オレって絶対に正しいと思うんだ。新しいことはすぐに批判されるけど、世間が理解できないだけ。ガンガンやってやるんだ。これって間違ってないよね? なーんて前向きな悩みもってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
現実の人生では、ある程度、自分なりの論理、考え方を立てて、「家庭や仕事の問題を解決していこう」と思わなければいけません。
ただ、「自分の考え方は正しいかどうか」ということについては検討の余地があります。周りの人からの反作用があまりに多かったり、世間の非難が大きかったりする場合は、自分の考え方に間違いがあることもあるので、一度、「自分の考え方は正しいかどうか」ということを検証する必要があるのです。
世間には保守的なところがあり、世間にとって初めてのこと、受け入れの準備をしていないことに対しては、抵抗や反発をする傾向があります。最終的によいことであっても、すぐには受け入れない場合があるのです。(中略)短い年月のあいだでは、世間は間違うことがあります。それは、いまのマスコミや国民の意識を見てもそうでしょう。
しかし、「長いあいだで見たら、世間は正しい結論を出してくる」ということを、ある程度、信頼したほうがよいのです。
歴史上、「民意が間違っていた」という実例は幾らでもあります。
たとえば、百年以上前のアメリカの大統領であるリンカンは、大統領になる前に何回も選挙で落ちています。選挙でリンカンを落とした人々は、その時点では、リンカンが将来あれほど尊敬される大統領になることが分からなかったわけです。
リンカンは、「選挙で落ちる」という辛酸に耐え、最後には大統領になり、南北統一や奴隷解放を成し遂げ、きちんと使命を果たしました。
そして、「最初、民意が間違っていた」ということに対しては、その後、「尊敬」というかたちで埋め合わせがなされています。
新しい考え方や新しい人など、新しいものがいろいろと出るときには、反対されることもありますが、「長い目で見て、世間が間違いつづけることはない」と考え、世間を信頼することが大切なのです。
反対されて、被害意識を持ったり、あまりにも反社会的になったりすることは、よくありません。
うまくいかない場合には、まず、自分なりに点検したり反省したりすることが必要ですが、「これは、新しい考え方、新しいやり方だが、どうしても、やらなければいけないことである」という強い信念があるならば、押し通さなければいけません。そのときは、「抵抗や反発などは受けて立つ」という覚悟で行うことです。
(32~34ページ)
短期的にみると、世間が間違っていて、自分が正しいことはたくさんある。
でも、だからといって単に反社会的な姿勢で突っ走ればよいというものでもない。
「長い目で見て、世間は間違わない」という考え方も持っておく必要がある──。
世間では、あの世があることを信じず、仏神を信じない人が多いようにも思えます。
でも、よく考えてみると、そんな考え方をする人が多数派に見えてきたのは、戦後のことです。
わずか70年やそこらの時間というのは、長い長い人類の歴史の中では、むしろとても短い期間にすぎないんじゃないでしょうか。
「長い目で見て、世間は間違わない」との教えをいつも念頭において、日々、自らをかえりみて反省しつつ、それでもこれをやるべきだという信念が揺るがない。
そのときは頑張って断行していくしかないのだと、改めて私は確信できた気がしているのです。
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『生命の法』
大川隆法著 |
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