「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

「新しい文学」理論的にはすべて出来た! 4

2010-04-29 21:28:17 | 日本文学の革命
とここまで書いてきたが、あまりに抽象的な問題なので、しかもそれを具体的に書くこともできないので、自分でも書いていて嫌になってきた
もっと具体的な問題もいろいろ書いているのである
たとえば「ゲームについて」「推理小説の仕組み」「映画の幻惑技法」「マンガとアニメー子供の眼から見た世界」「会社について」「恋愛ドラマ」「会話と人種」「アダルトビデオの本質」「仮想現実について」「コンピュータの本質ー関数」などなど
いずれも今人々を魅了しているもの、その生命の様式はどういうものかを考えてみたものである

変わったところでは「エヴァンゲリオンの“謎”」というものも書いた
『エヴァンゲリオン』は最近はじめて見た。オタクやマニアが見るものだというので、はじめはバカにしながら見ていたのだが、見終わったとき「これはなかなかいいぞ」と感心した
劇場版も見たくなって、アマゾンで注文して買ってみた。この劇場版は「エロ・グロ・ナンセンス」で「ひどい」ものだとすこぶる評判が悪いのだが、実際見てみると結構いいのである
『エヴァ』を見た者が興味を持つのが、その何がなんだか分からない“謎”であるが、僕もその“謎”に興味を持ち、それを書いてみたのがこの小論である
一言で言えばこの“謎”には、「現代日本人が抱えている魂の問題」が的確に捉えられているのである
解答は与えられていないが、問題は見事に描き出されているのだ
おそらくシンジという一人の対人恐怖症者を主役に据えたことが、この成功をもたらしたのだろう
(エヴァンゲリオンの切れた悪魔のような形姿ーこれも対人恐怖症者の一つの側面なのである。対人恐怖症者とは“日本人の影”であり、従来の日本的世界に適応できなくなった者たちであり、ある意味日本的世界に対する反逆者なのである)
『エヴァンゲリオン』がなぜ今でも注目されているのか、よく分かる気がする

まあ こういうふうにしていろいろ書いている
百枚四冊のノートも埋め尽くしてしまう勢いだ

こうして書いている内に、ゴールが次第次第に見えはじめている
どこにそれがあるのか、どうすればそこに迎えるのか、その具体的な形はどういうものか
どんどん分かってきているのである
もう理論的には出来たようなものだ

とにかく「新しい文学」を今ここで生み出してしまおう
なんとしてもそれを成し遂げたい

「新しい文学」理論的にはすべて出来た! 3

2010-04-29 21:26:35 | 日本文学の革命
「シェイクスピア、ドストエフスキー、ゲーテ、宮沢賢治、韻律文学、西洋近代文学」
これらについても様々な表題で書いて、その文体の秘密に迫ろうとしている
これらの文体に共通するものは「神的根源の文章化」ともいうべきものである
神的根源ーたとえばシェイクスピアならば「神にも匹敵するほど奥深い人間の魂」であり、西洋近代文学なら「人間存在そのもの」であり、ドストエフスキーならばそのものズバリ「神」であり、ゲーテや宮沢賢治なら「自然」であり、韻律文学なら韻律の中に秘められた「大宇宙」である
彼らはこれらの神的根源を文章で表現する方法を発見し、それを自分たちの文体としたのである

実は僕も一つの「神的根源の文章化」を行えないものかと悪戦苦闘しているのである
それは後述する「五蘊」に関するものなのだが、これはまさに文章の中に隠れている「神的根源」なのである
これを発掘して文章によって表現することができたら、間違いなく立派な文学が出来るはずだ…
そう思い、偉大な文学者たちの文体を研究して、なんとかそれにあやかれないものかと努力を続けているわけである

「五蘊(ごうん)」とは何かというと、仏教の用語である
サンスクリット語では「ダルマ」であり、漱石はこれを「意識の波」と呼んでいる
たいへん難しい概念で、ある意味仏教の根本概念だといってもいい。仏教の修行僧が座禅を組んで、一生懸命何を認識しようとしているかというと、この「五蘊」なのである

漱石の『文学論』はこの「五蘊」を現代的な観点から捉え、同時にそれを“言語の内に”に見い出そうとしたものなのである
彼はそれを八割がた成し遂げたのだが、惜しくも完成できなかった
漱石のやり残したことをやるのが僕の“使命”だと思っているので、当然「五蘊」関係のものもいろいろ書いている
たとえば「ユングー五蘊の人間主義的理解」とか「シュペングラーー文明の論理と五蘊」とか「量子論と五蘊」とか「五蘊と語との関係」とか…
一番多くの表題を尽くしているのは、実はこの「五蘊」問題なのである

「新しい文学」理論的にはすべて出来た! 2

2010-04-29 21:24:06 | 日本文学の革命
「新しい文学」理論的にはすべて出来た!とただ書いても
「またか!」「何度目だ!」「聞き飽きたぞ!」とブーイングされそうなので、具体的にどういう表題のものを書いてきたかを、ちょっと詳しく書いてみよう
いろいろたいへんなものを書いてきたのである

まず日本語や日本文学に関するものを様々に書いている。思い出すままに書いてみれば
「平家物語の韻律構造」「俳句と漢字原義」「今昔物語と芥川龍之介」「森鴎外ーシニフィアンによる三統一の言文一致体」「谷崎潤一郎ー関西を地盤とした三統一の言文一致体」などなど

「日本語とは何か」「日本語はどのようにして発展したか」
これは僕の10年来変わらない基本的な問題意識で、ずっとこればかり考え続けていたといってもいいものだ
『夏目漱石の継承』という大きな評論を書いているが、これも漱石論であると同時に日本語論でもあるのだ
ズバリ書くと「明治以前の言語の分裂状態から明治以後の三統一の言文一致体へ」
これによって日本語の発展をとらえているのである

明治以前の漢文と和文とへの言語の分裂状態(漢文は武士と、和文は公家と結びついて発展してきた)から、明治以後の新しい言語的発展である三統一の言文一致体へ(東京方言を土台としその上に漢文・和文・西洋語を“三統一”したもの)、この言語的発展には実に壮大深淵なものがあるのである!
われわれが普段何気なく使っている現代日本語には、目もくらむほどの宝の山が蔵されているのだ!
ここで詳しく書くことはできないが…
(ちなみに「三統一の言文一致体」とは夏目漱石の文体に他ならない。これを見出したのも漱石文学の中からである。またこれは漱石にとどまらず、日本文学全体に共通する一大様式でもあり、それぞれの文学者たちはそれぞれのやり方でこの大様式を表現化してきたのだ)

この日本語の中に眠っている巨大な宝を掘り起こすこと、それが「新しい文学」の目標なので、いろいろ日本語に関する問題を書いているのである

「新しい文学」理論的にはすべて出来た! 1

2010-04-29 21:21:46 | 日本文学の革命
最近は書き込みもほとんどしないで黙り込んでいるので、関場はどうした? いよいよギブアップしてお陀仏したか、とお思いになる方もいるでしょうが、実は今「新しい文学」を生み出すための最終的な戦いを四苦八苦しながら続けている最中なのである

具体的には百枚のノート四冊を用意して、それに重厚感のある紺のノート用表紙をかぶせて、それぞれに「第一巻」「第二巻」「第三巻」「第四巻」と書いて、創作気分を盛り上げながらそれに様々なことを書いて、「これで「新しい文学」を生み出そう、「日本文学の革命」に決着をつけてやろう」とがんばっているのだ

はじめのうちは中々思うように書けなかった
どう書いてゆけばいいかがつかめず、文章を書いてもスカスカのものしか書けず、どうにも前へ進めない状態が続いていた
しかしあるとき、ページごとに表題を書くようにしたら、だんだんと納得のゆくものが書けるようになったのである
ノート1枚2ページごとにまず表題を書いてゆき(思いついたら先行してどんどん書いてゆく)、それをよく考えて暖めて、書けるようになったものから書いてゆく
要するにノート一枚ごとの小さな小論文みたいにして書いてゆくようにしたら、これがバンバン書けるようになったのだ
(ノート一枚でもビッシリ書けば原稿用紙五、六枚にはなる)

文章も密度の濃いものが書けるようになり、本質的なものも面白いように捉えられるようになり、書けば書くほど様々な発見ができるようになった
どんどん書いて行って、今ではノート四冊のうち半分以上は書いてしまった
残りのノートも、表題だけならすでに大部分につけている。つまりどう書いてゆけばいいかが分かっている
ここまで来たら、あともうひとがんばりでゴールにたどり着けるはずだ

真面目に働くことの重要性

2010-04-15 06:58:56 | 日本文学の革命
myfakenameismikeさん 実に久しぶりですね!

あれからどうしてました?

電車通勤をしているようですから、ちゃんと働いているようですね

ヘンなことを考えないで真面目に働くのが一番ですよ
脚本家や小説家を目指しても、そのほとんどすべてが食ってゆくことは出来ないんですから!

漱石は「文学の道を歩む者は、うまくすれば自己実現できるが、悪くすれば餓死だ」と書いてますが、今僕も後者の方にどんどん追い込まれているところで、必死にあがいてます

まあ 僕の場合は、この道で死んでも構わないと、それなりの覚悟は固めてます
金や地位や名誉よりも、“この文学の事業”をこの人生でどれだけ前へ進められるか、それだけが僕の関心事なのです

しかし十分な覚悟(諦めといってもいい)を持たない人間がこの道を歩むと、待っているのは失望と絶望と人生の失敗だけです

ちゃんと働いていれば得られたはずの有意義な人生が、まるで得られないまま無念のうちに死んでゆくだけなのです

なんだか説教みたいになりましたが、あなたがまだ脚本家になりたいと漠然とふらふらしているようだったら、とんでもない事態に追い込まれますよ、と言いたくて以上のことを書きました

現に僕がそうなのですから(笑)、あなたまでこういう事態に陥って欲しくないのです

久しぶりの投稿 ありがとう

本当に真面目に働くことは、重要なことですよ
文学に匹敵するほど、重要なことなのです

鬼のように突き進んでいるところです 2

2010-04-08 06:26:32 | 日本文学の革命
「革命的な作品を書いた」という者が数百人いたとしても、その中に一人か二人でも本当に事実として「革命的な」ことをした人間がいたなら、やはり出版社の人間はその一人か二人を見つけ出すために、会ってみるべきだと思います
もちろんくだらないハッタリ屋や見当違いの人間の方がほとんどでしょう
でもそこに本当に重要なことを成し遂げた者がいたなら、それを引き上げることは出版社の最も重要な本源的な仕事なのです

といっても僕も、今の出版業界の現状から見て、それがなかなか難しいことは十分承知してますけどね
「出版とネットの融合」がもっと進み、どんな大量の情報でも処理できる、どんなマイナーな作品でも吸い上げることができるようにならなければ、たしかに難しいですね
ただ漫画では、作品の持ち込みはかなり簡単に応じているようですよ
昔の文学界でも実に気軽に応じたものでした
持ち込みは一切受けつけないという今の出版社の態度には、「もう価値ある作品なんか出てきやしない」という無意識的な思いがあるのかもしれません
(実際その通りで、ここ数10年、本当に価値ある作品など文学界から出ていないのですからね)

手紙を読んだだけで、この男は「日本文学の革命」を本当にできるのか、できないのかを判断することは、そのプロの編集者がどんなに天才的な読み手だとしても、まず不可能でしょう

また僕のホームページの作品を読んでも、内容が難しい上に様々な作品が書き込まれているので、それをいちいち理解した上で評価をくだすことなど、厄介極まることで誰もやりたがらないでしょう

ただ、この「日本文学の革命」が本物かどうか、本当にやろうとしているのかどうか、それを見極める実に簡単で手軽な方法があるのです
それはその運動をやっている人間に実際に会ってみることです

実際にその人間に会って話をさせてみれば、その人間が本物なのか偽者なのか、本当にこれをやろうとしているのか、それともでまかせなのか、またどの程度の中身を持っているのか、だいたいのところが分かるのです
しかもわずか数時間で判断できます
その人間がハッタリ屋なのか、ばかな誇大妄想狂なのか、そんなことだったらそれこそ一発で見分けがつくでしょう

僕が手紙で「一度会って話を聞いてほしい」と要望しているのは、まさにそのためなのです
ただ文字だけで「日本文学の革命」と読んでも、「これはおかしいやつか、可哀そうなやつか、どっちかだな」と思われるのがオチです
しかし実際に会って話をすると、どういうわけか僕は不思議と信用されるのです
「これはやるかもしれない」と思われるのです
そうなれば「日本文学の革命」という一見途方もないものも、とりあえず信用してみようかという気持ちになるかもしれません

とにかく 一度くらい会って話を聞いてみること、それは出版社の業務の一つだと思います

鬼のように突き進んでいるところです 1

2010-04-08 06:24:09 | 日本文学の革命
>他の方もすでにおっしゃっていますが、
自分は革命的な作品を書いた、という人は何百人もいます。
これから書くという程度なら、さらに輪をかけて多いでしょう。
吐いて捨てるほど大勢いる人を相手に、いちいち会って話をしていたら編集者は本業のほうができないのです。
関場さんの小説にしても、完成版「明暗」にしても、革命が起こせる作品自体が手元にはないんでしょう?

そんな関場さんに会って時間を割いたら、「文学に革命を起こす」と言えば誰でも文芸雑誌編集者と会って話ができることになってしまいます。

それでも、もし手紙の文章からこいつは本当に革命を起こせるかもしれない、と伝わっていればきっと会ってくれていたでしょう。
つまり文学を読み続けてきたプロの編集者も、関場さんのことを、文学に革命を起こせるような書き手とは思わなかった、ということです。


だいぶ長いこと返事を書かないですみません

実は今 経済的にいよいよ追い詰められてきて、切羽詰った状態になったのです
へたしたら生活破綻、路頭に追いやられることもあり得る
まさに瀬戸際です

ここにおいて一大決心をいたしまして、「よ~し こうなったら路頭に迷う前に文学を成し遂げてしまおう、「日本文学の革命」を実現してしまおう!」と決意を固め、一日も無駄にせずに朝から晩まですべてを使って、鬼のようにこの道を突き進んでいるところなのです

人間 決死の覚悟で突き進むと、道はなんとか開けるもので、到底解けるはずはないと思っていた難題もつぎつぎとクリアしてゆき、「新しい文学」の誕生が日々近づいています
あともう少しで、すべてが実現しそうです

長いこと返事をしなかった裏では、こういう瀬戸際の戦いをしていたのです
これからもなかなかすぐには返事をできないと思いますが、どうかご了承ください