妻のメモ書き

机の片隅に、家内の字で、紙片に書かれたメモ書き。そこには、こうあった


芳彦 ○○さま、△△さま、本日はお日柄も良く、まことにおめでとうございます。ふつつがらご両家のご結納を取り次がせていただきます。本来ならば私どもがご両家に持参するはずのものでございますが、略儀をもちましてこの場で、幾久しくご結納をお納め願いたく存じます

×子 ○○さまからのご結納の品でございます。幾久しくお納めください。
△△さまからのご結納の受書でございます。

芳彦 これで、ご両家のご婚約はかたくととのいました。本日は、まことにおめでとうございます。

「現代マナー辞典」、結納中の口上である。

家内は、今日の結納の仲人の大役を真摯に受け止めて必死である。かわいいと思う。

それに比べて、私は仲人の口上くらいはどうということはない、両家に礼を尽くし、お祝いの真心をもって臨めば、大丈夫だと知っているから、のんびりモードなのだ。

夕べ、住職室へ「マナー辞典」の結納のページにしおりを挟んでもってきて言った。

「あなた、ちゃんと、これ読んで頂戴よ。いろいろ、あなただって言わなくてはいけないことがあるよの」

がはははは。こういう時の生返事は危険だということは26年一緒にいるからよく分かる。

そこで、娘を呼んで、両家の代役にさせ、和室でリハーサルと相成った。

私は大意をつかんで、その場の雰囲気で口上を述べようと思うが、家内はそうはいかないらしい。
セリフを一言一句間違えないように、小学生の学芸会並の言い回しである。すごく、初々しくて良かった。

今日をかぎりに離婚届に印を押す夫婦もいるだろう。

そして、今日、晴れの日本伝統の婚約式を迎えるカップルもいる--そういう話である。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


「暑い暑いというそのうちに・・・」

「暑い暑いと言うそのうちに、いつか頭に霜が降る」---そんなことを実感する年齢になりました。あはは。

 51歳で迎える初めての梅雨。去年とは違います。昨年は50歳でしたし、まだ長男は副住職になっていませんでしたしね。

 東京は予報では「雨」らしいのに雨がちっともふらない日々の江戸川区。ただただ、蒸し暑く、暑いばかり・・・。

 そんで、夕方お墓お参りに来た方に、お線香をつけながら、思わず出た言葉が
「今日はテレビをほとんど見てないんですけど、梅雨明け宣言はでたんですか?」
「さあ」

--で、住職室へ戻って、メールをチェックして、その返信で最初の挨拶を書きながら、我が身の至らなさに気がつきました。

 私は「梅雨明け宣言」を聞かないと、この暑さを納得できないのだな・・・と。

 この暑さにも、辻褄合わせを求めている自分。あはははは。

 辻褄合わせなどしなくても、この暑さを楽しむこはできるはずなのに、と。ぐははは。

 来年の夏は・・・、否、今年の冬の寒さも辻褄合わせをしないで、楽しめるようになりたいと思います。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ってやんでぇ・・・

偶数月に行っている密蔵院の「浪曲の庭」。

入場は無料だが、チャリティボックスを入れ口に置いてある。

買い物などに行って、親が子供にすぐに手をあげたり、罵声を浴びせている姿をみると、とても心が痛む。そのような家では、家庭内暴力と日常のコミニケーションの境界線が限りなく曖昧なのだろうと思い、悲しくなる。

夫や親や彼氏の暴力によって、着の身着のままで逃げ出す人はいる。保護を求める人もいる。そういう人たちを一時保護する場を「シェルター」という。その保護施設での当座必要な日用品を買ってもらおうと思い、それをチャリティの目標にした。

もちろん、シェルターの場所は公にはされない。どんな不届き者が追いかけてきたり、仕返しにやってくるかわからないからである。

浪曲は「義理人情」の世界を、笑いと涙で語る話芸だ。だとすれば、その浪曲を聞きにくる方々は、その世界に共感を抱く人たちだろう。

第一回から第12回までで、27万円があつまった。幸か不幸か江戸川区にはシェルターはないというので、「子供支援」への指定寄付をさせていただいた。

第13回から第25回までで、264972円が集まった。今回は「家庭内暴力被害者救済」という指定寄付をさせていただいた。

そうしたら、先日江戸川区の女性センターから電話があった。

「家庭内暴力被害」の啓蒙活動のための名刺大のカードを、区内の施設や産婦人科、トイレに置いていたのだけど、そのカードを入れるためのプラスチックケースを作らさせいただきましたという内容だった。今までは名刺入れのような箱に積んでいただけだったそうだ。
こんどのは、正面からきっちり見える。

皆さんからいただいた寄付がこういう形になった。ありがたいと思う。かのセンターの職員さんが、8月2日の「浪曲の庭」には写真を撮りにいらっしゃるそうだ。

暴力被害をうけている方(彼氏からもれっきとした犯罪です)は、早めの相談をしたほうがいい。あるいは警察へ駆け込むか、近所のお寺に駆け込みなさい。密蔵院でもOKですから。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


「いい奴」だと思う人は・・・

 お盆なので実家へお参りに行ってきた。車で5分のところだから、ヒョイと行ける。

 第一陣は家内と長男、次男。バトンタッチして私。
 娘は学校なので行っていない。きっと明日行くのだろう。

 その娘は週末は「京都大作戦」という音楽イベントにでかけていた。卒論のテーマらしいから仕方ないが、選挙の投票にも行っていない。期日前投票という手もあったのに、そしてせっかく投票権を得て2年目なのに勿体ないと思う。

 二十代前半の若者が、「選挙の投票行ったよ」「お墓参りしてきたよ」と当たり前のように言ったら、私はとても、カッコイイと思う。
 もう無条件に、「いい奴だ」と思うに違いない。

 行かない人に言っても、「行かなかったこと」への批判にしか受け取らないかもしれないが、目先のことばかりを追いかけず、しっかり心豊かに生きればいいと思う。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


太陽=お天道さま

お天道(てんとう)さま、とか、お日さまって言わない人が増えたように思うのは私だけではないだろう。

雷さま、然(しか)りである。

でも、お日さま、おてんとうさま、かみなりさま--こう言える感性がないと、なかなか今日からの(東京の)「お盆」は過ごせないような気がする。

 亡き人が帰ってくる・・・居ますがごとくのおもてなし。じつはこうした感性が土台になって、私たちの豊かな日常ができあがるのだと思う。

 今年の夏は、例年以上に「お天道さま」や「雷さま」という言葉を使おうと決めた。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


力のある大人が、本気で遊ぶと・・・

昨日は、奇数月の日曜日の夕方4時から始まる「法話の辻」。13人の方々で和気あいあい。

何を話すか、何をするかは、ほとんど前日決めている。んでもって、昨日は・・・

「お釈迦様と、お釈迦様を悟らせたチカラの関係」
「香りのおもてなし、お焼香について」
そして、腕輪念珠作り。

念珠を作り終わった人から、茶話会・・・。いただいた、枝豆、お新香、サンランボなどをツマミながら。

ほんと、アッという間の二時間半でございました。

皆さんがお帰りになって、片づけを終えるころ、長男が「映画観たいよね」

「おお、行こう、行こう」ということで、「トイストーリー3」3D吹き替え版へ。

 とてもヨカッタ。チカラのある大人たちが本気で遊ぶと、こういう映画ができるのだと晴々とした気分になった。
 オススメです。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


恋に焦がれて・・・

空気中よりも水中のほうが音がより伝わるのは良く知られた話だ。

しかし、土中も水中と同じくらい伝わるらしい。

密蔵院の土のなかでは、蝉の幼虫たちによって、こんな会話が交わされている。

「ねぇ、そろそろいいんじゃいな?」
「うん、僕もそう思う。そろそろ出ようよ」
「でも、大丈夫かなあ」
「何が?」
「だって、出でさ。ほかに仲間たちが出ていなかったら大変でショ」
「だねぇ。7年も土のなかにいて、外へ出で、羽のある姿になったら、あと一週間で死んじゃうんだものね」
「そうだよ、その一週間の間に、伴侶を見つけないといけないんだよ」
「出てみたら、まだ誰もでて来なかったなんて、洒落にならないしね」
「そうだよ。恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がすってね」
「なんだか7年も土のなかにいる間に、風流な言葉を勉強したんだねぇ」
「うん、けっこう暇だったからね」
「それにしても、外からの温かさが土の中にも浸透するくらいだからさ。そろそろいいんじゃない?」
「そんな気もするけど・・・どうする?」
「行く?」
「出る?」

 今年鳴く蝉は、小学校一年生と同い年。
 この夏、いったい全国で何百万の蝉が”恋に焦がれて鳴く”のだろう・・・。
---そんなことを思う、梅雨の暑さです。 


コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


あはは、「バナナの謎なのだぞ」再来。

 20年以上もご詠歌をご一緒にやってくださったご住職が遷化(せんげ、亡くなること)されたので、17日の通夜まで挨拶にいかないのは申し訳ないので、午前中に「お疲れさまでした。お世話になりました」とそっと肩をたたいて来た。90歳を越えてもお元気だった。

 で、密蔵院では14時から「読経の庭」。しっかりお経をみんなと読んで、たっぷり話がしたいところだが、あいにく15時から、地域の中学の体育館で、保護者の方々にトークをさせてもらうことになっているから、けっこうアワタダシイ。

 で、私は「何をしゃべるんだっけ?」とあわてて、パソコンを開いた。
 そうしたら、なんのことはない、レジメにタイトルはなかった。つまりタイトル無しの講演会である。ぎゃははは。
 でも、何を話すかは決まっている。冒頭は「バナナの謎なのだぞ」からスタートをする手筈になっていた。あははは。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )


縦横無尽に張られたシステム

 なぜほっと一息なのか・・・

 本のゲラの校正がさっき終わったからである。赤いボールペンのインクがかなり減りました。うははは。

 7月23日発売で、8月のお盆前には全国の書店に並ぶ段取りだそうです。

 三笠書房の〔知的生き方文庫〕に納まることになったので、これで私の本が3冊並ぶことになります。こういうのが、営業戦略なんでしょうね。

 タイトルはまだ発表できないんですが、
 お葬式にかかる金銭面はともかく、お葬式には今までとおりの形態のなかに、すでに先祖からの数多くの心あたたまるシステムが縦横無尽に張りめぐらされていることを、私流に書き下ろしました。

 この本で誰が勉強になるって、そりゃ私です。漠然と分かっていたことを、自分のなかで浮き彫りにできたような気がします。

 もちろん、お葬式が差し迫っている方だけでなく、日本人がつちかってきた精神文化論(エッセイかな?)として、お読みいただければ幸いです。

 さて、これより実家のご詠歌。前期最終お稽古。13時からですので、いつもより少し早いお昼。家内は「ぶっかけサラダそうめんだよ」と、てきぱきと台所で用意をしてくれています。
--グスン。ありがてぇ。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )


 静かな空間には、お香が似合う。

 今日の密蔵院--10時から16時までの、詠歌・ブラッシュ・アップ(EBU)講座は、13人の先生方が集まってのご詠歌の研修の場。私はガイド役。
 「120曲全曲とりあえずやってみっか!」コースの第二回目。

 境内が先生たちの車で一杯になって、檀家さんは「何があるんですか」状態。あははは。

 檀家さんのお寺なのに、住職が仏教を広めるために、勝手に客殿を使いたい放題の密蔵院でございます。檀家のみなさん、ありがとうございますす。うははは。

 ということで、先生たちが会津、木更津、古河、所沢、三郷、ほか都内へとお帰りになられたので、今度は明日の「写仏の広場」用に、客殿を模様替えで、一汗--つうか、大汗。

 明日のお手本の「お薬師さま」も静かな顔して、テーブルの上にセッティング完了(写真はイメージ)。

 テーブルと座布団が並べられている、誰もいない静かな、45畳の客殿の雰囲気はなんともいいものです。香りのいいお線香を焚いておこうと思います。

 だって、夜、家内が明日のために、床の間にお花を活けるらしいので。

コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »