「何でもあるが夢だけはない」時代だと言えるだろう)、それを取り戻したいという気持ちは分かるが、今の時代に再び昔のような「経済発展」や「昭和的価値観」をもたらそうとするのは―高齢者には受けるのだろうが―時代錯誤以外の何ものでもない。しかもそれをお札を刷ることによってもたらそうとしたのだから、これはまさに仮構の世界であり、高齢者が見ている麻薬のような夢に過ぎないものであり、恐ろしいしっぺ返しが待っていると言ってもいいほどのものなのである。

現実には「アベノミクス」が夢見たような経済発展などもたらされてなく、それどころか今の日本の会社は大東亜戦争末期の日本軍のような様相を呈している。勝つ手段が見つからずまともに戦うことができないから、兵隊たちを犠牲にすることによって戦ったことにしているというものである。昔でいえば玉砕であり特攻であり名誉の戦死という形でなんだか「勝った」ような形にして、今でいえばリストラや賃下げや使い捨てという形で「利益」を上げようとしているのである。大東亜戦争末期に自分の部隊を全滅させたある部隊長が上官に報告して、これぞ「皇軍の誉れ」「名誉の戦死」と言ったそうだが、いやそれは「誉れ」でも「名誉」でもなく負けたんだ、もっとも悲惨な形でボロ負けしたんだ、と突っ込みを入れたくなる。


ある小劇団の解散公演 3

2020-07-26 15:28:30 | 日本文学の革命
ハラハラドキドキ見ていた円陣の回転もやがて止まり、上の円陣の男たちも肩から飛び降りてホッとしたとき、今度は舞台の端から女性の役者たちが現われた。彼女たちは青色の横断幕のようなものを持って舞台前方と後方に現われ横断幕で舞台を覆ったのである。そして「ぷかぷか。ぷかぷか」と可愛らしく口を動かしながら彼女たちが横断幕を揺らすと、まるでそこに本当に水を張ったプールが現われたようになったのだ!

男性陣はこの青い横断幕の後ろでふたたびシンクロナイズドスイミングの演技を始めた。すると今度は本当にプールの中で演技をしているように見えるのである。様々なシンクロナイズドスイミングの技を繰り出してゆき、前とはうって変わって拍手喝采を与えたくなるほどの見事な演技となったのである!

劇が終わったあと、劇団員たちが舞台上に勢ぞろいして、正座をして座った。そして「今までありがとうございました!」と観客席に向かい深々と頭を下げたのである。客席からは期せずしてスタンディングオベーションが起こり、みんな立ち上がって劇団員たちに拍手を送った。僕ももちろん立ち上がって、このような素晴らしい舞台、劇団員たちの熱い思いが込められた舞台に拍手を惜しまなかった。

帰り際ロビーのところで羽原氏らしき人物が目を潤ませ感極まった表情で立っているのを目にした。この劇団に人生を捧げて生きてきたんだなと感じさせるような、そんな感動的な表情だった。

こうして一つの伝統ある小劇団が解散をすることになった。このような面白い舞台を見せてくれる劇団がなくなるのは、また一つ文化の火が消えるようでさみしい限りである。しかしあのシンクロナイズドスイミングで見せてくれたような劇団員の心意気は決して消えることはないだろう。それがいつか新しい未来を切り拓くことを願ってやまないところである。

ある小劇団の解散公演 2

2020-07-26 15:21:54 | 日本文学の革命
ただこの劇の進行を見ていて疑問に思ったことがある。
男子シンクロナイズドスイミング?そんなものあったけ?
シンクロナイズドスイミングは女性がやるスポーツで男性のやるものは見たことがない。あるということを聞いたこともないし、そういうスポーツは―モスクワ五輪の頃まではいざしらず―今はないはずである。

それには二つほど理由が考えられる。日本の海女さんを見れば分かるように毎日長時間水の中に潜っていることは女性にはできるが、男性には肉体的に無理なのだというのが一つ。そしてもう一つが「見るに堪えない」というものである。シンクロナイズドスイミングでは水面から足を突き出してバタつかせたりして演技をするのだが、あれは女性のすらりと長い足が出てくるから、ああ美しいな、華麗な演技だなと感じるのであって、男性のゴツゴツした毛むくじゃらの足が突き出てバタついても、ただ気色悪いだけで目をそむけたくなる。犬神家の一族のような異様で殺伐としたものすら感じさせる。
そのような理由で男子のシンクロナイズドスイミングは行われていない筈なのである。

ところがこの劇では男子のシンクロナイズドスイミングが一つの中心アイテムとなっている。男子シンクロナイズドスイミングの選手たちがたびたび出て来るし、主人公の女性の兄もその選手の一人である。しかし彼らが練習をしている様子は一向に見えない。第一水を張ることもできないこの小さな舞台上でシンクロナイズドスイミングなど出来る訳がないのである。

劇が進行し、兄の結婚式が始まり、主人公の女性も希望を取り戻した頃、突然舞台から誰もいなくなった。そしてしばらくすると舞台の端から10数名の男性が行進してきたのである。みんな競泳パンツ一枚を付けただけの裸で、ちょうどシンクロナイズドスイミングで選手がプールに向かう際にやるような行進で舞台中央に出て来たのだ。それまで新聞記者など様々な役をやっていた男性役者たちが総出で出て来たらしく、中には上司役をしていたハゲ頭のおじさんも競泳パンツ一枚の裸で出て来ていた。

男性陣は舞台中央に来ると、寝転がって足を突き出したり、観客席に大股を開いたりして、様々なシンクロナイズドスイミングの演技をやり始めた。だがその様は滑稽というかグロテスクというか「おいおい。ちょっと待ってくれよ」と言いたくなるような光景だった。

ひとしきり演技を終えたあと、10名ほどの男性陣が円陣を組み、その中央に何か平たい円盤のようなものを置いた。そして残り5名ほどが円陣を組んでいる男性たちの上にはい上がり、その肩を足場にして立ち上がり、そこでも円陣を組んだ。二段重ねの円陣が出来たのであり、なんだかふんどし男たちの雄壮な裸祭りでも見ているような力強い光景となった。

それから下の円陣の男たちが回り始めたのである。肩の上では上の円陣の男たちが踏ん張っており、それを乗せたままぐるぐる回り始めたのだ。二段重ねの裸の男たちの円陣がぐるぐる回るのである。それは実に力強い雄壮な光景であった。
スピードが乗ってくると下の円陣の男の数名が両足をあの円盤に乗せた。この円盤は実は回転する装置で車輪でいえば車軸に相当する役割を果たしているのである。そこに両足を乗せた男たちはまさに生きたホイールであり、自分たちが踏ん張ることにより円運動を滑らかなものにしているのだ。

ぐるぐる力強く雄壮に回転する二段重ねの円陣。下の男たちは必死に手をつないで駆け回り、ホイール役の男たちは歯を食いしばって円盤上で体を硬直させ、上の円陣の男たちも必死で肩の上で足を踏ん張っている(汗をかいている筈なのでつるつる滑りやすいだろうに)。誰か一人手を離したり足を滑らせたりしたらこの円陣はたちまち崩壊し、ヘタしたら大ケガをしてしまうのである。まさに力強い偉業であり、雄壮なスペクタクルであり、常日頃鍛えあげてきた劇団員の肉体パワーと精神的絆ここにあり!と見せつけるような離れ技であった。

ある小劇団の解散公演 1

2020-07-26 15:06:45 | 日本文学の革命
このところ落ち込むことが続いていて、何も手がつかない無為な日々を送っている。何とも気力が湧かないまま4連休を迎えたのだが、別に何をする予定もなかった。ただ以前に注文していた小劇団の公演チケットが届いていた。この劇団は昭和芸能舎という劇団で、羽原大介氏という映画『フラガール』やNHKのドラマ『とんび』を作った劇作家が率いている劇団なのだが、今回が解散公演となるのだという。コロナの影響で劇団やコンサート関係者が苦境に立たされているが、この昭和芸能舎もそうで(「昭和」というからにはかなりの伝統を持った劇団なのだろう)これを最後に劇団の幕を下ろすことになったのだ。

以前この劇団による『劇場版 フラガール』をTBSのすぐ近くにある赤坂レッドシアターという小劇場で観たことがある。フェイスブックで友達になったこの劇団所属の女優の人に誘われたから行ったのだが(どうも美人に誘われると別に何にもならないのにホイホイ行ってしまうのだが)、地下にあるほんとに小さな劇場で舞台も小じんまりとしており舞台の奥行きも数メートルしかなかった。だが劇自体は結構味があり楽しめるものだった。ことに最後のフラダンスの場面は圧巻だった。20名ほどの劇団女優たちが小さな舞台上に溢れんばかりに勢ぞろいして、明るい情熱的なハワイアンダンスを激しくさわやかに踊ったのだが、その美しさとエネルギーにはまさに圧倒されてしまった。舞台が終わったあと平服に着替えた劇団の人たちが観客席に来て、観客と交歓したりして、そんなことにも小劇団ならではの魅力を感じたりもした。
今回が最後の公演となるというので、コロナは怖いけどやはり行ってみようと、24日金曜日(この日がちょうど公演の最終日になる)赤坂のレッドシアターに出かけて行った。

赤坂レッドシアターではコロナ対策をしっかりしていて、まず入口のところで頭に小銃のようなものを突きつけられて検温され、地下の階段のところで手の消毒をさせられた。従業員は皆フェイスシールドを付けており、チケット切りも自分でさせられた。座席も一席ごとに空席化されていて、僕の両隣りの席は空席となっていた。『フラガール』のときは満席のぎゅうぎゅう詰め状態で、僕などは臨時に通路に作られた座席に身を狭めながら見ていたのだが、そのときとはたいへんな違いだ。これでは採算も取れそうにないのだが、それを度外視してでも最後の公演を行いたかったのだろう。

今回の公演は『モスクワ 1980 幻の日本代表取材日記』で、これはボイコットに終わった幻のモスクワ五輪を描いた劇である。劇の主人公となる女性―入社3年目のまだ駆け出しの新聞記者なのだが(この女性がフェイスブックで僕の友達となっている女性である)、彼女にモスクワ五輪の代表取材という大役が任されるところから劇が始まる。喜んだ彼女はカメラマンと一緒に取材に駆け回り、男子シンクロナイズスイミングの選手たちを取材したりして、新聞の一面トップ記事を書くという新聞記者の憧れを目指してがんばってゆく。しかし社の上層部ではモスクワ五輪がボイコットに終わることをすでに知っており、事情を知っている者は誰もやりたがらないので、いわば彼女に貧乏くじを引かせたのだ。何も知らない彼女は取材にがんばるとともに、彼女の母や妹や弟や生き別れになった兄(この兄は男子シンクロナイズドスイミングでモスクワを目指している選手になっていた)などの家族たち―それぞれ離婚の傷や就職の不安や引きこもりなどの苦しみを抱えている―を励まして「一緒にモスクワに行こう!」などと言ってがんばる。

しかしやがてモスクワ五輪がアメリカや日本政府の思惑でボイコットされることが明らかになる。彼女は自分が貧乏くじを引かされたことを知り、失望して退社まで決意する。しかし兄の幸せな結婚や恋人の励ましなどもあり、もう一度夢を目指そうと思い返し、「モスクワがダメならロサンジェルスがあるさ」と再び前へ進んで行こうとするという物語である。


結婚したかった人 10

2020-07-17 06:39:21 | 日本文学の革命
こうして東陽町の職場を去ることになったが、僕の予定としては『電子同人雑誌の可能性』を一年かそこらで書きあげ、『「こころ」と太平洋戦争』にも突入し、文学で暮らしてゆく目途が立ったあと、彼女を迎えにゆくつもりだった。文学で成功したら彼女から連絡がくるだろうと期待もしていた。しかしその後すぐに大スランプに入ってしまったのだ。ほとんど何も書けない状態が一年二年と続いたのである。一時は「死」を覚悟したほどの絶望状況に追い込まれ、彼女を迎えに行くことなどできない状態になってしまったのだ。彼女からの連絡もまったく来なかった。

ただ二年ほど前一度東陽町を訪れたことがある。もしかして彼女の東北転勤は僕を二度とやって来させないようにするためのあの男の嘘で、実際には彼女はまだあのオフィスで働いているのかも知れないと思ったのだ。そこで通勤時間に大通りの向かい側にあるコンビニに入り、そこからオフィスに向かう人の流れの中に彼女の姿を見い出そうとしてみた。

しかしここで驚いたのはオフィスに向かう人間が見知らぬ人間ばかりだったことである。彼女はもちろんかつて一緒に働いていた派遣社員の人たちが誰もいないのだ。翌日もう一度確かめようと今度はあのベンチにすわり、間近で人々を見てみたが、やはり誰も知っている顔がない。東電の玄関前に行って公園越しに中を覗いて見たけど、やはり知っている人間は見られなかった。この二年の間に他社を電力事業に参入させようとする電力自由化は失敗したようだし、東電社員たちが勢いを取り返して、派遣社員たちを一掃したようなのである。彼女への手がかりはまったくなくなってしまった。

彼女からの連絡はなく、手がかりも失い、プロポーズまでしたのだがやはり結婚はできなかった。ただ僕のもとに数回「謎の着信」が届いたことがある。「通知不可能」の設定がされていて僕の方から返信することができない着信が僕の携帯に届いていたのである。僕は仕事から帰るとすぐに寝て夜中に起きて文学の仕事をしているので、人からの電話を取ることがなかなか出来ないのだが、こんな電話を送る相手は思い当たらないし、もしかしたら彼女かも知れない。二年前東陽町にまで行ったのも、実はこの「謎の着信」があったからである。最近もこの着信があったのだが、この時はたまたま電話を取ることができた。僕が「もしもし」というとちょっと息を飲んだような感じがしてすぐ切れてしまったが。もしかしたら彼女なのだろうか。僕が今「結婚したかった人」をわざわざ書いているのは、実はこれがあったからなのである。

いろんな原因や失敗があり、今に至るまで結婚できなかったが、しかし結婚できなかったからこそ今まで文学を続けてこれたという面もある。もし養うべき妻子がいたら、とても文学は続けられなかっただろう。これでも責任感は強い方だから、妻や子を養うために一番就きたくない職業「正社員」にも就いていたかも知れない。やはり妻子のためだと自分い言い聞かせて会社の命令に唯々諾々と完全服従もしていただろう。文学を物理的にも精神的にも続けられなくなり、「日本文学の復活」という事業も途中で諦めていたかも知れない。

しかしすべてができるようになった今、どんどん拍車をかけて書いてゆけば文学で食べてゆけることが可能となるだろう。そうなったら文学と結婚はなんの問題もなく両立できるのである。娘が欲しいなあ。娘ができたら「さやこ」と名付けようか。などと空想に耽っていたときもあるが、それを実際に実現することも可能となるのだ。

失敗続きで、僕もすっかり年を取ったが、いまだに結婚へのかすかな希望を捨てきれずにいるところである。


結婚したかった人 9

2020-07-15 06:16:26 | 日本文学の革命
しかしそんな日々も長くは続かなかった。あの男が二人の仲を察知したのである。自分の一人しかいない大切なアシスタントが恋愛の対象にされている。業務を運営してゆく上で、障害になりかねないものである。また僕がものを書いて社内で評判になっているのも目障りだ。会社の業務と関係のないことを好き勝手に書いており、社内の統制を乱すものにも成りかねない。そこでついに手を打ってきたのである。

ある日突然派遣会社から電話があり、今月いっぱいで契約を打ち切る旨が通告されてきた。理由は「能力不足」だそうだ。もう何か月も業務をこなしているのに今さら「能力不足」もないだろうと思ったが、もちろんどうにもできない。またしても首である。彼女との関係も未然に断たれてしまったのである。

その通告があった翌日か翌々日のことだったが、奇妙な光景を目にすることになった。あの男が茫然自失の態で廊下を歩いていたのである。なんだかひどい打撃を受けた様子で、周囲の何ものも目に入らない、ちょっとフラつき気味の足取りで歩いていたのだ。あの男のこんな様子は今まで見たことがなかったから、何があったんだろうといぶかしんだ。

もしかして彼女が何かしたんだろうか。平手打ちとまでいかなくても何かそれに近いことをしたのかも知れない。普通首にされる人間はみんな見捨てるものだが、一本気なところがある彼女だから、相手が上司だろうが構わずに立ち向かってくれたのかも知れないのだ。

僕が会社を辞める日が来た。僕は別館の方で働いており、彼女やあの男はメインオフィスにデスクを構えて仕事をしているのだが、朝礼のときには全員メインオフィスに集まることになっている。朝礼のためにメインオフィスに入ったのだが、いつもいる彼女の姿が見えない。どうしたんだろうと思っているうちに朝礼の時間が来て、あの男がスピーチに立ち、急な知らせがあると言った。彼女が「東北支社に転勤することになった」と言うのである。近日中に代わりの者が来て、彼女の仕事を引き継ぎ次第、彼女はこのオフィスを去ることになるという。

東京で暮らし、東京で働き、東京の生活を楽しんでいる若い女性に、いきなりすぐに東北へ移り住めだと。会社の命令に唯々諾々と従う単身赴任のお父さんじゃないんだから、そんなことする訳ないじゃないか。これはもう事実上の退社勧告である。僕だけでは足りずに、彼女まで始末しようというのである。

別館に戻った僕は働きながら思案した。これは許しておけない。おとなしくこのまま退社する訳にいかない。何かあの男にリベンジしてやろう。退社するとき入館カードを返すのだが彼女がいないということはあの男に直接手渡すことになる。その際思うさま罵倒してやろう。そう決意して罵倒する文面を考え、どういう手順で罵倒するかその予行演習をしようと昼休み明けメインオフィスに入っていった。

すると彼女がいたのである!いつもの自分のデスクに座って、僕の方を悲しそうな表情で見ていたのだ。その目には何か訴えかけるものが感じられた。

面食らった僕は予行演習を取りやめ、そのまま別館へ戻っていった。そして午後の仕事をしながらあれこれ思案したが、「そうか!会社が捨てるんならおれが貰えばいいんだ!」という単純明快な結論に達したのである。

退社の時刻となり、入館カードを返すために彼女のところへ向かう時となった。僕は決意を固めてメインオフィスの中に入って、彼女のデスクに歩いていった。彼女の周りには仕事のやり取りで何人もの人が立っていた。周囲のデスクでは大勢の人が仕事を続けていた。あの男も僕と彼女の最後のやり取りをチェックしようとしたのだろう、目立たない席に座って聞き耳を立てていた。しかしもうこの機会しかないのだから、そんなことを構っている暇はなかった。

彼女の前に来ると入館カードを握ったまま(これを持っていると喋り続けることができる)、今日退社すること、今までありがとうなどの型通りの挨拶をして、執筆の方は順調ですと続けたあと、ついに意を決してプロポーズの言葉を述べた。「これが完成したら、結婚しよう!」

あとはもう夢中で喋り続けた。「東北なんかに行っちゃダメだよ。いつでも行けるんだから(僕が別荘を買ったらの意)」「これを完成させたら日本をいい方向に変えてゆくワクワクするような仕事ができるようになる(だからこの仕事は辞めてもいいよの意)」

デスクの席に座っていた彼女は、目を伏せながら嬉しそうに聞いていた。ときおりキラキラ輝く少女のような瞳で僕のことを見あげていた。

入館カードを返していよいよ去るとき、「あとで連絡するから」と彼女に名刺を求めたが、「今はない」と断られてしまった。

メインオフィスのドアを出ようとするとき、振り返って彼女の方を見てみた。彼女は仕事のやり取りでだれかと喋っているところだった。僕には横顔だけしか見えなかったが、その横顔は今まで見た彼女の姿で一番美しいものに感じられた。




結婚したかった人 8

2020-07-14 06:37:04 | 日本文学の革命
何名かの派遣社員とともにこの会社に入社したとき、ロビーで受付を行ったのが彼女だった。朝の太陽がまぶしいのかあるいは疲れ目なのか、目をしばしばさせながら現われたのだが、その様がなんともチャーミングだったのを覚えている。入社してまだ数年目らしく、素朴で初々しい感じがして好感を持てる女性だった。雑誌やグラビアを飾るようないわゆる美人ではないが、素直で自然な感じがして、十分魅力的で美しい女性だった。

あの男のアシスタントとして彼女は主に派遣社員たちの対応をしていた。引っ込み思案な性格なのかテキパキというよりもオズオズと対応しており、しかしそんな姿もやはり好感の持てるものだった。飾らないオットリとした性格なのだが、その中にどこか芯の強さも感じられ、凛とした風格さえ感じさせる女性だった。

聴くと岩手県の「盛岡」出身なのだという。僕も東北の仙台で少年時代の10年間を暮らしたことがあるので、東北の自然―まさに「宮沢賢治の世界」そのままの自然である!―が大好きだった。彼女に小岩井農場に行った時の話などをして笑わせたのだが、「でもそんな観光地なんか行かなくても、普通の夕暮れの光景だけでもホント美しいよね、東北の自然は」と僕が言うと、彼女の目が大きく輝いたのを覚えている。「そうか。彼女も東北の自然の美しさをよく知っているんだな」とますます好感を持った。「東北に別荘を持つことが夢なんですよ。東京で暮らしながらも、時々東北の自然を楽しみに行けるような別荘をね」なんて話もした。

ある日東電前の大通りにあるベンチで昼食のパンを食べているとき、東電の方から彼女が歩いて来るのが見えた。駅の方へ昼食を取りに行くらしく、僕の前を通るときちょっと恥ずかしそうに目をしばしばさせながら通り過ぎて駅の方へ歩いて行った。夏の日差しと青い空の下、そのうしろ姿が実にさわやかに見えて、いつまでも目で追っていたのを覚えている。

なんとかもっと彼女に近づきたいと思い、名刺交換という手段を思いついた。彼女も社会人なのだから名刺交換を日常的にしているだろう。僕もパソコンで手作りした名刺を持っていた。表は普通の名刺らしく「新しい日本文学 関場守良」と記してメールや電話番号を載せているのだが、裏はちょっと笑いを取ろうとして工夫したものになっている。

今では旧札となった漱石の千円札を大事に持っているのだが、そのサイズが名刺にピタリと合うのである。しかもお札の真ん中の「透かし」は漱石の顔に対してマンガの「吹き出し」のようになっている。この「透かし」部分に「応援してね」という文字を入れるとまるで漱石が「応援してね」と喋っているように見えるのだ。お札をコピーすることなど本来犯罪行為なのだが、この名刺大の千円を見て千円札だと勘違いするものなどいない筈だ。そのように工夫して漱石の千円札のコピーを名詞の裏に張り付けたのである。効果はバッチリで名刺を裏返して漱石の「応援してね」を見ると、みんな「クス」っと笑ってくれるのである。

この名刺で名刺交換しようとしたのだが、彼女は男に自分のメールや電話番号が記載されている名刺を渡すのをためらって、おびえた表情を浮かべて断ろうとした。しかしここが漱石の出番とばかりに漱石写真の名刺を彼女に突き付けたのである。すると彼女も何だろうこれはと見入ってしまい、そして「クス」っと笑ってくれたのである。そしてそのまま名刺を受取ってくれた。僕は彼女の名刺を受取ることはできなかったが、彼女は僕の名刺を受取ってくれたのであった。

仲良くなるにつれてちょっといたずらもするようになった。提出書類を彼女に手渡す際、ちょっと強めに握って、彼女が引っ張っても取れないようにしたのである。彼女はどうしていいか分からずに、子供がもどかしがるような表情を浮かべたのだが、その様も実に可愛かった。

僕が『電子同人雑誌の可能性』を本格的に書き始めたのも、この会社に入社してからである。あるとき会社の友人の一人に話のついでにこういうものを書いていると伝えたところ、またたく間に会社中に知れ渡ってしまった。結構面白いと評判になって、東電社員の間でも話題となり、「おお 君が有名な関場君か」と話しかけてきたりする東電社員もいた。彼女も見てくれて、そして面白がってくれた。彼女が見てくれるということで、僕もさらに張り切って面白いものを書こうと、ジョークやユーモアを満載してがんばって書いていったのである。


結婚したかった人 7

2020-07-13 04:24:10 | 日本文学の革命
4年ほど前のことになるが東陽町という所でデータ入力の仕事をしたことがある。この東陽町というところは東京の下町の方にあるちょっとしたオフィス街といった町で、様々なビルが立ち並んでいる所である。

そこにある会社でデータ入力の仕事をしたのだが、その会社とはなんとあの東京電力であった。東京電力は大きく三つ、電力部門、送電部門、小売り部門に分かれており、それぞれに本社があるのだが、そのうち送電部門の本社に当たるのがこの会社だった。
駅から真っすぐに伸びる大通りを20分ほど歩いたところにある会社で、玄関先にちょっとした公園のようなスペースまである大きな建物だった。

ホテルのロビーのような待合室を通るとそこには様々なオフィススペースがあった。メインのオフィススペースや二階三階の階上のオフィススペースや別館のオフィススペースがあり、特にメインのオフィススペースの広さは広大なもので、端の方にいる人間は点にしか見えないほどだった。

そして驚いたことにこの広大なオフィススペースで働いているほとんどすべての人間が派遣社員なのである。みんな僕のように派遣会社から集められた人間ばかりであり、東京電力の社員たちがいないのだ。
ただよく見ると東京電力の社員もいるのである。メイン的なオフィススペースの隣の部屋とか小さな部屋とかに押し込められるようにして働いていて、その小さな部屋の前には東電社員の誇りを示すかのように「社員専用。立ち入り禁止」などという紙が貼ってあった。中にはトイレの向こうの部屋に押し込められている東電社員もいた。どういう作りになっているのかちょっと分からないのだが、トイレに入るつもりでドアを開けて入るとその向こうに部屋があるのがうかがえて、そこで東電社員たちが働いているのである。
東電社員たちも時々メインオフィスにやってくる。それは派遣社員たちに仕事のやり方を教えるためであり、派遣社員たちは仕事のやり方が分からなくなると東電社員を呼び出して教えてもらうのである。

なぜこんなことになっているのかを推測すると、「電力自由化」という政府の方針が関係あるらしい。「電力自由化」を推進し、多くの会社を電力事業に参入させようと政府はしていたのだが、その際ネックになるのが送電部門である。この送電部門で東電社員たちが様々な妨害やサボタージュをしてきたら東京電力から他社への電力の切り替えがスムーズにいかなくなる。「電力自由化」が妨げられてしまうかも知れない。だからこそ派遣社員を大量に送り込み、東電社員たちを片隅に逼塞させ、仕事の実務は派遣社員にやらせようとしたのだろう。

この政府の政策を現場で指揮していたのは携帯電話の大手auの子会社から出向してきた男性社員である。auも電力事業に参入しようとしていたので、それを妨害しかねない送電部門を抑えるために、いわば別動部隊の隊長として派遣されてきた男なのだろう。ただ隊長といってもこの男の下に部下はいなかった。時々上司の人が見周りに来るくらいで、ほとんどこの男一人で切り盛りしていたのである。たしかに東電社員の仕事を派遣社員に移すだけの仕事で、肝心なことは実務に精通している東電社員を政府の威光を借りて動かせばいいのだから、この男一人でもなんとかなったのだろう。しかしある意味敵地に一人で乗り込むような仕事で、東電社員の恨みを一身に買う立場となり、辛かったとは思う。ロビーで東電社員に混ざってよく弁当を買っていたのだが、東電社員の冷たい視線をひしひしと感じているらしくいつもこわばった表情を浮かべているのが印象的だった。

この男の下に部下はいなかったが、アシスタントの女性が一人、同じauの子会社から出向してきていた。その人が実は「結婚したかった人」である。

結婚したかった人 6

2020-07-12 14:03:12 | 日本文学の革命
新宿のコールセンターで働いていた時のことである。エネオスという石油会社が電力事業に参入する一環で新たに設けたコールセンターで、数十人規模の部署であり、若い人間が集まった活気のある部署であった。僕もその一人として働いていたのだが、そのオフィスの片隅にひっそりと座っている正社員の男がいた。いつも書類に目を通しているだけで、これといって何か仕事らしきことをするでもなく、誰かと話をしているところも見たことがない。ただ上級スタッフの人から「この人のデスクの前を通るときは気をつけるようにして」と注意を受けていた。実は彼こそが首切り担当役人であり、このオフィスにいる人間たちに目を光らせ、首にする人間を選定していたのである。だが普段はそんな素振りはまったく見せずに書類だけに目を通している。ただほんの時の間だが「コブラのような目」で周囲を見ている時があったのを覚えている。

僕がその部署で働いて二、三か月たった頃、突然移動となった。もう電話すらも取れない窓際への移動であり、仕事もただ封筒を折るだけの屈辱的な仕事となった。つまり首切りと選定されたのである。これまでの仕事でミスをした覚えはないので、やはり僕のあの性格―女性をきちんと女と見てやさしくする。ただ別に下心があるわけではないが―が災いして「恋愛禁止」の掟に抵触していると判断されたのだろう。
契約期間が終わる前に辞めるともうその派遣会社から仕事をもらえなくなるかもしれない。だから任期満了までここに居続けることにしたが、仕事は屈辱的だし、いやったらしいいじめはしてくるし、皆のさらし者にされているしで、嫌な日々が続いていた。

そんなとき僕の隣の席に女性が移動してきた。彼女も派遣社員なのだがジェネラルマネージャーというリーダー格で派遣されてきた女性で、若くてかわいらしい女性だった。実は彼女も窓際に追いやられてきたのである。彼女はいつもにこにこ穏やかな笑顔を浮かべているかわいらしい女性なのだが、よく言えばオットリ、悪く言えばポワワ〜ンとした人だった。昔であればお茶汲みOL、職場をなごやかにする花として立派にオフィス内で生息できたのだが、ジェネラルマネージャーなどというキリキリ働かねばならない職には合わなかったのだろう。いつもにこにこしているところも笑ってごまかしていると取られたのかも知れない。本業を追われ、窓際に追いやられ、僕のように封筒を折る仕事をさせられたのである。

こういう仕打ちには慣れっこになっている僕とは違って、彼女はすっかり落ち込んで、封筒を折りながら今にも泣き出しそうな様子をしていた。僕はこれはなんとかしてやらねばと思い、いろいろ元気づけたり、得意のユーモアや道化で彼女を笑わせたり、彼女を慰めるために力を尽くした。時おり「コブラのような目」が注がれていることに気づいたが、そんなことは無視して、窓際に追いやられた者同士仲良くなっていった。

やがて彼女は窓際を離れ、本業に戻っていった。彼女の場合窓際に追いやったのは一時的なことであり、本業をしっかりやらないと今度こそ首にするぞという脅しだったのだろう。

やがて僕の契約期間が終わる前日となった。翌日にはもうこの職場を去ることになる。ここに至って僕は彼女をデートに誘ってみようと決意した。コブラの監視網が厳しくて今まで手も足も出なかったが、もう明日辞めるのだからそんなことは恐くない。今日デートの誘いをして、明日返事を受け取り、ダメだったらそのまま立ち去ればいいだけだ。
そう決意して、食堂にいた彼女と二言三言話したあと、さりげなく「チケットが手に入ったので一緒にジブリ美術館に行きませんか」と書いた紙片を彼女に手渡して、その場を立ち去っていった。

僕が彼女に紙片を手渡したのが4時30分のこと。それから5時30分に定時退社して、1時間半ほどかけて家にたどり着いた。そしてカバンの奥のケータイを取り出したとき、ビックリしてしまった。派遣会社から着信の嵐が届いていたのである。カバンの奥に突っ込んでいたからまるで気づかなかったのだ。派遣会社に電話したところ、「あなたジェネラルマネージャーの女性をデートに誘いましたね。そういうことをする人間はこれ以上雇うことはできないと先方様から言われました。今日で雇用は打ち切りです」と告げられた。

どうやら僕から紙片を渡されてデートに誘われたことを彼女が職場仲間に喋ったらしいのである。それがコブラの監視網に引っかかってコブラの知るところとなり、即座に手を打ってきたのだろう。
結局彼女の返事を聞くこともできないままその職場を去ることとなった。