あるいは批判や罵詈雑言よりも、一歩進んで説得や説諭、論争という手段を取ることもできる。たとえば「知的障害者は抹殺しよう」と主張する者に対しては「じゃあ君はどんな人間を生かす甲斐のある立派な人間だと思うのか。たとえば世界の最高学府を出て国際金融ビジネスで活躍しているエリートビジネスマンは、実に立派な人間だと君は考えるのか。あの連中がどれだけの詐欺を働いて、リーマンショックで世界中にどれだけ迷惑をかけたか(しかも自分たちは大金を抱えて逃げてしまった)、君は知っているのか。それに比べたら知的障害者の迷惑なんてかわいいものなのだぞ」「おまえなあ。そんなこと言ってるとその内人類全体を抹殺しなければならなくなるぞ。人口知能から見たら人間なんて、計算もよく間違えるし、ちょっと高度な数学問題だとすぐお手上げだし、何十年学んでも英語一つ出来ないし、どうしようもないほどの阿呆で、知的障害者と変わらない存在なんだぞ。人工知能が人間を無用な存在と決めつけて抹殺しようとしたとき、おまえは賛成するのか」
「みんなで見ようよ児童ポルノ」に対しては「女の子の母」を名乗る女性が執拗に投稿を繰り返してきた。「あんた。女性から全然モテないでしょ」「可哀そうに。大きくなっても中身は幼児のままなのね」「ブサイク男。ハイパールーパーみたいに気持ち悪いのよ」
悪の集団に対して一つ言えるのは、彼らの魂が歪んでいることである。彼らの魂は歪んでいるか、荒廃しているか、未発達で幼稚のままか、いずれにしろ何らかの形で異常を呈しているのである。当然まともな人々との魂の交流や共有はなく、従って幅広い広がりは起きないと言っていいだろう。
孔子の言葉に「徳は孤ならず。必ず隣りあり」というものがあるが、逆に悪人に共通した特徴が「孤独」なのである。『罪と罰』のラスコーリニコフが殺人を犯したあと、「もう二度と自分は人々と心から談笑したり交友したりすることはできない!」ということに気づいて慄然とする場面がある。罪を犯し、それを悔い改めようともしない人間はこのような孤独に落ち入るのである。
「みんなで見ようよ児童ポルノ」に対しては「女の子の母」を名乗る女性が執拗に投稿を繰り返してきた。「あんた。女性から全然モテないでしょ」「可哀そうに。大きくなっても中身は幼児のままなのね」「ブサイク男。ハイパールーパーみたいに気持ち悪いのよ」
悪の集団に対して一つ言えるのは、彼らの魂が歪んでいることである。彼らの魂は歪んでいるか、荒廃しているか、未発達で幼稚のままか、いずれにしろ何らかの形で異常を呈しているのである。当然まともな人々との魂の交流や共有はなく、従って幅広い広がりは起きないと言っていいだろう。
孔子の言葉に「徳は孤ならず。必ず隣りあり」というものがあるが、逆に悪人に共通した特徴が「孤独」なのである。『罪と罰』のラスコーリニコフが殺人を犯したあと、「もう二度と自分は人々と心から談笑したり交友したりすることはできない!」ということに気づいて慄然とする場面がある。罪を犯し、それを悔い改めようともしない人間はこのような孤独に落ち入るのである。