ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「やるべきことさえ、やってくれれば・・・」

2021-08-01 23:57:19 | 思うこと
「やるべきことさえ、やってくれれば・・・」

そう思われたことはないですか?

「ゲームをやってもいいけど、勉強さえしてくれるならば・・・」とか?

ケン太が不登校になった時、私達夫婦は、その事態に狼狽し、
なんとか学校に向かわせようとしましたが、どう働きかけても動かない。
主人は、学校に行かせることを諦め、こう言いました。

「別に学校に行かなくても、勉強さえやればいいじゃない」

でも、勉強はしませんでした。
かえって、ゲームに没頭するのみでした。

ケン太は、その時、小学生でしたが、その後、中学校、高校で不登校になった時にも、
不登校中、家で自主的に勉強することはなかったです。

それはケン太だけでなく、不登校中は勉強が手に付かなくなる子が多いらしいです。

学校に行けなくなった子にとって、勉強は学校を連想させるもの。
勉強したって学校に行けるのか?行けないなら勉強する意味があるのか・・・
自分が置かれている状況をいろいろ考えてしまうので、そこから逃避したくなる。

そしてゲームに没頭してしまう。
ゲームは勉強していない自分と向き合わなくてもいい最強ツールなんですね。

でも、決して完全に勉強のことを忘れているわけではないと思います。
常に襲ってくる不安に押しつぶされそうになるからこそ、現実逃避したくなる。

言い換えれば、気持ちは「学校」に向かっているのだと思います。
「本当は学校に行きたい」という気持ちも持っているんだと思います。

一方、家で勉強できる子は「学校なんて行かなくてもいいや。家で勉強すればいいし・・・」と、
学校に拘らないため、気持ちを切り替えられるのだと思います。

「学校に行けなくなった子」ではなく「学校に行かないと選択した子」なんだと思います。

後は「来週から行こう」「新学期から行く」と、登校に前向きになれた時には、
遅れを取り返そうと、勉強に気持ちが向くことができる。

ただ、当日、やはり行けないとなった場合、また現実逃避が始まってしまうかもしれません。


不登校中、まったく勉強から遠ざかっていたケン太が、再び、勉強に向かうことができたのは、
再び、登校できるようになってからでした。

小学6年で学校に戻った時も、不登校のまま中学を卒業して、高校から再スタートを切った時も、
水を得た魚のように弾んでいたし、勉強面でもやる気を取り戻すことができました。
高1の時の授業ノートはケン太史上一番、キレイな字で書かれていました(笑)
「授業に穴を開けたくない」という言葉も。

勉強するために、学校に戻ったのではありません。
学校に行くようになり、友達とも遊べるようになり、気持ちが明るくなり、いろんなことに前向きになれて、相乗効果で、勉強にも気持ちが向かった。
そんな感じだったと思います。

ケン太には、やはり「学校」が必要なんだと思いました。


ところで、最初に戻りますが・・・
(少し、話が反れてしまったかも?

「やるべきことさえ、やってくれれば・・・」

この「やるべきこと」って何でしょう?
やはり勉強ですか?

長くなるので、次の記事にしますね。



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