仏教っていうのは、この世での生活を否定して、あの世で極楽に行くことを求めてたんじゃないの。それは今の時代も維持されるべき教えなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
二千五百年前の釈迦仏教は、「この世への執着を去り、この世に還ってこなくなることが幸福だ」ということを説いたと捉えられます。しかし、この世が発展し、環境がよくなったため、この世に生まれ変わってくる人が増えています。時代は釈尊の教説とは反対の方向に動いているようです。
この部分については思想的な戦いの決着がついていません。むしろ、インドでは、仏教が滅びて、現世肯定的なヒンズー教が広がり、人口が増えているので、釈尊の教えの反対になっているように見えなくもないのです。
このように、「宗教的思想は現代において検証し直されているのではないか」と思います。
ここで、私が基本的な立場として言っておかなければならないと思うことは、「新しい宗教としては、これからも日進月歩するであろう科学技術文明そのものを否定するかたちの宗教にはしたくない。世の中が便利になるのは結構なことである」ということです。
かつては東海道を徒歩で移動していましたが、やがて、移動手段が、馬になり、鉄道になり、飛行機になり、リニアモーターカーになっていくこと自体は、それはそれでよいでしょう。それだけ密度の高い人生経験を積めるようになるので、それを宗教的に否定しようとは思いません。
また、魂としてでなければ宇宙空間に行くことはできなかったのに、スペースシャトルなどの宇宙船によって、肉体を持ったままで宇宙に行ける時代が来たことも、宗教的に否定しようとは思いません。
ただ、その高度な科学技術文明に釣り合うだけの霊性、霊的なバランス感覚は必要であると思います。「この世が進歩し、住みやすくなるにつれて、あの世的なもの、霊的なものを忘れていく」ということであるならば、この世に生まれ変わった人の多くが地獄人口へと転化していく可能性は、極めて高いと言わざるをえません。
そういう時代であるからこそ、霊的な思想を信じる人々の裾野を広げていかなければならないのです。「霊的な思想は、決して古代だけのものではなく、現代にも必要なものなのだ」ということを伝えていく使命が、幸福の科学に課せられているのです。
(293~296ページ)
この世が科学技術の力で進歩して、便利になっていくのは、とてもけっこうなことです。
その便利な環境を求めて多くの魂が生まれ変わってきていることは、むしろ好ましいということになります。
つまり、大川隆法先生は、はっきりと述べておられませんが、その意味では、2500年前にお釈迦さまが説かれた仏教の教えは、現代においては適合しなくなってきている部分もあるってことだと思います。
そして、そこで大事なのは、この高度な科学技術文明に釣り合うだけの霊性も必要だということ。
それを抜きにして、単純にあの世的なものや霊的なものの否定に行くのであれば、あの世に還ったときに、天国ではなく地獄へと行ってしまうことになる。
だからこそ、「霊的思想は現代にも必要である」と、広く述べ伝えていかなくてはならない、と。
これを確信をもって伝えることができる、幸福の科学の使命は、それこそ限りなく大きなものだと私は改めて思っているのです。
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『復活の法』
大川隆法著 |
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