宝塚歌劇団がパワハラを認め、遺族にやっと謝罪、島岡美延です。夢の舞台の裏で行われていた時代錯誤ぶり。学校でも聞く「いじめとは認められない」という言葉、自分や家族が当事者でも、そんな報告できますか。
人間とは誰かと繋がって生きていくもの、でも今、あまりに「つながりすぎ」では――。田中真知(マチ)著『風をとおすレッスン』(創元社)を読みました。エジプトに8年滞在し、中東やアフリカを旅した彼の言葉を列挙してみます。
「私」は他者によって作られる。「むだ」こそが自分だけの人生の経験となり、固有のものの見方や感じ方を育てる。好みの中にいるのは快適だが快適さが檻になったらかえって生きづらくなりかねない。日本人は協調性があるというが立場が下の者が相手に合わせたり服従しているだけのことも。自分たちの欲望を死者の願いにすり替えて語るのは死者の利用。
間が持てない気まずさ、その間にとどまってみる――、人生はそういうもので出来ている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます