「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

ついに出来たかもしれない

2006-11-30 15:11:47 | 日本文学の革命
おとといから喉がいがらっぽくなって、これは何かの菌が入ったなと思っていたのだが、昨日とうとう風邪を引いてしまった
咳きやくしゃみが出て、夜には熱が出た
二ヶ月近くしぶとく悩まされた前の病気が、ようやく良くなってきた矢先にまた風邪を引いてしまったので、ぶり返さないかと心配だ
そこで今日は仕事を休んで、一日部屋の中で安静にしていた

もちろん文学はしていた
といっても厚着をしてソファに座った状態で、あれこれ文学のことを考えていただけだが

そんなふうにしてぼんやり考えていたところ、ふいにある着想が思いついた
たいへん重要な着想である
うまくいったら「新しい文学」を生み出してしまえるほどのものである

それを言葉で表現してみるなら
「詩的表現法と縁起」
となるだろう

「縁起」とは仏教の用語である
ある意味仏教の中心概念といってもいいものだ

それが詩的表現法や韻律文学と関係があるかもしれない
これらの文学技法の“根底的な原理”になっているかもしれないのである

これは極めて重要なことだ
もしそうなら、いままで必死になって求めてきたものが、実現してしまうのである
ここでもたびたび書いてきた「仏教と文学の融合」「意識の波と言語の融合」が具体的に実現できてしまうのである

そしてそれはただちに「新しい文学」を可能にしてしまうのだ

もちろんまだ着想段階である
これから具体的に追求していかなければならない

だが…出来るかもしれない!
一気にすべてを開通出来るかもしれない
「新しい文学」を正真正銘現実のものに出来るかもしれないのだ

とにかく やってみよう
出来るかもしれない

「文化力」の時代 6

2006-11-23 18:46:32 | 日本文学の革命
では日本ではどうか

残念ながら、日本人はまだまだ「文化力」に対して盲目だといっていいだろう

それが世界中で現実的なパワーになっていること
どうかすると軍事力や経済力を凌駕してしまうほどの巨大なパワーになってしまうこと
そういう世界の動きに気づいていないのである

実際 社会を見渡してみても、どこもかしこも経済論理のみである
経済至上主義ばかりがまかり通って、「文化力」を養成できる場など文字通りどこにもないのである

受験勉強的価値観が今復興しつつある
しかし受験勉強などで「文化力」を養うことなど絶対に不可能。逆に文化的に子供たちを無能にしてしまうのである
誰も彼もが過酷な長時間労働に苦しんでいる
それは経済的には効率的かも知れない
しかしそれは「文化力」的に見ればマイナスであり、人的資源の途方もない浪費なのである

日本経済はたしかに世界に誇る第一級のものだった
しかしここ十数年の間、世界から負けに負け続けてきたのである
イギリス人の外交力に、アメリカ人のIT文化に、ユダヤ人の金融頭脳に、中国人の洞察力と巧みな戦略に― つまり世界の「文化力」に負け続けてきたのである

この「文化力」の勃興は、今イスラムの世界においても、インドにおいても、またカトリックを中心にまとまろうとしているラテンアメリカ諸国においても、世界中に広がっている
日本はまたもや世界から取り残されようとしているのである
戦前の日本が軍事力を絶対視したことで道を誤ったように、今度は経済力を絶対視することによって道を誤るかも知れない

どうすれば日本の「文化力」を養うことができるか
世界に堂々と伍して有効なパワーを振るえるような、日本独自の「文化力」を築くことができるか

それは今日極めて必要な、緊急の課題なのである

「文化力」の時代 5

2006-11-23 18:45:41 | 日本文学の革命
ついでにもう一つ、世界における「文化力」の勃興例をあげるなら、インドの経済的躍進があるだろう

インドは今 目覚しい勢いで経済的発展をしているが、その原動力はIT産業などに従事しているインドの頭脳労働者である
非常に優秀で英語も喋れて、しかも低賃金で雇える頭脳労働者が、インドにはたくさんいるのである

インターネットを介せば、ホワイトカラーの仕事をする人間はどこにいてもかまわない
アメリカにいようがインドにいようがたいして変わらないのである
そこでアメリカなどの先進国は、インドの安くて優秀な人材にホワイトカラーの仕事を外注するようになり、それがインド経済の発展をもたらしたのである

そしてここでもインド文明に発する「文化力」がものをいっている

仏典やヒンドゥー教などのインドの文献を見れば、インド人がどんなに抽象的な思考に長けているか、どんなにそういう思考が大好きかがよく分かる
難しい哲学的議論を、延々数千年繰り返しても倦むことのない人々なのである
インドは全体としてみればカーストによってバラバラに寸断されている国であり、経済発展にとって極めて不利な国だ
インドには昔からものすごい知識階級がいたのだが、そのため彼らには活躍の機会がなかった
しかしITのおかげで、この眠っていたインドの知識階級に火がついたのである

つまりインドの伝統文化に由来する「文化力」がITと結びつくことによって、インドの経済発展がもたらされたのだ
ここでも「文化力」が勃興しているのである


「文化力」の時代 4

2006-11-23 18:44:37 | 日本文学の革命
この「文化力」というものをもう少し深く考察すると、それが文明と関わっていることに気づく
世界の様々な文明や伝統文化、それらを母体としてこの「文化力」が湧き上がってくるのである

これからは「文明の衝突」が起こってゆく時代だといわれて久しい
特に9.11以降はまさにそれが現実のものとなってきたのだが、この文明が具体的なパワーとなって現れたものこそ「文化力」に他ならないようだ

今「文明の衝突」が最も激化している地域は中東である
同時多発テロの報復として、アメリカの軍事力―世界最強の軍事力がアフガニスタンやイラクに攻め込んで、敵の軍事力をいとも簡単に撃破し、政権を転覆させ、アメリカの言うことを聞く新政府を樹立してしまった
しかし不思議なことに、どうしても勝てないのである
相手方にはすでに政府もないし、有効な軍事力もない。経済力などましてやない
しかし何か見えない力が働いていて、それがアメリカ軍に抵抗し、逆にアメリカ軍を追いつめてさえいるのである

その力こそイスラム文明から発した「文化力」に他ならない
爆弾をかかえてアメリカ軍に体当たりしてゆくイスラムの若者たち― 彼らを動かしいるのは何なのか
それは彼らが信じているイスラムの教えであり、彼らはそれに命を捧げて戦っているのである

つまり今中東ではアメリカの軍事力とイスラムの文化力が対決しているのであり、しかも驚くべきことに互角に戦っているのである
あるいは最終的にはイスラムの文化力の方が勝ってしまうかもしれない
イスラム教のために自爆テロまでして闘っている人間たちの行動は、イスラム教徒の心の奥底に深い影響を与えているに違いない
それがやがてイスラム教徒の心を動かして、大々的なイスラムの復興を呼び覚ますかも知れない
それはアメリカの軍事的成功など無にしてしまうほどの、イスラム教の勝利となるのである

「文化力」の時代 3

2006-11-23 18:43:46 | 日本文学の革命
他国の「文化力」に日本がやられているもう一つの例がある
しかもそれは今現在やられているのである
それは中国の「文化力」である

中国人は中国の古典に見られるようにたいへんな洞察力を持った民族である
ズバリと物事の本質を見抜き、大所高所から的確な手を打ってくる
今さら孔子や老子や諸葛孔明を出してくるまでもないだろう

そういう中国人が「夷敵」である日本の繁栄の秘密を探り出そうとしたとき、ズバリとその本質を見抜いた
「外国主義」である
「外国主義」こそが日本の繁栄をもたらしている。戦前もそうだったし、戦後もそうだ
ではこれに対抗するためには、どうすればいいのか

ここで中国人は、それこそ孫子の兵法ばりの手段を見い出す
日本人の「外国主義」をそのまま日本に対してやり返したのである
つまり日本人の「ものまね」をそのまま「ものまね」して、かつて日本人がアメリカに対してやったように、日本人のやることならなんでもかんでも「ものまね」し、文化も技術も制度もどんどん自国に取り入れていって、それでもって日本を猛追しているのである
これが今の中国の発展の原動力であり、まだ同時に日本を追いつめてゆく最も効果的な手段となっているのである

日本人にしてみれば、自分たちの得意技を封じられ、逆に利用された格好になり、手も足も出せない
技術も富も奪われる一方で、成す術がない状態なのである

まさに中国の「文化力」の前に、日本は敗北しつつあるのだ

「文化力」の時代 2

2006-11-23 18:42:31 | 日本文学の革命
他国の「文化力」の前に日本が敗北した例はほかにもある
今度はアメリカである。しかもそれは日本の得意分野である経済においてである

97年 ITを駆使したアメリカの金融勢力が日本や韓国、マレーシアなどを急襲してきた
(このITもアメリカの「文化力」が生み出したものだといえる)
攻撃はみごとに成功して各国の経済はガタガタ、韓国はIMFの管理下に入るし、日本でも銀行や証券会社が次々とつぶれて経済危機にみまわれた
このとき日本政府は経済的なクラッシュを避けようと大規模な財政出動をした。このときつぎ込まれた莫大な金が、今の日本の800兆円にものぼる大借金を作っているのだ

前々からなんでこんなに莫大な借金ができたのだろうと不思議に思っていた
十数年前まで日本経済はあんなにも好調で、世界中から富をかき集めていた
ところがいつのまにか800兆円もの大借金である
いったいどこのどいつがこんな事態をもたらしたのか
田中派がむやみに公共事業をやりすぎたせいなのか。それともやはりバブルの不良債権が問題だったのか
ところがあるとき日本の借金が増えてゆく年度別のグラフを見たのだが、それによると国の借金が97年以降急激に増えていることが分かる
つまり97年以降のアジア経済危機の際に日本の借金は膨れ上がったのだ

まさにアメリカにやられてしまったわけだ
日本人が勤勉に働いて営々と蓄えてきた富が、アッという間になくなって、代わりに800兆円という途方もない借金に苦しむようになったのである
今アメリカの金融勢力は、国際的な批判も強まったこともあり、新たな攻撃を手控えているようだが、向こうの方ではもう勝負は決まったと思っているのかもしれない
これだけの借金、これだけの致命傷を与えてやれば、あとはもうほうっておいても日本は衰亡してゆくだろうと

ところで、このアメリカの金融勢力の主体となったのはアメリカのユダヤ人らしい
(97年以降 ユダヤ人数千人をナチスの手から救った杉原という外交官の物語がやたら取り上げられるようになった。これは「日本人はユダヤ人をこんなに救った。決してユダヤ人の敵じゃないんですよ。だから勘弁してくださいよ」というメッセージの意味合いがあったんじゃないだろうか)
マクドナルドの経営者だった藤田田が述べていたが、このユダヤ人の知性というものは途方もないものだそうだ。藤田田自身したたかな大阪商人なのだが(マクドナルドを辞めるとき、まるで沈みゆく船から船長がボートで真っ先に逃げてゆくようなものだった。しかも莫大な金塊を積み込んで!)彼が言うには「もしユダヤ人が本気になって攻撃してきたら、すぐにバンザイして降参するしかない」。とても敵う相手ではないそうだ

世界を圧倒するユダヤ人のこの知性はどこから来たのかというと、それは聖書とタルムード(ユダヤ教の律法の書)からだといっていい
彼らは聖書やタルムードを自らの魂に骨の髄まで叩き込んでいる
その伝統文化が彼らの知性の源なのであり、彼らの文化力の背景にあるのである
それに日本はいいようにやられてしまったのだ

「文化力」の時代 1

2006-11-23 18:41:13 | 日本文学の革命
日本人が気づかないうちに一つの新しい力が世界に台頭しているように見える
その新しい力とは「文化力」とでも名づけられるだろう
文化というとなんだか浮世離れしていて、休日の鑑賞にはもってこいかも知れないが、実社会にはなんの関わりもないものだと思いがちだ
ところがこの「文化力」はきわめて現実的な一つのパワーであり、経済力や軍事力に匹敵するほどの力を世界において振るい出しているのだ

先日「敗北外交」というタイトルのテレビ番組を見た
日本の外交はなぜこうも敗北し続けるのか、それを調査するためにイギリスに渡ったある日本官僚のドキュメント番組である
彼自身外交交渉にたずさわっているのだが、欧米とくにイギリスの外交のうまさに何度も悔しい敗北をこうむっていた
イギリス人の外交センス、その圧倒的なインテリジェンスには舌を巻いてしまうという
「イギリスなんて経済的にはたいしたことないじゃないかと思ってましたが、彼らの総合力・国家力には日本は足元にも及びません」
「日本は経済が良すぎたから、他の分野も一流だと勘違いしていたんです」
彼の言うところでは日本の外交はバカみたいに「ヘタ」だという。負け続けに負け続けていて、しかもその失敗を政治家や官僚たちは隠蔽してしまう
何度も何度も同じ過ちを繰り返しては、欧米にいいように操られているのだという

なぜイギリス人はこんなに外交がうまいのだろう
なぜ日本人を簡単に打ち負かせるほどの圧倒的なインテリジェンスを持っているのだろう
ただ単に頭がいいというだけなら、日本の官僚だって頭がいいはずである
子供の頃から一生懸命受験勉強をしてきて、東大に入って、官庁に入ってからは激しい頭脳労働に鍛えられ、日本有数の知性を持っているはずだ
ところがこの官僚たちが束になってもイギリス人にかなわない

このイギリス外交の優秀さの背景には、イギリスの文化力があるといっていい
イギリスは数百年も前から外交のうまさで知られていたし、かつては七つの海を支配する大帝国として世界の政治を動かしていた
そのような伝統文化が今に生きていて、それが彼らの外交センスを生み出し、日本の外交をメタメタに負かし続けているのだろう

絶望ののちの歓喜

2006-11-19 17:32:43 | 日本文学の革命
ここ数週間 実に苦しい状態にあった
毎日毎日「これはもうダメか…」というような思いにとらわれ、精神的に絶望状態に追い込まれるのもしばしばだった

だがこういう絶望状態のときこそ、どこからともなく力が沸き起こってくる
今までにも何度も経験していることだが、自分の意識では「もうダメだ。降参しよう。降参したい」と思っているのに、突然希望に満ちたヴィジョンがやってきたり、あるいは一晩寝て起きたらいつのまにか溌剌とした力がみなぎっていたりして、自分が降参したいと思っても降参させてくれないのである

まさに漱石の言葉にあるように「魂がこちらこちらと教える」のであり、「迷いたくとも迷えん」のである
この道を歩んでゆくよう、否応なく強制されているようなものである

今回もそうだった
またもや大きなヴィジョンが開けてしまった

前に思想と文体両方から「新しい文学」を追求していると書いたが、思想の方はほぼ完璧な形でできてしまった
思想というよりも“魂”といった方がいいかも知れない。思想は魂の知的表現に過ぎないからだ

この魂を言葉で表現するなら、「則天去私の魂」となるだろう

日本人の伝統的な魂は「自然随順」である
今でも日本人はこれを生きているといっていい
僕が何度も何度も書いているものに外国主義というものがあるが、この外国主義も実は「自然随順」の一部であり、その一つの現れに過ぎないのである
(この外国主義がどんなに今現在も日本社会のうちで暴れ回っていることか!実にしばしば日本人全体に取り憑いてしまう)

明治以前はこの「自然随順」はまさに日本人の魂そのものだったのだが、明治以降になるとこれが時代や現実に合わなくなっていったのである
この「自然随順」を継承しつつも乗り越え、新しい時代にふさわしい新しい日本人の魂を築くことが求められてきた
この時代の要請に答えようとしてきたのが、日本文学の事業に他ならない
その全努力を一口に言うなら「自然随順から則天去私へ」となるだろう
日本文学を中心的に引っぱっていった夏目漱石は、まさにこれを行っていたのである

その「則天去私の魂」の全貌が、鮮やかなほど明らかになったのである
まるで一つの結晶、ダイヤモンドのような宝石を見ている感じがする

たいへんな宝物、「魂という永遠の宝石」が手に入ったのである

また同時に文体的にも躍進できた
どこをどうすれば求めるものに行き着けるか、十分分かるようになった

さらには書くべき題材も開けてきた

絶望したくても、させてくれない
進むしかない訳だ

『若者はなぜ3年で辞めるのか』

2006-11-12 18:19:59 | 日本文学の革命
『若者はなぜ3年で辞めるのか? ― 年功序列が奪う日本の未来』という光文社新書の本を読んだのだが、これが結構おもしろかった
著者は大企業の人事部で働いていた人間で、今は会社を辞めてライターになっているのだが、長年人事部で働いてきただけあって企業の現実というものがよく見えるのだろう
今の企業や日本社会がかかえている問題を鮮やかに解きほぐしてくれている

今 日本全体に垂れ込めている「閉塞感の正体」は何なのか
なぜ新卒離職者が急増しているのか、ニートやフリーターが増えているのはなぜか、なぜ社会の格差が拡大しているのか、あるいは昨日のテレビでやっていたような(ついついつられて6時間も見てしまった)「教育亡国」といわれるほどの教育問題が発生しているのはなぜなのか
その「正体」をこの本で見極めようとしているのである

ではその「正体」とは何か

それが「年功序列制」であり「昭和的価値観」なのだと著者は言う
日本人が戦後当たり前のものとして信じてきたこの「価値観」が、時代に合わなくなり事実上崩壊しているのにもかかわらず、今でも日本社会の中に牢固として存在しており、それが現在の様々な弊害を引き起こしていて、このままでは日本を沈没させかねない状態をもたらしているのだというのである

終身雇用制や年功序列制などのいわゆる日本型経営は、もう過去のものだと思われているが、どうしてどうして今でも「老いたリヴァイアサン(社会の怪物)」のように日本社会の中に息づいていて、日本社会に君臨しているそうだ
それが今 自らを維持するために暴走していて、様々な問題やどうしようもない「閉塞感」をもたらしているのだという
著者の言葉を引こう

「…つまり、個人が安定を手に入れるために、皆で力を合わせて作ったシステムがリヴァイアサンだと言えるだろう
 実はまったく同じものが、この日本にも存在している
 それは、企業内に年功序列というレールを敷き、安定性と引き換えに、労働者に世界一過酷な労働を強いている。そのレールから降りることを許さず、一度レールから外れた人間はなかなか引き上げようとしない
 それは、自分に適した人材を育成するための教育システムも作り上げてきた。小学校から始まるレールのなかで、試験によってのみ選抜されるうち、人はレールの上を走ることだけを刷り込まれ、いつしか自分の足で歩くことを忘れ果てる。最後は果物のように選別され、ランクごとに企業という列車に乗り込み、あとは定年まで走り続ける
 そう、それこそが「昭和的価値観」の正体だ
 彼と、彼が作り上げ、維持してきた年功序列制度は、実に優れたものだった。誰もが安定して長い期間働くことで技術力が蓄積され、日本製品は世界の市場を席巻した
 横並びで詰め込み方の教育システムは、均質で従順な労働者を大量に供給し、彼らは長時間労働に文句も言わず、年功序列企業の原動力となって馬車馬のように働いた
 いまの日本を形作ったのは、まさしく年功序列制度だと言っていい
 だが、成長の時代が終わり、年功序列制度が崩壊の危機に瀕すると、リヴァイアサンは暴走し始める
 本来は「誰もが幸せになるために、ちょっぴり権利を与えた」はずのリヴァイアサンは、自らを延命させるためだけに、若者を搾れるだけ搾ろうとし始めたのだ
 派遣社員の拡大、新卒雇用の削減、年金保険料の引き上げ、すべては社会の発展のためではなく、リヴァイアサン自らが生き延びるためだ
 歪んだ格差は、少子化となって社会全体を危うくし始めている
 …これらの叫びは、私にはまるで、老いたリヴァイアサンの断末魔の叫びに聞こえる 」

かつて日本に繁栄をもたらしたものが、今や時代に合わなくなり、未来を築けないようになり、逆に日本を衰亡させようとしている
しかし人々の意識はいぜんとして「昭和的価値観」から抜け出せないでいて、いまだに決められたレールの上を走り続けている
このギャップが「閉塞感」と様々な問題をもたらしているのであり、それを敏感に感じ取っている若い世代が、いまレールから降りようとし始めている
それが「若者が3年で会社を辞める」理由なのだそうだ

「家族、特に昭和的価値観が堅持されていた時代に成人した世代の人間も、会社側以上に保守的だ。彼らはなにはともあれ定年まで勤続することがもっともお得で、社会的なステイタスも得られ、最大の幸福を生むと信じて疑わない
 若者自身も、そういう教えを受けて育ってきた。他人より少しでも偏差値の高い大学を出て、なるたけ大きくて立派だと思われている会社に入り、定年まで勤める。夜遅くまで面白くもない作業をこなし、疲れ切っては猫の額のような部屋に寝るために帰る。そして日が昇るとまた、同じような人間で溢れかえった電車にゆられて、人生でもっとも多くの時間を過ごす職場に向かう…
 それこそが幸せだと教え込まれてきた
 だが少なくとも、それだけで一定の物質的、精神的充足が得られた時代は、十五年以上昔に終わったのだ。その証拠に、満員電車に乗る人たちの顔を見るといい。そこにいくばくかの充足感や、生の喜びが見えるだろうか? そこにあるのは、それが幸福だと無邪気に信じ込んでいる哀れな羊か、途中で気づいたにしてももうあと戻りできないまま、与えられる草を食むことに決めた老いた羊たちの姿だ」


じゃあ どうすればいいのか
著者はまず第一に「働く理由を取り戻せ」という
「年功序列システムは、人間本来のバラエティある(働く)動機群を眠らせ、無個性で単純な歯車にしてしまう」
この「自分はこれをやりたい」という「働く動機」を取り戻し、働くことの意義と喜びをふたたび取り戻すことが大切だというのだ
別にアウトサイダーにならなくても、企業内でも十分それはできるという
「それぞれの内なる動機について少しだけ考え、アクションを起こせば、企業の変革をプッシュすることになる。ひいては、社会全体の変革にもつながってゆくだろう
 明るい未来とは本来、人から与えられるものではなく、自分の手で築くものであるはずだ。その自覚を促すことこそ、本書の意図したところである 」


今の日本社会を考える上で、実にためになる本だ
興味を持った方はぜひ読んでみてください

「鍵」

2006-11-05 17:29:25 | 日本文学の革命
今日日曜日は早稲田祭の日だから、行ってみようかとも思ったけれど
1人で行ってもつまらないし、結局いつものように家にこもって文学をしていた

毎日毎日一生懸命かんばっている
大いに進んだと喜ぶ日もあれば
憂鬱になるくらい前へ進めない日もある
だが全体としてみれは、着実に進んでいると言っていいだろう

中島みゆきの最近の曲に(工藤静香に歌わせたものだが。キムタクをダメにした女だから僕は嫌いなのだが、中島みゆきもその辺のことがわかっていて、静香に対して皮肉のきいた歌になっている)『鍵』というものがある
「人を渡る旅の途中で鍵を落としてしまったらしい」
「探してもどこにあるか分からない。何重にも謎に包まれている」
「でもあなたと一緒に探し続けたい」
というような内容の曲である

「鍵を失くしてしまった」「在りかが分からない」「謎に包まれている」
中島みゆきでもまだそうなのである
他の大抵の人間にとってもそうだろうし、第一「鍵」や「謎」の存在すら気づいていないのがほとんどだろう

また大言壮語してると言われるかも知れないが、実は「鍵」はすでに見つけているのである
「謎」もすでに「謎」でなくなっている
もう僕の中ではすべて解けているのである
あとはどうやって具体化すればいいかだけなのだ

前へ進んでいることはたしかなのだから
粘り強く粘り強く進めてゆこう