「決断できない日本」(文春文庫)は、日本人論の系譜にあると見る書評もあるようですが、沖縄問題を含む安全保障の分野で、主権国家としての日本(とりわけ民主党政権)の対応を批判しているだけで、詰まるところ、ケビン・メア氏の弁明の書に過ぎません。
さてその核心部分で、「沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人(master of manipulation)」などと誤解されるもとになった話は、補助金システムにまつわるもので、日本政府は、沖縄の米軍基地再編計画を実行するためには地元のコンセンサスが必要と言い、地元の政治家はコンセンサス社会であることを逆手にとって、日本政府と交渉して毎年百億円になんなんとする補助金(名護市を含む北部振興策)を引出し、その補助金を手放したくないがために基地移転に反対し、事態が進捗しない手詰まり状況に、メア氏の苛立ちが表現されたもののようです。また、「沖縄は怠惰でゴーヤーも栽培出来ない」と報じられるもとになった話は、沖縄にマンゴーやパパイヤなどの亜熱帯産の果物がなく、地元名産のはずのゴーヤーですらも時に宮崎などから取り寄せており、台湾や東南アジア産に比べて価格競争力がないサトウキビが相変わらず栽培されているのは、ひとえにサトウキビ栽培に補助金が出ているからだと断じるのが趣旨だったようです。日本人なら、そういうこともあるだろうと頷けるような内容で、日本滞在19年のメア氏にとっても目新しいものではなかったでしょうに、ここに来て何故、舌禍からとはいえ嵌められて、国務省東アジア・太平洋局日本部長を辞任するまでに至ったのでしょうか。
産経新聞を検索していたら、メア氏への5年前のインタビュー記事が目に留まりました。当時、米軍普天間基地移設問題で名護市に建設する代替施設について、沖合に移動させるかどうかが焦点になっており、メア氏からは、安全性向上と騒音軽減に向け、地元・沖縄への配慮を真摯に訴える姿が伝わってきます。ところが、最近はその沖縄との関係もこじれ、ある政府高官からは、日本部長に就任した09年以後のメア氏は「日米協議で嫌みなことばかり言う」と露骨に敬遠されていたと言われており、この5年間で、随分、メア氏を取り巻く環境が変わったことがうかがえます。本書では「由々しき危機に際して、日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」と断じるなど、そのフラストレーションは、自らのありようよりも、日本側の対応へと責任転嫁しているように見えます。
この5年間で風向きが変わったことが、本書でも簡単に触れられています。2006年5月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、ようやく10年越しの「米軍再編実施のための日米のロードマップ」が策定され、普天間基地の代替施設が14年の完成を目標とし、キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路二本をV字型に設置することが盛り込まれました。ところが、同年11月に初当選した仲井眞沖縄県知事は「普天間基地の閉鎖状態」を公約し、翌07年1月、名護市はV字型滑走路の沖合移動を要求し、08年7月、沖縄県議会はシュワブ移設反対決議を可決するというように、国家の専権事項たるべき安全保障政策が、地方政治によって反故にされるかのような動きが続き、ついには翌09年9月に鳩山首相自らが普天間基地の県外移設を唱えてパンドラの箱を開けるに至ったのは周知の通りです。この2006年から09年までの5年間は、メア氏が沖縄駐在の総領事だった時期に重なります。
そして本書では、この間の、地元とメア氏との確執の模様が、多くはメア氏に不利な内容で報じられたことが取り上げられています。
例えば2006年7月、まさに総領事として着任する日に、嘉手納基地に初めて弾道迎撃ミサイル・パトリオット(PAC3)が配備されることが発表され、数か月後に弾頭部分が基地に運び込まれる作業が、デモ隊によって妨害されるという事件が起こります。しかし地元警察は全く動こうとしなかったため、沖縄防衛局(防衛省の出先機関)に問い合わせたところ、総領事から、直接、県警に要請した方が良いと言う。仕方なく地位協定に基づく権利を行使する要請書を県警にFAXで送って、ようやく妨害行為が排除されたのですが、マスコミはこの結果だけを見て、メア氏が県警に命令書を送り付け、占領軍の司令官のように振舞ったと報じたそうです。メア氏は、これを、責任をとりたくない日本の役所の体質があぶり出された例として挙げています。
また、08年7月には、普天間基地を抱える宜野湾市長が、同基地は米軍の安全基準にも違反していると指摘したのに対して、メア氏が「基地外の建設を制御する安全基準で、逆に滑走路の近くの基地外に何故、宜野湾市が建設を許可しているのかという疑問がある」と反論し、物議を醸したそうです。米国には、当然、基地の外側に建築規制を設けて安全性の向上を図る仕組みがありますが、実際に普天間基地の近くの航路上に高層マンションが建設された時、日本政府は、民間空港の周辺の建築を規制する法律はあるが、在日米軍の基地を対象にした安全基準としては適用されるものではないと解釈し回答したそうです。そのため、飛行ルートに高いアンテナを建てたのが、強制撤去できないことを知っていた暴力団関係者で、結局、防衛局が買い取るハメになったという話まであるそうです。こうして基地周辺の土地は利権化し、日本政府の借地料のついた土地が売買の対象になって取引されるだけでなく、基地の底地に対しても、日本政府から3万9千人の地主に支払われる借地料は918億円(11年度)にのぼり、沖縄では地価が下がっても借地料は年々値上がりし続けていると言います。
そのほか、湾岸戦争の時に創設された物資協力基金の使い道を巡って、武器輸出三原則の制約のある日本当局との根回しや、官僚機構とのうんざりするようなやり取りにつき合わされて、ついにはThe Japanese bureaucracy is the only bureaucracy that I know can give you 11 billion dollars and piss you off.(110億ドルもの巨額資金をプレゼントしておきながら、相手をカンカンに怒らせるような役所は日本の役所だけ)などと同僚にぼやく話も出てきます。
弁明の書だと揶揄しつつも、事例まで取り上げて詳しく紹介して来たのは、今の日本が、所謂お役所仕事や、政治主導と言いながら政局に明け暮れて、国家としての大局を見誤りはしないかという、メア氏の憂慮を、私も共有するからです。
これも本書の中に出てくる話ですが、同時多発テロ事件後、米国は原発に対するテロ攻撃の脅威を真剣に受け止めて対策に乗り出し、日本政府当局者と意見交換した際、原発警備のため、銃で武装した警備要員を配置する必要性を力説したところ、「日本で銃の所持は法律違反」だからと、必要性を否定されたそうです。米国は常にどこかで戦争をしていて、平和ボケの日本とは、危機に対する発想が根本的に異なるのだとメア氏は言います。アメリカでは原発防御は対テロ戦の重要な項目になっており、過激派に乗っ取られた航空機が原子炉に突入し、原発が全電源を喪失した事態を想定するシミュレーション訓練も(確かに話には聞きますが)定期的に実施されているそうです。その意味で、日本が平安時代の貞観津波の例を引いて、想定外と嘯いたのは、想像力が足りないというわけです。
次回は、メア氏が、国務省東アジア・太平洋局日本部長を解任されたあと、その東日本大震災に見舞われた日本を支援する「トモダチ作戦」のために国務省タスクフォースのコーディネーターに起用され、ホワイトハウス、国防総省、在日米軍、在日本大使館、それに福島第一原発事故に対応する必要から、エネルギー省、原子力規制委員会などとの調整を行う中で、彼が目にした日本の震災対応の内幕について、取り上げたいと思います。
さてその核心部分で、「沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人(master of manipulation)」などと誤解されるもとになった話は、補助金システムにまつわるもので、日本政府は、沖縄の米軍基地再編計画を実行するためには地元のコンセンサスが必要と言い、地元の政治家はコンセンサス社会であることを逆手にとって、日本政府と交渉して毎年百億円になんなんとする補助金(名護市を含む北部振興策)を引出し、その補助金を手放したくないがために基地移転に反対し、事態が進捗しない手詰まり状況に、メア氏の苛立ちが表現されたもののようです。また、「沖縄は怠惰でゴーヤーも栽培出来ない」と報じられるもとになった話は、沖縄にマンゴーやパパイヤなどの亜熱帯産の果物がなく、地元名産のはずのゴーヤーですらも時に宮崎などから取り寄せており、台湾や東南アジア産に比べて価格競争力がないサトウキビが相変わらず栽培されているのは、ひとえにサトウキビ栽培に補助金が出ているからだと断じるのが趣旨だったようです。日本人なら、そういうこともあるだろうと頷けるような内容で、日本滞在19年のメア氏にとっても目新しいものではなかったでしょうに、ここに来て何故、舌禍からとはいえ嵌められて、国務省東アジア・太平洋局日本部長を辞任するまでに至ったのでしょうか。
産経新聞を検索していたら、メア氏への5年前のインタビュー記事が目に留まりました。当時、米軍普天間基地移設問題で名護市に建設する代替施設について、沖合に移動させるかどうかが焦点になっており、メア氏からは、安全性向上と騒音軽減に向け、地元・沖縄への配慮を真摯に訴える姿が伝わってきます。ところが、最近はその沖縄との関係もこじれ、ある政府高官からは、日本部長に就任した09年以後のメア氏は「日米協議で嫌みなことばかり言う」と露骨に敬遠されていたと言われており、この5年間で、随分、メア氏を取り巻く環境が変わったことがうかがえます。本書では「由々しき危機に際して、日本のリーダーには決断力や即効性のある対応をする能力がない」と断じるなど、そのフラストレーションは、自らのありようよりも、日本側の対応へと責任転嫁しているように見えます。
この5年間で風向きが変わったことが、本書でも簡単に触れられています。2006年5月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、ようやく10年越しの「米軍再編実施のための日米のロードマップ」が策定され、普天間基地の代替施設が14年の完成を目標とし、キャンプ・シュワブ沿岸部に滑走路二本をV字型に設置することが盛り込まれました。ところが、同年11月に初当選した仲井眞沖縄県知事は「普天間基地の閉鎖状態」を公約し、翌07年1月、名護市はV字型滑走路の沖合移動を要求し、08年7月、沖縄県議会はシュワブ移設反対決議を可決するというように、国家の専権事項たるべき安全保障政策が、地方政治によって反故にされるかのような動きが続き、ついには翌09年9月に鳩山首相自らが普天間基地の県外移設を唱えてパンドラの箱を開けるに至ったのは周知の通りです。この2006年から09年までの5年間は、メア氏が沖縄駐在の総領事だった時期に重なります。
そして本書では、この間の、地元とメア氏との確執の模様が、多くはメア氏に不利な内容で報じられたことが取り上げられています。
例えば2006年7月、まさに総領事として着任する日に、嘉手納基地に初めて弾道迎撃ミサイル・パトリオット(PAC3)が配備されることが発表され、数か月後に弾頭部分が基地に運び込まれる作業が、デモ隊によって妨害されるという事件が起こります。しかし地元警察は全く動こうとしなかったため、沖縄防衛局(防衛省の出先機関)に問い合わせたところ、総領事から、直接、県警に要請した方が良いと言う。仕方なく地位協定に基づく権利を行使する要請書を県警にFAXで送って、ようやく妨害行為が排除されたのですが、マスコミはこの結果だけを見て、メア氏が県警に命令書を送り付け、占領軍の司令官のように振舞ったと報じたそうです。メア氏は、これを、責任をとりたくない日本の役所の体質があぶり出された例として挙げています。
また、08年7月には、普天間基地を抱える宜野湾市長が、同基地は米軍の安全基準にも違反していると指摘したのに対して、メア氏が「基地外の建設を制御する安全基準で、逆に滑走路の近くの基地外に何故、宜野湾市が建設を許可しているのかという疑問がある」と反論し、物議を醸したそうです。米国には、当然、基地の外側に建築規制を設けて安全性の向上を図る仕組みがありますが、実際に普天間基地の近くの航路上に高層マンションが建設された時、日本政府は、民間空港の周辺の建築を規制する法律はあるが、在日米軍の基地を対象にした安全基準としては適用されるものではないと解釈し回答したそうです。そのため、飛行ルートに高いアンテナを建てたのが、強制撤去できないことを知っていた暴力団関係者で、結局、防衛局が買い取るハメになったという話まであるそうです。こうして基地周辺の土地は利権化し、日本政府の借地料のついた土地が売買の対象になって取引されるだけでなく、基地の底地に対しても、日本政府から3万9千人の地主に支払われる借地料は918億円(11年度)にのぼり、沖縄では地価が下がっても借地料は年々値上がりし続けていると言います。
そのほか、湾岸戦争の時に創設された物資協力基金の使い道を巡って、武器輸出三原則の制約のある日本当局との根回しや、官僚機構とのうんざりするようなやり取りにつき合わされて、ついにはThe Japanese bureaucracy is the only bureaucracy that I know can give you 11 billion dollars and piss you off.(110億ドルもの巨額資金をプレゼントしておきながら、相手をカンカンに怒らせるような役所は日本の役所だけ)などと同僚にぼやく話も出てきます。
弁明の書だと揶揄しつつも、事例まで取り上げて詳しく紹介して来たのは、今の日本が、所謂お役所仕事や、政治主導と言いながら政局に明け暮れて、国家としての大局を見誤りはしないかという、メア氏の憂慮を、私も共有するからです。
これも本書の中に出てくる話ですが、同時多発テロ事件後、米国は原発に対するテロ攻撃の脅威を真剣に受け止めて対策に乗り出し、日本政府当局者と意見交換した際、原発警備のため、銃で武装した警備要員を配置する必要性を力説したところ、「日本で銃の所持は法律違反」だからと、必要性を否定されたそうです。米国は常にどこかで戦争をしていて、平和ボケの日本とは、危機に対する発想が根本的に異なるのだとメア氏は言います。アメリカでは原発防御は対テロ戦の重要な項目になっており、過激派に乗っ取られた航空機が原子炉に突入し、原発が全電源を喪失した事態を想定するシミュレーション訓練も(確かに話には聞きますが)定期的に実施されているそうです。その意味で、日本が平安時代の貞観津波の例を引いて、想定外と嘯いたのは、想像力が足りないというわけです。
次回は、メア氏が、国務省東アジア・太平洋局日本部長を解任されたあと、その東日本大震災に見舞われた日本を支援する「トモダチ作戦」のために国務省タスクフォースのコーディネーターに起用され、ホワイトハウス、国防総省、在日米軍、在日本大使館、それに福島第一原発事故に対応する必要から、エネルギー省、原子力規制委員会などとの調整を行う中で、彼が目にした日本の震災対応の内幕について、取り上げたいと思います。