とくに濃密に接したわけでもなく、深く話し込んだこともないのに、
ときにその人の存在が自分の中にでてくるような人がいる。
そういう人のなかの一人の人が、最近亡くなったと風の便りで
知った。
40年ほど前、共同体で暮らしはじめるとき、その人の部屋に
行き、挨拶した。
「これからよろしく」と言ったら、「ああ、そう」と、ぼくの記憶では
とてもあっさりした反応なので、印象に残っている。
多分、ぼくの方は相当、意気込んでいたのではないか。
だいたい、意気込まないとできない、というような生き方をして
きているので、何かのおり、ふとわれに返るようなとき、この
「ああ、そう」が浮かんでくるくるときがあった。これは、消せない。
もう、10年以上前になる。
その人にぜひ来てもらって、意見を聞かせてほしいという話が
あり、ぼくは「来てほしいと言っているのですが、行けませんか」と
その人に伝えた。
「いや、今は、行かない」ということだった。
何回か伝えたけど、行くとはならなかった。
そのときのこと振り返ると、その人が行くことで、行った先の人たち
が仲良くならない、その点に心を注いでいるように感じた。
いつも、静かな人だった。騒がない人だった。
やることは、はっきりした考えのもと、迷いなくやっていた。
寡黙ななかに、情も感じられた。
その人が死んでも、その人から現れていたもは、ぼくのなかに
生きている。
合掌。
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