93年の「政治改革」以来日本の政治はさまざまに変化してきたが、いまだに未来にふさわしい新しい政治体制は確立していない。しかしやはり僕は自民党と民主党による「二大政党制」こそが最も未来にふさわしい政治体制だと思う。小沢一郎の手によって一度は頓挫させられたとはいえ、この「二大政党制」こそが日本の歴史的伝統に立脚し大きな未来的可能性を持った政治体制になり得るのだ
自民党という政党の文化的背景を探ってみると、それは「東日本的」な政党だと言える。「東日本的」ーつまり武士的であり、男性的であり、国家的国粋的な性格を持った政党なのだ。創設者の岸信介が「軍部」と深く関わっていたように戦前の「軍部」の系譜も深いところで引いている政党である。現在の自公政権では自民党と公明党が連立を組み、不思議と相性がいいが、実は戦前の「軍部」も石原莞爾が熱心な日蓮宗の信者であったように日蓮宗と相性が良かったのである。鎌倉時代に武士と日蓮宗が結びついていたらまさに日本の歴史と文明を変えていたから、その頃の歴史的怨念が今も続いているのだろう(しかしそれが実現するためにはーモンゴル人がやるにしろ武士政権がやるにしろー京都の公家の社会と文化を絶滅させることが不可欠なのであるが)
「軍部」というと悪いイメージしか湧かないが、これを「武士」に置きか変えてみると、まさに「武士」は日本の歴史を体現した存在である。平将門以来、源頼朝や義経、北条氏も武士であり、信長・秀吉・家康という日本の歴史に燦然と輝くスーパーヒーローも皆武士である。武田信玄や上杉謙信、伊達政宗、島津氏など日本のさまざまな地方を形成したのも武士であった。西郷隆盛や坂本龍馬や勝海舟など幕末維新を成し遂げた英雄たちも武士たちなのであった。まさに「武士」は日本の歴史を築いてきた偉大な存在なのであり、その伝統は日本人の中に刻み込まれているのである
対して民主党という政党の文化的背景を探ってみると、非常に女性的であり、平和や助け合いを志向し、また国際的でコスモポリタンな性格を持っている。「西日本的」な性格を色濃く持っている政党であり、そして天皇家の人々が実は民主党を応援しているように京都的公家的性格をも持っているのだ。この「公家」とはまさに日本文化を築いてきた存在である。万葉集や古今和歌集などの和歌文化を担ってきたのも公家だし、紫式部や清少納言など日本の古典文化を形成した文化人も公家社会の中から生まれた。近松門左衛門や井原西鶴や松尾芭蕉などの元禄文化も京都や大阪が生み出したものである。今日日本的とされるさまざまな生活文化もその多くが京都や関西などの公家社会が生み出したものなのである。まさに「公家」とは日本文化を築いてきた存在であり、その歴史的伝統は今でもわれわれ日本人の中に受け継がれているのである(ちなみにあの「外国主義」も公家の文化であり、武士政治と並ぶ日本の伝統的で偉大な「政治の型」なのである)
日本の歴史や文化は「武士」と「公家」という拮抗する二つの勢力の対立・抗争、切磋琢磨によって築かれてきたのである。まさにそれこそが日本の歴史であり伝統であったのである
自民党と民主党ー「武士」と「公家」と言い換えてもいいーの「二大政党制」はこの日本の歴史的伝統を国会内で「再現」するものになり得るのだ。それは戦前の政党制のような西洋の物真似にとどまるものではなく、深く日本の歴史的伝統に根ざした「二大政党制」であり、民主主義を真に日本人のものにし、この両者の切磋琢磨を通してーかつての日本の歴史がそうであったようにーさまざまな発展を切り拓くことができるものなのである
最悪なのはこの「武士」の伝統と「公家」の伝統が、お互い同士相手を滅し尽くそうとすることである。相手のいいところを認めず、互いに憎み合い、滅ぼし合おうとする破滅的関係に落ち入ることである。『こころと太平洋戦争』で詳しく書くことになるが、まさにこの関係こそが戦前の日本を破滅に追い込んだのである!
逆にこの二つの伝統がお互い同士を認め合い、根本的な対立を抱えながらも「協力」し合い「融合」し合おうという態度を取るとき、そこに「新しい日本」が生じるのである。実に大きな可能性を持った新しい日本の社会や文化が実現してゆくのだ
自民党と民主党の「二大政党制」はそれを政治的に実現するものになり得る。この二つの政党の厳しい切磋琢磨を通して、大きな未来的発展性を持った新しい日本政治が実現し得るのである
長く続いた政治的混迷や停滞を乗り越えて、そのような日本政治が実現することを期待してやまない
自民党という政党の文化的背景を探ってみると、それは「東日本的」な政党だと言える。「東日本的」ーつまり武士的であり、男性的であり、国家的国粋的な性格を持った政党なのだ。創設者の岸信介が「軍部」と深く関わっていたように戦前の「軍部」の系譜も深いところで引いている政党である。現在の自公政権では自民党と公明党が連立を組み、不思議と相性がいいが、実は戦前の「軍部」も石原莞爾が熱心な日蓮宗の信者であったように日蓮宗と相性が良かったのである。鎌倉時代に武士と日蓮宗が結びついていたらまさに日本の歴史と文明を変えていたから、その頃の歴史的怨念が今も続いているのだろう(しかしそれが実現するためにはーモンゴル人がやるにしろ武士政権がやるにしろー京都の公家の社会と文化を絶滅させることが不可欠なのであるが)
「軍部」というと悪いイメージしか湧かないが、これを「武士」に置きか変えてみると、まさに「武士」は日本の歴史を体現した存在である。平将門以来、源頼朝や義経、北条氏も武士であり、信長・秀吉・家康という日本の歴史に燦然と輝くスーパーヒーローも皆武士である。武田信玄や上杉謙信、伊達政宗、島津氏など日本のさまざまな地方を形成したのも武士であった。西郷隆盛や坂本龍馬や勝海舟など幕末維新を成し遂げた英雄たちも武士たちなのであった。まさに「武士」は日本の歴史を築いてきた偉大な存在なのであり、その伝統は日本人の中に刻み込まれているのである
対して民主党という政党の文化的背景を探ってみると、非常に女性的であり、平和や助け合いを志向し、また国際的でコスモポリタンな性格を持っている。「西日本的」な性格を色濃く持っている政党であり、そして天皇家の人々が実は民主党を応援しているように京都的公家的性格をも持っているのだ。この「公家」とはまさに日本文化を築いてきた存在である。万葉集や古今和歌集などの和歌文化を担ってきたのも公家だし、紫式部や清少納言など日本の古典文化を形成した文化人も公家社会の中から生まれた。近松門左衛門や井原西鶴や松尾芭蕉などの元禄文化も京都や大阪が生み出したものである。今日日本的とされるさまざまな生活文化もその多くが京都や関西などの公家社会が生み出したものなのである。まさに「公家」とは日本文化を築いてきた存在であり、その歴史的伝統は今でもわれわれ日本人の中に受け継がれているのである(ちなみにあの「外国主義」も公家の文化であり、武士政治と並ぶ日本の伝統的で偉大な「政治の型」なのである)
日本の歴史や文化は「武士」と「公家」という拮抗する二つの勢力の対立・抗争、切磋琢磨によって築かれてきたのである。まさにそれこそが日本の歴史であり伝統であったのである
自民党と民主党ー「武士」と「公家」と言い換えてもいいーの「二大政党制」はこの日本の歴史的伝統を国会内で「再現」するものになり得るのだ。それは戦前の政党制のような西洋の物真似にとどまるものではなく、深く日本の歴史的伝統に根ざした「二大政党制」であり、民主主義を真に日本人のものにし、この両者の切磋琢磨を通してーかつての日本の歴史がそうであったようにーさまざまな発展を切り拓くことができるものなのである
最悪なのはこの「武士」の伝統と「公家」の伝統が、お互い同士相手を滅し尽くそうとすることである。相手のいいところを認めず、互いに憎み合い、滅ぼし合おうとする破滅的関係に落ち入ることである。『こころと太平洋戦争』で詳しく書くことになるが、まさにこの関係こそが戦前の日本を破滅に追い込んだのである!
逆にこの二つの伝統がお互い同士を認め合い、根本的な対立を抱えながらも「協力」し合い「融合」し合おうという態度を取るとき、そこに「新しい日本」が生じるのである。実に大きな可能性を持った新しい日本の社会や文化が実現してゆくのだ
自民党と民主党の「二大政党制」はそれを政治的に実現するものになり得る。この二つの政党の厳しい切磋琢磨を通して、大きな未来的発展性を持った新しい日本政治が実現し得るのである
長く続いた政治的混迷や停滞を乗り越えて、そのような日本政治が実現することを期待してやまない