風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2012年の松井とイチロー(前)

2012-12-30 16:33:17 | スポーツ・芸能好き
 松井秀喜選手が現役引退を表明しました。清原のように愛すべき“やんちゃ”が多い野球好きにあっては珍しく優等生、時折り、気を許した時に茶目っ気を見せますが、概して誠実で裏表ない優等生を演じて、「渡米1年目に、誠実な取材対応が米国人の心を打ち、地元記者の投票による「グッドガイ賞」を受賞した」(スポーツ報知12月30日)ところに、彼のキャラがよく表われているように思います。同じスポーツ報知によると、ニューヨーク・タイムズでは、スポーツ面のトップに掲載され、「日本とヤンキースのスターである松井が引退する」と見出しを付け、主将のジーターのコメントなどを入れて詳しく報じたそうですし、ニューヨーク・ポストは「ゴジラがスパイクを脱ぐ」と報じ、ニューヨーク・デイリー・ニューズは「メジャーでプレーした日本選手の中でも最高の選手の一人」と評するなど、大きくスペースを割き、全国紙のUSAトゥデーも松井の経歴を詳しく紹介するなど、引退の衝撃はニューヨークだけにとどまらなかったと報じています。
 タイプが異なるために何かと比較される松井とイチローは、イチローの巧打に対して松井の強打、またWikipediaによると、ワールドシリーズMVPを受賞した翌日の朝日新聞「天声人語」は「イチロー選手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか」と評し、同日の産経新聞「産経抄」は「記録のイチロー」「記憶の松井」と対比し、漫画家のやくみつるさんは「クールなイチローは現代風ヒーロー。素朴な感じの松井は、長嶋さんや王さんのような昔の選手を思い出させる」と分析している、とあります。
 そのイチローが、今年7月にヤンキースに電撃移籍したとき、松井のことを「ヤンキースで長く過ごしていたこと自体が、松井の選手としてのみならず人間としての偉大さを示している」と、ヤンキースの先輩に対して最大限の賛辞を送り、このたびの引退に寄せては「中学生の時から存在を知る唯一のプロ野球選手がユニホームを脱ぐことが、ただただ寂しい」(スポーツニッポン12月29日)と、珍しく感傷的になったようです。メジャーに移ってなお日本のプロ野球を代表する二人の稀代の大打者には、お互いの天才を知るが故に、ここ数年の不振に対して、相通じる思いがあるのでしょう。
 思えば長嶋さんとの出会いも強運で、ドラフトで引き当てられただけでなく、天才は天才を知るというのを地で行くように、引退の記者会見で最高の思い出を聞かれて「やはり長嶋監督と毎日2人で素振りした時間かな。それが僕にとって一番印象に残っている」と振り返りました(スポーツ報知12月29日)。選手として表舞台で活躍したどの場面でもなく、陰で努力していた時のふれあいを挙げたところに、彼の非凡さを思います。それを確実に血肉にし、常勝・巨人軍で不動の四番を2000年から三年間にわたって務め、名門ヤンキース入団を実力で手繰り寄せるとともに、当時のトーリ監督や主将のジータ―からは、個人打撃よりもチームの勝利を優先する姿勢を見せるだけでなく、きっちり結果を出すことに、絶大なる信頼を寄せられました。メジャー移籍後の後半は、怪我に悩まされて不本意だったと思いますが、2009年のポストシーズンでは、怪我がなければどれほどの活躍を見せただろうかと夢が膨らむほどの大活躍を見せ、イチローですら成し遂げていないチャンピオンリングとワールドシリーズMVPを獲得し、ある意味でその時に有終の美を飾りました。
 エピソードにはいろいろ事欠かない「もっている」松井の「グッドガイ」振りで思い出されるのは、2002年の日本シリーズで西武に4連勝した翌日、FA宣言の記者会見で「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、『いつか行って良かったな』と言われるように頑張りたい」と話した時の沈痛な面持ちでしょう。メジャーへの挑戦という晴れの舞台に、彼の抱えている運命の皮肉を思ったものでしたが、日本に残っていたら、どれほどの怪物ぶりを見せたことかと、ちょっと悔やまれますが、彼のひたむきなメジャーでの10年間と、2009年のワールドシリーズでの満身創痍の活躍を思えば、もはや誰も彼のことを「裏切り者」呼ばわりしないでしょう。20年間ご苦労様でした。
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