「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

「奇跡のドアの突破」大作戦開始

2021-08-26 13:32:33 | 日本文学の革命
『電子同人雑誌の可能性』も再開したし、これから「奇跡のドア」を突破するための大作戦を行なってゆく。桑田佳祐たちの戦いを無に終わらせないためにも、日本の前に新たな発展の可能性を開くためにも、負ける訳にはいかない。毎日毎日全力を尽くし、持てる力をフル動員して、この大事業を成し遂げてゆくつもりである

まずは「コンピュタの本質」「戦後の賞取りシステム」そして『こころと太平洋戦争』と次から次へと書いてゆく。もう長い中断を置くこともなく、テンポ良く書いて行けそうである。最も重要な『こころと太平洋戦争』などはもう僕の中で自然に成長を始めている。ちょうど妊娠中の女性が自分の中に赤ちゃんの成長を感じて「私の中でどんどん大きくなっている」「あ 今動いた❤️ 」と感じるようなもので、その自然な成長を実感できるのだ。これならいける。最も重要で最も難しい『こころと太平洋戦争』もどんどん書いてゆくことができるだろう

『新しい文学』も生み出すことができるし、電子同人雑誌の発行もなんとかして実現させたい

これからもいろいろ困難なことが押し寄せて来るだろうが、へこたれずに頑張ってゆこう

「奇跡のドア」は必ず今ここで開いてみせる!

電子同人雑誌の可能性 238 「コンピュータの本質ー人間の肉体 4

2021-08-21 14:21:16 | 日本文学の革命
「人間の肉体」はこの世界で最高峰の形成体であり、「宇宙一」と言ってもいいほどの存在である。ただそうは言ってもそんなことなど実感できないというのが現実である。なにしろ周りを見渡してみれば誰もが当たり前のように「人間の肉体」を持っているからである。一部の気の毒な障害者を除けばそれこそ誰もが五体満足に持っているのである。希少価値というものが全然ない。また自分自身もまさに当たり前のように「人間の肉体」を持っている。人間が「欲しい」と思い価値を見い出すものとは、自分にないもの自分が持っていないものである。自分自身に自然天然に備わっている「人間の肉体」などは、まるで空気のようなものでまったく価値が感じられないのである

人間が高い価値を見い出すものは人間同士の間の相対的な価値である。誰それよりも自分の方が試験の成績が良かっただとか、あの娘よりも私の方がキレイでカワイイだとか、コイツは平社員だがあの方は社長さんだとか、そういう人間同士の相対的な価値の方が断然重要なのである。ただこういう人間同士の相対的な価値などはおそらく僅差で、猫が「あの弱っちい猫はネズミ一匹しか獲れねえが、俺っちは三匹も獲れらあ」と自慢するようなものだが、しかし人間にとっては劣等感や優越感が渦巻く死活的に重要な価値なのである。それは人間同士の間の全力を挙げての競争や切磋琢磨をもたらすのである。オリンピックのアスリートたちは金メダルを取ると大喜びをするが銀メダルだと泣くほど悔しがる。はた目から見れば金だろうが銀だろうがどちらでも素晴らしいし見事なもので、正直優劣が分からないのだが、しかし「銀でもまあいいか」では真剣な競争は起こらないのである。「何がなんでも金を取る!」と頑張るから強烈な切磋琢磨が生じるのである。人間はこのような人間同士の競争や切磋琢磨を通じて今あるように進化して来たのだから、この相対的価値観も極めて重要なのである。「万物みな我に備わる」と自足してしまったらダメなのである

ただ人間同士の間から離れると「人間の肉体」が持つ超絶な価値が顕現してくる。いい例が「経済」である。「経済」とは人間が自然に働きかける行為であり、自然から食料や衣服や生活用具を調達してくる営みである。その際に強力なパワーを発揮するものが誰もが当たり前のように持っているこの「人間の肉体」なのである。人間はその手足や頭脳を駆使して大地を開墾してゆき豊かな農場を築いてゆく。森を切り開き、家を建て、自分たちの生活の場を作り出してゆく。馬車や荷車で道を行き交い、船を作り出して川や海まで越えてゆく。村を作り、町を作り、都市まで建設して、人間の生活圏を拡大してゆく。無人島や新大陸に一握りの人間たちが渡るだけで、その地はみるみる内に開拓されてゆき、その様相を一変させてゆくのである。まさにこれが「人間の肉体」がもたらしたものであり、その巨大で強力なパワーが顕現したものなのである。人間はわずか数千年の内に(地球史の中では一瞬とも言える歳月である)地球上のすべての地を開拓してしまったのであり、それは全自然界が舌を巻くほどの超絶のパワーであり、まさに「宇宙一」とも言える「人間の肉体」がもたらした大偉業なのである

経済学には「労働価値説」という学説がある。経済的な価値の源泉は「人間労働」にあるという学説だが、それに対していや資本家や企業家の活動の方が重要だ、愚鈍で無力な貧民たちがどれだけ集まろうと価値など生み出せる訳がないと主張する学説もある。たしかに資本家の活動も重要なのだが、この愚鈍で無力な貧民たちの活動もそれに勝るとも劣らないほど重要なのである。なにしろ彼らは「人間の肉体」という世界最高の道具を自然天然に持っているのである。そのパワーたるや全自然界をたちまちの内に作り変えてしまうほどのものなのである。このパワーが経済的な価値に入り込まない訳がない。その意味で「労働価値説」とはまったく当たり前のものなのである

「人間の肉体」がパワーを発揮するのはもちろん経済だけではない。「人間の肉体」が集まり有効に組織されると国家が形成されるし、武器を持たせて訓練すれば強力な軍隊が生じるし、様々な宗教や様々な文化も「人間の肉体」から生み出され「人間の肉体」に受肉してゆくのである。「人間の肉体」は家族という形でも現われ、友人という形でも現われ、恋人という形でも現れる。我々はまさに様々な形で「人間の肉体」に囲まれていて、その中で人間としての生を生きているのである。そして「人間の肉体」はそのいずれの形においても、その「宇宙一」と言ってもいいパワーをいかんなく発揮して我々に恩恵をもたらしているのである



電子同人雑誌の可能性 237 「コンピュータの本質―人間の肉体 3」

2021-08-16 11:42:39 | 日本文学の革命
ギリシャ文明の根源象徴・ギリシャ人の根源的魂とは「肉体の聖化」である。ギリシャ彫刻のような肉体美の内に至高の価値を見い出す文化なのであり、彼らにとって完成された肉体とはそれ自体が「神」ですらあったのである。日本人にはなかなか理解できかねる文化なのだが、ただ女性の場合は自然天然に肉体美の内に至高の価値を見い出しているが、しかし彼女たちだって別にそれを「神」だとまでは思っていない。この「肉体の聖化」という根本感情はギリシャ文明の全分野に浸透していて、彼らの自然風土にも、国家体制にも、軍事制度にも、宗教の様式や劇の様式、衣服のスタイルや着こなしにも影響を与えているのである

ギリシャ人のように人間の肉体が「神」にまで成り得るのかどうかは知らないが、しかし人間の肉体というものがそれ自体世界最高の存在であることは確かである。それは地球上のどの生物よりも高度に進化したものであり、まさにこの世界の最高峰に君臨する存在であり、現在のところまだ宇宙に生命体が確認されていないから、暫定的にだが「宇宙一」と言ってもいいほどなのである

よくアラブの大富豪などが1億円もするサラブレッドを買って、「どうだこの馬は。1億円もするんだぞ」と見せびらかし、それを見たそこらの平凡な人間たちが「うお〜!スゲェ〜!この馬一頭が1億円もするのか!!」と目を見張っているが、実はこんな馬よりもこの「うお〜!スゲェ〜!」とビックラこいているそこらの平凡な人間の方が遥かに大きな価値を持っているのである

人間の肉体にごく普通に備わっている「二足歩行」の能力。見事なバランス感覚でシャキシャキと歩行してゆき、猛ダッシュで駆けることもできるしマラソンのように長距離移動もできるし、山や川を越え、崖だってよじ登ることができる。この「二足歩行」の能力は現代の最先端のロボット技術をもってしてもいまだに実現できていないのだ。また人間の実に器用に動く「手」。強力なパワーで空き缶を握りつぶすこともできるし、卵や赤ちゃんをやさしく抱っこすることもできるし、教えられたらどんなものでも作り出すことができるこの魔法のような人間の「手」。これもまた人間の肉体に備わった驚嘆すべき能力である

人間がごく普通に話している「言語」能力。これも人間にとってはごく当たり前のものだが、実は空前絶後の驚嘆すべき能力なのである。人間のように「名前」を認識し「文章」を組み立てそれでもって交流し合うことができる生物など人間以外に存在しないのだ。人間の間では「しゃべれる」ことなど能力の一つとすら見なされていないが、他の動物から見たらまさに神秘の能力であり、計り知れないパワーを持った驚嘆すべき技術なのである

そして人間の「大脳」。これは現存する最も複雑な構成体であり、自然が生み出した最も精密で精妙な形成物である。大型コンピュータも精密で精妙であるが、人間の「大脳」はそれよりも遥かに精密であり、しかもその多くがいまだに深い謎に包まれている。大型コンピュータのように中身が丸わかりの人工物ではなく、いまだにその中身が神秘のベールに包まれている分、より不可思議でより精妙な存在なのである。この「大脳」もまたすべての人間に自然平等に与えられているのであり、何か深刻な傷害でも持っていない限り誰もがこの能力を自在に駆使しながら生きてゆけるのである

たとえ1億円もしようがただ走るだけの馬と比べて、人間の肉体がごく普通に持っているこれらの能力の方が超絶に優っているのである。もし宇宙人がいるとして、この1億円のサラブレッドとそこら辺にいるごく普通の人間とどちらを選ぶかといえば、間違いなくこのごく普通の人間の方だろう。馬などとは比べものにならないほどの価値ある存在として、このような肉体を持った人間の方を選ぶのである

今ここで「奇跡のドア」を押し開ける! 2

2021-08-08 14:27:30 | 日本文学の革命
桑田佳祐はここでもがんばってくれたのだが、しかし今やがんばっているのは桑田佳祐ひとりというのも事実である。奥田民生も石井竜也もMr.Childrenも沈黙してしまったし、中島みゆきもさすがに力尽きてきたし、宮崎駿のおそらくは最後のアニメもどうなるか分からない。木村拓哉や『エヴァ』の庵野などは「反外国主義運動」を潰して無きものにすることに「暗い情熱」を燃やしているほどだ

まさに「反外国主義運動」は風前の灯である。このままでは芥川龍之介の自殺に終わった大正末期の時代の再現になりそうである

しかし「奇跡のドア」は開くことができるのである。昔の日本文学者たち、とりわけ夏目漱石の文学がすでに9割方成し遂げてくれていて、あと最後の1割を成し遂げたら開けてしまうのである!

長年に渡ってこの日本文学を復活させるために、地味で困難で誰にも理解されない活動を続けてきたが、今や十分な力を蓄えたし、どこをどうすればいいかもよく分かっている。今ここで「奇跡のドア」を開くことができるし、まさにそれが僕の責務である

まずどんどん執筆を進めてゆこう。『コンピュータの本質』『戦後の賞取りシステム』そして『こころと太平洋戦争』と次から次へと書いてゆくのである。いわば「奇跡のドア」に対して次から次へと波状攻撃をかけてゆくのである

『電子同人雑誌の可能性』だけでも結構亀裂を与えることができたが、もっと強力なのは『こころと太平洋戦争』である。まさに内容的に「奇跡のドア」をどんどん押し開ける力を持っているし、また漱石の『こころ』をまったく新しい観点から論じることはそれ自体が文学史的な事件であり、日本文学の復活に大きく寄与することができる。また「太平洋戦争」も今までとはまったく異なる観点から論じられるし、社会的な話題も呼びそうである。いろいろな意味で『こころと太平洋戦争』を書くことで「奇跡のドア」を押し開けてゆくことができるのである

後方にはメガトン級の大砲も用意してある。「新しい文学」がそれで、これは漱石の「則天去私」を文学的に実現しようとするものである。これが実現したらまさにメガトン級の弾丸を「奇跡のドア」に打ち込むことになり、さしも強固で強大な「奇跡のドア」もぶち壊してゆき、突き崩してゆくことができるのである

さらには電子同人雑誌の発行もしてゆきたい。人々の力や手助けが得られたらこんなに有難いことはないし、また「奇跡のドア」を開いた向こうには「新しい日本文化」が広がっている。外国主義という古い古い実に古い日本文化を克服した「新しい日本文化」である。「奇跡のドア」の突破までなら僕にもできるが、その向こうの「新しい日本文化」を開拓してゆくのは僕には無理だろう。その向こうを開拓してくれる人々を呼び集めなければならない。そのためにも電子同人雑誌を発行してゆきたいのだ

今から全力を尽くしてがんばってゆこう。「奇跡のドア」をまさに今ここで押し開けてしまおう!

今ここで「奇跡のドア」を押し開ける 1

2021-08-08 14:22:47 | 日本文学の革命
昨日は野球のオリンピック決勝戦に釘付けになっていた。日本とアメリカの決勝戦であり、もの凄い鍔ぜり合いの戦いに手に汗を握って観ていた。向こうのベンチにはいかにもゲルマン人といったような大柄な白人たちが居並んでいて、こちらにはいつも見馴れている日本人の面々が並んでいたが、どちらにもこの勝負に賭ける凄い気迫が感じられて、どちらとも実に「いい顔」をしていた。結果は緊迫の試合を制して日本が優勝。実に素晴らしい試合でオリンピックの有終の美を飾った

大きく盛り上がった東京オリンピックも今日で閉幕となる。楽しいお祭りが終わるようでさびしくなるが、オリンピックのおかげで手がつかなくなっていた文学の仕事に戻れることは嬉しい。実は今から一大決心で文学の仕事に挑もうとしているのである。桑田佳祐の言う「奇跡のドア」ー開けることができたら奇跡のような「ドア」。そして「反外国主義運動」が成功するのかそれともこのまま消されてしまうのか、その命運がかかっている「ドア」ーそれを今ここで押し開けてしまおうという決心である

実は今回の東京オリンピックでも「外国主義」をめぐる戦いが繰り広げられていたのである。石原慎太郎が東京オリンピックを招致したとき「日本人にはあの頃の夢がもう一度必要だ」と言ったが、「あの頃の夢」とは60年前の前回の東京オリンピックの頃、外国に対する夢や憧れに満ち溢れていた頃の日本、その夢に駆られて高度経済成長をたくましく成し遂げていた頃の生き生きとした日本、僕の言葉でいえば「外国主義」が花盛りだった頃の日本、その時代の「夢」をもう一度取り戻そうというものである。森や小池の構想していたオリンピックも同様のものであり、東京に再び昔の「夢」を見させることにより、目覚めかけていた東京を再び眠り込ませ、丸め込もうとしていたのである

これに対抗したのが桑田佳祐だった。当初は東京オリンピックに懐疑的だった彼が『東京VICTORY』や『smile〜晴れ渡る空のように〜』のようないかにもオリンピックのテーマ曲に採用されそうな曲を作ったのも、東京オリンピックのテーマ曲を自分の曲にすることによって「昔の夢」を復活させようとする流れに対抗しようとしたからである。実際『smile』は東京オリンピックのテーマ曲のように流されたが、どうもこれは公式のテーマ曲ではないらしい。公式のテーマ曲としてオリンピックの組織委員会が採用したのはNHKだけで流されていた嵐の『カイト』らしく、このところ国策企業化しているNHKが上から押しつけられたものをそのまま流したのだろう。対して民放の方は(こちらの方が民意に近い)桑田佳祐の『smile』を採用して、オリンピックのテーマ曲のようにして流したのである。まさにここでも「外国主義」をめぐるバトルが繰り広げられたのである

外国に対する夢や憧れの再現として構想された東京オリンピックだったが、新型コロナのために思わぬ結果となってしまった。外国からやって来る人々が「憧れの人々」ではなく、コロナウイルスに感染しているかも知れない「怖い人々」に変わってしまったのである。アスリートたちが滞在する選手村は隔離されてしまい、湾岸に新設された会場も立ち入り禁止地帯になってしまった。外国の人々との夢みたいな交流などできないし、逆に外国人を街中で見かけたら避けるか通報するかするようになってしまったのである。その意味では東京オリンピックは失敗だったが、その代わり本来のスポーツとしては大成功し、毎日熱戦や歓喜が繰り広げられ、世界の人々との互いに尊敬し合う関係が築かれ、この本来の意味で東京オリンピックは大成功したのである

ワクチン接種を受けてきた 🎵

2021-08-03 12:04:32 | 日本文学の革命
つい先日僕もワクチン接種を受けてきた。思いのほか早く接種券が届いたし、デルタ株など感染力の強いウイルスも蔓延してきたし、やはり早めにワクチンを打った方がいいと思ったのだ

思えば今までいつ感染してもおかしくない危険な環境ばかり渡り歩いてきたが、幸い新型コロナウイルスの症状を感じたことはなかった。熱や咳も出なかったし、倦怠感や味覚障害が出たこともない。ある店でタンメンを食べたとき「ヤバい。味がしない」と感じたことがあったが、それはその店のタンメンがひどい薄味だったためだった。しかし依然として危険な状態は続いているし、接種券が来た以上早めに接種した方がいいと思ったのだ

僕の住んでいる市の会場でワクチン接種を受けようと思ったのだが、やはり何かのトラブルがあったらしく接種の予約受付が延期されていた。予約再開日を待ってその日に予約を取ろうとして市のサイトにアクセスしてみた。再開初日、しかも再開し始めの朝早くからアクセスするのだから余裕で取れるだろうと思っていたのだが、しかしまったくサイトに繋がらない。何度やってもダメで、ようやく夜になって繋がったのだが、驚いたことにその時にはもう予約は全部埋まっていた。もの凄い勢いで予約が殺到したのだろう。キレイにはじかれてしまった

自治体の方はダメだったが幸い職域接種ができるということで、今度はそちらのサイトにアクセスしてみた。こちらは難なく繋がって予約が取れたのだが、接種会場の開催期間や二回目の接種のことを考えるとぎりぎりセーフというところだった

一回目の接種の予約日、接種会場へと足を運んだ。かなり大きな会社だから行列でもできているかと思っていたのだが、僕が行った時間帯では僕一人しかいなかった。医者の人もスタッフの人たちも暇そうにしていた。椅子に座らされ左腕をまくり看護師さんから「チクリ」と注射されてすぐに終わった。その後椅子が並べられている大きな控室で15分の事後観察となった。控室に座っているのも僕一人で、その他に三人ほどスタッフの人たちがいたのだが、明らかに暇そうだった。ただこれならアナフィラキシーショックを起こしても至れり尽くせりで介抱してもらえるとも思った

何事もなく無事接種が終わり帰路についたのだが、やはり今話題のワクチンを打てたということで結構嬉しかった。危険なウイルスに対して頼もしいバリヤーが出来た感じだ。後遺症も全然なかった。打たれた所を強く撫でるとちょっと痛いかなという程度だった

最近では東京の感染者は1日4千人を超えるほどになっている。「ロックダウン」や「オーバーシュート」などのちょっと懐かしい言葉も飛び出てきて、東京はまるで感染の坩堝のように扱われている。しかし一年前と違い今やワクチンは潤沢に用意されている。いろいろ接種のアンバランスがあるようだが、基本的には誰もがワクチンを接種できる状態にあるのだ。またこれだけ危機感がつのれば今まで平気こいていた若者たちもいそいそと打ちに行くだろう。ワクチン接種の方も加速してゆくのである

今までさんざん苦しめられてきた新型コロナ。それからの解放も近いのである