「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 36 「様々な電子同人雑誌―悪の集団に対する対抗」

2016-08-31 02:13:08 | 日本文学の革命
あるいは批判や罵詈雑言よりも、一歩進んで説得や説諭、論争という手段を取ることもできる。たとえば「知的障害者は抹殺しよう」と主張する者に対しては「じゃあ君はどんな人間を生かす甲斐のある立派な人間だと思うのか。たとえば世界の最高学府を出て国際金融ビジネスで活躍しているエリートビジネスマンは、実に立派な人間だと君は考えるのか。あの連中がどれだけの詐欺を働いて、リーマンショックで世界中にどれだけ迷惑をかけたか(しかも自分たちは大金を抱えて逃げてしまった)、君は知っているのか。それに比べたら知的障害者の迷惑なんてかわいいものなのだぞ」「おまえなあ。そんなこと言ってるとその内人類全体を抹殺しなければならなくなるぞ。人口知能から見たら人間なんて、計算もよく間違えるし、ちょっと高度な数学問題だとすぐお手上げだし、何十年学んでも英語一つ出来ないし、どうしようもないほどの阿呆で、知的障害者と変わらない存在なんだぞ。人工知能が人間を無用な存在と決めつけて抹殺しようとしたとき、おまえは賛成するのか」
「みんなで見ようよ児童ポルノ」に対しては「女の子の母」を名乗る女性が執拗に投稿を繰り返してきた。「あんた。女性から全然モテないでしょ」「可哀そうに。大きくなっても中身は幼児のままなのね」「ブサイク男。ハイパールーパーみたいに気持ち悪いのよ」

悪の集団に対して一つ言えるのは、彼らの魂が歪んでいることである。彼らの魂は歪んでいるか、荒廃しているか、未発達で幼稚のままか、いずれにしろ何らかの形で異常を呈しているのである。当然まともな人々との魂の交流や共有はなく、従って幅広い広がりは起きないと言っていいだろう。
孔子の言葉に「徳は孤ならず。必ず隣りあり」というものがあるが、逆に悪人に共通した特徴が「孤独」なのである。『罪と罰』のラスコーリニコフが殺人を犯したあと、「もう二度と自分は人々と心から談笑したり交友したりすることはできない!」ということに気づいて慄然とする場面がある。罪を犯し、それを悔い改めようともしない人間はこのような孤独に落ち入るのである。

電子同人雑誌の可能性 35 「様々な電子同人雑誌―ファンタジー系・危険な雑誌」

2016-08-31 02:04:55 | 日本文学の革命
空想系・ファンタジー系の同人雑誌も考えられる。自由な空想やファンタジーに耽り、それを誰かと共有しようとするものである。たとえば「UFOもの」「オカルトもの」「怪談や心霊スポット」「都市伝説もの」「ツチノコなどの未確認生物」「ボーイズラブ」など、いろいろなものが考えられる。ただ空想とは言っても彼ら同人仲間は本気で信じていることが多い。「それは現実には存在しない空想なのだよ」と無粋なことは言わず、彼らの魂がつむぎ出す自由なファンタジーの邪魔をしない方がいいだろう。

空想ならまだいいが、危険な集団、ヤバいグループが同人雑誌を立ち上げてくることが考えられる。たとえばカルト教団が信者獲得を目指して雑誌を立ち上げて来る。『日本イスラム原理主義同盟』という雑誌が日本にイスラム原理主義を広めようとしてくる。『ネオ血盟団(略してネオケツ) 世直しのために一人一殺!』という過激雑誌も出て来る。あるいは『知的障害者を抹殺しよう』だの『みんなで見ようよ児童ポルノ』だのヤバい活動を訴える雑誌も出て来る。あるいは『危険ドラッグでシビレようぜい!』や少女買春組織が出した『私たち 売ります!』などはっきり違法な犯罪に誘う雑誌も出て来る。

いつの時代どこの世界でもこのような悪の群れは出てくるものであるが、ただ禁止すればいいというものでもないし(場合によってはその中にいいところもあるかも知れない)、かといってこういう連中に主導権を握られたらたちまち荒廃、衰退、破滅が待ってるし、頭の痛いところである。

一つの考えられる解答としては、インターネットが本質的に“自由空間”であることだ。そこではどんな意見も言えるが、同じようにどんな批判もできるのである。実際ネットの批判や罵詈雑言は、顔が見えない分やりたい放題で、至るところでネット名物の「炎上」を起こしているほどだ。カルト教団や原理主義は自分たちの教義で人間を染め上げたいと願っている。しかしネット上でそのようなことをしようとすればするほど、ネットからの総攻撃を受け、批判、嘲笑、罵詈雑言の一斉射撃を受けるだろう。彼らは自分たちの教義を広めようと表舞台に上がって来たが、実際には嘲笑のサンドバッグと化し、さらしものにされてしまうのである。
あまりにバカにされるので腹を立てたイスラム原理主義者が「我々に対するこのような侮辱はもう我慢がならない。我々はネットカフェに対してテロを敢行する」という声明を発表し、実際いくつかのネットカフェを爆破したとしても、ネット自体には何の影響もない。彼らのテロ組織と同じようにネットにも中央管理組織というものはなく、多極分散的に組織されているので、一部を叩いても全体の活動は相変わらず続いてゆくのである。