香港では16日の日曜日にも、「逃亡犯条例」改正案の「無期限延期」では納得せず「撤廃」を求める大規模なデモが行われた。主催者発表で200万人(警察発表では最大33万8000人)と、一週間前の2倍(主催者発表103万人、警察発表では24万人)に達した。映像で見ると、数十万人規模というのは日本ではとても想像出来ないが実に壮観である。
政府高官の中には条例改正案について「中断というのは実質的廃案を意味する。再度持ち出せば政治的自殺だ」と語る人もいるらしいが、今日、開かれた記者会見で行政長官は「心から市民に謝罪する」としながらも、条例改正案を「撤回」するとは明言せず、自らの辞任についても「市民の信頼を取り戻す」と述べて、続投の意思を表明した。5年前の雨傘運動では、行政長官を普通選挙で選ぶとの要求が退けられ、もはや行政トップには親中派しか選ばれない仕組みの中で、民意を示す手段はこうしたデモしかないのが香港の実態だといったような解説を聞いた。香港の人たちの悩みは深い。
香港が中国に返還されることが決まった1984年(中英共同宣言)以降は、カナダやイギリスなど旧・大英帝国圏に移住する人が増えたものだった。ニューズウィーク日本版6.25号によれば、返還された1997年までに人口の10%が移住したそうだ。しかも上流の専門職の人ほど移住したと聞いたが、まあそりゃそうだろう。当時、イギリスは食事が不味いことで有名で(今でもそうだと思うが)、数年前、イギリスに出張したときに現地人従業員が連れて行ってくれたのは旧・大英帝国圏のよしみのインド・レストランだったし、1990年頃、留学していた友人が、最近、美味い店が増えたんだと言って喜んで連れて行ってくれたのは中華レストランだった。それに引き換え、新婚旅行で食した高級レストランのはずのローストビーフの不味かったこと(苦笑)。今回の騒動で、香港の人の中には資産を海外に逃避させる人が出て来ているらしい(例えばHSBC香港からHSBCシンガポールに預金を移すとか)し、香港には既に30万人ものカナダ国籍をもつ市民が働いていて、今回の騒動を機に脱出する動きを見せているらしい。
今回はそれでも、「無謬性」を前提とする権威主義体制の北京政府にとっては大いなる挫折だったと思う。もっとも北京政府は香港政府を支持するという言い方で、間接的な役回りに徹していたが、無期限延期を決めたのは、中国共産党・政治局常務委員会の序列7位で、香港マカオ問題担当の最高責任者である韓正・副首相で、香港に隣接する広東省深セン市まで出向き、香港行政長官を呼び出して「延期」の引導を渡したという。
香港の人たちの熱意ある反発もさることながら、本来、動いて欲しいイギリスではなく、米中貿易戦争のさなかのアメリカがいろいろ動いたようだ。アメリカはもともと1992年の「香港政策法」で、香港を中国とは別の経済地域とみなし、関税や査証発給などで優遇措置を与えてきた。トランプ大統領の関税圧力もかかっていない。実際に、香港で活動する米企業は1300社を超え、投資額は約800億ドル、居住する米国市民は8万5千人にのぼるらしい。ところが、アメリカ議会の超党派諮問機関である米中経済安全保障再考委員会(USCC)は5月に報告書を発表し、「逃亡犯条例」の改正案がこのまま成立した場合には、香港の自治が損なわれ、中国の一都市に過ぎないと見なして、香港に認めている優遇措置の打ち切りや安全保障上重要と考えられるテクノロジー関連製品の取引を締め付けるなど、「香港政策法」を撤廃する方向に動くことを提言し、今月9日のデモの後には、ナンシー・ペロシ下院議長が同法の廃止などの可能性に言及したらしい(このあたりは長谷川建一氏による)。13日には、マルコ・ルビオ上院議員らが「香港人権・民主主義法案」を議会に提出し、優遇措置継続の是非を判断するため、香港の自治が保障されているかどうかを米政府が2047年まで毎年検証するよう求めたため、中国政府は「中国の内政に乱暴に干渉するもの」として強烈な不満と断固とした反対を表明した(ロイターによる)。香港のこのような自由港としての扱いにより、中国も中継地として大いに「利用」し、アメリカ政府は疑いの眼差しを向けるに至っているほどで、米中貿易戦争にもう一つの火種が加わりかねない勢いだったようなのだ。
香港で、戦後1947年の人口170万人が1991年には552万人(現在は740万人)と急増した多くは、中国大陸で起こった反革命鎮圧運動や大躍進や文化大革命や飢餓から逃がれて来た人たちで、言わばこの移民一世はともかくとしても、二世ともなれば香港で生まれ育ち「香港人」としてのアイデンティティーが芽生える。10代で雨傘運動をリードし、今回のデモにも参加して「民主の女神」と評される学生運動家の周庭ちゃん(22)は、中国から香港に移住している人にこの運動がどう見えているか?と問われて、中国で教育を受けてから来た人は価値観が全然違うと言いながらも、中国人と中国の政権は別な存在だときっちり認識し、今回のデモをきっかけに民主主義や自由の重要さを知ってもらいたい、と答え、身の危険が迫ったら?と問われて、戦いたい、残りたい、香港に対する責任があるから、と答えている(ニューズウィーク日本版)。幸い、一帯一路にせよ、香港や台湾への圧力にせよ、中国が強権的にやることなすことは裏目に出る。米中貿易戦争と言わず、体制間の競争に発展しつつある昨今、今回のデモが「無駄な抵抗」に終らないよう、国際世論として、せめて1947年までの自由を支援して行きたいものだと思う。
政府高官の中には条例改正案について「中断というのは実質的廃案を意味する。再度持ち出せば政治的自殺だ」と語る人もいるらしいが、今日、開かれた記者会見で行政長官は「心から市民に謝罪する」としながらも、条例改正案を「撤回」するとは明言せず、自らの辞任についても「市民の信頼を取り戻す」と述べて、続投の意思を表明した。5年前の雨傘運動では、行政長官を普通選挙で選ぶとの要求が退けられ、もはや行政トップには親中派しか選ばれない仕組みの中で、民意を示す手段はこうしたデモしかないのが香港の実態だといったような解説を聞いた。香港の人たちの悩みは深い。
香港が中国に返還されることが決まった1984年(中英共同宣言)以降は、カナダやイギリスなど旧・大英帝国圏に移住する人が増えたものだった。ニューズウィーク日本版6.25号によれば、返還された1997年までに人口の10%が移住したそうだ。しかも上流の専門職の人ほど移住したと聞いたが、まあそりゃそうだろう。当時、イギリスは食事が不味いことで有名で(今でもそうだと思うが)、数年前、イギリスに出張したときに現地人従業員が連れて行ってくれたのは旧・大英帝国圏のよしみのインド・レストランだったし、1990年頃、留学していた友人が、最近、美味い店が増えたんだと言って喜んで連れて行ってくれたのは中華レストランだった。それに引き換え、新婚旅行で食した高級レストランのはずのローストビーフの不味かったこと(苦笑)。今回の騒動で、香港の人の中には資産を海外に逃避させる人が出て来ているらしい(例えばHSBC香港からHSBCシンガポールに預金を移すとか)し、香港には既に30万人ものカナダ国籍をもつ市民が働いていて、今回の騒動を機に脱出する動きを見せているらしい。
今回はそれでも、「無謬性」を前提とする権威主義体制の北京政府にとっては大いなる挫折だったと思う。もっとも北京政府は香港政府を支持するという言い方で、間接的な役回りに徹していたが、無期限延期を決めたのは、中国共産党・政治局常務委員会の序列7位で、香港マカオ問題担当の最高責任者である韓正・副首相で、香港に隣接する広東省深セン市まで出向き、香港行政長官を呼び出して「延期」の引導を渡したという。
香港の人たちの熱意ある反発もさることながら、本来、動いて欲しいイギリスではなく、米中貿易戦争のさなかのアメリカがいろいろ動いたようだ。アメリカはもともと1992年の「香港政策法」で、香港を中国とは別の経済地域とみなし、関税や査証発給などで優遇措置を与えてきた。トランプ大統領の関税圧力もかかっていない。実際に、香港で活動する米企業は1300社を超え、投資額は約800億ドル、居住する米国市民は8万5千人にのぼるらしい。ところが、アメリカ議会の超党派諮問機関である米中経済安全保障再考委員会(USCC)は5月に報告書を発表し、「逃亡犯条例」の改正案がこのまま成立した場合には、香港の自治が損なわれ、中国の一都市に過ぎないと見なして、香港に認めている優遇措置の打ち切りや安全保障上重要と考えられるテクノロジー関連製品の取引を締め付けるなど、「香港政策法」を撤廃する方向に動くことを提言し、今月9日のデモの後には、ナンシー・ペロシ下院議長が同法の廃止などの可能性に言及したらしい(このあたりは長谷川建一氏による)。13日には、マルコ・ルビオ上院議員らが「香港人権・民主主義法案」を議会に提出し、優遇措置継続の是非を判断するため、香港の自治が保障されているかどうかを米政府が2047年まで毎年検証するよう求めたため、中国政府は「中国の内政に乱暴に干渉するもの」として強烈な不満と断固とした反対を表明した(ロイターによる)。香港のこのような自由港としての扱いにより、中国も中継地として大いに「利用」し、アメリカ政府は疑いの眼差しを向けるに至っているほどで、米中貿易戦争にもう一つの火種が加わりかねない勢いだったようなのだ。
香港で、戦後1947年の人口170万人が1991年には552万人(現在は740万人)と急増した多くは、中国大陸で起こった反革命鎮圧運動や大躍進や文化大革命や飢餓から逃がれて来た人たちで、言わばこの移民一世はともかくとしても、二世ともなれば香港で生まれ育ち「香港人」としてのアイデンティティーが芽生える。10代で雨傘運動をリードし、今回のデモにも参加して「民主の女神」と評される学生運動家の周庭ちゃん(22)は、中国から香港に移住している人にこの運動がどう見えているか?と問われて、中国で教育を受けてから来た人は価値観が全然違うと言いながらも、中国人と中国の政権は別な存在だときっちり認識し、今回のデモをきっかけに民主主義や自由の重要さを知ってもらいたい、と答え、身の危険が迫ったら?と問われて、戦いたい、残りたい、香港に対する責任があるから、と答えている(ニューズウィーク日本版)。幸い、一帯一路にせよ、香港や台湾への圧力にせよ、中国が強権的にやることなすことは裏目に出る。米中貿易戦争と言わず、体制間の競争に発展しつつある昨今、今回のデモが「無駄な抵抗」に終らないよう、国際世論として、せめて1947年までの自由を支援して行きたいものだと思う。
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