かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

Y校 林玲子先生

2012-08-14 04:56:10 | わがうちなるつれづれの記

 記憶はあまりあてにならないかもしれない。

 後で、じぶんなりの脚色や物語を編んで、なんども振り返っているから。

 内観という手法で、過去の記憶のなかの場面を思い出して、それを

そのまま観ていくと、意外なことが発見される。

 9月に、サイエンズスクールの内観コースに行くつもりだ。3回目。

 

  中学時代は優等生だった。期末テストをすると、いつも上位6番以内

に入っていた。じぶんの実力とはおもっていなかった?


  高校は、神奈川県下から集まってくるY校(横浜商業高校)に

通った。


 1年の新学期、数学の先生と激突した。おやじまで呼ばれて、叱られた。

 以来、数学は放棄してしまった。というと、カッコ良すぎるが、じっさいは

微分だ、積分だについていけなかった。

 

 国語は好きだった。

 記憶に間違いがなければ、国語は林玲子という名前の女先生だった。

 背のすらっとした、理知的な人だった。

 作文を書かされた。褒められたことがある。けっこう、有頂天になっていた。

 林先生は作文を書かせ、あとで赤ペンで講評を書いて、生徒に戻すのを

授業の一手法にしていた。

 

 「夕暮れ」という作文を提出したことがある。

 内心、「結構いい出来だぞ。先生から、また褒められるかも・・」とおもって

いた。

 ところが、もどってきた作文の最後の赤ペンが、「あなたは一方的な

見方すぎる。その人たちが、どんなことをおもっているかは、そう簡単に

断定できない」みたいなことが書いてあった。

 ガーン。

 

 このガーンが、結構じぶんのなかに長く尾を引いた。

 言えば、じぶんの内面のテーマをその時、あきらかにされた!ぐらいの

ショック、というか恥ずかしさをともなって、内面に向き合うキッカケを

もらった。

 もちろん、その後、そんなことはいつの間にか忘れて、結構わがもの

顔に今まで通り、ヤンチャをしていたとおもう。

 でも、どこかこころの隅に、そのガーンがしっかりあったと感じる。

 

 2年前、30余年暮らした津から鈴鹿に引っ越す際、押入れに

つっこんであったダンボールの中から高校のとき書いた作文を

見つけた。

 このダンボールは、27歳のとき、家を離れるとき、置いていった

もの。おやじが物置にしまってあったものを、兄が見つけて、何年か

前、引き取りにいって、残っていた。

 

 「夕暮れ」という題の作文の最後に赤ペンで、林先生の筆跡で

書いてある。

 

 ーー文章はうまい。批判的な点も若さがあってよい。

    ただ、独断的に相手をきめてしまうことについて、問題がある。

    あなたの見方のような考え方の人たちだけではないかも知れない。

    そのあたり弾力性がほしいようにおもうのだが・・・--

 

 よく見ると、その講評文の上に、丸く囲んだなかに、もう一つ書いてある。

 

 ーー狭い かたよった感じが 強いーー

 

 「講評文だけでは、足りない、もうすこし、言っておいてやりたい」

 そんなに先生がおもったのか?どうだったんだろう?

 

  振り返ってみると、30歳ぐらいから、林先生に言ってもらった、

「独断的にきめてしまう」ことについて、それをずっと暮らしのテーマに

してきた。

 林先生に、感謝の気持ちもこめて、無性に会いたくなった。

 母校Y校に電話して、昭和37,8年当時在籍していた林先生の

消息を尋ねてみた。

 いろいろ調べていただいて、もう亡くなっているという返事がもどって

きた。

 「どうも、ありがとうございました」と言いながら、いまさらながら、

林先生の一言の大きさをおもった。

 林先生に出会わなくとも、別のかたちで、じぶんの恥ずかしいものに

向き合うチャンスもあったかもしれない。

 そのとき、歯に衣着せず、はっきり先生の気持ちを書いてくれた、

それだけでなく、「君の人生にとって、大事なところだよ」と、さらに

「とどくかなあ」と一言添えてくれた・・・

 物語をじぶんでつくっているみたいだけど、正直、ここのことは、

どこかで、こころに刻んでおきたかった。

 

 「夕暮れ」という作文は、今読むと、顔から火が噴きだすかと

おもうくらい、恥ずかしい気持ちになる。

 以前、中学生とか、高校生が、正義感から橋の下で暮らしている

浮浪の人を殺したりする事件があったりした。

 その作文は、そういう事件に至りかねない種をはらんでいた。


 

 これからも、おそらく、このテーマはじぶんの基調低音となって、

じぶんの本心をたずねる旅に随伴することになるだろう。