ちょっと古い話ですが、民放ドラマの話です。
ドラマはNHK大河以外はほとんど見ないのですが、「ハケンの品格」は人から薦められて、途中から見ました。娯楽的ドラマに変わりはないとは思いますが、最終回に主人公が発した言葉「働くことは生きることです。」がなぜか、多くの人に感動を与えたということを聞いて、ちょっと考えました。
そもそも働こうが働くまいが、死ぬまでは生きるしかないのが人間なので、何か特別なことを言っているのだろうか?とは思いましたが、おそらくこの言葉の前提としては、「どうせなら働かずに楽して生きたい。働かないで食っていける方がよい。」というものがあるのかもしれません。それに対して「働くことは生きることです。」とは、甘えてはいけない、働き甲斐を見つけなさい、という教訓的・道徳的ニュアンスがあるように感じられました。
「楽して生きる」ということに何の価値も認められないことは、池田晶子さんが常々書いておられたことです。「生きる」ことに価値があるのではなく、「善く生きる」ことこそ価値があるのでした。
そして働くことは、それが「働かなければ食えないから」というように生活の糧を得るのが目的であれば、それは「食うために生きる」のであって、単に「生きる」ことと変わらなくなります。
池田さんは、プロとは仕事に覚悟を有する人と定義づけました。単に生存することよりも、生きて何をするのかが重要なのですね。それを前提に最初の言葉を考えると、「働くこと」が「善く生きる」ためであること、であれば、より肯定的にとらえることができます。
あえて言い換えれば、「覚悟をもって働くのであれば、それこそ善く生きることである。」ということでしょうか。
ドラマはNHK大河以外はほとんど見ないのですが、「ハケンの品格」は人から薦められて、途中から見ました。娯楽的ドラマに変わりはないとは思いますが、最終回に主人公が発した言葉「働くことは生きることです。」がなぜか、多くの人に感動を与えたということを聞いて、ちょっと考えました。
そもそも働こうが働くまいが、死ぬまでは生きるしかないのが人間なので、何か特別なことを言っているのだろうか?とは思いましたが、おそらくこの言葉の前提としては、「どうせなら働かずに楽して生きたい。働かないで食っていける方がよい。」というものがあるのかもしれません。それに対して「働くことは生きることです。」とは、甘えてはいけない、働き甲斐を見つけなさい、という教訓的・道徳的ニュアンスがあるように感じられました。
「楽して生きる」ということに何の価値も認められないことは、池田晶子さんが常々書いておられたことです。「生きる」ことに価値があるのではなく、「善く生きる」ことこそ価値があるのでした。
そして働くことは、それが「働かなければ食えないから」というように生活の糧を得るのが目的であれば、それは「食うために生きる」のであって、単に「生きる」ことと変わらなくなります。
池田さんは、プロとは仕事に覚悟を有する人と定義づけました。単に生存することよりも、生きて何をするのかが重要なのですね。それを前提に最初の言葉を考えると、「働くこと」が「善く生きる」ためであること、であれば、より肯定的にとらえることができます。
あえて言い換えれば、「覚悟をもって働くのであれば、それこそ善く生きることである。」ということでしょうか。
荻原博子 幸せな老後への一歩 第37回
「長生きしすぎるリスク」への備えは 生命保険ではなく、やはり「現金」
やっぱり来週から買うのやめました。