今日、ケン太が通っていた中学校で運動会でした。
結構、近くなので、進行役のマイクの声や音楽が聞こえていました。
本当は、先週末に開催予定だったようですが、台風が通過する恐れもあったので、
結構、早めに今日に順延が決まっていたようです。
土日、晴れましたけどね
まあ、今日、晴れてよかったです。
ケン太がいた頃は、生徒は親の応援席に行き、一緒にお昼を食べたんです。
学校側としては、なるべく親御さんに来てほしいということだったようですが、
今は、生徒は教室で、給食を食べているそうです。
そりゃそうですよね~今は難しいでしょうね。
親が来れない子は、教室で先生と食べるので、その子の気持ちを思うとね。
私の友達の息子くん、親に急用が出来て、お昼、教室で食べることになったのですが、
「皆は親と食べていると思うと、取り残された気分で凄く嫌だった」と後々も思い出して言っていたそうです。
子どもだけでなく、運動会に行けない親御さんの気持ちもお察しするとね
今はそれがなくなってよかったです。
ケン太は小学校では、5年生の運動会が不登校で欠席。
中学校では、3年生が不登校で欠席・・・だったと思います。
小学校も中学校も近いですから、ずっと運動会の音が聞える中で過ごす気持ち。
これは、本当に居たたまれないです。
なんでこんなに学校が近いんだろうと嘆きましたが、
ケン太は何を思っていたのでしょうね。
(もしかしたら昼夜逆転で寝ていたかな?記憶にございませんが
)
ケン太は小学校5年生の運動会の時、すでに休みが続いていましたが、
運動会前日に久々に登校できて、運動会も参加できる!と言っていたのに、当日、行けなくなりました。
運動会に出たい気持ちを引っ張っていたのは、5、6年生の男子の組体操。
どうしても、これに出たかったんです。
そして、6年生の運動会。
「今年こそ組体操が出来る~」と喜んでいたのに、運動会前に転び、腕にヒビが入りまして
組体操は見学になりました。
そして、中学3年生。
組体操、最後のリベンジのチャンスでしたが、6月末から完全不登校。
9月からの運動会の練習にも本番にも参加することなく、
ケン太の夢は叶うことなく終わりました。
あんなにやりたかった組体操。
一度もやれなかったなぁ。
なんか、それを思うと、かわいそうになりましたね
でも、その時こと・・・
今でも、忘れてはいないし、思い出そうとすれば思い出せるのですが、
今は、おそらく、これから先も?あの時の感情のままではないということ。
あんな時があったなぁ~という程度のことになっています。
そう思えるのは、ケン太にとって、すでに過去のことになっているからだろうと思います。
あの時は「組体操」をやりたかった。
でも、20歳過ぎの今のやりたいことではない。
あの時、やれなかったことを、今でも思い出すと暗い気持ちになるということもないと思います。
時は流れるんですね。
運動会に出れない。
修学旅行に行けない。
そんな我が子を前に、親は、不憫でかわいそうで、いたたまれない気持ちになります。
親が自分自身を振り返っても、学校生活を彩る思い出深いイベント。
だからこそ、出させてあげたい。行かせてあげたい・・そう思ってしまいます。
でも、それは結構、親の思いの方が先行してしまっている場合があります。
今は運動が苦手で、体育の授業を受けたくなくて休んでしまう子がいます。
そういう子にとって運動会は苦痛でしかない。
集団行動やコミュニケーションが苦手な子は、修学旅行に不安を抱えています。
実際に先生に「行かない」と宣言した子を知っています。
そういう子が増えてきていると思います。
皆が皆、楽しみにしているわけではないんです。
私たちの時代とは違ってきているように思います。
親のための「運動会」
親のための「修学旅行」
そうなってしまっている場合もあるんじゃないかと思います。
親ってもう大人で、出来上がっているので、そうそう変化するものでもないです。
子どもに起きたことも、ついこの間のように思い出せます。
でも、子どもはどんどん成長していき、環境も変わっていき、
年齢とともに興味もどんどん移っていきます。
だから、嫌なことも、どんどん過去のものになっていきます。
いつの間にか親が心配した程ではなくなっていたりします。
その時の子どもの感情は受け止めてあげても、
あくまでも、その時ものも。
だから、そんなに、落ち込まないでください。
何時までも引きずらないでくださいね。
「かわいそう」「不憫」
それはあくまでも親の主観です。
子どもが必ずしもそう思っているわけじゃありません。
親が「かわいそうな子」にしないでくださいね。
いつもありがとうございます
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結構、近くなので、進行役のマイクの声や音楽が聞こえていました。
本当は、先週末に開催予定だったようですが、台風が通過する恐れもあったので、
結構、早めに今日に順延が決まっていたようです。
土日、晴れましたけどね

まあ、今日、晴れてよかったです。
ケン太がいた頃は、生徒は親の応援席に行き、一緒にお昼を食べたんです。
学校側としては、なるべく親御さんに来てほしいということだったようですが、
今は、生徒は教室で、給食を食べているそうです。
そりゃそうですよね~今は難しいでしょうね。
親が来れない子は、教室で先生と食べるので、その子の気持ちを思うとね。
私の友達の息子くん、親に急用が出来て、お昼、教室で食べることになったのですが、
「皆は親と食べていると思うと、取り残された気分で凄く嫌だった」と後々も思い出して言っていたそうです。
子どもだけでなく、運動会に行けない親御さんの気持ちもお察しするとね

今はそれがなくなってよかったです。
ケン太は小学校では、5年生の運動会が不登校で欠席。
中学校では、3年生が不登校で欠席・・・だったと思います。
小学校も中学校も近いですから、ずっと運動会の音が聞える中で過ごす気持ち。
これは、本当に居たたまれないです。
なんでこんなに学校が近いんだろうと嘆きましたが、
ケン太は何を思っていたのでしょうね。
(もしかしたら昼夜逆転で寝ていたかな?記憶にございませんが

ケン太は小学校5年生の運動会の時、すでに休みが続いていましたが、
運動会前日に久々に登校できて、運動会も参加できる!と言っていたのに、当日、行けなくなりました。
運動会に出たい気持ちを引っ張っていたのは、5、6年生の男子の組体操。
どうしても、これに出たかったんです。
そして、6年生の運動会。
「今年こそ組体操が出来る~」と喜んでいたのに、運動会前に転び、腕にヒビが入りまして

組体操は見学になりました。
そして、中学3年生。
組体操、最後のリベンジのチャンスでしたが、6月末から完全不登校。
9月からの運動会の練習にも本番にも参加することなく、
ケン太の夢は叶うことなく終わりました。
あんなにやりたかった組体操。
一度もやれなかったなぁ。
なんか、それを思うと、かわいそうになりましたね

でも、その時こと・・・
今でも、忘れてはいないし、思い出そうとすれば思い出せるのですが、
今は、おそらく、これから先も?あの時の感情のままではないということ。
あんな時があったなぁ~という程度のことになっています。
そう思えるのは、ケン太にとって、すでに過去のことになっているからだろうと思います。
あの時は「組体操」をやりたかった。
でも、20歳過ぎの今のやりたいことではない。
あの時、やれなかったことを、今でも思い出すと暗い気持ちになるということもないと思います。
時は流れるんですね。
運動会に出れない。
修学旅行に行けない。
そんな我が子を前に、親は、不憫でかわいそうで、いたたまれない気持ちになります。
親が自分自身を振り返っても、学校生活を彩る思い出深いイベント。
だからこそ、出させてあげたい。行かせてあげたい・・そう思ってしまいます。
でも、それは結構、親の思いの方が先行してしまっている場合があります。
今は運動が苦手で、体育の授業を受けたくなくて休んでしまう子がいます。
そういう子にとって運動会は苦痛でしかない。
集団行動やコミュニケーションが苦手な子は、修学旅行に不安を抱えています。
実際に先生に「行かない」と宣言した子を知っています。
そういう子が増えてきていると思います。
皆が皆、楽しみにしているわけではないんです。
私たちの時代とは違ってきているように思います。
親のための「運動会」
親のための「修学旅行」
そうなってしまっている場合もあるんじゃないかと思います。
親ってもう大人で、出来上がっているので、そうそう変化するものでもないです。
子どもに起きたことも、ついこの間のように思い出せます。
でも、子どもはどんどん成長していき、環境も変わっていき、
年齢とともに興味もどんどん移っていきます。
だから、嫌なことも、どんどん過去のものになっていきます。
いつの間にか親が心配した程ではなくなっていたりします。
その時の子どもの感情は受け止めてあげても、
あくまでも、その時ものも。
だから、そんなに、落ち込まないでください。
何時までも引きずらないでくださいね。
「かわいそう」「不憫」
それはあくまでも親の主観です。
子どもが必ずしもそう思っているわけじゃありません。
親が「かわいそうな子」にしないでくださいね。
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