昨年の11月23日、やっと金沢春友さんの著作(手持ち5冊目『黒風白雨九十年』)を読み終えました。塙町や矢祭町のこんにゃくで得たお金が、水戸藩の勤皇の志士を支援する資金にあてられていたとか、とくに矢祭町はこんにゃくの出荷拠点として発展し、今日に至っていることを知りました。
また、金沢春友さんの奥様(愛子さん)は、留守がちな夫との暮らしの中で、たくさんの短歌を密かに書き溜めており、愛子さんの死後、夫である著者がその短歌と向き合い『山桑の花』として出版するのです。
歌集の中で、私が感動したの短歌を紹介させていただきます。
・あら土を ぬきて萌え出し 蕗のとう とびとびながら 日に青く冴ゆ
・夏山も また面白し 矢まつりの 奥久慈川に 影うつすなり
・人前に 見する歌には あらずとも 心にかなふ ひとふしもかな
・ゆらゆらと かけづり登る 朝霜白し 麦ふみに行く
・鍬さばき いつしか慣れて 一かどの 宿世なるらし 農婦となりぬ
・後手して 麦踏み進む 畝隣り 二人並びて 行くが親しき
・雪に明け 年改まれども 夫居らず 雪の一日を 炬燵に篭りぬ
・夏の夜の 更くるも知らで 歌作る 気兼ねする人なし 歌ありき
・かたくなの 夫に事へて 幾年ぞ さからわぬほどに 我は老いしか
・才能も 趣味も相合う 妹背(いもせ=夫婦のこと)なるに いさかひ続けしと 誰が思ふべき
そんな奥様は、夫が何度も滞在した鎌倉の大仏次郎さん宅をご夫妻で訪れたり、歌舞伎座で大仏次郎さん原作の舞台を観劇したり、塙町の自宅に大仏次郎さんが来訪された時には誠心誠意ご歓待されたのです。
愛子さんが永眠された後、大仏次郎さんが塙町を訪れ、百合の花を墓前に供えた写真も残っており、水戸のお嬢様として育ち金沢春友さんと結婚したものの、常豊村議〜常豊村長〜塙町長にして、福島県内はもとより、遠方まで駆けずり回った郷土史家を支えた愛子さんのご苦労は、並大抵のことではなかったと思います。