風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

コロナ禍⑫日本モデル

2020-04-04 20:01:28 | 時事放談
 4月1日の専門家会議で「日本モデル」という言葉が出て来た。東京外大の篠田英朗教授は10日ほど先行してこの言葉を使われていた。如何にその一部を引用する。

(前略)日本の事例は、中国のような「権威主義」型の対応でも、欧米諸国のような「緊急事態」型の対応でもないように見える。それはいわば「努力要請」型の対応だ。だからわかりにくい。この「日本モデル」がいったい何なのか、もう少し日本人自身が自覚的に考え、自分たちで語ってみることが、必要ではないだろうか。(中略)この「日本モデル」は、欧米諸国をはじめとする諸外国が導入している措置と比べたら、格段に穏健な措置である。そうだとすれば、今後、諸国が規制を段階的に緩和していく際に、「日本モデル」の試みは重要な参考事例になるはずだ。(後略)(3月26日の論考「新型コロナが欧米社会を破壊…『日本モデル』は成功するのか」から)

 専門家会議によれば、「日本モデル」は、「クラスター対策」、「医療体制」、「国民の行動変容」という三つの柱からなる。この内、クラスターの早期発見・早期制圧が中核をなして感染拡大を抑え、さらに(感染者数は意図的に抑えられているとの批判はあるものの)世界に誇る日本の医療体制が感染がらみの死を抑え込み、自粛疲れが懸念されつつも、日本人は粛々と「三つの密」を回避する行動をとってきた。しかし最近は、クラスター対策班のリソースが追い付かないレベルになりつつあるようだし、厚生労働省が2日前に、感染拡大している地域で軽症者や無症状者については自治体が用意する施設やホテルや自宅での療養を検討するよう通知したように、病床のリソースも限界に近づきつつある。
 この「日本モデル」に近いものが欧米諸国の中にも見られるのを知って意外に思った。ニューズウィーク日本版に寄稿された木村正人氏によると、スウェーデンでは、自己隔離、社会的距離の推奨、イベント禁止、休校措置などをとっているものの、都市封鎖はしていないらしい(英インペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授らの報告書から)。ウイルスとの戦いは短期決戦ではなく長期戦になるのは不可避であることから、国家による規制より、市民の自主性、個人の自由を重んじた市民の「大人の対応」を求めているといい、「スウェーデンの社会契約は歴史的に市民の国家への信頼、国家の市民への信頼、市民間の信頼に基づくとされる」(木村氏)ところは、かねて福祉政策が充実し、勤務形態も柔軟で、在宅勤務も進んでいると聞く同国ならではのことで、まあそういうものかもとは思うが、欧米的な社会契約論が必ずしも馴染むわけではない日本にも、国家と社会の信頼関係ということではそれなりに妥当するのではないだろうか(最近の“反アベ”は措いておいて 笑)。「スウェーデン公衆衛生局は当初の英国と同じくワクチンができるまではゆっくり感染を広げて、抗体を持っている人が壁となって感染を抑制する集団免疫を獲得しようと考えている」(同)そうだが、日本では明確に集団免疫とは言わないものの、感染ピークを抑えて時間を稼いでワクチンを待つという点では似ている。もっともそのスウェーデンでも、医師や学者らがより厳しい措置を講じるよう求める請願書を政府に提出したらしく、日本と同様、どうやらぎりぎりの対応になっているように思われる。
 なお、木村氏は、篠田氏の三類型に加えて、4つ目として韓国やドイツのPCR検査のローラー作戦を挙げておられる。見えない感染者をあぶり出し、隔離して感染を封じ込めるもの、ということらしいが、韓国の場合は一部の都市で巨大クラスターを封じ込めたものであって、他とはやや毛色が違うような気がする。
 さて、篠田氏が、様々な意味で「日本モデル」の象徴になるだろうと言われる安倍さんの「マスク配布」については、どうも評判がよろしくない。欧米では元々マスクは重病人がつけるものであって予防にはマスク不要との考えが一般的で、マスクをした東洋人が襲われる事件まであったほどだが、最近は「マスク着用が定着しているアジアでは感染が抑えられている」「飛沫を防止し、他人に感染させないために有効」という見直し論が医師から相次ぎ、義務化の動きが広がっているようだ。それなのにマスク入荷があると列をなす日本で「アベノマスク」などと揶揄されるのは、日頃の信頼感の欠如に加え、所得補填などの本質的な対策が遅れていることが不満なのだろう。私はマスクが手に入らないので、エチケット用に使うには有難いと期待する例外的な?一人だが(笑)、他にもっとやるべきことがあるだろう、とか(というのはその通りと思う)、もっと前に打ち出されていたのなら分かるが、とか(しかし長期戦になりそうなのでマスク不足は引き続き深刻だと思う)、何より医療用をなんとかせい、とか(というのは、やっているからこそ、一般への布製配布なのだと思う)、いろいろ不満が聞こえてくる。さらに普通のマスクをもっと市場に出して欲しいという要望があって、これはそれなりに本質を突いているように思う。
 トイレットペーパーはほぼ100%日本製と聞いていたが(その筋の人の話によると、200mほど水に流れて紙が溶けてしまうような技術は日本にしかないらしい)、マスクは確か7~8割は中国製と聞いていた。恐らくその中国製が入って来ないのだろう(中国は自国で製造するマスクを自国および他国支援に使っているのか・・・)。トランプ大統領は、暫く前に、ああいう性格なものだから、マスクなどの医療品を他国に依存するべきではない、内製化の必要があると、率直に口にしていたが、日本ではそのような声は(中国に忖度して?)なかなか聞こえてこない。
 経産省によれば、国内メーカーは24時間態勢で通常の3倍の増産を継続、3月は中国などからの輸入を含め6億枚超の供給量を確保し、4月は7億枚超の供給を見込み、異業種のシャープも参入し(実は親会社の鴻海は中国大陸でスマホだけでなくマスクも自製し自社従業員に配布していると聞く)、液晶ディスプレー工場のクリーンルームを使って1日約15万枚を国内生産している、という。「中国などからの輸入」がどれほどの規模に戻っているのか知る由もないが、参考までに、過去はそもそもどれ位の流通量があったのか調べてみた。一般社団法人 日本衛生材料工業連合会のデータによれば、2018年の国内生産11億枚、輸入44億枚、計55億枚とある(産業用、医療用、家庭用を含み、それぞれ5%、18%、77%)。これが世の中のどれほどのカバレッジになるのかは分からないし、毎月均等ではなく春先の花粉症対策で大量に流通するであろうから、そもそも単純計算で一人当たり月当たり5~6枚に過ぎない月6億枚とか7億枚は、それほど少ない数量ではなさそうだが、需要期、しかも今は花粉症に悩む人だけでなくほぼ全国民が望む状況にはとても足りそうにない。店頭で欠品状態なのは、医療用や産業用(要は事業者用)が増え、さらに一般消費者の長期戦を見込んだ買い溜めのせいでもあろう。
 何が言いたいかというと、マスクだけでなく、中国への過度の依存については、やはり安全保障上のリスクを顧みるべきだということだ(が、もう遅い)。だからこその伝統的な善隣外交や全方位外交だったのだろうが、危機的な状況では必ずしも機能しないという不安が現実化している中、都合が悪いことには目を塞いでいるように思う。
 「日本モデル」そのものからは話が逸れてしまうが、その「日本モデル」を支える医療用品のみならず、食糧にしても(とは、いわゆる食糧安保)エネルギーにしても(とは、いわゆるエネルギー安保)、他国に多くを依存する日本は脆弱な国だという思いを今更ながら強くする。4月1日付でNSSに経済班ができた(既に10月に準備室が出来て、新型コロナ感染拡大地域からの入国拒否はここで検討された)のを機に、かつて(エネルギー危機後に)故・高坂正堯教授が提起された「総合安全保障」を、コロナ危機の今、あらためて考える必要があるように思うのだ。まあ、戦後75年、他国に安全保障を委ねて不安に思わない国民性は、そう簡単には変わらないのだろうけれども。
コメント
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