「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 167 「コンピュータの本質―命題論理学の破綻」

2018-10-20 11:55:00 | 日本文学の革命
命題論理学を代表する人物たちのその後を見ても、命題論理学の迷走と破綻ぶりが伺われる。
バートランド・ラッセルはその長い余生をタレント的な文化人として過ごすようになった。高名な哲学者として通っていたが、もう論理学の追究を諦めたような、ある意味ひねくれた態度で晩年を過ごしたのである。
ウィトゲンシュタインは1918年に『論理哲学論考』を完成させた後「哲学の問題を終極的に解決した」と述べて、その後は若くして隠遁生活に入った。実業家の父から莫大な遺産を受け取っていたが、それをきれいさっぱり人々に寄付してしまい、自身は無一文になってオーストリアの田舎の小学校教師になったのである(実にカッコいい!)。しかしその後彼はある機会に『論考』に重大な誤りがあることに気づいた。彼はふたたび哲学に挑む決意を固め、今度は我々が普通に使っている日常言語の哲学的考察に16年も没頭することになった。しかし結果は思わしくなく、彼は『哲学探究』としてまとめた本の出版もためらったほどであった。彼はこの本の序文の末尾に次のように書いている。「わたくしは、よい書物を著したいと思った。だが、そのような結果にはならなかった。そして、わたくしがこれを改良できる時間は、すでに過ぎ去ってしまっている」この数年後神を求める修道士のような放浪生活の中で彼は死んでゆくのである。

こうしてみるとやはり命題論理学は破綻したようなのである。人間の思考や人間の言語を数学的に合理主義化しようと企てたこの論理学はあえなく失敗したのだろう。

西洋文明は別名合理主義文明と呼ばれるほど、なにもかもを合理主義化するのが好きである。法律も合理主義化したし、国家も合理主義化したし、経済活動を合理主義化したものが資本主義だし、学問も科学も合理主義そのものだし、最近では人間そのものを合理主義化しようと企んでいる。人間の持って生まれた肉体や頭脳を合理主義化ーつまり機械に置き換えようとしているのである。人間の肉体をロボットに、人間の頭脳を人工知能に、それぞれ代用させて、人間の存在そのものを合理主義の塊りにしようとしているのだ。虎視眈々と狙っているといってもいい。昔ヒトラーが優良人種を人工的に作り出すのだと狙っていたが、そんな感覚なのかも知れない。
その一環として人間の言語もーそれは人間の文化や人間の魂に直結している。イコールだと言ってもいいほどであるー合理主義化しようとしたのだろう。あえなく失敗してくれて、やれやれである。

しかしここで重大な事実がある。現在全世界を席巻しているコンピュータ、その基礎にあるのが命題論理学である、という事実である。コンピュータは命題論理学的に構築された電子回路が集積されることによって作られており、命題論理学こそがその根底にあるのだ。

ということは、コンピュータは破綻した論理学の上に作られている、ということになる…

合理主義のモンスターのようなコンピュータが破綻した論理学の上に作られているなんて、ある意味小気味良くもあるが、なぜこんなことが可能だったのだろうか。

それはコンピュータがすべてを「01化」したことによるのである。