西條奈加 著
金の亡者といわれる金貸し・お吟のところに、浅吉という男が押し掛ける。
烏金(からすがね)とは、翌日烏がなくまでに返さなければいけない、つまり
一日だけ借りる高利の金のこと。
貧しい人たちが、商売の仕入れをするために、その日の食べ物を買うために借り、
さらに貧しさを募らせるような借金だ。
ところが、浅吉が来たことで、この商売は大きく変化する。
ぐるぐると回転するだけで、お吟のところにわずかな利益をもたらすのみの金。
これを新しい発想で生かし、ふやし、商売を広げさせ、そして当然貸した金と利息を
回収する。
浅吉の頭脳の基礎になっているのは和算だ。江戸時代に農閑期や金持ちの道楽として
高レベルの和算が広まっていたのは聞いたことがあったが、数字を理解する楽しみや
それを現実の商売に展開する応用力には感心させられた。
今のことばでいえば、数字に強く、時流を読む先見性と企画力があり、実行力まで
ともなったビジネスマン、みたいな感じか。かっこいいなあ。
もちろん、浅吉がお吟をもうけさせるためだけに現れた福の神であるわけがなく、
そこにはさまざまな事情があるのだが。
浅吉にまとわりつく勘左という烏がなかなかの存在感。
しっかりした時代考証と、斬新な切り口のマッチングはさすがの西條奈加と思わせる。
金の亡者といわれる金貸し・お吟のところに、浅吉という男が押し掛ける。
烏金(からすがね)とは、翌日烏がなくまでに返さなければいけない、つまり
一日だけ借りる高利の金のこと。
貧しい人たちが、商売の仕入れをするために、その日の食べ物を買うために借り、
さらに貧しさを募らせるような借金だ。
ところが、浅吉が来たことで、この商売は大きく変化する。
ぐるぐると回転するだけで、お吟のところにわずかな利益をもたらすのみの金。
これを新しい発想で生かし、ふやし、商売を広げさせ、そして当然貸した金と利息を
回収する。
浅吉の頭脳の基礎になっているのは和算だ。江戸時代に農閑期や金持ちの道楽として
高レベルの和算が広まっていたのは聞いたことがあったが、数字を理解する楽しみや
それを現実の商売に展開する応用力には感心させられた。
今のことばでいえば、数字に強く、時流を読む先見性と企画力があり、実行力まで
ともなったビジネスマン、みたいな感じか。かっこいいなあ。
もちろん、浅吉がお吟をもうけさせるためだけに現れた福の神であるわけがなく、
そこにはさまざまな事情があるのだが。
浅吉にまとわりつく勘左という烏がなかなかの存在感。
しっかりした時代考証と、斬新な切り口のマッチングはさすがの西條奈加と思わせる。
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