“お母さん、僕のあの麦わら帽子はどこにいったのでしょうね”
この台詞覚えていますか。
森村誠一の小説“人間の証明”で使われる西条八十の詩の一節です。
昨日はこの言葉があるところに向う途中に、浮かび上がっていました。
昨日、今日と鴨川に行ってきました。最初は遠いし、から始まり、でも行きたいから、泊まりで行きたいと、久しぶりの土曜休みなのに、旅行になってしまいました。やれやれ。
実は私は親戚の子供たちと、小さい頃の夏、祖母の田舎の海で過ごしていました。毎日午前中から海で遊び、昼寝をした後また海で遊びました。鴨川につくのは時間の束縛もなく、館山を回っていく事にしました。館山に行く途中にその海があることを思い出し行くことにしました。
そこに向う事に決めたら冒頭の言葉が浮かんできたのです。
子供の頃には、外にいるときは強い日差しの下にいるのですから、いつも麦わら帽子をかぶる様に言われていました。海で遊ぶ裸の肌にはちくちくしていたい麦わら帽子はどこにいたのでしょうね。
何十年ぶりに見た海は思いのほか小さく、ひなびていました。昔過ごした家はありませんが夕暮れを見ながらハーモニカを吹いたりした場所の後ははっきりわかり、その場所にある木々が同じ事がほっとしました。
ただ、海は強い風で荒れていて、恐く感じてしまいました。昔海を恐いと感じた覚えは有りません。昔ここで遊んだ私と今の私は同じ人なのでしょうかと思いました。
足元がおぼつかない私が、揺れる波に不安を感じるのは年かも知れません。
昔いた場所がそこにある事実と、私の変化の中で現実は変わっていくにでしょうね。ちょっとナイーブになりました。
その夜は、プチホテルに泊まりました。オールウエィズというところです。
ホールに小さいながらJBLがおいてあり、泊まっている若いカップルは部屋に行ってしまいますので、一人勝手にもっていたCDとか聞かせてもらいました。途中宿主もいらして、お話しました。持っていったアルバムから、ガラティを気に入っていただいたようで、ここにも一枚落ちました。
その宿にあったのがこのアルバム、マスターの陶磁の師匠がJAZZがお好きなようで、それをコピーした1枚でした。鴨川の海岸のとても静かな、というより雑音は一切聞こえない平らな静寂がありました。その中での音の流れは素晴らしいものです。静寂がこれほど価値があるとは、ポール・デスモンドが静かに流れました。
鴨川の目的は結果よろしくありませんでした。やれやれ。
FIRST PLACE AGAIN / PAUL DESMOND
1 I GET A KICK OUT OF YOU
2 FOR ALL WE KNOW
3 2 DEGREES EAST, 3 DEGREES WEST
4 GREENSLEEVES
5 YOU GO TO MY HEAD
6 EAST OF THE SUN
7 TIME AFTER TIME
また、お泊まりになったホテルもなんとも良い感じで、せっかくの土曜休みを潰したかいがあったのではないですか?
「FIRST PLACE AGAIN」、デスモンドとジム・ホールの初共演盤ですね。
ジム・ホールが入ると、デスモンドのアルトが、いつもより透明感があるように思うのは私だけでしょうか。
なんか、ご褒美でつくっったアルバムですよね。
私は群馬に実家がありますから、、
碓氷峠から霧積温泉までいったことがあります。
で、、ここからは、ななんか夢か幻な。。想い出。
そのとき、何故か、少し高台から温泉旅館のお風呂がみえて、、
長い黒髪の女性の白い裸体が。。
女性の私でも、、おもわず、、見とれたのでした。。。
今でもはっきりその光景を覚えているのですが、、
これが、実際のできごとだったのか、、
夢と現実がごちゃごちゃになったのか。。
今では、不明。。。
霧の精だったのかもしれません。。
ような恐ろしさを感じました。これ歳かもしれません。でもその場所を一緒に歩いている奥さんは、私のことを、うれしそうな顔をしていたといっているので一つの納得が得られたのではないでしょうか。
さん関連でしょうか。
鴨川にはほとんど始めてたずねた感じです。泊まった宿に小さいながらJBLのがあり、勝手に聴かせていただきました。アンプとの兼ね合いなのでしょうか、ちょっとおとなしすぎますねというのが、オーナーとの感想ですが、何より、回りの静寂は、素晴らしいもので、人為的でなく、深い井戸の底にいるような場所で音を聴く事に驚きました。
碓氷峠から飛んであの麦わら帽子はどうしたのでしょうね。
多くのことが霧の中に隠れていくのですね。
そっちの記憶はちょっと見たいけど。
久しぶりの場所は懐かしく、それでいて恐く、悲しく、ちょっと複雑な気分でした。
いつまでの変わらない自然の強さに対しての、自分の変化が感じられたのかも知れません。