風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

永田町とマスコミのムラの論理

2012-12-03 00:13:33 | 時事放談
 北朝鮮情勢が緊迫していますが、日本では早くも選挙戦に突入し、内向き志向を強めていて、大丈夫なのかと心配になってしまいます。今日は、政治家は議論を拒んでいる、マスコミは世論を誘導しようとしている、といった特に驚くに当たらない平凡なポイントを再確認しながらの、ぼやきです。
 土曜日朝の辛坊さんの番組では、先週から、各党の代表者(党首とは限らない)を呼び、個別テーマ毎に各党の主張を聴くという特集コーナーを始めました。今回は原発の扱いがテーマだったせいもあってなおのこと、時間の制約があるとは言え建設的な議論にはならなくて、各党、言いたいことの言いっ放しで、さすがの辛坊さんも辛抱(!)ならなくて仕切るのに苦労されていました。混乱の一つは、小党乱立で、各党には等しく発言権が認められるため、どう見ても大差ないのに、その微妙な違いを際立たせ印象付けるべく自己主張に必死で、他人の主張を部分的にせよ認めながら・・・といった、ある意味で大局的な議論とは凡そ無縁なわけです。さすがに日本維新の会の野合をきっかけに、危機感を強めた弱小政党から、緑の党、さらには未来の党など新たな野合の動きが出ていますが、さして状況は変わりそうにありません。
 今朝のNHK日曜討論でも(張本さんのサンデー・モーニングが終わってからなので、半分しか見ていませんが)、原発がテーマでは、なかなか議論になりませんでした。舛添さんが、安全神話の崩壊や代替エネルギー問題といった国内に閉じた話では済まなくて、中東情勢や他国の原発政策や核不拡散や核管理などの安全保障問題など、検討しなければならない視点はいっぱいあるから、簡単に決められる問題ではないと、国際政治学者らしくまともなことを言われて、司会者から、それにどう応えるのかと振られた緑の党は、福島原発のような事故を起こしておいて脱原発以外にはあり得ないなどと感情的な反応ばかりで現実解を示せないようでは、せいぜい万年野党を目指しているとしか見えません。また、維新の会は、石原さんと橋下さんとで方針が違うようだか、それを纏めるとどうなるのかと問われて、こちらもまたまともな回答ができませんでした。今日の読売ニュースによると、維新の会では、新人の立候補予定者に各小選挙区で開かれる公開討論会への参加を見送るよう指示していたらしく、幹部は遅れている選挙準備に専念させるためと説明しますが、準備できていない新人は討論会に出ると袋叩きにあうからと解説する人がおり、まさに討論会の人選を誤れば維新の会のイメージダウンを加速する証左となりました。
 今や、原発「ゼロ」ばかりでなく、「脱」やら「卒」やら、はたまた「続」やら、キャッチフレーズにこだわって喧しいばかりでは、議論を拒んでいるようにしか見えません。だからと言って、原発に対してどのように対処すべきか、私自身は正直なところまだ決めかねていて、ただ一つ言えることは、ムードだけの脱原発に安易に同調したくはない天邪鬼といったところでしょうか。勿論、原子力エネルギーが未来永劫も重要であり必要であるとは誰も思っていないし、将来的に脱原発依存社会に向かうことに異議を唱える者はなく、所詮は時間軸上の問題に過ぎなくて、その工程こそが重要なのでしょう。そもそも安全神話を信じたのは勝手であって、世の中に「絶対」などということはあり得ず、社会的事象はおしなべてリスク管理の問題に帰するものですが、絶対安全とは言えない以上は今すぐゼロにすべきというような書生じみた議論が政治の世界にもまかり通るのは、なんとも不思議ではあります。そして、福島原発事故の調査報告がいくつか出ましたが、国民としてどう総括したのか曖昧なまま、原発についての結論を出すことには躊躇せざるを得ません。マグニチュード9の地震にも原子炉はよく耐えて、僅かに津波によって粗末な電源装置が壊滅しただけのことなのか、原子炉に亀裂が入っていたという噂は本当で、それがどう放射線漏れに影響を与えたのか、なんだかよく分からずじまいで、冷静な分析なく、ただ原発事故と大括りにして反省を迫る態度は児戯じみていないでしょうか(私は今なお原発そのものの問題というより人災と思っていますが)。
 現実問題として、石油ショック以来、エネルギー多様化政策を進める中で、多大の原発投資をしてきたわけですが、これら貴重な資産を無にして闇雲に稼働停止した上、毎年3兆1千億円もの国富が代替エネルギー購入のために流出して、今後も国民経済とりわけ産業界に甚大な影響を及ぼすのではないのか、またエネルギー密度が低い再生可能エネルギーの有効性が確立されないまま、原発がなくてもエネルギーは足りていると強弁し、化石燃料に回帰して、再び中東危機のような不測の事態が発生して、かつての石油ショックのような国民経済の混乱に見舞われることはないという保証はできるのか、現実には今なお必要以上の節電協力をしながら、更に経済成長を支えるエネルギー需要をもまかなえるものなのか、福島原発4号機で明らかになったように、止めたところで使用後の核燃料を冷却し更には廃炉に向かう管理のために、今後何十年にもわたって原子力技術が必要であるにもかかわらず、「ゼロ」などと、ことさらにセンセーショナルなキャッチフレーズで国民感情に訴えたところで、技術者の確保と育成に不安は生じないのか、少なくともこれらの問いに答えることなく「ゼロ」を唱えるのは政治に与かる身で無責任であって、ただの原理主義、かつてサヨクによく見られたレッテル貼りに過ぎず、百害あって一利なしと思うのですが、どうなのでしょうか。結局、原発ムラと呼ばれる非難めいた言い回しと同様、永田町ならぬ永田ムラの論理で、選挙戦術はあっても日本国としてのエネルギー戦略はないと言わざるを得ません。それはTPP反対の主張にも言えることのように思います。
 そしてマスコミは、これら政治家の無責任には批判を加えることなく垂れ流し、他方で低線量の放射線の影響は限定的だとか原発の有効性を主張する科学者の言論を非難して封じ込めるかのような一種異様なムードを醸しだしているように思えてなりません。本来、社会の公器を自認するマスコミこそ、原発や放射線の影響などの問題について議論を誘発すべきではないでしょうか。
 マスコミの偏向疑惑については、最近、話題になった安倍さんの「建設国債の日銀引き受け」発言に触れておきたいと思います。野田総理はここぞとばかりに「禁じ手」と断罪し、マスコミ各社も日銀の独立性を盾に寄ってたかって批判しましたが、17日に熊本市で行われた安倍さんの講演では、はっきりと「買いオペ」と言われており、恐らく日経の経済記者の誤解に端を発して、マスコミ各社も右に(安倍さんの反対だから左に!?)倣った誤報だったことが判明しています(池田信夫さんのブログ参照:http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51827590.html)。日経の記者は意図的だったのではないかと邪推をする人もいますが、その真偽はともかくとして、少なくとも誤報だったことは各紙とも訂正すべきだと思いますが、どうもそのような話は聞きません。
 保守系の雑誌で安倍さん待望論を臆面もなく押し売りするのもどうかと思いますが、週間文春12月6日号のように、一見いろいろな候補者を揶揄しているように装いながら、その実、安倍さんの足を引っ張ることが主目的の記事もまた(所謂写真週刊誌ならいざ知らず、週刊文春だからこそ)見苦しい。無党派層が最大という政治不信を招いている責任の一端は、マスコミにもあるのではないかと思いたくなります。
コメント
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