余り馴染みがないと思われるこの英単語は、a postmortem examinationという組合せで「検死(解剖)」の意味で使われるようです。コンピュータ用語辞典では「ポストモーテム、事後分析」、つまり実行中のコンピュータが何らかの原因で停止状態に陥ったときに、不良プログラム部分や状態の分析を行う意らしい。ビジネスの世界では、あるプロジェクトが終わった時などに、どこが良くてどこが悪かったか、次にやる時にはどこをどう変えたら良くなるか、といったことを検証する反省会のことです。カイゼンが通常業務の中で行われるものとすれば、こちらはカイゼンのプロジェクト版と言えるかもしれない。別に会議を開く必要はなくて、メール・ベースでやりとりしながら誰かがとり纏めればよいわけで、個人ベースで見れば、誰もが多かれ少なかれほとんど無意識に心がけることですが、それを会社や部門というように組織で動くところで知として見える化し情報共有し誰にでも活かせるように習慣化し実行することは、それほど生易しいことではありません。私は、この英単語を、マレーシア・ペナン駐在時に勤務していた子会社に社長として迎えられたインテル出身者から教えてもらいました。インテルでは当たり前のカルチャーだったのでしょう。優良企業たる所以です。
福島第一原発のような大事故で、数十年という単位での国の政策をも変えかねないほどのインパクトがある場合には、しっかり事後検証して教訓を将来に活かすべきですが、日本の政治シーンでは簡単なことではないらしい。こうした事後検証なく、やすやすと国策を反対に舵を切ろうとする性急さには心理的な抵抗を覚えますが、政治家やそこを取り巻く人々はそうした感受性に乏しく、むしろここぞとばかりにムードを利用するような露骨ないかがわしさを感じます。
最初に「事故調査・検証委員会」が出来たのは、5月24日、菅内閣のもとで閣議決定されたものでした。委員長には「失敗学」で知られる畑村洋太郎・東大名誉教授が起用されると聞いて、ちょっと感心し期待したものです。ところが、その後、どう進捗しているのか見えなくなりました。当初、野党が懸念したように、内閣官房に置かれ、首相や関係閣僚、東電役職員らに出席を求めることができるといっても、強制力を伴う調査権限がない上、当時の菅首相の初動対応のまずさも含め政策決定過程をも俎上に載せるときに、調査委員会の人選は国会承認を必要とせず、首相の任命がそのまま通るのだとすれば、中立性が保たれるかどうかは大いに疑問であり、首相の諮問機関といった位置付けでお手盛りの答申に堕しかねません。結局、これも「私自身も含めて被告だ」と啖呵を切った菅首相のパフォーマンスに過ぎなかったのか。
そこで、政府から独立して国会内に設置し、国政調査権に基づいて、中立的な立場で、強制力のある解明作業を行うべきだとして、自民、公明、たちあがれ日本の野党三党が、関連法案を共同提出したのは8月のことでした。難色を示した民主党も、平成23年度第三次補正予算編成の与野党協議を進めるために歩み寄って、9月末には可決されました。民間委員による調査機関を国会に置くのは憲政史上初めて(朝日新聞)との触れ込みで、証人喚問など国政調査権に基づいた調査も可能で、政府へのチェック機能も厳正なはずであり、原則公開の会議を重ね、半年ほどで報告をまとめるとされていました。
ここ数日来の報道によれば、政府の調査委員会の方は、12月26日にようやく中間報告を出す予定だそうです。半年以上経ってなお「中間」というスピード感には驚かされますが、これまで当時の菅首相や枝野官房長官らへの聴取は行われていないと言いますから、唖然とします。もはや真剣に検証する気はなさそうに見えます。それから、国会の調査委員会の方は、法案成立後二ヶ月近く経ってようやく委員長に元日本学術会議会長の黒川清氏が就任することが決まり、来年5月末には報告書をまとめる予定だそうです。この委員長にも期待させますが、委員を推薦するための衆参両院議院運営委員会合同協議会の構成は、民主、自民、公明、みんな、共産、社民の各党から30人、各党の勢力によって割り振られており、この設置法成立前に、与野党は「調査委を政治的に利用し、これに政治的影響を与えてはならない」とわざわざ書面で申し合わせたように、政争に晒されないか不安が残ります。
こうした政治を尻目に、民間で独自の動きが出ており、科学技術振興機構前理事長の北沢宏一氏を委員長に、元検事総長の但木敬一氏ら7委員で構成する「福島原発事故独立検証委員会」が発足したそうです。民間企業の支援で運営され、黒川清氏も委員の一人で、震災1周年の来年3月11日までに報告書を公表する方針だそうです(産経新聞)。
また、SAPIO12月7日号には、大前研一氏が、7月に細野原発相に提案し合意されたのを受けて、ボランティアで事故原因を分析して再発防止策をまとめる「セカンド・オピニオン」が紹介されていました。次の3ヶ月でIAEAに説明し、電力業界に必要な改善策を実行させ、更に次の3ヶ月で地元住民の理解を得て再稼働できる原子炉は再稼働させる、つまり9ヶ月あれば、全原発が止まるという事態は回避できる見込み、というわけです。こうした動きがどこまで公式のものなのか、私は不案内ですが、外部のコンサルタントが調査・分析し、あるいはアメリカのシンクタンクのように政策を提言するような場がもっとあっていいと思っていますので、もっと声高に公表されても良いように思います。さて、大前氏がとったアプローチは、福島第一原発1~4号機と同じ津波に襲われながら、福島第一原発5・6号機、福島第二原発、女川原発、東海第二原発では事故に至らなかったのは何故か、どのような違いがあったのかという視点から調査・分析するという、至極まっとうなものでした。むしろ平凡過ぎるもので、私も7月11日のブログを書く前にネット検索した時に、既にいくつか報道がヒットしたほどでした。勿論、大前氏の報告は裏付けも確かで精度も格段に高いものだと思いますが、結論は同じで、福島第一原発事故は大地震・大津波による「天災」ではなく、誤った設計思想による「人災」だというものでした。このあたりは、私が8月5日のブログで紹介した武田邦彦さんの著書「原発大崩壊!」でも触れられており、大前氏からも同じ結論が出たことの意義は大きく、大いに勇気づけられますが、新興国のコンサルをされるほどの方なので、もっと大きな役割を与えられても良かったのではないかと思います。否、役割は大きいけれども、政府内での喧伝の仕方が足りないのか。
因みに、1979年に起きたアメリカのスリーマイル島原発事故では、2週間後に調査委員会が発足し、半年後に報告書が出たそうです。
大前氏が、調査・分析の結果わかったこととして挙げているポイントが面白い。必要なデータはほとんどがすぐに入手可能だったことと、それにもかかわらず政府が説明していることや今やろうとしていることには真実のかけらもないこと、なのだそうです。政府内での喧伝の仕方が足りないというのは、このあたりの真実のもつ迫力に気圧されるからではないでしょうか。政治の中で、自浄作用を求めるような事後検証をそもそも期待するべきではないのでしょう。それは政治に任せていては既得権益にかかわる選挙制度改革がいつまで経ってもまともに実行できないのと同じことです。欧米ではごく当たり前の、政治を監視する仕組みを機能させなければならない、そこに難しさがあるとすれば、それは私たちの心のありよう、社会のありようそのものに根差す問題です。
福島第一原発のような大事故で、数十年という単位での国の政策をも変えかねないほどのインパクトがある場合には、しっかり事後検証して教訓を将来に活かすべきですが、日本の政治シーンでは簡単なことではないらしい。こうした事後検証なく、やすやすと国策を反対に舵を切ろうとする性急さには心理的な抵抗を覚えますが、政治家やそこを取り巻く人々はそうした感受性に乏しく、むしろここぞとばかりにムードを利用するような露骨ないかがわしさを感じます。
最初に「事故調査・検証委員会」が出来たのは、5月24日、菅内閣のもとで閣議決定されたものでした。委員長には「失敗学」で知られる畑村洋太郎・東大名誉教授が起用されると聞いて、ちょっと感心し期待したものです。ところが、その後、どう進捗しているのか見えなくなりました。当初、野党が懸念したように、内閣官房に置かれ、首相や関係閣僚、東電役職員らに出席を求めることができるといっても、強制力を伴う調査権限がない上、当時の菅首相の初動対応のまずさも含め政策決定過程をも俎上に載せるときに、調査委員会の人選は国会承認を必要とせず、首相の任命がそのまま通るのだとすれば、中立性が保たれるかどうかは大いに疑問であり、首相の諮問機関といった位置付けでお手盛りの答申に堕しかねません。結局、これも「私自身も含めて被告だ」と啖呵を切った菅首相のパフォーマンスに過ぎなかったのか。
そこで、政府から独立して国会内に設置し、国政調査権に基づいて、中立的な立場で、強制力のある解明作業を行うべきだとして、自民、公明、たちあがれ日本の野党三党が、関連法案を共同提出したのは8月のことでした。難色を示した民主党も、平成23年度第三次補正予算編成の与野党協議を進めるために歩み寄って、9月末には可決されました。民間委員による調査機関を国会に置くのは憲政史上初めて(朝日新聞)との触れ込みで、証人喚問など国政調査権に基づいた調査も可能で、政府へのチェック機能も厳正なはずであり、原則公開の会議を重ね、半年ほどで報告をまとめるとされていました。
ここ数日来の報道によれば、政府の調査委員会の方は、12月26日にようやく中間報告を出す予定だそうです。半年以上経ってなお「中間」というスピード感には驚かされますが、これまで当時の菅首相や枝野官房長官らへの聴取は行われていないと言いますから、唖然とします。もはや真剣に検証する気はなさそうに見えます。それから、国会の調査委員会の方は、法案成立後二ヶ月近く経ってようやく委員長に元日本学術会議会長の黒川清氏が就任することが決まり、来年5月末には報告書をまとめる予定だそうです。この委員長にも期待させますが、委員を推薦するための衆参両院議院運営委員会合同協議会の構成は、民主、自民、公明、みんな、共産、社民の各党から30人、各党の勢力によって割り振られており、この設置法成立前に、与野党は「調査委を政治的に利用し、これに政治的影響を与えてはならない」とわざわざ書面で申し合わせたように、政争に晒されないか不安が残ります。
こうした政治を尻目に、民間で独自の動きが出ており、科学技術振興機構前理事長の北沢宏一氏を委員長に、元検事総長の但木敬一氏ら7委員で構成する「福島原発事故独立検証委員会」が発足したそうです。民間企業の支援で運営され、黒川清氏も委員の一人で、震災1周年の来年3月11日までに報告書を公表する方針だそうです(産経新聞)。
また、SAPIO12月7日号には、大前研一氏が、7月に細野原発相に提案し合意されたのを受けて、ボランティアで事故原因を分析して再発防止策をまとめる「セカンド・オピニオン」が紹介されていました。次の3ヶ月でIAEAに説明し、電力業界に必要な改善策を実行させ、更に次の3ヶ月で地元住民の理解を得て再稼働できる原子炉は再稼働させる、つまり9ヶ月あれば、全原発が止まるという事態は回避できる見込み、というわけです。こうした動きがどこまで公式のものなのか、私は不案内ですが、外部のコンサルタントが調査・分析し、あるいはアメリカのシンクタンクのように政策を提言するような場がもっとあっていいと思っていますので、もっと声高に公表されても良いように思います。さて、大前氏がとったアプローチは、福島第一原発1~4号機と同じ津波に襲われながら、福島第一原発5・6号機、福島第二原発、女川原発、東海第二原発では事故に至らなかったのは何故か、どのような違いがあったのかという視点から調査・分析するという、至極まっとうなものでした。むしろ平凡過ぎるもので、私も7月11日のブログを書く前にネット検索した時に、既にいくつか報道がヒットしたほどでした。勿論、大前氏の報告は裏付けも確かで精度も格段に高いものだと思いますが、結論は同じで、福島第一原発事故は大地震・大津波による「天災」ではなく、誤った設計思想による「人災」だというものでした。このあたりは、私が8月5日のブログで紹介した武田邦彦さんの著書「原発大崩壊!」でも触れられており、大前氏からも同じ結論が出たことの意義は大きく、大いに勇気づけられますが、新興国のコンサルをされるほどの方なので、もっと大きな役割を与えられても良かったのではないかと思います。否、役割は大きいけれども、政府内での喧伝の仕方が足りないのか。
因みに、1979年に起きたアメリカのスリーマイル島原発事故では、2週間後に調査委員会が発足し、半年後に報告書が出たそうです。
大前氏が、調査・分析の結果わかったこととして挙げているポイントが面白い。必要なデータはほとんどがすぐに入手可能だったことと、それにもかかわらず政府が説明していることや今やろうとしていることには真実のかけらもないこと、なのだそうです。政府内での喧伝の仕方が足りないというのは、このあたりの真実のもつ迫力に気圧されるからではないでしょうか。政治の中で、自浄作用を求めるような事後検証をそもそも期待するべきではないのでしょう。それは政治に任せていては既得権益にかかわる選挙制度改革がいつまで経ってもまともに実行できないのと同じことです。欧米ではごく当たり前の、政治を監視する仕組みを機能させなければならない、そこに難しさがあるとすれば、それは私たちの心のありよう、社会のありようそのものに根差す問題です。