ぃやってみましょう。ぐはははは。

外に出歩いていれば、出合いは当然増える。増えたところから、また新しい出合いがある。

今日は、「ご詠歌を唱えて、お四国を回りたい」という方々の、代表者二名の方が来寺。

たまたま先月の宗派のご詠歌の講習会に来ていた方で、「おもしろそうだから、この先生に習おう」ということになったらしい。

ご詠歌はまったく初めて、で、すでに10回以上回っている四国遍路だが、この秋は是非ご詠歌を唱えてまわりたいとおっしゃる。

お参り用のご詠歌を一曲、まったくの初心の方に集中講義。

うははは、初めての試み。お話をいただいた2週間前に「やったこたぁないけど、吉と出るか、凶と出るか、ひとつ、ぃやって、みましょう」と胸を叩いた。

たかが、2分弱の曲だが、3時間でも足りない。ご詠歌の難しさなのか、私がわざわざ難しくしているのか・・・もはや私にはわからない。ぎゃははは。

あと一回でできるようになっていただかないといけないから、責任重大である。

ほかにも、今日はずいぶんお客さんがいらっしゃり、明日以降の予定が入った。合間に、塔婆を25本書くのがやっとの7月5日である。

さて、夜は密蔵院の、前期最終のご詠歌。何人かは、今日の入谷の「朝顔市」に朝顔を出荷している方々だから、お休みが多いだろうが、また楽しい夜に二時間にしようと思う。
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メリットないじゃん。

沖縄には、本土のような仏教の宗派のようなものはない。どこかの檀家ということもなく、いつでもどこのお坊さんでも呼べるのだそうだ。

 先祖への感謝と、自然の神々たちとの共存。それが沖縄である。どう生きるか・・は、すでにその中に包括されている--豊かな土地である。

 今日のご法事の三回忌の主役は、その沖縄出身の方。ご兄弟も弟の三回忌に沖縄からいらっしゃった。

 で、法事の後座で、お寺の隣の料理屋さんでのこと。

 故人のお姉さんが「どうしてお坊さんは坊主頭なんですか」との質問。

 有髪が世俗の象徴であり、それを剃り落とすことで、出世間に生きることを表すこと、そして、実際問題として、朝起きても、どんな強風や雨に打たれても髪の毛を気にする必要がなく、そのぶん、心を磨く時間を作れることなどを、ベランメェ口調でご説明申し上げた。

 そして、お酒の力も加わって
「髪の毛がこんだけ短いと、髪の毛を洗うって言っても、ほとんど地肌と産毛みたいなもんですからね、メリットシャンプーなんて使ったって、メリットないじゃん!ってなもんですよ」

 ウケタ・・・。やはり沖縄の方だけに、坊主がこういうことを言うこと自体が、すでに想定外だったのかもしれない。

 まあ、こうして23時をすでき雨が降り出した東京ですが、今思うと、あの笑いは、嘲笑の類のような気がしてきました。ぐはははは。
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お預けの杯(さかずき)。

親の小言と昼飲む酒は、共に後から効いてくる・・・

そんなわけで、昨日のお葬式。火葬場から帰ってきてからのお斎では冷や酒を三合。喪主の奥様の実家の親戚の面々とのおしゃべり・・・。

普通なら三合程度では、どうということはない筈の私だが、昼間という時間がいけなかった。

帰宅してから、ダウンである(それでもウチワ20本に字を書いたのだから、我ながらアッパレである)。起き上がっても本調子に戻らぬまま就寝というテイタラク。ぐはは。

迎えて今日は、ご詠歌の先生たちの研修会。久しぶりの面々がそろって懐かしかった。

進行役を買って出て、研修の内容よりも、私にとっては、そのライブ感というか、即興性の中を進めるのがじつに楽しい会でした。

しかし、昨日までの連続稼働の披露に、今晩旧友と杯傾けて親交をあたためる気概は、更になく、車での行き帰り。
だらしない話だが、すこしばかり鋭気を養うの心得。ぐははは。

観音さまも、こんな私のアレコレを呆れておられることだろう。
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