風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

円高

2010-09-18 13:29:36 | 時事放談
 菅さんが再選された翌日に、実に6年半振りとなる為替介入が行われ、単独介入だから長続きしないだろうと言われながら、ここのところ85円前後に戻したままで推移しています。ビジネスに冷たいと陰口を叩かれがちなオバマ大統領は、それを打ち消すかのように5年で輸出倍増の花火を打ち上げ、ここ暫くはドル安の手を緩めることはなさそうなので、日本としても、腰を据えて、という意味は、注射のような介入でよしとするのではなく、改造内閣のもとで明確な中・長期の国家戦略を打ち出し、力強い経済・財政運営を進めて欲しいものです。
 さて国家戦略と言ったときに問題になるのは、何が国益かということでしょう。端的に円高が良いのか、良くないのか。当然、国の経済構造やその時々の経済情勢に左右されて一概には言えませんが、自国通貨が強いことを好まない国は、一般的には少ないのではないでしょうか。日本においても、円高メリットを享受すべしと主張する人たちによれば、円高で輸入価格が下がると、食料やエネルギー価格の値下がりに繋がり、輸入業者だけでなく小売ひいては消費者にもメリットがありますし、国内にとどまった話だけではなく海外に積極的に打って出る契機にもなり、個人にあっては海外旅行がお得になりますし、企業もM&Aなどの攻勢を仕掛けやすいと喧伝されます。これが円安に反転すると、海外から高い買い物をさせられることになりますし、国内の資産を外資に食い散らかされることにもなりかねません。しかしこれまでのところ日本がそうならなかったのは、圧倒的に強い輸出力を誇って来たからで、むしろ国内経済の実態(購買力平価)以上に円の実勢レートは高めに張り付いて来たと言えます。
 そこで更に議論になるのが、日本は今もなお輸出主導型経済なのかどうか、つまるところ円高を悲観するには及ばないのかどうか、更に言うと円高を克服しなければならない(パラダイム転換しなければならない)のかどうか、ということです。
 よく引用されるデータが輸出依存度(国内総生産に占める輸出額)で、ちょっと古いですが、総務省統計局のサイトからリーマン・ショック前(2007年)のG7各国データを拾ってみると、高い順にドイツ40%、カナダ29%、イタリア24%、フランス21%、日本・イギリス16%、アメリカ8%となっています。日本は2002年から2007年の景気拡大期に、輸出依存度を高めていながらこのレベルですから、総じて低い方の部類に入ると言えます。アジアの国はもっと高くて、韓国35%、中国36%、香港やシンガポールに至っては150%を越えています(各166%、179%)。こうした字面を見て、日本経済はもはや輸出依存型ではないと判断するのは早計だろうと思います。そもそもユーロ圏として一体感が強く、相互依存関係が進んだ欧州諸国にあっては、輸出・輸入が伝統的な意味(あるいはユーロ圏以外)での輸出・輸入と等価とは言い難くなっており、ユーロ圏内取引を除いたユーロ圏全体の輸出依存度は17%だそうです。それはカナダも同様で、輸出の8割をアメリカに依存しているそうです。こうしてみると、経済のステージとしては製造業の空洞化が叫ばれて久しく金融経済型で先行するアメリカという極端と、国内経済が限られているため少数精鋭の財閥系企業が外需に依存する韓国や、世界の工場として台頭する中国という極端との間にあって、日本の輸出依存度は必ずしも低いとは言えないでのではないかと思います(もっとも、その日本も、中国・韓国をはじめとするアジア経済圏との結びつきが強く、単純比較は難しいのですが)。
 さらに数字だけでなく、その中身を見る必要があるように思います。とかなんとか言いながら、手元にデータがないので私の想像でしかありませんが、輸出を支える企業の属性は、韓国や中国に比べると、ずっと零細ではないか。なにしろ日本の企業総数430万超の内、中小企業基本法の定義に基づく大企業(常用雇用者300人以上、卸売業・サービス業の場合は100人以上、小売業・飲食店は50人以上)は僅かに1万2千社(0.3%)に過ぎません。もちろん、トヨタを代表とする大企業の輸出額は依然規模が大きいには違いありませんが、トヨタをはじめとする大企業の多くはプラザ合意による円高の進展や1980年代に過熱した貿易摩擦により海外生産を進めてきました。こうして大企業の輸出を支える部品や金型・プレスなどの製造装置などの裾野産業としての中小企業だけではなく、中小企業自体の輸出も少なくないだろうと想像されます。これら中小企業の輸出の絶対額は大企業に比べれば小さいには違いありませんが、関連する企業数や従業員の総数は無視できないのではないでしょうか。
 民主党政権は、過去一年、今回の為替介入に至るまで、円高に対して無策でした。それは、円高でも掛け声だけの内需拡大、すなわちサービス業をはじめとする内需型産業を伸ばすことによって日本経済を立て直すのだといった強い信念に裏打ちされたものではなく、雇用さえ守られれば企業(とりわけ輸出を手掛ける大企業)のことはどうなっても構わないといった消極的な思考に過ぎなかったのではないかと思います。確かに野党の時代には、自分の好きなこと、得意なところに集中して、その一点において攻撃していればそれで済む面がありました。自らの支持基盤である労働組合や日教組の利害ばかりを気にしてご機嫌を取っていれば良い。さすがに政権党の座に一年間おさまって、まがりなりにも国家運営を手掛けざるを得なくなると、労働組合だけではなく経営側にも、また農家や零細企業だけではなく大企業にも、更に中国や韓国をはじめとするアジア諸国だけではなくアメリカやヨーロッパにも、全てにわたって目配りが欠かせませんし、それなりに(全てとは言いませんが)守って行かなくてはならなくなります。攻撃よりも防御は難しい。それが政権党の重みであり、民主党もようやくそのことに気づきつつあります。
 これからの日本をどう描くのか。これは自分の周囲しか見えていない私たち国民が手掛けるには限界があり、政治の仕事の一つと言えるかも知れません。ただ一つ言えることは、日本は江戸時代のように鎖国をして生きて行けるわけはなく、好むと好まざるとに係わらず競争環境の国際社会で生き抜くしかありません。そのとき、輸出立国を見直して内需型にするといった、1か0かの内向きの発想ではなく、不得意な分野では諸外国を活用して輸入を増やしつつも、自ら得意とする分野はより強くして輸出を伸ばし、経済全体の効率を高めることが重要です。今も既に輸出と輸入はほぼ均衡していますが、輸出も輸入も伸ばすことにより、国際社会と相互依存関係を密にすることが、資源の乏しい貿易立国の姿であり、安全保障上の緊張を緩和することにも繋がります。その時、民間の活力を活かせるような環境を整えるのは政治の責任であり、そういう意味でも行き過ぎた円高は是正する必要があります。
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