風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

懐かしのボストン・マラソン

2018-04-18 00:17:50 | スポーツ・芸能好き
 昨日、米国マサチューセッツ州はパトリオット・デイの祝日(4月の第3月曜日)で、毎年、世界最古のマラソン大会であるボストン・マラソンが開催される。
 今年の大会は第122回で、あの市民ランナー・川内優輝が2時間15分58秒で初出場初優勝した。日本人としては、昨年、大迫傑が初マラソンで3位に入って注目されたが、今年の優勝は、1987年大会の瀬古利彦さん以来、実に31年振りらしい。記録がぱっとしないのは、メジャーリーグの試合が中止になるほどの季節外れの異常な寒波に襲われて、レース前から大雨と強風が吹き荒れ、気温は氷点下、コースには大きな水たまりができる最悪のコンディションだったせいでもありそうだ。ところが暑さが苦手の川内にとっては「最高のコンディションでした」(本人談)というから、呆れてしまう(笑)。中盤からは昨年の優勝者ジョフリー・キルイ(ケニア)が独走態勢で、35キロ地点では1分30秒あった差を残り2キロで逆転し、逆に2分25秒差をつける圧勝だったという。実業団に属さない市民ランナーで、この走りっぷりは相変わらず大したものだ。
 このボストン・マラソンは年齢別に資格タイムをクリアしていなければ参加出来ない、エリートランナーの大会だ。そこで、1995年と1997年の二回、ボストンに住んでいた私は、日本人の同僚とともに手造りのゼッケンをつけて、資格ランナーの後ろを金魚のフンのようにくっついて、勝手に走ったことがある。今はどうか知らないが、当時はそんな資格なしの不届き者が1万人ほど、野放しで、鷹揚な大陸国アメリカらしい呑気なものだった。この内、1995年は私にとって記念すべき人生初マラソンで、そのくせロクに練習もせず、安い運動靴で走って、足の裏はマメだらけ、膝はガクガク、立ち止まると二度と走れないのではないかと痛みを堪えながらも、よたよたと走り続けることが出来たのは、若さ故だろう。高校時代に陸上部だった当時の意識のまま殆ど給水しなかったら、汗が出なくなって、脇の下や股間がミミズ腫れになって往生した。コースは全般的に緩やかな下りなので、油断していると、30キロ過ぎたあたりに「心臓破りの丘(Heart-break Hill)」が待ち構えていて、マラソンで試練となる30キロ過ぎにあるからこそこの異名がある上り坂がきつかったのを懐かしく思い出す。
 1996年は第100回記念大会で、歴代優勝者が招かれる言わばお祭りだったので、走るのはやめて応援に回った。君原健二さんの姿をみつけたので名前を呼んで応援したら、驚いて振り向かれたのは、まさかボストンの片田舎で自分のことを知っている日本人がいるとは思わなかったのだろうか。因みに君原さんが優勝したのは1966年の第70回大会で、Wikipediaには1位から4位まで日本人選手が独占したとある。古き良き時代だ。ボストン・マラソンでの日本人優勝第一号は田中茂樹さんで、戦後間もない1951年の第55回大会のこと、当時は指又のある地下足袋型シューズで走って、ゴール直後、外国人の新聞記者から「日本人の足の指は2本しかない」と驚かれたというエピソードを聞いたことがある。聞いたこちらが却って驚くほど、のどかな時代だ・・・。
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