「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

「新しい文学」に王手!

2006-12-27 19:02:17 | 日本文学の革命
ついに最も重要なものを一点に追いつめることができた
これが取れたらすべてが実現できるというものをである

理論的にも実践的にも、四方八方からこの一点を取り囲んでいる
具体的な攻撃手順も整えている
あとは攻め落とすだけだ!

もう「新しい文学」の実現は確実だといっていい
長年の努力がようやく実を結ぼうとしている

よくまあ ここまで来れたもんだ
七転び八起きなんてもんじゃない
何千回も転びっぱなしだった
そのたびに起き直っては歯を食いしばってここまで来たのだが、九死に一生もんだった

もう出来るとは思っても、油断は禁物
詰めであせってはならない
しっかり腰をすえて攻めかかってゆこう

結局「新しい文学」とは、現代日本語を完成させること(多くの人々が指摘しているように現代日本語はまだ未完成なのである。ちょうど日本文学がまだ未完成であるように)
それによって一つの魂―現代日本語の中に眠っている則天去私の魂を実現させること
そしてそれを生きた文学として取り出してゆくこと
それなのである

王手と言ってもすぐに決着がつくという訳でもないだろう
(案外 年末か新年あたりにはできているかもしれないが(笑))
おそらくもう少し時間はかかる
だがそんなに長いことではないだろう

とにかく後もう少し
あともう少しですべてに決着をつけられる

「新しい文学」 理論的にはもうできた

2006-12-21 06:50:08 | 日本文学の革命
「新しい文学」は理論的にはもうできている
未完成だった漱石の『文学論』は完成できたし、それと仏教が渾然一体化したし、またシェークスピアやドストエフスキーなどの詩的表現法の本質もつかんでいる(ドストエフスキーの文学も韻律文学の一種なのである)

ここまできたら、あとはすべてを融合させて「新しい文学」を生み出せばいいだけだ

近代日本文学、あるいは現代日本語は、まだ自分独自の韻律文学を生み出したことがない
だからこそここに、まだ手付かずの大きな可能性が眠っているのである

さあ いよいよ具体的に「新しい文学」を取り出してゆく時だ

ついに『文学論が完成した♪

2006-12-17 18:33:15 | 日本文学の革命
鉱脈を探している人間が、いろいろな所を探し歩いたあげく、ついに「ここだ!ここにあるに違いない」という場所を発見して掘り進めているような、そんな感じで僕も「新しい文学」の発掘を進めている

相変わらずの苦闘である
毎日毎日希望と絶望の間を激しく揺れ動きながら、掘り進めている

たしかにここに間違いない
ここを掘り進めれば文学の鉱脈に行き着くはずだ
しかしいつ行き着くのだろう?
もしかしてやはりないのだろうか?

そう思っている矢先に、一つの大成果をあげることができた
漱石の残した未完成作品『文学論』をついに完成することができたのである

もう一つの未完成作品である『明暗』はすでに完成させてある
文学的にも、評論的にも、すっかり完成できていると言っていい
『文学論』の方も、もう10年以上研究し続けたおかげで、ほとんどが明らかになっているのだが、ただ一つ肝心なことができていなかった
『文学論』の中心主題である「仏教と文学の融合」
これができていなかったのである

それがついにできるようになったのだ
「詩的表現法と縁起」がズバリと融合したのである
やはりここで間違いなかった

『文学論』が完成したということは、「新しい文学」のための具体的な文学原理が開けたということに他ならない
ここをさらに掘り進めてゆけば、必ず「新しい文学」の鉱脈に行き当たる

あともう少しだ



なんとてしも道を開きたい

2006-12-11 19:31:05 | 日本文学の革命
先日雑誌で「ホワイトカラーが半減する」という記事を読んだ
ホワイトカラーの仕事もどんどん海外に奪われてゆくという内容だったが、なんとも衝撃的なものだ
公務員の数も大幅に減らされてゆくという。200万人が首にされるそうだ(兄貴が危ない!)

また別の雑誌の記事では、これから正社員の残業代がなくなってしまうそうで、これから始まる大増税も計算に入れれば年収が大幅にダウンしてしまうという
なんともメチャクチャな状態だ

昨日は「ワーキングプア」という番組を見た
いくら汗水たらして働いても生活保護以下の収入にしかならない人々の話だ
それがこれからは社会の多数派になるかも知れないと評論家の人が言っていた
また今日のニュースを見たら生活保護制度も維持してゆくことが困難だという

まるで日本全体が沈没し始めたようだ
ここまでくると「さあ いよいよ追いつめられてきたか」という感じだ

今 日本が追いつめられている大きな原因の一つが、もう「外国主義」ができなくなったことにある
別に桑田佳祐たちが否定したからできなくなったわけではない
国際環境的に言って、もうやりたくてもできなくなっているのだ

戦前もそうだった
明治末期までは日本は「外国主義」によって順調に発展してゆき一等国にまでのし上がったが、大正時代の好景気(あのバブルの時代を思わせる)を頂点に、その後は「外国主義」をすることが不可能な国際環境になってしまったのだ
「外国主義」という発展ができなくなった日本は、その後坂を転がり落ちるように衰退してゆき、ついには破滅してしまった

また昔の轍を踏んではならない
今ここで、なんとしても「外国主義」に代わる新しい発展の道を切り開かなければならない

もう10年以上もそのために努力してきた
僕だけじゃなく、それに気づいた大勢の人々が、努力してきたのである
なんとかして今ここで成し遂げてしまいたい

あともう少しで出来そうなんだが…
とにかくがんばろう
底力をみせてやろう

「新しい文学」が開けた!

2006-12-03 16:23:40 | 日本文学の革命
ここ数日 ずっと「詩的表現法と縁起」の問題について考えていた

仏教の本を読んだり、『文学論』を調べたり、シェークスピアや和歌や俳句について考えたりしていたのだが、十分に出来そうだ
「新しい文学」を十分に開けそうなのだ
日がたつに従って、その確信がどんどん強まっている

ついにやったかもしれない
「新しい文学」を開くことに、成功できたようだ

今まで何度も何度も絶望してきた
どれだけ挫けそうになったか分からない
(ほとんど死の淵まで追いつめられたと言っていい)
だがついに出来たようだ

まだまだやらなければならないことは山ほどあるが、もう何も恐れることはない
しっかりした大道が開けたのだ
あとはこの道を一生懸命進んでゆけばいいだけだ

この人生 無駄にしないで済みそうだ(笑)