風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

サヨナラ慎ちゃん

2019-09-28 15:13:17 | スポーツ・芸能好き
 巨人の阿部慎之助が現役引退する。
 昨日、DeNAとの本拠地での最終戦、東京ドーム最寄り駅のJR水道橋駅構内の電光掲示板にも「阿部慎之助選手 19年間おつかれさまでした。今後も巨人軍を永久に導いてください!! ♯ありがとう慎之助」という文字が流れた。この「ありがとう 慎之助」と銘打った試合で、懐かしい「4番捕手」のコールで先発出場した。先発投手は、阿部に今、受けたい投手に指名されたマシソン。4年前、相手打者のファウルがマスク越しに顔を直撃して首を痛めたことが、阿部が捕手を離れるキッカケとなったのだが、その時にマウンドに立っていたのがマシソンだった。続いて、2回には中央大の後輩でもある澤村がマウンドに。2012年の日本シリーズでサインを見落として頭をポカリと叩いた場面が、つい昨日のことのように蘇るが、昨日もサインが合わずに(と見せかけて)マウンドに駆け寄って叩くふりをするパフォーマンスを見せ、笑顔で握手を交わして、その後、阿部は一塁に引いた。4回の第2打席では、プロ通算406号となる今季7号ソロを鮮やかに右翼席中段に突き刺した。本人曰く「打たせてもらって、もう感無量。全球、真っすぐを投げてきてくれた。彼は若い投手。『申し訳ない』と思いながら『ありがとう』と」。この日は、阿部が入団したときの監督だった長嶋さんも観戦に訪れていた。思えば45年前、長嶋さんも引退試合でホームランを放ち、「まだいける、まだいける」という関西弁のおっちゃんファンの声援がテレビ放映で拾われて思わず苦笑したものだったが、まさにそう言いたくなるような、全盛期を彷彿とさせる阿部らしい弾丸ライナーだった。
 阿部慎之助と言えば、お父ちゃんはあの掛布と同級生で、3番掛布、4番阿部のクリーンナップを組み、お母ちゃんはピーター(池端慎之介)の大ファンで(私もそうだったが)、命名はピーターに因む(介と助が違うが)。Wikipediaからの抜書きになるが・・・2001年、巨人としては山倉以来23年ぶりに新人捕手・開幕スタメン(8番・捕手)し、初打席・初安打・初打点を含む4打点を挙げる鮮烈デビューを飾った。翌2002年には、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録し、今日のブログ・タイトルの通り「サヨナラ慎ちゃん」と呼ばれるようになった。2004年4月はメモリアルな月で、6試合連続を含む月間16本塁打は、王さんの球団記録を更新した(門田などと並ぶ日本タイ記録)。2007年にはチームの主将に任命され(2014年まで8年間)、6月9日の楽天戦で巨人軍第72代目4番打者になった。その後も、捕手という過酷な、しかしチームの要となるポジションで、ケガに苦しみながらも活躍し、2010年には捕手として野村・田淵に次ぐ史上3人目のシーズン40本塁打を達成し(最終的に44本で、本人として生涯シーズン最多)、2011年には連続守備機会無失策のセ・リーグ新記録1709を達成した。2012年は本人にとって恐らく最高の年で、初の個人タイトルとなる首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルを獲得した(後にも先にもこの年のみ)。本塁打はバレンティンに4本差の2位で、惜しくも三冠王を逃した。このときの打率.3404は古田の記録を上回る捕手の最高記録、打点は両リーグで唯一100を超える104、三振数は規定打席到達者の中でセ・リーグ最少、出塁率・長打率は12球団トップで、セ・リーグMVPを獲得した。2013年のシーズン終了後、年俸6億円(推定)は松井秀喜と並ぶ球団最高年俸タイ、両リーグ併せて史上2位タイとなる。2017年に史上49人目の通算2000本安打を達成したことはブログにも書いたが、巨人の生え抜き選手では柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀に入ってからのドラフト指名選手で初の栄誉である。昨2018年は岡本の活躍もあって出場機会が減ったが、入団1年目から18年連続となるの二桁本塁打は、清原・張本に次ぐ歴代3位の長さである。そして今年6月1日のシーズン初本塁打で、史上19人目となる通算400本塁打を達成し、巨人在籍中の達成は王・長嶋に次ぐ3人目、捕手としての達成は野村、田淵以来、史上3人目、捕手で2000本安打と400本塁打をともに達成したのは野村に次いで2人目となる。
 長々と書き連ねたが、記憶に残る、球界を代表する強打の名捕手だ。かつてドラフト前に、あるスカウトは「阿部くんを獲得できれば、15年はキャッチャーの心配はいらないと本気で思っていた」と語ったそうだが、大袈裟でもなんでもなかった(ケガには苦しんだが)。権藤博さんは「打撃は天才的。高めの速球を逆方向に飛ばす選手は珍しくなくとも、低めの変化球を左中間スタンドに放り込む技術とパワーを持った選手は、阿部の他にはそういない。打者としては、天才の上に「超」をつけなくてはいけない選手だった」と称える。ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞4回、オールスターゲーム出場13回。捕手としてのキャプテンシーにも定評があるが、自主トレに坂本勇人や小林誠司をはじめ多くの若手選手を自費で帯同させる面倒見の良い先輩でもあった。25日の引退記者会見では、記者たちが皆、背番号10のユニフォーム上着を着るサプライズで、周囲からも愛された選手であることが忍ばれる。その会見の模様を伝えるAbema記事から引用する。

(引用)
 「野球とは?」と問われると「野球とは…」と自問自答するようにつぶやき、さらに「ん~…」「野球とは?」ともう一度続け、およそ10秒の沈黙を経て静かに心の中にある思いを語り始めた。
 「一寸たりとも心の中から消えないものですよね。何かしている時も、たぶん心の中には野球しかなかったんじゃないかなと思います」
 さらに阿部は「死ぬ寸前まで野球が好きなんじゃないですかね」と続けると、自らの気持ちを確かめるように数回頷いた。
(引用おわり)

 華のある選手で、私にとっては清原の次の世代のアイドルだった(因みにイチローはその真ん中に位置し、三人とも野球小僧!)。私の気のせいに過ぎないが、彼の打球が描く弧の鋭さと美しさは随一と思わせた。ヒーローインタビューの「最高で~す!」はワンパターンで物足りないが、彼ならしゃーないなーと思わせた。
 昨晩のセレモニーで、最後まで涙を流さなった理由を聞かれて、「日本一になって泣こうかなと思っている。感極まるところはいっぱいあったが、自分にはまだこれから大事な試合があるのに、涙を流してしまうと気持ちが切れてしまうのではと思ったので我慢してます」と明かした。23日にチームメイトに呼び掛けたように、日本一となって花道を飾り、目いっぱい泣かせてあげたい。
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2 コメント

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September (あんびばれんと)
2019-09-30 08:55:15
阿部慎之助愛にあふれるブログ、楽しく拝見しました。また、ひとつの時代が終わった感じがありますね。私自身は中日ファンですが、あの豪快さは敵ながらあっぱれ。もう、登場曲のSeptemberが聞けなくなると思うと、さみしいですね。西武の山川には似た路線を歩んで欲しいです。
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昭和な感じ (風来庵主人)
2019-09-30 23:29:52
そうですねえ、ひとつの時代が終わった感じがして、寂しいですねえ。次に続くのは(私はジャイアンツ愛から逃れられそうにありませんので)坂本勇人(ちょうど10歳差)とか岡本和真(更に8歳差)で、才能は十分ですが、何かが違う。こてこて感がないと言うか、昭和の空気を吸っていないと言うのは、偏見かも知れませんが。
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