ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「弱さ」を見せる「強さ」

2018-04-27 23:20:06 | 思うこと
誰とは言いませんが・・・

あるアイドルの謝罪会見を見ていて・・・

大の大人がうなだれて涙を流している姿をみていると、
じゃあ、なんで?という気持ちもありますが、
だんだん、切なくもなってきました。

ご本人も認めていますが、
人間って「弱い」部分があります。

お酒に依存してしまうのも、そういうことかもしれません。

「もっと強くなってほしい」というコメンテーターの声がありましたが、

ある方は、

「強さというのは、弱さをみせる強さというのもあると思います」と。

(同じ言葉じゃないかもしれませんが、だいたいこんな感じ


ほんと、その通り!・・・と思ったのです。

「弱い」なら「強く」なる。

そう思ってしまいがちだけど、
それは「弱さ」を打ち消すということ。

打ち消そうとすると「弱い」部分をさらせなくなる。
「強く」なっていけば「強く」なっていくほど。

そして、頑張りすぎてしまう。

そして、どこかで息詰まる。



最近の不登校って「優等生タイプ」が多くないですか?

頑張りが効かなくなり、力尽きてしまう。
そんな子が多いです。

(親の操作に限界がくる・・・という場合も?

成績が下がったことを気にしてテストを受けないとか?
イベントに穴をあけたことで責任を感じてしまうとか?

そんなきっかけで休んでしまう。


ケン太が高校の時の不登校のきっかけは、
知らないうちに学校説明会のメンバーに入れられていたことです。

何をやるか知らされていなくて(皆も知らされていなかったと思うけど)
当日ボイコットしてしまいました。

ボイコットしたことで行きにくくなるという
負のスパイラルに陥るというパターン。

その時、先生や友達に「嫌だ~」って言えていれば、どうだったかな?

そんな弱音をみせるのは、かっこ悪くて言えなかったのでしょうね。
ケン太のプライドが邪魔したともいえます。

言えないのなら、そこで意を決して頑張れる「強さ」を見せられればいいけれど、
結局、お休みすることを選択してしまうわけで

あの時「弱さ」を見せる勇気を持てていればなと思います。



「できる自分」は誰でも受け入れられる。
そうであり続けたいと願うものだからね。

でも、一番、受け入れなければならないのは

「ダメな自分」なのではないかな?

ダメなところがあったっていいじゃない・・・という柔軟さ?


「弱い」部分をさらけ出すのは怖いこと。
勇気がいること。

でも、それができたら、肩の力を抜くことが抜けますよ。
頑張らないとダメという縛りから解放されますよ。

人にも寛容になれますよ。

「弱い」部分を認めることができる「強い」人間になれますよね?



「いい子」であることを望まないこと。
「できる子」であることを望まないこと。

どんな子であっても、かわいい我が子・・・のはず。

子どもを縛ってはいけないね。

ただ、ただ、我が子の存在をそのまま受け入れること。

それができたら・・・

子どももどんな自分であっても、そのまま受け入れることができるんじゃないかと思います。






ランキングに参加しています!
ポチしていだだけたら嬉しいです
     ↓
にほんブログ村






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする