風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ボストン・マラソン16年目の真実

2012-08-31 22:54:47 | スポーツ・芸能好き
 日経新聞「私の履歴書」は、メキシコ五輪マラソン銀メダリストの君原健二さんが執筆されていました。私が物心ついた頃には、君原さんは日本マラソン界のトップ・ランナーで、マラソン・レースのテレビ中継にかじりつき、「マラソンの青春」という自伝本を読んで(もう一冊、宇佐美彰朗さんの「マラソンひとりぼっち」も読んで)、マラソンに憧れていた私が高校で陸上部に入部するきっかけをつくったご縁のあるお方(の内の一人)です。今日の「私の履歴書」最終回では、71歳の今も、東京マラソンを3時間35分57秒で完走する健脚振りを披露されていて、お元気そうで何よりでした(正確には走った当時は70歳)。しかし今日のメイン・テーマは、むしろボストン・マラソンとの関わりでした。
 ボストン・マラソンと言えば、今年116回を数える、エリート・ランナーのための伝統ある大会です。優勝者を50年後に招待する習わしがあるらしく、1966年の大会で優勝された君原さんは、慣例により4年後の2016年の120回大会に招待されるはずであり、完走するのを楽しみにしている・・・という話でした。実は1996年の100回記念大会にも招待されていたけれども、直前に怪我をしたため断念し、代わりに二人の息子が走ってくれた、それだけに4年後には期するものがある、との決意も述べられていました。
 これを読んだ私は、一瞬、目を疑いました。
 実は、1996年の100回記念大会を、私は家族と共に心臓破りの丘の中腹あたりで観戦していたのです。時間に遅れたために、谷川真理選手を見逃して残念に思いながら、漫然と声援を送っていたところ、突然、君原さんの雄姿を認めたため、思わず「君原さ~ん」と声をかけると、私の家内や、ピクニック気分で一緒に観戦に来ていた知人の奥様たち(当時はまだ20代後半から30代前半)からも次々に「君原さ~ん」の黄色い声が飛んで、驚いてこちらを振り向かれたのでした。現役当時ならいざ知らず、まさかボストンの片田舎で55歳(当時)の東洋人のおじさんを知っている人がいようとは思いもよらなかったことでしょう。
 今日の「私の履歴書」通りに、レースを断念していたのだとすれば、私が見た人は君原さんご本人ではなかったことになります。他人の空似だったのか?それにしては「君原さん」の声に反応したのが不思議です。それでは、27歳と24歳の息子さんたちのいずれかだったのか?いや、そんなはずもありません、見かけたのは間違いなく初老の紳士で、やはり君原さん本人だったと言わざるを得ません。怪我をしたのは本当だったとして、ジョギング・ペースでしか走ることが出来なかった自分が(あるいは、まさかとは思いますが、全てのレースを完走したことを自負しているけれども、この時ばかりは完走できなかった自分が?)不甲斐なかったため、かつての名ランナーのプライドが、そう言わしめたのでしょうか。ご本人に確かめてみたい気がします。
コメント
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