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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

天安門事件から30年

2019-06-06 23:44:59 | 時事放談
 今年は30周年という節目だが、もとより何かあるなどとは期待していなかった。既に年初から人権派弁護士や活動家らが多数拘束されていたようだし、何しろ有り余る人と先端IT技術を駆使した、頑強なネット検閲システムもある、ジョージ・オーウェルもビックリするほどの超・監視社会であり、怪しい言動がないか密告が奨励される窮屈な社会でもある。ただ、30年経った今、権力によって歴史的事実が捻じ曲げられ、挙句に人々の記憶すら風化させられた、あの忌まわしい事件を、中国の人々は現実にどう受け止めているのか、世代によっても違うだろう、そのあたりが僅かでも溜息のように漏れてこないか、ささやかながら注目していた。
 当時、中国政府は民主化運動を鎮圧するため20万以上もの軍隊を投入したそうだ。25年が経過した2014年に公開された米国防情報局(DIA)の機密文書によると、最終的な評価が済んでいないという断り書きが添えられているが(もはや評価不能と思うが)、動員された兵士たちは、天安門広場に集まった人々を「笑いながら」無差別に発砲したといい、ある部隊は「デモ隊であろうがなかろうが、人の集団を見つけると手当り次第に」発砲したという。そもそも動員されたのは「北京に知人、友人が少ないため、北京市民への無差別発砲に抵抗が少ない」という理由で地方(新疆ウイグル自治区など)の部隊が中心とも報道されていたらしい。そして中国政府は当初「死亡者は一人も出ていない」と発表し、その後、流れ弾に当たった「死者200人余り」と修正したが(公式発表は319人とも)、先の米公文書によれば死者1万454人、英国立公文書館(TNA)が公開した機密文書によると、当時の英国大使が国務委員から聞いた数字として本国に打電した死者数は少なくとも1万人に達するという。
 実は私は情けないことにこの事件のことが余り記憶にない。当時、ペーペーのサラリーマンは残業続きで、浮世離れした生活を送っていた。今なおこうして書き留めるのは、その後の日本が米国からの水面下の要請を受けて経済制裁を早々に解除し、米国とともに今に至る“モンスター”にも比すべき巨大国家資本主義を育てるのに手を貸した、昨今の「中国問題」の発端ともいえる歴史的事件を、さして気にも留めていなかったという心理的な負い目があるからでもある。
 人民日報系の環球時報(英語版)は、「政府が89年の事件をコントロールしたから、中国は旧ソ連やユーゴスラビアのようにならなかった」と、軍が民主化運動を抑え込んだ天安門事件を正当化する社説を掲載したらしい。中国共産党は、中国の成長と繁栄のカギを握るのは「民主主義」ではなく「安定」だと主張し、それを天安門広場での抗議デモの弾圧を正当化する理由にしているもので、確かに、この広い世界には「自由」を適切に扱えるほどに民衆が成熟していないために先ずは「安定」を求めるところがあることを、私たちはアラブの春で実感している。しかし、「虐殺」(中国共産党によれば死者は僅かの「弾圧」)は正当化できないだろう。そうは言っても、そんな宣伝効果もあって、そして何よりその後の30年で実現した経済成長という現実は重く、豊かさを手にした人民の多くは政治に無関心になり、高学歴の知識層からも「中国にとって何よりも大事なのは『安定』であり、共産党の指導は必要だ」との声が聞かれるようになったという。
 ジャーナリストの安田峰俊氏の近著『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(角川書店)は読んでいないが、現地の人(事件当時19歳の大学生、数年前のインタビュー当時は投資会社幹部)へのインタビュー部分がその書籍の抜粋としてWeb記事掲載されていた。

(前略)
 そこそこ知的な中国人のおっさんたちが、気が置けない仲間と集まれば決まって天安門の話題になる。いかなる思想や社会背景を持つ人でも、あの事件が青春の思い出であることに変わりはない。
 「結論としては『大丈夫だった』と自信を持って言う人間は誰もいないって話になった。日本でも例があるでしょ? 試しに民主党に政権を任せてみたら、国がグジャグジャになったじゃないか。中国の場合はもっとひどいことになるんだ。仮に当時の学生が天下を取っていたら、別の独裁政権ができただけだろうと思う」
 日本の民主党(当時)の話はさておき、中国についての話は説得力がある。過去の辛亥革命も国民革命軍の北伐も社会主義革命も、結果的には袁世凱や蒋介石や毛沢東を新たな独裁者として台頭させる踏み台でしかなかったのだ。
(中略)
 「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。他にどこの国のどの政権が、たった25年間でこれだけの発展を導けると思う? だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
(中略)
 中国における言論の自由や社会の自由度についても、往年に比べればずっと改善したという。彼は政府が国民の不満を解消するためにこうした変化に積極的な姿勢をとるようになったことが、天安門事件の最大の「功績」だとも話した。この話題が締めくくりとなり、私の(xxxへの)取材の時間は終わった。
(後略)

 中国の民主化運動を支持する雑誌「北京の春」編集人でアメリカ在住の胡平氏は、「天安門事件前まで、共産党は弾圧するときに“敵”のレッテルを張ってからするという手順を踏んでいたが、天安門事件では学生、知識人、一般庶民といった普通の中国人をいきなり虐殺した。この恐怖こそが中国人に植え付けられた天安門事件の負の遺産」と言い、この事件以降、人々が共産党に抵抗する意志を完全に失ったと指摘する。そして、「中国には民主がないため耐える力は強い。民主国家が(経済戦争に)勝つのは難しい」と、独裁政権故の中国の優位性に目を向けざるを得なく、冷静である。
 中国政治研究者である米コロンビア大教授のアンドリュー・ネイサン氏によると、「中国の指導者は自らに権力を集中し、独裁的な地位を築くしかない。それができなければ、反対する元老勢力と政敵が結託するのを許してしまい、板挟みとなる。結局、すべてのライバルを排除し、自分の周りを追従者で固めるしかない」。これが習近平が天安門事件に絡む激しい政治的な闘いから学んだ教訓だという。実際のところ、江沢民や胡錦濤ら長老勢力が、習近平国家主席の脅威になり得るライバルらと組むことは、反・腐敗運動を通して徹底的に阻まれてきた。
 こうして、民衆側も権力側も学習し、中国経済が大停滞あるいはひっくり返るか、軍事衝突でしくじるか、外交交渉で失敗するかして、付け入るスキを与えない限りは中国共産党統治は変わらないだろうなあという諦めの徒労感をも伴う溜息をついたのであった。30年は長い。おまけに“超”監視社会である。
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