一つの同人雑誌に所属していることはネットワークを広げる上で大きな効果を発揮した。その同人雑誌を見れば、その人物がどういう人物なのか、どういう理想を持ちどういう活動をしてどういう作品を書いてきたか、相手によく分かり、交友すべき人物かどうか判断がつくからである。有名な同人雑誌に所属しているということは、ネットワークを広げる上で実に強力であった。三島由紀夫は戦後間もなく『人間』という雑誌に寄稿する機会を得た。この『人間』は鎌倉で戦火を逃れていた川端康成や久米正雄などの文壇の大御所が結成した同人雑誌で、そこに作品を載せられたことで以後彼は「『人間』に小説を書いた三島君」という肩書を得て文壇でのネットワークを大きく広げる機会を得たのである。
同人雑誌のメンバーは様々な方向にネットワークを広げてゆき、横の連携を強めていったが、彼らは同時に上の方向にもネットワークを伸ばしていった。彼らはこれはと思う文壇の師や先輩を訪ね、彼らと関係を築いていったのである。
今日 無名の若者たちが有名作家や文学界のトップと実際に会い、人間的交流をするということはほとんど不可能なことである。しかし当時は割合簡単なことで、友達の友達的な紹介があれば簡単に会えたのである。またここでも同人雑誌が効果を発揮した。彼らは会う前に自己紹介的に自分たちの同人雑誌を送りつけていたのである。それを読んだ有名作家が「いいものを書く」と判断した同人作家には彼の方から「会いたい」と申し込んだものだった。当時の有名作家夏目漱石が毎週木曜日に開いていた知的サロン的交流会「木曜会」には、無名の若者たちも数多く出席したものであった。多くの作家や文学者たちが当時は同じようなことをしていた。無名の同人作家たちはこの好機を捕え、彼らを師や先輩として仰ぎ、彼らとの強いネットワークを築いていったのである。
このように多種多様な同人雑誌が入り乱れ、それぞれが独自に気焔を吐いて活動し、同時に相互が上下左右多彩なネットワークを築いて動いてゆく様は、まさに文化運動の溌剌としたカオス(混沌)であった。そこではどんな主張でも許されるのであり(日本文化を発展させるものであれば)、どんな一元的支配も受けることなく、文化や思想の自由競争が行われたのである。同時にそこは英雄豪傑たちが闊歩する戦国乱世さながらの舞台であり、天下の覇権をめぐって合従連衡が行われ、壮大な文化戦争が戦われたのであった。自然主義と夏目漱石は火花を散らして激突した。プロレタリア文学と芸術至上主義派も相互に相容れずに対決した。私小説派と近代文学派も文壇の覇権をめぐって争い合った。そのようなカオスと戦乱の中、同人雑誌の若者たちは自分たちの同人内で文学の研鑽に励み、様々な人物や団体と交流を重ねて見識を磨き、師や先輩を見つけては彼らの門を叩いて彼らに師事し、自分自身の文学能力を高めてゆき、自ら世に出て自らの理想を実現する機会を虎視眈々と狙っていたのである。
(続く)
同人雑誌のメンバーは様々な方向にネットワークを広げてゆき、横の連携を強めていったが、彼らは同時に上の方向にもネットワークを伸ばしていった。彼らはこれはと思う文壇の師や先輩を訪ね、彼らと関係を築いていったのである。
今日 無名の若者たちが有名作家や文学界のトップと実際に会い、人間的交流をするということはほとんど不可能なことである。しかし当時は割合簡単なことで、友達の友達的な紹介があれば簡単に会えたのである。またここでも同人雑誌が効果を発揮した。彼らは会う前に自己紹介的に自分たちの同人雑誌を送りつけていたのである。それを読んだ有名作家が「いいものを書く」と判断した同人作家には彼の方から「会いたい」と申し込んだものだった。当時の有名作家夏目漱石が毎週木曜日に開いていた知的サロン的交流会「木曜会」には、無名の若者たちも数多く出席したものであった。多くの作家や文学者たちが当時は同じようなことをしていた。無名の同人作家たちはこの好機を捕え、彼らを師や先輩として仰ぎ、彼らとの強いネットワークを築いていったのである。
このように多種多様な同人雑誌が入り乱れ、それぞれが独自に気焔を吐いて活動し、同時に相互が上下左右多彩なネットワークを築いて動いてゆく様は、まさに文化運動の溌剌としたカオス(混沌)であった。そこではどんな主張でも許されるのであり(日本文化を発展させるものであれば)、どんな一元的支配も受けることなく、文化や思想の自由競争が行われたのである。同時にそこは英雄豪傑たちが闊歩する戦国乱世さながらの舞台であり、天下の覇権をめぐって合従連衡が行われ、壮大な文化戦争が戦われたのであった。自然主義と夏目漱石は火花を散らして激突した。プロレタリア文学と芸術至上主義派も相互に相容れずに対決した。私小説派と近代文学派も文壇の覇権をめぐって争い合った。そのようなカオスと戦乱の中、同人雑誌の若者たちは自分たちの同人内で文学の研鑽に励み、様々な人物や団体と交流を重ねて見識を磨き、師や先輩を見つけては彼らの門を叩いて彼らに師事し、自分自身の文学能力を高めてゆき、自ら世に出て自らの理想を実現する機会を虎視眈々と狙っていたのである。
(続く)