政治家とは「みんなやっているから問題ない」って言える人たち、島岡美延です。「知らなかった」といえば忘れてくれると思う人たち。
夏休みの高校生インターンと接する機会がありました。別々の私立女子校の1年生と3年生。13歳や15歳から「マスクをつける」生活が当たり前の彼女たち、驚いたのは、コロナの収束に関係なく「この先もずっとマスクを着けたい」という意思が相当、固いこと。
「マスクの下の顔を勝手に想像されて(外すと)勝手にがっかりされる」ことへの恐れ、ストレス。素顔を知っている仲間だと、誰かが外さないから自分も。運動部でマスク外していいと言われても、汗だくで練習。うーん、人生の一番多感な時期のマスク習慣、外すことへの抵抗は私の想像をはるかに超えています。
スマホは明らかに「依存レベル」だという彼女たち。忘れたら「することがない」状態に陥る・・・。小学生の頃からスマホに触れている世代。「使うな」はムリだし、SNSとの距離感、なかなか難しそうです。
すでに情報を得る手段として、新聞は終わっているという。ところが、一方で信頼できる情報源として一番高いのが新聞とも。このねじれにはどう評価すべきか悩みました。
なんということは関係なく、この国の国民のDNAである、物事を変えることへの抵抗感が若い人にも着実に染み込んでいて、マスクを外すのはとてつもなく高いハードルのようですね。外などで意識して見ていて、外している人の多くは比較的年齢の高い人のような。
むしろ若者の方が外せない…島岡さんおっしゃるように多感な時期の習慣になってしまったかと。
何を信じ、どう行動するか自分で考えない、人に合わせるという行動原理がもたらすものは大きそうです。
この高校生たち、朝日小学生新聞の読者だったけど、今や家で新聞はとっていないそう。近所でも「古新聞」を出す人が激減しているし、デジタル版に移行するというよりは、ニュースはネットなどで十分という人が増えているのでしょうね。
自分の好みにあった記事しか出てこない、そうして作られていく各人の思想。もはや「自分で考えている」のかどうかもわからなくなりそう。