風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

年末のひととき

2016-01-01 00:17:11 | 日々の生活
 年末・年始の日本の光景は随分変わってしまった。
 子供の頃、年末ともなれば、母親はせっせとお節料理を準備し、父親は家の大掃除をし、子供の私もそれに付き合って、心身ともに清めて新年を迎えるのが常だった。今、思えば極めて神道的なありようだったように思う。神道は、清らかであることを最大の特徴とする。そうして、一年が変わることの重みを、子供心に感じたものだった。当時は、何より家にモノがなかったし、街の商店街と言えども、正月三が日の営業はなく、自衛のためのお節料理だったわけだ。ところが今では人々は豊かになり、街には商業主義がはびこり、近所のイトーヨーカドーにしてもコンビニにしても、年末・年始休みなしの営業が当たり前で、便利この上なく、それに伴い、私たち庶民の生活も安易に流され、いつしかお節は買うもの、あるいは飽きてしまうのでお節はそこそこに、外食するのが当たり前になってしまった。そして、一年の終わりと始まりの区切りが、かつての重みをすっかり失ってしまった。
 伝統を護るべきなのか、迷ってしまう。
 高度経済成長を経て、日本の社会はすっかり分断されてしまった。地方から都会への民族大移動により都市化が進み、村落共同体から解放された人々が新しい社会を切り開いて行った。それとともに、日本の社会が、農村を中心とした共同体として、随分、無理をしてきたことも明らかとなった。例えば嫁と姑の関係のような。私の世代はその双方を経験し、東日本大震災で見直された古い日本の絆に思いを寄せるとともに、今なおそれがいざとなれば通用することを信じつつ、普段はそれとは無縁の、核家族化が進んだ気楽な日常生活に甘んじている。
 この変容ぶりを、年末恒例の「紅白歌合戦」は絵巻物のように見せてくれた。和田アキ子「笑って許して」(1970年3月発売)、石川さゆり「津軽海峡冬景色」(1977年1月発売)、五木ひろし「千曲川」(1975年5月発売)、森進一「おふくろさん」(1971年5月発売)など、年配者も楽しめる相も変わらぬ1970年代の名曲に続いて、高橋真梨子は「五番街のマリーへ~2015」と称して1973年10月発売の「五番街のマリーへ」と1984年5月発売の「桃色吐息」を歌い、レベッカ「フレンズ」(1985年10月発売)、近藤正彦「ギンギラギンにさりげなく」(1981年9月発売)、松田聖子「赤いスイートピー」(1982年1月発売)などの1980年代の名曲が郷愁を誘う。しかし、私の子供たちの世代には分かるまい。中でも聖子ちゃんのキーが随分低くなって、冷や水を浴びせられたが、それも年寄りの戯言でしかない。
 そうこうしている内に、年が明けてしまった。
 伝統は不可逆なものと、そうでないものとがある。私たちの社会が無理をしていたところは、間違いなく解き放たれるであろう。そして、板挟みとなる痛みを、私たちの世代だけがほろ苦く感じるのである。その過程で明らかに可能性が広がることに望みを託しつつ・・・そんなことに思いを馳せる年の瀬だった。
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