「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 133

2017-08-08 06:14:58 | 日本文学の革命
このように戦前には「同人雑誌」という制度があり、戦後には「賞取りシステム」という制度が起こり(今でも続いているが)、問題はこれからの時代である。いまインターネットの登場と普及を通してメディアと文化界の大変革が生じている。戦後繁栄を極めた巨大マスコミさえ、そのために目に見えて衰退しているぐらいである。「賞取りシステム」も衰退し、本来はカリスマ的な流行作家を量産し、大量生産・大量販売方式で本を売るための制度なのだが、いくら賞を連発しても本も売れなくなってしまった。たしかに新しい第三の時代が始まろうとしているのである。
この新しいインターネットの時代に、何か新しい第三の制度を築けるのではないか。そこで考えたのが戦前の同人雑誌の電子的復活―「電子同人雑誌」である。

インターネットと戦前の同人雑誌とは精神的に共通性が多いのである。自由・自主の精神に溢れていること、上からの権威や押しつけを拒否すること、ヘタでもいいから自分の手と力でやりたがること、自由で双方向的な強力なネットワークを持っていること、など多くの共通点を持っているのだ。このインターネット環境を土台にして戦前の同人雑誌とそのネットワークを再現できるのではないか。かつて本物の文学者という真のカリスマを輩出し、日本文学と日本文化を大発展させたこの同人雑誌という制度を電子的に復活できるのではないか。

電子同人雑誌の可能性 132

2017-08-08 06:10:41 | 日本文学の革命
大分長い事書けない状態が続いたので、ここでちょっとこれまで書いてきたことを思い出してみよう。

『電子同人雑誌の可能性』という本を書くに当たって、そもそもの始まりは「賞取りシステム」に対しての疑問にあった。なぜこんなシステムによって今の日本文学は支配されているのだろう、という疑問と憤懣であった。ずいぶん前に出した「日本文学の革命」というホームページにも『賞取りシステムの弊害』というタイトルで作品を書こうとして、取りあえず草案だけは載せて置いた。
賞取りシステムとは、出版社―マスコミ―大衆社会という戦後発達した三つの力が組み合わさったところに成立したものである。その本質はマックス・ウェーバーの言う「カリスマの日常化」現象である。つまりかつて存在した真正のカリスマを(この場合戦前の日本文学者たちのことである。賞の多くに「芥川賞」など昔の日本文学者たちの名前が冠されているのもそのためである)、“人工的に”再現しようとして行われる社会現象のことである。出版社による新しいカリスマの“指名”と、マスコミやそれに煽られた大衆の“歓呼賛同”を通して、カリスマ的な流行作家たちを人工的に製造してゆくというものである。
しかし今や出版社もマスコミも大衆社会も衰亡ないし変質してきて、またかつては存在していた戦前の日本文学者たちのカリスマも失われてしまった。そのため賞取りシステムも衰退してきて、かつてはカンフル剤のように日本文学の存続に役立ったものの、今やその効果も失い、このままでは日本文学そのものを滅ぼしかねない「弊害」と化している…といった内容である。
いろいろ他にやることがあって作品として書かず、長いこと放置してきたが、基本的に今でもこのように考えているし、いずれ『電子同人雑誌の可能性』の一章として書きたいと思っている。

このような戦後から今に続いている制度「賞取りシステム」に対して、目を転じて戦前の日本文学を見てみると、そこには全く異なる制度が存在していたのである。それが「同人雑誌」なのであった。戦前はこの「同人雑誌」こそが作家たちの輩出機関となっていて、綺羅星の如き優れた作家たちを数多く生み出してきたのである。日本文学を築き、本当に発展させてきたのは、この「同人雑誌」から出て来た戦前の作家たちだと言っていい。
この「同人雑誌」は独特のネットワークを持っていた。「同人内―同人間―文壇」のネットワークである。このネットワークこそが様々な多彩な作家たちの自由で自主的な活動を可能にし、彼らの才能を磨き彼らを育て、また強力で多元的な発掘機関として優れた才能を発見し、彼らを一躍スターダムに押し上げたのである。


6ヵ月ものスランプ 3

2017-08-02 05:17:45 | 日本文学の革命
そんな中、実に痛快な事件が起こった。豊田真由子議員の暴言事件である。これがどれほど痛快で面白いものだったことか!僕があの会社で受けていたことは、まさにあの通りのものだったのである。豊田真由子が秘書にしていたそのままのことを、僕もされていたのである。生き写しと言ってもいいぐらいだ。
あの会社ではそれが常識であり、上司や先輩はその上で偉そうにふんぞり返っていたものだった。しかしそれがひとたび広い社会に出回ってみると、それこそが常軌を逸した非常識であり、人々を唖然とさせるものであり、さらには嫌悪や憎しみや嘲笑さえ呼び起こすものだということが白日のもとに曝されたのである!
連日報道される豊田議員の暴言事件を片っ端から録画して、うまいビールを祝杯のように飲みながら、何度も繰り返し見て、大爆笑したものだった。

この豊田議員の暴言事件が起きたとき、あの職場でも大きな動揺が起き、普段偉ぶっている連中も怖れや不安に捕らわれていた。豊田議員に対するものすごい社会的バッシングが世間を賑わせていたが、同じことをしている自分たちにもそれが及ぶかも知れないという臆病風に捕らわれたのである。誰かが会社内で行われていることを密かに録音して、豊田議員の秘書のようにニュースとして世間に流すかも知れない。日頃さんざんにいじめられてきた僕も疑わしい人物と目され(誰がするか!こっちは日本文学を復活させるという大事業で忙しい身だ、そんなつまらないことに関わっていられない。うまいビールの祝杯だけで十分満足だ)、首にしようという動きを見せてきたので、僕も見切りをつけて先んじてこの会社を辞めた。辞めたときは、強制収容所からついに脱出できたような、爽やかな解放感に満ちていた。

この会社とその洗脳から解放されて、今創作力がどんどん蘇ってきている。書きたいという意欲がふたたび漲り、腕が鳴っている状態である。
予想もしなかった罠にはまり、危うく潰されかけたが、ふたたび前進してゆくことができそうである。
この事業ができるのは今の日本では僕しかいないと言っていい。僕が潰れたらこの事業とその可能性も潰えてしまうのである。何としても潰れる訳にはいかない!
仕切り直しで、今度こそ“奇跡のドア”を押し開けてしまおう。

6ヵ月ものスランプ 2

2017-08-02 05:14:34 | 日本文学の革命
このような人間たちはたまたま集中的にこの職場に集まった訳ではなく、会社自体が組織的に行わせていたのである。この会社は仕事の前に全員を軍隊式に整列させ、道徳訓を朗誦させるのだが(その様はまさに軍国主義国家・全体主義国家を連想させた。森友学園の「教育勅語」にも似ていた)、働き手をすべて滅私奉公の「軍人」にすることを理想としていた。戦前の軍部では「初年兵教育」というものが行われていた。徴兵してきた一般市民に軍隊精神を叩きこむために、毎日毎日厳しいしごきと訓練を与え、上官の命令に徹底的に服従させ、しばしば廊下に整列させて「お前ら歯を食いしばれ!」と拳骨でぶん殴ったりする、アレである。このような教育によって一人の市民を上からの命令に完全に服従する「軍人」にしてゆき、個性を滅却させ、一つの全体に奉仕するよう洗脳してゆくのである。

たしかに日本の会社には多かれ少なかれ軍隊的要素があり、正社員であればこのような圧力を常に感じていることだろう。しかし僕はただのアルバイトであり、「やった♪ 自転車で15分のところにある。通勤時間がかからないから、たっぷり書くことができるぞ〜!」という理由だけでやって来たものであり、また正社員のように自己犠牲の見返りになるだけの十分な給料や待遇も得ていない。そんな人間もひっつかまえて、無理やり「初年兵教育」を受けさせ、「軍人」となるよう洗脳しようというのだから、タチが悪い。人権という憲法に保障されている最高の権利―ちなみに会社法よりも上位に立っているものである―を蹂躙しているのである。

去年の12月にこの会社に入ったのだが、軍隊式の朝礼を見た時から「これはヤバイ所に来た」と思い、さっさと辞めたくなった。しかし通勤時間がかからない、たっぷり書く時間が得られるということは、僕にとって何より重要なことだったので、辞めるに辞められなかったのだ。どんなに罵倒されバカ扱いされようが、書く時間さえ確保できれば、そんなことは何でもない。屈辱に耐えて、ひたすら書きまくろう、と決意したのだ。

しかし案に相違して、全く書けなくなってしまった。書く条件が整っているにも関わらず、書けなくなってしまったのである。やはり洗脳教育というものには、あなどれない効果があるのだろう。毎日罵倒され屈辱を受けている内に、精神が鬱状態になり、恨みや憎しみで鬱憤もたまっていった。自分のやっていることが意味のない無価値なものに思えてきて(まさに洗脳の初期症状である!)、意欲も自信も失われていった。書く意欲が湧かず、毎日毎日が虚しく失われていった。このままもうダメになってしまうのではないか、そんな危惧さえ本気で感じるようになった。

6ヵ月ものスランプ 1

2017-08-02 05:09:55 | 日本文学の革命
去年東陽町の職場にいたときは実に絶好調でバンバン書くことができた。『電子同人雑誌の可能性』も勢いよく書けて完成間近に迫れたし、『「こころ」と太平洋戦争』の構想も順調に進み「さあ次はこれを書いてゆこう!」と意欲に燃えていた。「新しい文学」ももう手が届くところまで来ており、この2つの大作を完成させながら同時にこれも生み出してしまおうと思っていた。すべてが順調で、“奇跡のドア”を開く日も近いと確信していた。

ところがこの半年、全くと言っていいほど書けなくなってしまったのだ。何も書けない精神状態に追い込まれてしまったのである。理由ははっきりしている。新しく移った職場の環境が悪すぎたのである。

詳しく書くと短編小説みたいなものを書くことになるので、今はそんなことをしている余裕はないのではぶくが、ひどいブラック企業に入ってしまったのである。最近豊田真由子議員の「このハゲ〜!」暴言騒動が話題になったが、あの豊田真由子議員が至るところにいるような職場なのである。
パワハラや暴言は当たり前、毎日毎日罵倒や嘲笑を浴びせかけられ、侮辱や屈辱を受けるのである。いい年をした僕もまるで小僧っ子のように扱われ、毎日毎日罵倒や暴言や侮辱の言葉を浴びせられ、下男や奴隷のように顎でこき使われるのである。少しミスをしただけで散々に罵倒され(人のミスは彼らにとって嬉しいことなのである。思うさま罵倒できるからである)、動作が遅いと罵られ、顔が気に食わないと怒鳴られ、返事が悪いと返事の練習をさせられ、「このバカ」「アホ」「仕事ができない低能野郎」と人格を侮辱して来るのも日常茶飯事である。毎日毎日が侮辱と人格攻撃の連続だったと言ってもいい。

そういうことをして来る上司や先輩は絶対の存在であり、一言の口答えも許されない(口答えをした瞬間即座に首にされる)。だからやりたい放題であり、人をいじめて喜びたがるような人間には格好の職場となっていた。そのせいかシンデレラをいじめる継母のような意地の悪い連中がたくさんいた。