ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



村上春樹って、売れてるよね。何であんなに売れるのかね? なんーて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『村上春樹が売れる理由──深層意識の解剖』(幸福の科学出版刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 大学一年生の七月から、翌月の八月末にかけて、僕は実父がもし胃癌で死んだらどうなるか、ということばかりを考えていた。徳島の夏は蒸し暑く、父の氷枕の氷を取り換えるためだけに、一日一回近所の氷屋に氷を買いに行く以外は、とりたててすることもなく、父の病室で、ベンディクスの『マックス・ウェーバー』やウェーバー自身の『支配の社会学』や、クラウゼヴィッツの『戦争論』を読んで一夏を過ごした。時折、ゴキブリが出たとか、畳ジラミが出たとか言って、父がナースに「DDT」を持って来いと命じる声が、遠くの風鈴の音と重なって聞こえたが、具体的な像を心に結ぶことはできなかった。母はもうとっくに父の死を覚悟していて、家庭教師や奨学金で自分の生活費を稼ぐなら、大学院に行って学者になってもよい、と僕に告げた。僕はうっすらと、色彩を持たない自分の運命が、働かなくてはならない方向へと流れていくのを感じた。無常の世に流されていくのを止めようとしても、そのあがきにはリアリティがなかった。僕は人生の大地への旅に出ることにした。

あとがき
 僕は三十五歳で、その時、まだJALのシートに座っていた。窓の下には「ソ連」の大地が広がっていた。革命が起きて、帰途には「ロシア」と国名が変わろうとは思ってもいなかった。
 日本では大手出版社の講談社と「幸福の科学」とのフライデー戦争が始まっていたのを僕はまだ知らなかった。初めての東京ドームでの「御生誕祭」も終わって、めずらしく三週間のヨーロッパへの旅に出ていたのだ。
 そう、十五年の歳月が過ぎて僕は宗教家になっていた。スチュワーデスで僕を知らない人はいなかった。参議院議員が時折、通路を往き来して、僕に名刺を差し出すかどうか迷っていた。
 僕は村上春樹の『ノルウェイの森』を読み終えて、ぶ厚い雲をジャンボ機が降下していくのを眺めていた。フランクフルトだ。ドイツ語はまだしゃべれるだろうか。スチュワーデスがまたウィンクをして着陸を知らせた。宗教法人を設立して一年目の夏が過ぎていった。
(1~2、168~169ページ)

大川隆法先生の著書にはこれまでにない感じの表紙です。

また、まえがきは、二十歳前後の東大生時代、あとがきは、「エル・カンターレ宣言」の直後、35歳の宗教家。

簡潔な一人称の文体は、まさに村上春樹そのもので、おやっと思わせます。

表紙にさりげなく書かれた「守護霊インタビュー」ですが、さてさて、はたしてどんな内容だったんでしょうか?
 

村上春樹が売れる理由―深層意識の解剖 (.)

『村上春樹が売れる理由』

  大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )