かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

六十にして耳順(したが)う(1)・・・「社会の自由」って?

2012-08-08 04:48:23 | サイエンズ研究所のある暮らし

 孔子さんは、論語で「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。

六十にして耳順う。七十にしてこころの欲する所に従いて矩を踰えず」と

言っている。

 

 今年65歳。「耳順」の年代だ。

 「天命」については、うっかり”さとる”のを怠った。

 「耳順」の解釈はいろいろあると桑原武夫さんはいう。

 「六十になると、自分と異なる思想を聞いても、それが素直に耳に

入り、いちいち反発しなくなった」

 じぶんを振り返り、ここに焦点をあてているが、未だしだ。

 

 歴史のなかに、おいてみると、耳順は「亡命中の苦しい体験から異説

をも素直に聞きうる心境に達した」とも読めるらしい。

 

 桑原さんは、孔子さんといえども人間で、老齢は避けられないと観る。

 「耳順は、自覚的努力というより、生理の作用する寛容、あるいは

原理的束縛からの離脱であることがすくなくないのではないか」と。

 「よく言えば素直だが、あくまで突進しようとするひたむきな精神の

喪失・・・」衰えがかくせない。

 

 わが身をふりかえり、どんなあたりだろうと、しばし立ち止まる。

 

 2年前に鈴鹿に引っ越した。

 それまでは、40年ちかく、集団の暮らしだった。

 鈴鹿では、サイエンズ研究所とサイエンズスクールを、じぶんの

暮らしのなかにおきながら、日々をおくりたいと願った。

 サイエンズ研究所の会員になり、サイエンズスクールの会員でも

ある。

 

 最近、研究所主催で”カレッジ”というコースがいくつかできた。

これは、毎週一回、2時間、いろいろなテーマで検討する。

「人は環境の子」というコースに参加している。

 先日、「生い立ちのなかの経済生活、お金」というテーマで発表した。

 発表しながら、「自分」といっても、すべて環境から受けてきたものの

集積だなあと感じた。同時に、これまで、そのような自分を成り立たせてきた

周囲社会を冷静に観察、検討することなく、否定や無視や逃避をくりかえし

てきたのかなあ、とおもった。

 

 月一で、”サイエンズ研究所サロン”という機会がある。

 土曜日の午後と月曜日の午前、2時間、いろいろなテーマで検討する。

 先回は、「社会の自由」

 資料には、研究所が2009年7月に発行した「研鑽科学 創刊号」の

なかの、「人の自由 社会の自由」の項が使われた。

 

 「社会の自由」と読む。そうすると、もうじぶんのなかで「自由な社会」と

読み替えている。

 「自由な社会」と言ったら、”じぶんにとって自由な・・”に力点をおいている。

 それは、それでないがしろにできないテーマだろうが・・。

 今回のテーマは、「社会の自由」

 こんな表現は、かんがえてみたら、はじめて。

 検討は、ここからはじまった。

                                            (つづく)