かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

その人は死んでも

2016-09-04 12:08:29 | わがうちなるつれづれの記

とくに濃密に接したわけでもなく、深く話し込んだこともないのに、

ときにその人の存在が自分の中にでてくるような人がいる。

 

そういう人のなかの一人の人が、最近亡くなったと風の便りで

知った。

40年ほど前、共同体で暮らしはじめるとき、その人の部屋に

行き、挨拶した。

「これからよろしく」と言ったら、「ああ、そう」と、ぼくの記憶では

とてもあっさりした反応なので、印象に残っている。

多分、ぼくの方は相当、意気込んでいたのではないか。

 

だいたい、意気込まないとできない、というような生き方をして

きているので、何かのおり、ふとわれに返るようなとき、この

「ああ、そう」が浮かんでくるくるときがあった。これは、消せない。

 

もう、10年以上前になる。

その人にぜひ来てもらって、意見を聞かせてほしいという話が

あり、ぼくは「来てほしいと言っているのですが、行けませんか」と

その人に伝えた。

「いや、今は、行かない」ということだった。

何回か伝えたけど、行くとはならなかった。

そのときのこと振り返ると、その人が行くことで、行った先の人たち

が仲良くならない、その点に心を注いでいるように感じた。

 

いつも、静かな人だった。騒がない人だった。

やることは、はっきりした考えのもと、迷いなくやっていた。

寡黙ななかに、情も感じられた。

その人が死んでも、その人から現れていたもは、ぼくのなかに

生きている。

合掌。


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