風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ロンドン五輪・場外戦(続)

2012-08-15 00:29:01 | スポーツ・芸能好き
 とっくに閉会式は終わって、活躍した日本選手の帰国が相次ぐ昨今ですが、筆が遅い(キータッチが遅い?)このブログは、今日もなお前回に引き続きロンドン五輪の場外戦に関する話題です。前回は韓国でした。その後の報道によると、韓国が日本統治からの解放を祝う15日の記念式典で、李明博大統領は、(1)日本統治時代の慰安婦問題(2)日本の教科書の歴史歪曲、などで日本に謝罪を迫る演説を予定しているとか、天皇陛下に(韓国訪問の暁には)「(日本の植民地統治期に)亡くなった独立運動家に対し、心から謝罪する」ことを要求すると言い放ったとか、日本の影響力はかつてほどのことはないなどと暴言を吐くなど、何を血迷ったか言いたい放題で、街頭でインタビューを受けた若い韓国女性から、根回しもなく言い放って大丈夫かと、韓日関係を心配される始末です。この不可解さは、李明博大統領がそれだけ追い込まれている切羽詰まった精神状況の表れなのか、それとも気がふれたのではないのかと、却って心配になるほどです。
 さて、今日は話が変わります。オリンピック開催期間中、台湾企業HTC傘下の人気ブランド「Dr.Dre」のヘッドホン使用が禁じられたのは、国際オリンピック委員会の公式スポンサーである韓国の三星が圧力をかけたからではないかと話題になりました。公式スポンサーは五輪の財政を支えるため、独占的権利が保証されているわけですが、台湾企業HTCは、予め英国や中国など約20ヶ国の選手団に合わせた特別色の製品を提供していたらしく、こうしたゲリラ的な広告手法が問題視されている模様です。そう、今日の主役は韓国ではなく、中国、つまり、三星が圧力をかけていると非難したのは、誰あろう、中国なのでした。
 以前、このブログで、中国のネット上では「金メダルを獲ったのは(重量挙げや飛び込みや卓球などの)マイナースポーツばかりで自慢にならない」「(サッカー、バスケットボール、陸上、水泳などの)人気スポーツで勝たなければ、スポーツ大国と言えない」といった冷静な意見が飛び交っている話を紹介しましたが、なかなかどうして、競泳女子個人メドレーで、葉詩文選手が200メートルと400メートルの2冠を達成しましたし、競泳男子自由形では、孫楊選手が400メートルと1500メートルで優勝しました。
 しかし、中国と聞くと、どうにも素直に賞賛されないうらみがあります。象徴的なのが、16歳の葉詩文が、競泳女子400メートル個人メドレーで世界新記録を出して優勝した時の驚異的な泳ぎでしょう。最後の50mは、男子金メダリスト・ロクテ選手の29.10秒を上回る28.93秒を叩きだし、欧米メディアからドーピングを疑う質問が集中しました。確かに誰がどう考えても信じ難い。この時、当時の主催国・中国による北京五輪での数々の“偽装”を思い出した人が多かったことでしょうし、もともと卓球は1880年代に英国の上流階級の遊びとして生まれたスポーツでしたが、1950年代に毛沢東が“国技”とすることを宣言するや、中国は国家事業として卓球選手の育成に取り組み、今では国際舞台で国籍は違えど華人同士の争いになるほど異常な状況を思い浮かべた人も多かったことでしょうし、さらには1990年代、競泳女子で中国が圧倒的な強さを誇った頃、結局、1994年の広島アジア大会で組織的なドーピングが発覚しました(産経新聞)し、陸上の「馬軍団」が一世を風靡したにもかかわらず、2000年シドニー五輪直前に参加を取りやめたのは、ドーピング違反が原因だったことを、国家体育総局の元幹部が著書の中で明かした(産経新聞)ことを思い出した人もいることでしょう。こうして、一党独裁のイビツな権力と秘密主義が背景にあって、世界の人々から疑惑の目を向けられる状況を、中国はしかと理解する必要があります。
 また今回のオリンピックで際立つ事件として、バドミントン女子ダブルスの一次リーグで「無気力試合」が話題になりました。決勝トーナメント進出を決めた中国ペアが決勝戦まで中国ペア同士で当たらないよう、一次リーグ最後の試合で手を抜いて失格となった(この中国ペアだけではなく、世界ランク1位の中国ペアに当たりたくないインドネシアと韓国のペアも同罪に処された)ものです。こればかりは、主催者側の組合せの決め方の問題、つまり選手ではなく運営ルールのありようが悪いと思いますが、同時に、中国では、年端のいかない若い内から基本的な教育を受けることなく体育学校で特訓を受け、つぶしの効かない往年の五輪選手が、引退後は、場末の風呂屋のアカスリ嬢をしていたり、メダルを取ってもネットで叩き売って生活の足しにしたり、窃盗犯などでつかまったり、といった末路を辿る「五輪選手残酷物語」の例に事欠かない(福島香織さんのコラム)実態を思い出し、中国における(中国だけではないかも知れませんが)行き過ぎた勝ち(金メダル)への執着を苦々しく思います。
 それから中国がらみでもう一つ、陸上男子110メートル障害で2大会続けて棄権した中国陸上界の英雄・劉翔選手がつけていたゼッケン「1356」が前回と同じだったことが様々な憶測を呼びました。本来、五輪のゼッケンは、国及び名前のアルファベット順で決められており、作為が働く余地はないはずですが、中国のネット上では、「13億人、56民族を表している。このような圧力が劉翔を押し潰した」「幹部やコーチが故意に選んだ」といった意見が支持を集めているそうです。一種の都市伝説でもあり、これも中国の国家権力の闇の一つととれなくもありません。
 こうして、中国のやることなすこと、全て疑惑にまみれ、怪しく見えてしまうのが、中国という国の現在の「人徳(国徳?)」と言えましょうか。それ故にこそ、日本はクリーンでナイーブで可愛く見えてしまいます(但し、良くも、悪くも!)。
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