風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

コロナ禍⑰籠城じゃ。

2020-04-29 11:27:51 | 時事放談
 全国高校総合体育大会(所謂インターハイ)が史上初めて中止となることが決まった。既に春のセンバツが中止になり、状況次第では十分に予想されたことであったが、集大成となる場がなくなるのは残念だ。私はインターハイなど夢のまた夢で、箸にも棒にもかからなかったが、それでも高校2年の夏の大阪大会(インターハイの予選とも言える近畿大会の、そのまた手前)は一つの目標として盛り上がったものだった(私は中・長距離専門だったので、その冬の駅伝大会をもう一つの目標に、引退した)。今年こそメダルを、とか、優勝を、あるいはスポーツ推薦を考えていたスポーツ・エリート高校生にとって事態は深刻で、まことに恨めしいコロナウイルスである。
 いよいよゴールデンウィークに入ったが、一番困るのは、このまま自粛生活がだらだらと続いて出口戦略が描きにくくなることだろう。今のところ感染者数を見る限りピークを打ったように見えるが、圧倒的に良くなっているわけではない。政府は他国同様、部分的に解除するシナリオを描いていると思うが、日本だけがユルイ対応をしているだけに(スウェーデンはそれ以上とも言われるが)、日本だけがなかなか次のステップに踏み出せないような状況になりかねないことを危惧する。
 私は「すごいぞ!日本」に与するつもりはないし、データも、とりわけ官庁が出すデータに100%の信頼を置くつもりもないが、かかるご時世で、すっかり両極端に分断が進んだ言論空間の中で、自分なりに客観的な状況を把握し、正当な評価を求めたいと思うばかりに、試行錯誤して来た。その意味で言うと、極めてユルイ対応でありながら、ここまでよく持ちこたえて来て、しかし徹底できないのは何故か、この日本人のありようをどう理解すればよいのかというところに関心がある。その意味で、最近、興味深い記事が二つあった。
 一つ目はハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載された『東アジア諸国はなぜ、新型コロナの拡大を抑制できるのか』という論考だ(4/28付、https://www.dhbr.net/articles/-/6694)。今回のコロナ禍では、東アジアが注目されている。中国、韓国、台湾、シンガポール(・・・なぜか日本は外れる 笑)の内、中国は完璧なロックダウンを実施したが(その成果=データは謎に包まれている 笑)、韓国、台湾、シンガポールは、デジタル技術によって個人のプライバシーを制限しつつ、感染者を徹底追跡して封じ込めに成功した(とは、報じられていることを信じるとすれば、であるが)。この論者たちは、「東アジアには集団主義的な精神があり、それが『政府の感染コントロールを受容しよう』という公共心を呼び覚ましたのかもしれない」と結論づけるが、やや奥歯にモノの挟まった言い方だ。
 公共心(≒共和主義)は西欧由来でもある。だからこそ、西欧主要国は、自由・民主主義でありながら、それなりのロックダウンを許容したのだ。しかも韓国に民主主義が発達していると見て「権威主義体制」と一括りにできないために、曖昧な言い方になっているが、私は韓国で民主主義が発達しているとは思わない。最近の韓国を見ていると、儒教が根強く、全体主義的な傾向があって、見た目(制度上)は民主主義だが、中身(メンタリティ)は日本より中国に近い感じがしている。また、シンガポールは、一時期、Wikipediaに「明るい北朝鮮」などと紹介されていたように(微笑)、経済的自由を謳歌する一党独裁で、中国が目指す姿になっている。つまり、私にとって、これらの国々は東アジア的専制そのもの(その現代版)ではないか、と思うのだ(エビデンスの乏しい印象論だが)。ついでに、韓国と台湾については、以前ブログに書いたが、安全保障に対する感度も影響しているように思う。韓国=朝鮮戦争(休戦)中、台湾=大陸を警戒して準戦時体制。
 二つ目は、日経ビジネスのロンドン支局長が寄せた『優等生型、後手後手型……欧州で割れる新型コロナ出口戦略 日本は?』と題する記事で(4/24付、https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00122/042400018/)、西欧主要国の出口戦略を以下の通り分類されている(カッコ書きで私のコメントを付記)。
 ・「即断即決型」・・・オーストリア、デンマーク、スイスなど、人口1000万人以下の小国で、動きが早い(と言うが、要は中・北欧の国々)
 ・「追い込まれ型」・・・イタリア、スペイン、フランスで、早々にロックダウンし、国民生活や経済が限界に追い込まれている(と言うが、要はラテン系の国々)
 ・「後手後手型」・・・英国(独立独歩!)
 ・「優等生型」・・・ドイツ(だから嫌われる(笑) 東ドイツ出身で統制へのトラウマがあるメルケルさんの性格もあったかも)
 そして、日本は現時点で「後手後手型」となるか「優等生型」となるかの分岐にあるという分析は、なかなか秀逸だ。
 結局、日本はプライバシーを犠牲にするアジアでもなく、ロックダウンできる西欧でもなく、その分、誤解や批判も多いのだが、日本型(専門家会議によれば日本モデル)とでも言うべきものは、ハンチントン教授が日本一国で文明をなすと言われたことに通じるし、敬愛する故・高坂正堯教授が「日本は東洋でもなければ西洋でもない」と喝破された通りとなる。
 こうして危機的状況にこそ、民族的DNAが表れるように思う。日本は、飽くまで一般論としてだが、良くも悪くも危機意識が弱いことを痛感する。東日本大震災や台風災害で示されたように、危機的な状況にあっても規律ある行動をとれることにかけては世界一と自負してよいと思うが、(自然)災害列島で、地震・雷・火事・台風などの災害は所詮当たり前だと思うせいか、「諦観」がDNAに組み込まれているかのようだ。そして戦後75年の例外的に平和な環境と、左翼メディアを中心とする戦争や軍事への異様なまでの反発で、日本人自身が骨抜きになってしまったように思う。
 私のお気に入りの小話(エスニック・ジョーク)で、太平洋戦争を振り返って、最高の軍隊をつくるには、将軍はアメリカ人、将校はドイツ人、兵卒は日本人がいい、というのがある。戦後の日本の経済復興や世界第二のGDPを支えたのは、トヨタに象徴的に見られるように、現場の力だ。逆に言うと、リーダーシップが決定的に弱い。民主党政権がダメだったのは骨身に沁みたが、安倍さんでもダメかと思うと(まあまあ頑張っておられると思っているが)、やるせない(苦笑)。世界はポピュリズム全盛で、日本でもSNSや世論を気にしてばかりで、政治の突破力が決定的に劣化している(まあ、そんなこと言えば昔からそうだったかも知れないのだが)。安倍さんに全能を求めるのはお門違いで、立場上、最終責任を負うのは当然にしても、閣僚はしっかり働いているのか、国会は機能しているのか、実に心許ない状況である。リーダーは優秀な専門家を如何に使いこなすかこそ肝心なのだが、最近、大丈夫かいなとちょっと心配になることもある。
 さて今回も、厚労省が発表するデータから、検査人数(退院前の確認検査は含まない)と陽性反応者数、並びにその除数である陽性率について、非常事態宣言以降の日々の動きを追ってみた。一週間に一回の集計などという呑気な自治体(いや、訂正、いろいろご苦労が多いと思う)もあるようなので、移動平均を広めに、前後それぞれ3日の計7日で計算した(そのため三日前までの状況となる)。所詮は目安でしかないが、傾向として、検査人数がほぼ5千人前後で一定する中で、陽性反応者数、陽性率は確実に減っている。

4月     検査 陽性 陽性率
08(水)  4,677 497 10.6%
09(木)  4,647 518 11.1%
10(金)  4,891 527 10.8%
11(土)  4,677 542 11.6%
12(日)  5,188 539 10.4%
13(月)  5,372 528 9.8%
14(火)  5,234 513 9.8%
15(水)  5,092 487 9.6%
16(木)  5,461 463 8.5%
17(金)  5,029 469 9.3%
18(土)  5,223 457 8.8%
19(日)  5,070 448 8.8%
20(月)  5,062 438 8.7%
21(火)  5,161 419 8.1%
22(水)  5,180 390 7.5%
23(木)  4,853 367 7.6%
24(金)  5,142 343 6.7%

 本来であれば、感染者数や陽性反応数や死亡者数などの絶対数ではなく、医療崩壊を招くか招かないか、相対的な状況を把握するに越したことはないが、それは私の能力を超えている。再生産数といった指数あるいは対数的理解も(笑)。
 これまでの様々な知見により、①治療薬の開発、②ワクチンの開発、③集団免疫の獲得、くらいしか収束する状況は見込めないことは、はっきりしている。①と②に時間がかかり、③は場合によっては医療崩壊を招きかねないことから、なんとか騙しだましやって時間を稼ぐしかない。その意味では、先にだらだら続くことが・・・と言ったが、鈴木一人教授がツイートされていたように、「これから長い時間をかけて緩めたり締め付けたりを繰り返しながら感染をコントロールしていくしかない」というのが現実的な姿なのだろう。ロックダウンしないで一定規模の経済を回しながらやり過ごそうとする日本の自粛要請は、中途半端ではあるが、今後の状況次第では成功パターンになり得るように思う。もっとも、こんな日本人がいる日本だからこそ成り立ち得るもので、他に応用できそうにはないのだが(苦笑)
 まだお若い岡江久美子さんが、発熱して自宅待機の僅か3日後に容体急変し、緊急入院してそのまま亡くなったように、最近、軽症の方で自宅待機のまま容体急変して亡くなる方が散見される。その意味では、志村けんさん以上に、岡江久美子さんの死が人々の心理に与えたインパクトは大きかったし、だからこそ、医療キャパシティを十分に保てるよう、行動を制約して行かなければならない。というわけで、今日のブログ・タイトルは、熊本市が作成したポスターから無断拝借した。熊本城の写真と、「籠城じゃ。」のタイトルのもとに「家にいよう。みんなで打ち克とう。熊本市」との添え書きがあるもので、なかなか洒落ている。今回のコロナ禍では、国毎の特徴、日本国内では自治体毎の特徴が明らかとなり、とりわけその首長の存在感が高まった。地方分権化は、もっと早くに進めておかなければならなかったのだろうな・・・(と思うが、何を今更ではある)。

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