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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

抗日戦争勝利80年の虚妄

2025-09-01 21:00:47 | 時事放談

 中国が「抗日戦争勝利記念日」と定める9月3日を前に、反日感情の高まりが懸念され、在中国日本大使館は在留邦人に向けて、「周囲に聞こえる声量で日本語を話すことは極力控える」などとする外出時の安全策をHP上で公表し、注意を呼びかけている。

 昔から、外敵を作って内政を固めるのは政治の常套手段で、あれだけの広大な領土に56の民族を擁し14億の人民を従え経済が低迷し内政に不安を抱える中国共産党は、米中対立で表面上は日本に擦り寄る素振りを見せても、根っこでは国威発揚に繋がる宣伝(プロパガンダ)に余念がない。抗日という美しい建国の歴史物語を出発点とする中国共産党は、文化大革命で共産主義への幻滅が広がり、改革開放に舵を切って言わば「タガ」が外れることを懸念してからは、反日・愛国の旗印を掲げないことには自らの統治の正当性を主張できない困った人たちなのである。権威主義体制下で中華帝国を維持しようと無理をする中国共産党の宿痾である。

 かつて毛沢東は、社会党(当時)の関係者が謝罪しようとしたのを制し、中国共産党が内戦に勝利し中国を統治できるようになったのはむしろ日本のお蔭だと謝辞を述べたという話が伝わっている。毛沢東の世代には戦争の現実を知るが故の慎みがあったが、戦争を知らない世代ほど戦争を自らの都合のよいように歪曲し、時に過激化し、政治の道具にして恥じることがない(韓国のリベラルもそうだ)。一昨日の産経新聞電子版によると、ハドソン研究所が、「中国共産党軍が日本軍の主敵として日本の侵略と戦い、勝ったとする主張は共産党を美化する厚顔なウソだ」「1937年から45年まで日本軍と戦ったのは蒋介石麾下の国民党軍で、総計350万人の死傷者を出したが、共産党軍は延安地区に引きこもり日本軍とはほとんど戦わなかった」などとするレポートを発表したそうだ(日本の保守派が主張する通りのストーリーなので、書いて貰ったと言った方が正しいのかもしれない)。

 既に中国のSNS上では昭和天皇を侮辱する動画が拡散されているらしい。国家元首に対する何たる非礼であろう。恐らく、儒教社会の名残りで世代を超えて恨みが継承されることに加えて、そもそもナチスの特別な犯罪と日本の軍国主義の通常の犯罪の区別がつかないのだろう。極東国際軍事裁判(東京裁判)はニュルンベルク裁判に倣い、日本の軍国主義をドイツのナチスに比定し、言わばスケープゴートにしてケリをつけ、溜飲を下げた。中国もそのロジックに乗っかるが、それに反発するのは日本の保守派だけではない。ユダヤ人も、ナチスの犯罪を矮小化するな、と反発する。実際に日本でA級戦犯(平和に対する罪)とB級戦犯(通常の戦争犯罪)は多いが、C級戦犯(人道に対する罪)はほとんどなかった。

 中国ではまた旧日本軍の侵略を描いた映画『南京写真館』(原題:南京照相馆)が異例のヒットを記録しているそうだ。日本兵が赤ん坊を無造作に地面に投げ捨てるなどの残虐場面が多く、それらが切り取られてSNSで炎上しているらしい。あろうことか学校の教師が子供たちに見せることを推奨し、親は平気で子供に見せて、悲惨なシーンでは号泣する子供が多いようだ。しかし国営新華社通信は「この映画を見た5歳の女の子が大きくなったら軍に入ると発言した」などと報じ、河南省では9歳の子供が鑑賞後に大切にしていた日本のアニメのカードをすべて破り捨てたという報道が現地で物議を醸したという。

 当時の仔細な記録がどこまで残っているのか寡聞にして知らないが、人は自分の知っている世界に似せて、自分の知らない世界を創り上げるものだ。当時、中央の統制が効かない殺伐とした大陸で匪賊が跋扈し残虐行為を繰り返したのを、日本軍も同様にやりかねないと想像して創り上げたものであろう。南京大虐殺と呼ばれるものについても、「城」の在り方がそもそも中国と日本とでは異なり、中国ではヨーロッパ諸国と同様に異民族の侵入を防ぐために街全体を城壁で囲むのに対し、日本で壁があってもそれは天守閣を護るものであって、街はオープンで、南京「城」内で掠奪・放火するような蛮行は、日本の辞書にはない。戦時中の、や(殺)らなければや(殺)られるような異常な精神状況にあって、行き過ぎた行為があったことは否定しないが、20万や30万といった規模の殺戮は、やはり日本人には俄かに想像できない(歴代王朝の交代や毛沢東の大躍進政策で数千万単位の人が亡くなる中国では容易に想像できたとしても)。日本人居留民を護るために進出した日本軍の下にいる方が安心だと言う中国人がいたとも伝えられる。

 そのほか、旧日本軍の731部隊による生体実験を描いた映画『731』が9月18日(満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日)に公開される予定だし、英国兵捕虜を救出する中国漁民を描いた『東極島』(8月8日公開)や、中日戦争時の過酷な旅路を追うドキュメンタリー『山河為証』なども続々と公開される。

 とどめを刺すのは、中国政府によれば、抗日戦争勝利80年の記念行事に鳩山由紀夫元首相が出席するということだ。ご長男は中国行きに反対されているようだが、この方の宇宙人のような空気の読めなさ感は、かつてワシントンポスト紙からLOOPYと呼ばれたように半端ではない。このような方が日本の総理大臣だったことは信じ難い。

 安田峰俊さんは(まさに抗日の矢面に立っていた国民党の中華民国)台湾での同様のイベント、中華民国国防部主催「第二次大戦記念および抗戦争勝利80週年音楽会」に参加したときのことを報告されている(文春オンライン)。舞台上の歴史劇では、往年の抗日音楽が演奏されるも全て歌詞なしのインストルメンタルで、「日本」や「中国」といった固有名詞は登場せず、「国共内戦」への言及もなかったそうだ。日本にも中国にも配慮する台湾という土地柄における政治イベントの難しさと、歴史を扱うことの微妙さを考えさせられる。

 折しも台湾の頼清徳総統は15日にSNSに、「第二次世界大戦が残した最も貴重な教訓は、団結は必ず勝利し、侵略は必ず敗北する」と投稿され、中国は早速、「中国人民が抗日戦争を戦ったという歴史を意図的に無視し、『民主主義 対 権威主義』という誤った物語を広めている」と反発した。しかし、真に意味があるのは、誰が・・・と言って未来永劫、後ろ指を差し続けることではなく、「罪を憎んで人を憎まず」と日本で言われるような、近代法の罪刑法定主義にも繋がる考え方であろう。勿論、民族の記憶を消し去ることは出来ない一方、故・安倍元首相が70年談話で主張されたように、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」のであって、これは、中国や韓国が絶賛するドイツの故・ワイツゼッカー元大統領の演説に倣ったものだ(なお、ワイツゼッカー演説は(侵略)戦争には触れておらず、全て人権問題にすり替えて、つまりはナチスのせいにして、トカゲの尻尾切りなどと揶揄されることがあるが、余談である)。

 因みにこの言葉はもとは『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった、悪=憎)」から来ているらしい。聖書(ヨハネ福音書8章)にも同様の言葉があるようだ。歴史を直視せよ、と、ことあるごとに上から目線で日本を批判し続ける中華人民共和国が古代中国とは全く異なる国柄であることの証拠の一つであろう。

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