ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



「転生輪廻」って、生まれ変わりだよね。人間は人間にしか生まれ変わらないって、教えられてるんだと思うけど、でも、人間が動物に生まれ変わった話って、いっぱいあるじゃない。あれって、ぜんぶ作り話なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フランクリー・スピーキング』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 これはあまり大きな声では言えないんですが、私が実際につぶさに調べたところ、あるようですね。原則、人間は人間なのですが、どうも動物霊にしてはあまりにも人間らしすぎる動物霊がいるんです。
 たとえば、よく宗教では、憑依霊のなかに狐(きつね)だとか蛇だとかがいると言うでしょう。これは現実にいるんですけれども、狐霊と言われるもののなかに、話をしても言葉はほとんど喋れない狐霊というのがいます。これはほんとうに動物霊であって、感情は持っていますし、ある程度の反応はできるけれど、言葉自体はたいして喋れない。
 ところが、これ以外に、雄弁に喋れる狐の霊というのがいるんですよ。これはおかしいなと思って調べてみると、やはりもとは人間霊なんですね。人間であった人が、死後、畜生道というところに堕ちるんです。そして、そこに二、三百年いて、もう人間としては浮上してこられない場合に、要するに魂修行をさせられるために、ワン・クッションですが、いったん動物に生まれ変わる道があるんですね。
 これはもちろん、諸天善神(しょてんぜんじん)のなかに、稲荷大明神とか、そういう動物を司っている神様がいるのですが、その許可があればのことです。「では、人間のありがたさを知るために、人間として生きることがどれほどありがたいかをわかるために、おまえは一回動物をやってみなさい」ということで、動物に生まれ変わるんですね。
 そして動物をやると、「人間はうらやましい」と言うんです。人間を見ると、あんなに本も読めるし、レストランで食事もできるし、うらやましいなということを、つくづく感じるわけです。人間として生まれることへの感謝を教えるために、もうどうしようもないあたりになると、教育のためにそういうこともあります。
 そういう人は、あの世に還ったら、しばらくは動物霊みたいな姿をしているんですが、改心すると、また人間霊の姿に戻ってくるんです。何回かそういう例を見てきましたので、あることはあります。ただ、可能性は少ない。(中略)
 私も、「何に生まれるかわからない」という、仏教の昔の転生輪廻説は、「だから、動物を大事にしなさい。生き物を殺してはいけないよ」という意味の方便だと思っていたんですが、実際に調査してみると、やはり元人間霊などがいるので、これはたいへんだなと思いました。
 たとえば、番犬をやらされている犬のなかにも、元人間がいるんですね。犬でも、人間の言葉がものすごくわかるような犬というか、やたらと人間的感情を持っている犬がいるでしょう。これなども、過去世を調べてみると、やはり、強盗殺人とか、そういうことをやった人が、今度は逆の立場で、一回だけカルマの刈り取りのようなことをやらされていることが、たまにあるのです。
 これは恐怖につながるので、あまり言わないことにしていて、「ごく一部だけそういうこともあるよ」と言っているのです。
(187~190ページ)

仏教の転生輪廻説は、動物を大事にさせるための方便だけでなく、数は少ないが例外がある。

たとえば、雄弁に喋る狐の霊がいたりするのは、死後、畜生道に堕ちて浮上できない人間に、人間として生まれることへの感謝を教えるため、いったん動物に生まれ変わる魂修行をさせられたものである。

またたとえば、犬の中にも、やたらと人間的感情を持っている犬がいるが、強盗殺人とかをやった人が、一回だけカルマの刈り取りのようなことをさせらされていることがある──。

転生輪廻の仕組みをすべて理解するというのは、そうそう簡単な話ではないわけです。

人間は原則として人間にしか生まれ変わらないんだけど、でも例外も一部ある。

こんな話を聞くと、だからこそ、人間として生まれ、生きていることのありがたさを、私たちは知らなくてはならないのだと、改めて私は感じているのです。 

『フランクリー・スピーキング』

 大川隆法著

 

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