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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ウクライナの『ひまわり』

2022-04-16 20:12:22 | スポーツ・芸能好き
 今日の日経・夕刊によると、1970年公開の映画『ひまわり』の再上映が全国に広がっているそうだ。上映を決めた映画館などは今日までで100会場を超えたそうで、チケット代の一部は人道支援で寄付されるという。
 私が洋画に目覚めたのは、よりによって中学三年になるかならないかの頃で、なけなしの小遣いで『スクリーン』という月刊誌を買い求め、受験生でありながら最低週一でTVの●●ロードショーで洋画を見た。よくもまあ両親は反対しなかったものだと、今にして思う。
 なお、私が海外に関心を持ったキッカケは、1970年の大阪万博が最初だった。当時、大阪に住んでいた私は、都合4度、会場に足を運んで、月の石などを見て、世界、否、宇宙への夢を膨らませた。象牙海岸など、世界にはいろいろな国があるものだと、幼な心に関心を寄せた。その後、「この~木、なんの木、気になる木~」という日立グループのテーマ・ソングで知られる『素晴らしい世界旅行』という30分番組で、ブッシュマンなど発展途上の世界への目を見開かされた。極めつけは『ルパン三世』で、世界を股にかける大泥棒・・・と言うよりも、世界そのものに憧れた。そして洋画である。
 当時、最初に知った女優がソフィア・ローレンさんだった。正直なところ美しいと言うよりも何だか異質な存在で、個性的な方だと思った。因みに、本当に「美しい!」と感動した女優さんは、後年、大学生のときに見た『夢千代日記』の吉永小百合さんで、血は争えないものだと思う(苦笑)。大学三年が終わった春休みに、友人らとレンタカーを借りて、春まだ浅い山陰の旅に出かけて、大雪の中、チェーンを巻きながら、舞台となった湯村温泉を訪ねた。番組では、まるで海岸沿いの温泉街の風情だったが、実は内陸にあった。蟹三昧で、食した後の蟹の甲羅に日本酒を注いで火で炙って飲んだのが、滅法、美味くて、今も忘れられない。番組で何度も紹介された餘部鉄橋にも足を止めた(但し、今は当時の風情はない)。
 閑話休題。「ひまわり」では、ソフィア・ローレンさんが、第二次世界大戦によって夫婦仲を引き裂かれた「未亡人」を好演した。エンディングで評判となった「地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑」は、ウクライナで撮影されたもので、地元の人が「この下にはイタリア兵とロシア人捕虜が埋まっています」と説明する場面があるそうだ(Wikipediaによる)。イタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の合作映画だそうで、今となっては俄かに想像し辛い。
 当時の洋画は、mellowな主題歌も話題になった。私がまだ見たことがない映画で、主題歌によって強く惹かれるのが『パピヨン』と、この『ひまわり』だ。ヘンリー・マンシーニが担当したメロディは、今のウクライナに重なるように、甘く切ない。
 この機会に、『ひまわり』を見てみたいと思うし、現実の世界において、国際人道法違反だけは止めて欲しいと思わずにはいられない(と言うより、ロシアへの憎悪が増すのを抑えられない)。
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佐々木朗希投手の完全試合

2022-04-13 21:15:41 | スポーツ・芸能好き
 夜に灯りがない生活は、なかなか神秘的だ。十数年前、オーストラリアのウルル(エアーズロック)を訪れたとき、満点の星空を見上げながら、昔の人は月と星と太陽を頼りに生活していたことを思うと、現代人には想像もつかないほど自然の恵みに感謝し、またその脅威に立ち向かって、人間の存在の小さいことを、骨身に沁みて感じていたことだろうと、漠然と思ったものだった。何を唐突に、と思われるかも知れないが、実は、日曜の夜、突然、部屋の照明がつかなくなって、この三晩は、真っ暗闇の中でパソコンの明かりを頼りに過ごすのも癪で、とっとと不貞寝したのだった。今日、修理に来てもらったところ、案の定、ブレーカーの故障のせいだった。ブレーカーも家電製品と同じで劣化する。
 前置きが長くなったが、日曜の夜と言えば、佐々木朗希投手がプロ野球史上16人目の完全試合を達成した日だ。遅まきながら、その感動を書き留めておきたい。
 野球ファンにとって、贔屓の選手であろうがなかろうが、斯様な偉業は胸躍る瞬間である。それが「令和の怪物」と話題の選手となればなおさらだ。9回27人の打者に対して105球、19奪三振、圧巻は、1回2アウト後の吉田正尚外野手から、5回3アウト目の西村凌外野手まで、13者連続で三振を奪ったところだ。完全試合は28年振り、20歳5ヶ月での達成は62年振りの史上最年少、13者連続奪三振は64年ぶりの日本記録、19奪三振は27年振りの日本タイ記録と、記録づくめだった。
 数字も凄いが、中身も凄い。ほぼ、自己最速タイとなる164キロの直球と140キロ台後半の高速フォークとのコンビネーションだけで、昨年の優勝チームをきりきり舞いさせたのである。藤川球児氏は、「普通は打者が苦手なコースを攻めるが、彼には必要ない。スピンの利いた160キロ超の浮き上がる直球とフォークで打者を圧倒できている」「三振を奪うための方程式も構築されており、カウント球と勝負球の球種が違う。同じフォークの場合は腕の振りによる緩急で決め球との差をつけている」と解説された。データスタジアム社のアナリスト・佐々木浩哉氏は、「最速164キロをマークした直球が脚光を浴びることが多い佐々木投手ですが、主役はフォークボール」と分析される。19奪三振中、15個をフォークボールで奪い、カウント球としても有効で、36球を投じたフォークのストライク率は実に83.3%、とりわけフォークは球界屈指の空振り率を誇るそうだ。
 本人曰く、「正直あまり意識していなくて、打たれたら、それでいいかなと思って、最後まで松川を信じて投げました」。怖いもの知らずなのか、大物なのか(否、その両方だろう)。そこまで言わしめる高卒ルーキーの松川虎生捕手も褒めてあげたい。それから、佐々木朗希投手の入団以来、一軍に帯同させ、大リーグの経験豊富な吉井理人・一軍コーチの指導のもとでじっくり育てた千葉ロッテも褒めてあげたい。こうして眺めてみれば、高校野球の地区予選決勝に投げさせなかったのは、良かったのか悪かったのか今もって判断は難しいが、いずれにしても報われたと言うべきだろう。
 もう一つ三振を奪っていれば・・・と惜しむ声があるが、焦る必要はない。現在、34イニング連続奪三振を続けており、次の試合で日本記録の43イニングに挑むことになる。オールスターで江夏が達成した9者連続奪三振(あるいは江川の8者連続奪三振)のような息詰まる対戦が待ちきれない。
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アリス結成50年

2022-03-26 09:51:24 | スポーツ・芸能好き
 フォーク・グループのアリスが、1972年の結成以来50年、今なお休みを挟みながらも現役を続けていて、このたび(と言っても既に10日前のことになるが)「SDGs目標10年」計画を発表した。何しろ、チンペイ(73)、ベーやん(72)、キンちゃん(73)、三人合わせて218歳の老朽バンドは10年後は248歳・・・SDGsとは、経済合理性ならぬ音楽合理性だけではやっていけない、持続可能性を求める、まことに時宜に叶ったネーミングであるw 
 何やらまた昔話になってしまうが、アリスは、サザン、ユーミン、オフコース、風(伊勢正三)とともに、私の青春時代の音楽シーンの一面を彩るミュージシャンだ。後の四者が聴くだけだったのに対して、アリスは自らコピーバンドを結成したという気恥しい過去がある。おまけに京都の某女子大(軽音サークルの相方)の学園祭で演奏したという、おぞましい過去まである。若気の至りとしか言いようがない(もっとも、その後、私はジャズに傾倒して、バンド活動は下火になって行くのだが・・・)。
 いつからアリスに注目するようになったのかは記憶にない(『冬の稲妻』でブレークするかなり前だったことは確かだが)。当時、不良中年・三人組の、肩の力が抜けた、水が流れるような生き様が何とも心地好くて羨ましかった。今や不良老人の域に達して、今なお心地好い。そんなアリス(チンペイ)にそもそも注目したエピソードは今も忘れられない。ギターを握ったキッカケを問われて、女の子にモテたかったから、と何ともあけすけな答えを返したのだった(当時は太っていてモテなかったから、というオマケがつく)。だいたい当時の男の子がギターを握り、車を乗り回したのは、カッコいいからで、その実、皆モテたかったからに他ならないのだが、気恥ずかしくて口に出せないところ、チンペイは何の気取りもなく自らの下心を晒したのだった。そんな直截的なモノの言い、直球勝負が、アリス(チンペイ)なのだ。
 昔話ついでに、4年前から、大阪MBSラジオ『ヤングタウン』でアリスのパーソナリティが復活しているらしい。中学生・高校生の頃、まがりなりにも受験勉強を続けられたのは「ながら族」のためにラジオがあったお陰だった。昭和な時代である。今の受験生はどうしているのだろう。
 ちなみに今の音楽シーンについて問われて、各人、次のように答えている。

堀内 「確かに便利になったけど、CD止まりですね。本来はアナログが好き。少なくとも形になったものがあると(うれしい)。MD(MiniDisc)はちょっと小さすぎるけど」
矢沢 「MDはもうないでしょ(笑)。時の流れだからあらがってもしょうがない。ベーやん(堀内の愛称)と同じでアナログ好き。昭和が好きだから、苦々しく受け入れてやっております」
谷村 「世界中がこの流れになって、そこから音楽に触れてくれる人が増えている。アリスも遅ればせながらデジタル配信を始めたんだけど、今の自分たちのベストを探していこうって感じですね」(*1)

 今、ベーやんと言えば演歌歌手だと思っている人が多いかも知れない。キンちゃん(矢沢透)は、アリスに参加する前、オフコースのドラマーとして声を掛けられていたそうだ。衝撃の事実。

矢沢 「関西で活躍するジローズがライブをやる時、いつも大阪に呼ばれて僕がドラムを担当していました。その時、ジローズの前座がオフコース。そこで前座とバックの日陰者同士みたいな感じで仲良くなり、『やりましょうよ』となっていたんです。だからオフコースの1枚目と3枚目のLPは僕がドラムをたたいています」(*2)

 「SDGs目標10年」の話に戻ると、彼らは次のように語っている。

谷村 「60歳のときは70歳、いけるんじゃないの? って言えたけど、70歳で80歳いけるんじゃないとは言い切りづらい。やれるところまでがんばるぞって」
矢沢 「どれくらいみっともなくないか(笑)」(*1)

谷村 「いたわりの10年ですよね。ファンの人たちも『よし、ここから10年、気合入れていかないと!』って思ってもらえたら、一緒に元気になれる」(*3)

 『敦盛』では織田信長役に「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」と言わしめたけれども、なかなかどうして、現代の50年の月日の流れは、人々をしてそれほど変わらせないものだと思う。50年前と比べれば、同じ70歳でも、心身ともに確実に10年は若返っているのではないだろうか。
 あらためてアリスについて、各人、次のように語っている。

矢沢 「アリスはかけがえのない存在。それがすべてではないけど、僕の人生の中でアリスを除くことは絶対にできない。アリスがないと僕もないのと同じ。体力があって健康だったら、これからもアリスの違う魅力も出せたらいい」(*2)

谷村 「アリスっておもしろいのは、それぞれ自分の好きな音楽があるんですよ。だけど、アリスとして何かやろうってなったら、それぞれが持ってるアリスのイメージに即したものを作ってくるんで、やっぱりアリスだよねって」
矢沢 「僕たちがダンサブルな曲を作っても仕方ないじゃない」
堀内 「やろうよ、ナイトフォーバー(笑)」(*1)

 三者三様の受け答えは、これぞアリス・・・とは、昭和なオヤジの独り言。

(*1)サンスポ 3月16日配信 「アリス結成50年インタビュー 谷村新司『ベーやんの声にひと聞き惚れ』」
(*2)ENCOUNT 3月24日配信 「デビュー50周年のアリス・矢沢透『本当はオフコースでやる予定だった』 今明かした秘話」
(*3)サンスポ 3月16日配信 「結成50年目アリス、SDGsな10年計画発表、谷村新司『途中で誰かアバターになっちゃうかも』」
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青梅への道はなお遠く

2022-03-12 13:41:17 | スポーツ・芸能好き
 ウクライナでは惨劇が続いているが、日本では何事もなかったかのように、春らしい穏やかな陽気で、ネットの世界と現実との食い違いには愕然とする。私も、一歩離れると呑気なものだ(自責)。しかし、東日本大震災のときのように「共感疲労」を覚えては元も子もないので、続けたい。
 この季節は、花粉症で辛くなるはずだが、巣籠もり状態で、しかも加齢で体力が落ちて反応が鈍っている(!?)せいか、さほどでもない。他方、一年で心身ともに最も研ぎ澄まされているはず・・・というのは、普段、ダレ切った私にしては、というほどの意味だが、ダレ切ったままである。なんとも情けないが、今年も青梅マラソンはヴァーチャル開催になったからだ(と、他人のせいにする)。選手が集うのではなく、スマホ・アプリを使って、一定期間(2/11~28)に、各人、好きな時間に好きな場所で思い思いに走って、記録をアップし、順位を競ったらしい。これでは、現場主義の私はその気になれない(言い訳)。
 なお、東京マラソンの方は、エリートランナーだけでなく一般参加者も含めて、先週末(3/6)に開催された。これは昨年10/17に予定されながら見送られた2021年大会が後れて開催されたもので、2022年大会としては中止になったそうだ。もとはパンデミックが始まった2020年大会(2020年3月1日)がエリートだけの大会になったため、一般参加者は2021年大会と2022年大会に振り向けられていたもので、今般、2022年大会が中止になったため、さらに2023年大会と2024年大会に振り向けられるという、ややこしい展開になっている。ぼやぼやしていた私は、当分、参加できそうにない。そうこうしている内に、フルマラソンのみならず青梅30キロですら走れない身体になってしまうのではないかと恐れている(涙目)。
 なお、この東京マラソンでは、鈴木健吾選手と一山麻緒選手が夫婦で男女の日本人選手トップをかっさらって、夫妻合算での世界ギネス記録を塗り替えたそうだ。いろいろなギネス記録があるものだ。夫婦になってからもトップ・クラスを維持しているのは立派で、是非、このままオシドリ夫婦で頑張って欲しいものだと思う。
 ただ、鈴木選手の記録について一言、水をさすようなことを言いたい。2時間5分28秒は立派で、自らの日本記録に及ばなかったものの、日本歴代2位の記録だったという。日本陸連の瀬古利彦ロードランニングコミッションリーダー(←長ったらしいなあ)は、昨年のびわ湖での日本記録がフロックではなかったことを証明したと喜んだように、まさに日本人選手で実力No.1と言ってもよいのだろう。しかし、ナイキの厚底シューズによって、記録も底上げされて、他社製と比べて走行効率4%向上、記録にして4~5分は速くなると言われる。瀬古さんの時代(かれこれ40年前)と比べても仕方ないのだが、確かに世界記録は5分速くなった。もしそうだとすると、鈴木選手の記録は実質的には瀬古さんの8分台に見劣りすることになってしまう。今大会優勝したキプチョゲは、瀬古さんが「神のような人だ。よくぞ地球上に現れた」と絶賛するような選手であるにしても、鈴木選手とは今大会の記録にしてもベスト(世界記録、日本記録)にしても3分の差がある(因みに瀬古さんは世界記録と2分差)。あれから日本人選手だけが置き去りにされているような一抹の寂しさがある。
 ナイキの厚底シューズは、「アフリカ人選手の使用を想定し、『マラソン2時間切り』をターゲットに開発されたためか、踵ではなく前足部から接地するスピードランナーに適している」と言われ、「独特の履き心地から多少の慣れも必要で、疲れてフォームが乱れてくると反発力をうまく推進力に変換できず、脚が『空回り』する」といった指摘もあり、「これを防ぐために、厚底シューズをいち早く取り入れた東洋大などは、体幹や股関節などの筋力強化を重点的に行った」と言われる(月刊陸上競技2020年2月24日記事)。だからこそ箱根でも区間新の記録ラッシュが続いているが、マラソンにおいても、もうひと踏ん張り、奮起を期待したい。
 他人様のことはともかく、私自身も奮起しなければならないので、運動不足解消のため、一日一時間の散歩では、ジョギングできる格好で家を出て、歩くだけではなく適当にジョギングを挟むようにしている。不織布マスクでは息苦しいので、布製に切り替えたが、やはり息苦しい(あるいは年のせいで心肺機能が衰えたのだろうか 寂)。
 東京マラソンの話に戻ると、一般参加は3年振りだった。感染予防対策は万全としつつも、高齢者を中心に自粛を呼び掛けて、例年の半分ほどの参加だった。パンデミックから平常に戻るにはまだ時間がかかりそうだが、それでも開催されたことを喜びたい。出来れば来年こそは青梅も・・・
コメント (2)
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北京五輪:沙羅の涙

2022-02-11 13:11:55 | スポーツ・芸能好き
 北京五輪が開幕した。昼夜を問わず氷点下10~20度で、身体の動きが鈍くなってもウェアの下着を一枚多くしたり、パサパサの人工雪は勝手が違って、直前の練習で負傷して欠場を余儀なくされたりと、いろいろ不都合が漏れ聞こえて来る。そんな中、実力を発揮した小林陵侑選手や平野歩夢選手は見事だった。三連覇を逃した羽生結弦選手は残念だった。不都合なことばかりに目を向けていても虚しくなるばかりなのだが・・・
 開会式は、東京五輪より洗練されていたとする評がある。まあ、日本は直前にああいうドタバタがあったから仕方ないかも知れない(日本では誰かが足を引っ張ろうとする!?かも知れないが(笑)、中国は統制されて邪魔は入らないだろう)。ところが、聖火ランナーの最終・聖火台点灯役にウイグル人の女子選手を起用するという「毒」が仕込まれていた。米・欧・日の先進国に向けた当てつけで、新彊ウイグルの人権侵害疑惑にはシラを切り通すつもりのようだ。また、神聖なる「イマジン」の曲に合わせて、「ともに未来へ」と一糸乱れぬ行進をして見せた。もはや世界のことは眼中になく、中国式「天下」を治める孤高の「帝国」として、その威信を中国人民に見せつけたかったようだ。ジョン・レノンは想像もしなかっただろうが、「天国も地獄もなく、国も宗教もなく、飢えることなく平和に暮らせる一つの世界・・・」は、皮肉なことに中国で実現できているのかも知れない(溜息)。
 競技に入ってからは、かねて懸念されていたことだが、不可解な判定が続いているようだ。外国の有力選手が失格になって中国に金メダルが転がり込んだスピードスケート・ショートトラックの混合団体リレーや男子1000メートルは露骨だった。気になるのは、高木菜那選手が中国人選手に邪魔されて8位に甘んじたスピードスケート女子1500メートルや、竹内智香選手が進路妨害と判定されて途中棄権となったスノーボード女子パラレル大回転や、高梨沙羅選手ら4ヶ国の有力選手5人がスーツの規定違反で失格になったノルディックスキー・ジャンプ団体女子のいかがわしさであろう。
 中でも、このノルディックスキー・ジャンプ団体女子では、通常ならマテリアル・コントロール(道具チェック)は男子種目には男性、女子種目には女性が担当するところ、女子の測定に男性コントローラーが突然、介入し、数日前の個人戦で女性コントローラーがOKを出していたスーツと同じものだったにも係わらず、通常とは異なる検査方法で測定し、違反と判定していたことをドイツ紙が伝えているらしい(東スポによる)。本来、検査方法は予測可能で透明性が求められるものだ。一気に5人もの大量の規定違反者が出るのは珍しいそうだ。少しでも浮力を稼ごうと、ぎりぎりのところでベストフィットの勝負服で競い合う中で、言い訳のように、環境が異なる五輪という大舞台で緊張を強いられて体重の変化もあり得る結果、スーツの許容差が規定を超えてしまうこともあり得ると言われるのは、分からないではない。しかし、失格となった4ヶ国(日本、ドイツ、オーストリア、ノルウェー)は、「外交的ボイコット」とは呼ばなかったものの(ノルウェーはコロナ対策理由)、いずれも政府要人を派遣しなかったと指摘されるのを聞くと、K点を越える103.00mのビッグ・ジャンプの後だっただけに、一種の嫌がらせだったのではないかと疑ってしまう。まあ、政府要人を派遣しなかった国は多いのだが・・・
 その当否はともかくとして、規定違反で失格となった高梨沙羅選手の落ち込みようは涙を誘った。気丈にも「最後まで飛びます」と2本目のジャンプ台に上がり、98.50mのビッグ・ジャンプを見せたあと、泣き崩れた。伊藤有希選手に抱きしめられ、小林陵侑選手に肩を支えられて辛うじて立つ。そして、インスタグラムに彼女の心象風景そのままのような真っ黒な画像を投稿し、「今回、私の男女混合団体戦での失格で日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまった」、「私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です」、「深く反省しております」と切々と綴った。本来であれば本人よりも彼女を支えるスタッフの責任であろう。ロイター通信は、彼女が謝罪したのは他国の人々が物議を醸した失格に怒っているのに対して余りに対照的だと、驚きをもって伝えるほどだった(中日スポーツによる)。
 ここで私の経験を持ち出すのはおこがましいが・・・高校時代、最後のレースは高校二年の冬の駅伝大会だった。体育系クラブの同級生の多くは夏の大会を最後に引退して既に受験体制に入っており、年明けの校内模試で成績が振るわず妙に焦った私は、練習をサボりがちで、結果として本番で思うような走りが出来ず、一人悔し涙した。自らの不甲斐なさが、団体競技で仲間に迷惑をかけてしまったことで増幅されて、耐え難かったのを思い出す。彼女の場合、団体だけでなく、個人でもメダルに届かず、さぞ悔しい思いをしたことだろう。オリンピックの女神は、幼い頃からワールドカップで圧倒的な強さを見せて来た彼女に嫉妬するのか、終始、冷たい。そんな積年の思いが込められた涙は、疑惑に寄せる不埒な私の思いを、日頃の曇った私の心を、ひととき浄化してくれたのだった。
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イチロー先生 対 女子高生

2021-12-28 23:01:33 | スポーツ・芸能好き
 現役引退したイチローは普通に「さん付け」で呼ぶべきなのだろうが、敬愛をこめて、確立された野球ブランドの「イチロー」と呼び捨てにさせて頂く。10日ほど前のことになってしまうが、そのイチローが、「女子高校野球選抜強化プログラム2021」に協力し、所属する草野球チーム「KOBE CHIBEN」と女子高校野球選抜チームとのエキシビションマッチを行った。「9番・投手」で先発したイチローは、足をつりながらも147球を投げ抜き、最速135キロ、9回を無失点、17奪三振で完封した(打席では3打数無安打)。
 高校生の指導に必要な「学生野球資格」を回復したイチローは、昨年暮れの智弁和歌山に続き、今年は国学院久我山、千葉明徳、高松商を訪れて高校生と交流し、いずれブログで取り上げようと思っていたが、今回の女子高生との対戦を知って、すぐに取り上げなければ・・・と思い立った(それにしては既に10日も過ぎてしまったが 笑)。女子が相手だからと言って手加減することなく、足がつるほどに全力投球したことに感動し、その勢い余って、たまたま二度も続けて死球を与えてしまった選手から「イチローさんが投げた球だったので嬉しさのほうが大きかったです」と言われたことに、さもありなんと、不覚にもつい涙してしまった(笑)。7回無死一塁で中前打を放った選手には「スピードが格別。女子野球にはない球筋だった。外角の直球を素直に打ち返すことができた。とてもうれしかった」と言わしめ、女子チーム監督には、試合前にイチローに「120キロでも打てない」と“示し合わせ”をしていたのに、実際には初球から134キロとまるで手加減なしで、「夢のような時間。あんな間近に見られただけで感激。全力で真剣勝負してくださったのがうれしかった」と言わしめた。
 まさに夢のような時間で、羨ましくて仕方がない。
 野球の前でも男女の区別はあろうはずがなく、女子の高校野球のことを忘れることはなかったのは当然のこととして、神聖なる野球に当然のことながら全力で向き合ったことがなんだか無性に嬉しい。張本勲さんは、高校生ばかりでなく、プロ野球キャンプにも足を運んで欲しいと要望された。そのお気持ちは理解するが、プロ野球に目を掛けるOBは多い(と言うより殆ど全てがそうだ)のに対し、プロ予備軍の高校生を直接指導するOBは多くない(と言うより殆ど知らない)ことに留意すべきだ。メジャーで活躍した伝説的とも言えるイチローだからこそ、日本のプロ野球界に与える影響は大きいはずだが、敢えて「正面」を避けて、これまでプロ野球人が見向きもしなかった(必ずしもドラフトで選ばれるエリートだけではない)普通の高校生という「側面」、ある意味でマイナーでニッチな領域に優しいまなざしを向け、限りない愛情を注ぐのは、実は野球界全体を盛り立てる意味ではドツボに嵌った戦略的に重要なポイントではないかと思われ、へそ曲がりながらも本質を捉えて逃さないイチローらしいユニークな立ち位置だと、今さらながら感心するのだ。
 一連の高校生指導の中で今日はどういう印象だったかと問われたイチローは、「女子の野球熱は男子に全然負けてないというか、こうやって野球をやる子たちはきっと男子よりもそういう思いが強い子が多いんじゃないかと。負けるのは嫌いでしょうし。本当に今日は僕も負けたくなかった。緊張感があったし。こんなのいつ以来だろう。本当にWBC以来じゃないか(笑い)。それくらい負けられない緊張感を味わいました」と、最大級の賛辞を贈った。これを聞いて女子の高校野球が盛り上がらないはずはない。野球を愛してやまないイチローの面目だろう。
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大谷翔平 二刀流の真価

2021-10-05 01:59:21 | スポーツ・芸能好き
 大谷翔平選手の歴史的とも言える2021年レギュラー・シーズンが終わった。張本さんも期待した本塁打王は惜しくも逃したが、一人の野球人がやることが出来る「投・打・走」として破格の活躍を見せた。
 私が百万言費やしたところで説得力はないので、著名人に語ってもらおう。バリー・ボンズは、「打って、投げて、走力もある。他に類を見ない存在と言えるだろう。投手でも打者でもエリート級。彼のような選手はこの先、現れないのではないか」と語った。その驚くような活躍について、「レギュラーの野手であれば、毎日試合に出ながらリズムをつくることができる。彼の場合はそこに投手としての作業が加わる。指名打者で出る日も(試合前に)ブルペンで投球練習をすることになる。そして、先発した日には100球近く投げる。本当に信じ難いことをやっていると思う」とも語った。そして、「トラウトが大谷の後を打っていたら、勝負を避けられることはないだろうし、今ごろ(9月下旬)本塁打を60本打っていたかもしれない」とも(以上、時事「『この先現れない選手』 ボンズさんが語る大谷―米大リーグ」より)。
 成績の素晴らしさは、どのように表現すればよいのだろう。
 端的に、投げて9勝、防御率3.18、打って46本塁打、100打点、走って26盗塁。なお、このほか、OPS.965はリーグ2位、三塁打8本はリーグトップ、96四球はリーグ3位だった。
 メジャー史上初めて「クインタプル100」を達成した(投手で130回1/3、156奪三振、野手で138安打、100打点、103得点)。
 この一年でたった一人で歴代日本人メジャーリーガーに並ぶ数々の記録を打ち立てた。本塁打46本は松井秀喜の31本(2004年)を超え、OPS.965は松井秀喜の.912(2004年)を超え、松井秀喜(2007年)以来の100打点、イチロー(2008年)以来の100得点、四球96個は福留孝介の93(2009年)を超えた。
 エンゼルス・ファンは「トラウトとレンドンのプロテクションなしで46本塁打。トラウトとレンドン抜きで9勝。とても素晴らしい成績だ」と、孤軍奮闘を称えた。強くないチームでこの成績はなおのこと価値がある。
 投・打でのオールスター戦出場は史上初めてのことだった。
 そのオールスター後の後半戦では、HR競争に出場すると・・・のジンクス通り、本塁打量産のペースが落ちた(6月13本、7月9本、8月5本、9-10月は4本)。これは二刀流の疲れが出たと言うよりも、際どく攻められたり勝負を避けられたりすることが増えたせいだろう。四球は6月16個(うち敬遠2)、7月16個(3)、8月21個(5)、9-10月は27個(9)と、本塁打数と反比例して尻上がりに増えている。HR競争に出場するほどのバッターとして傑出する宿命で、三振が多かったのもまたその証だろう。
 何より、「最後まで健康でプレーすること」を目標として公言し、見事に遣り切った結果だった。2018年シーズンでも、防御率3.31、OPS.925を達成しているが、今年はフル出場したところが全く違う。それを、三度の飯より野球が大好きな無邪気な野球小僧のように、嬉々として過ごした(ように見えた)。メジャーという大舞台でそれをやってのけるのはオソロシイことだし、本人には人知れぬ悩みがあったかも知れないが、投げて打って走るという、野球本来の素朴な喜びを全身で表現するあたりはイチローに通じるものがあって(イチローが投げたのはレーザー・ビームだったが)、敵・味方を問わず野球ファンを魅了する所以でもあろう。
 早くもファンの間で「大谷ロス」が叫ばれているが、この半年間、毎朝、スポーツ・ニュースを見るのが楽しみで、コロナ禍のストレスフルな日常に潤いを与えてくれた。月並みな感想だが、来年はどんな活躍を見せてくれるのか、本当に、今から楽しみだ。
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風は永遠に

2021-09-16 01:31:38 | スポーツ・芸能好き
 大久保一久さんが亡くなったそうだ。まだ報道されていないが、「風」ファンの間で囁かれ、その早過ぎる死が惜しまれている。
 1975年に伊勢正三さんとフォーク・デュオ「風」を結成された。私はどちらかと言うと伊勢正三さんの感性に惹かれて来たが、お二人あっての「風」というグループは私にとって永遠なのだ。
 晴れて大学生になって、それまで体育会系で武骨な私が、どういう「風」の吹き回しか(色気づいて?)フォークソング・サークルに入って、生まれて初めてアルバイトをして買ったモーリスというフォークギターで(当時、モーリス持てばスーパースターも夢じゃない、などとラジオで宣伝されたものだった)、最初に練習した曲はご多分に漏れずスリーフィンガーで定番の「22才の別れ」だった。私がブログ名をペナンやシドニーの「風」と称し、今、「風」来庵などと称しているのは、透明で、しかしほんのりと匂いを載せ、また肌感覚を刺激しながら、人の心に少なからぬ余韻を残して気ままに吹き過ぎるというその特性と、「風」の存在がある。「風」命名者の伊勢正三さんによると、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められているそうだが(Wikipediaより)、平凡な私には「進化」よりも「気まま」が性に合う・・・。
 それはともかく、「風」と言えば、「22才の別れ」や「ささやかなこの人生」、「ほおづえをつく女」、「Bye Bye」といった、伊勢正三さんのダンディズムが前面に押し出されるが、その合間に大久保一久さんの作品が光っている。「古都」、「三丁目の夕焼け」、「夜の国道」、「旅の午後」、「小さな手」、「デッキに佇む女」、「おそかれはやかれ」、「トパーズ色の街」など、その暖かい声質と相俟って、一転して日差しが変わって、ほのぼのとして、ほっと一息つくような、恰好の箸休めになっているのだ。そのコンビネーションこそが「風」であり、素晴らしい。
 今、YouTubeで拾った『風 弾き語り スタジオライヴ 1976 08 28 大分放送ラジオ(OBS)』を聴きながら書いている。ナマのコンサートには足を運んだことがない、ファンにあるまじき不束者だが、もうお二人の「風」が再結成されることはないと思うと、勝手なことに、無性にいとおしくなる。
 ご冥福をお祈りして、合唱。
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東京五輪・閉幕

2021-08-09 12:36:41 | スポーツ・芸能好き
 戦略家のエドワード・ルトワック氏はかつて、「死力を尽くして戦った国は案外、戦争が終わったあと仲良くなる」というようなことを言われた。最近のことで言えば、日米関係がそうだし、米とベトナムもそうだ。逆に、中国共産党のように、国民党を前面に立てて日本と戦わせ、自らは漁夫の利を狙って身を隠すような小賢しい組織は、いざ中国大陸で政権を執ると、その統治の正統性を証明するために、歴史を捏造して恥じるところがないし、日本を貶めることにも余念がない。韓国に至っては、当時、日本の一部として共に戦った仲なのに、戦後、連合国の仲間入りを図ろうと画策して英米に却下されると、被害者ヅラして、何かと「強制された」と言い募るなど、歴史認識をこねくり回して過去をずるずると引き摺ることになる。こうした近隣諸国との関係はなかなか好転しそうにない。
 同様に、言うまでもないことだが、東京オリンピックで死力を尽くして戦った選手たちの、勝敗が決した後にお互いの健闘を称え合う姿は美しいと思う。オリンピック精神とまで称賛され、私も感情移入して大いに涙した(笑)。当事者だからこそ、その困難さを知るが故に、お互いに敬意を表する気持ちになるのだろう。SNSによる誹謗中傷が話題になったが、あれは他人たる周囲が囃し立てることで、当事者たちは(特定国であっても)至って冷静である。私たちは、当事者である選手たちに学ばなければならない。
 17日間の熱戦が終わった。どうでもいいことだが、私の会社は、混雑回避のために、オリンピックに合わせて今週一杯、全社一斉の夏休みとし、まるでオリンピックを応援せいと言わんばかりだった。いや、急かされるまでもなく、応援した。振り返れば、オリンピックの混雑解消に資するよう、私の会社は在宅勤務の実証実験を繰り返し、期せずしてコロナ禍にスムーズに対応した。言わばオリンピック狂騒曲とでも言わんばかりの、オリンピックに振り回された数年だった。私個人としても、いずれ老後の愉しみのためとは言え、数年前、早めに通訳案内士の資格を取って、この日に備えた。メディアにはボランティアの「おもてなし」を称賛する記事が溢れたが、私も喜んでその一部になる覚悟でいた(はずだったが、ズボラな私は、結局、何もしなかった)。
 以前からモヤモヤしていて、今回、開催するにあたっては明瞭に世論が割れて、それでもいざ始まってしまうと、選手たちには罪はないと人々が熱狂する、この一種の怪物のようなオリンピックとは一体、何なのか? という問いがあらためて突きつけられる。
 前々回のブログに書いたように、国旗を背負った選手たちの活躍を応援し、内外からの客人を迎え入れて経済を盛り上げるという、大きいことはいいことだ的な昭和な時代のノスタルジーがあろうが、そろそろ時代に合わせて決別すべきだろう。スケートボードやサーフィンのように新しく加わった競技を見ていると、そして、そこで悲壮感はなく楽しみながら躍動する10代の若い人たちを見ていると、その思いを強くする。他方で、世界大に広げて見れば、4年に一度の代理戦争としての役割は、基調としてなお色褪せることはなさそうだ。
 今回も、政治的な要素がそこかしこに散見された。権威主義国ベラルーシの選手が、コーチを批判したとして帰国指示が出たことに逆らって、ポーランドに亡命した。SNS時代のオリンピックに相応しく、ナショナリズムが絡んだ、選手に対する誹謗中傷が話題になった。とりわけ特定国が批判されたのは、国家の発展段階における特殊な成熟度の(つまり、国家統合のために演出されたナショナリズム高揚から派生する)問題と言うべきだろう。成熟度という意味では、お隣の国もまた、一部の人たちの動きとは言え、挙げて行けばキリがない数々の反日的な言動が、いちいち日本人の癇に障った。冒頭のルトワック氏は、これは隣国の国内問題だと喝破されていて、私もそう思うが、それによってお互いの表向きの国民感情がお互いから離れてしまい、外交上の制約条件になってしまうのは、実に勿体ない話である。そして、毎度のことながら、中国(の在米NY総領事館)は、開会式の中継で米NBCテレビが台湾を含まない中国の地図を画面上に映したとして抗議した。200を超える国・地域が参加し、その歴史的経験値や発展段階における立ち位置が異なる以上は、本当の熱戦よりはマシだとして、疑似戦争としての経験を共有し、ナショナリズムのガス抜きをし(あるいは健全なナショナリズムへと昇華し)、より相互尊重と国際的な連帯へと目を向けるようになるとすれば幸いであろう。五輪憲章では「国家間のメダル競争」が禁じられているにもかかわらず、日本をはじめとしてメダル獲得数をランキング形式で並べて国威発揚を煽ったのは、奇麗ごとだけでは済まない一面の現実であろう(が、いずれポリコレの刃が及ぶかも知れない 笑)。
 それでも、天下泰平の世であればまだしも、この戦時下とも言われるパンデミック下でわざわざやる意義があるのかという疑問は消えないが、オリンピックだけでなく、パンデミックという事態そのものの軽重を問う問題でもあって、簡単ではない。昨年、延期したのは止むを得なかったが、今年もコロナ禍を克服したとは言えない状況で、さらにデルタ株の蔓延に神経を尖らせながら、ぎりぎりの強行となった。この機を逃せば、これ以上の延期はあり得なかっただろう(あるとすれば、ブリスベン大会の次の2036年になってしまう)。そこで見直すべきは、オリンピックの原点としてのアマチュアリズムへの回帰である。
 象徴的だったのが、ゴルフの松山英樹選手の呟きだった。「オリンピックがすごい大会であることはわかります。でも、プロゴルファーにとってオリンピックって、どうなんでしょうか。よくわからないんです」
 ゴルフには四大大会がある。世界の強豪が集い、優勝すればステータスと多額の賞金を手にすることが出来る。ところがオリンピックのゴルフ競技ときたら、出場人数はメジャー大会の半分程度の60人に過ぎず、出場国が偏らないように各国4人までの制限があって、当然、その中にはメジャー大会で馴染みのない選手もいて、全体の競技レベルは低くなる。それでも松山選手がオリンピックでメダルを目指したのは、自国開催であり、しかも会場が自らに縁のある霞ケ関カンツリー倶楽部だったからだろう。
 テニスの大坂なおみ選手も同様で、メジャーで既に名声を確立してなお、自国開催だからこそ出場を望んでいることは本人が公言していた。野球における侍ジャパンの活躍には狂喜したが、出場したのは僅か6ヶ国で、中でも野球大国アメリカは3A中心のチーム編成であるのを知ると、なんだかやり切れなくなる。プロ選手にはプロ・スポーツの世界で活躍する場が与えられている。オリンピックはそうじゃない、普段余り浮かばれることがないスポーツを、4年に一度くらいは称揚する場でありたいものだと、スポーツ好きの(高校時代に地味な陸上をやっていた)私としては思う。それは、コマーシャリズムを極力排して、人間の肉体の限りない可能性に驚嘆し称賛するミニマリズムの機会であってよい。その価値を認められる程度の均衡点にまで規模を縮小するのも、止むを得ないように思う。
 こうしたパンデミックの困難な状況でも開催できるのは日本しかないという、海外からの感謝の声が一再ならず聞こえてきた。単純にお世辞とは思えない。男子柔道フランス代表(100kg超級銅メダル、混合団体金メダル)のテディ・リネール選手の言葉が心に響く。「日本のおかげでコロナを気にせずに試合ができた。五輪は全てのアスリートの夢なので、とても感謝している」 日本の政治や諸団体はさておいて、現場力の面目であろう。パンデミックに加え、真夏の猛暑や、更にはサイバー攻撃やテロの脅威にも晒されながら、17日間の競技をどうやら無事終えたようで、私たち見る者を楽しませてくれたことは、選手の活躍とともに、それを支えるボランティアや関係者の方々のご尽力の賜物であり、大いに労いたいと思う。
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東京五輪・開幕

2021-07-28 01:14:26 | スポーツ・芸能好き
 呪われた五輪というのは、麻生副総理が言われたのだっただろうか。まさに呪われたほど直前まで不祥事が続き、始まってなお賛否両論が絶えず、開会式の黙祷の場面では場外から「五輪やめろ」のデモの声が響いて、清少納言ならさしずめ「あな、あさまし」などと眉を顰めたのではなかろうか(笑)。一体、この混乱をどう収拾すればいいのか。
 既に5日目に入って、連日、繰り広げられる熱戦に、涙をぼろぼろ流しながら感情移入する私は、パンデミックで荒んだ心がすっかり浄化されたかのように爽やかである(笑)。もはや開会式のことなどどうでもいいが、とりあえず順を追って書き残すことにしたいと思う。
 何より印象に残るのは、天皇陛下の開会宣言は、もっと大仰なものかと思っていたら、「全文」を伝える記事には僅か一行、「私は、ここに、第三十二回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」というだけのシンプルなものだったことだ。過去には、「オリンピアードを」「祝い」と言われて来たところ、「記念する」と言い換えられたところに、現下の環境における天皇陛下の、そして世間の苦悩が凝縮しているように思えた。
 海外のメディア報道は、開会式を揶揄するものもあるにはあったが、「非常に控えめなセレモニー」(英ガーディアン紙)だとか、「簡素だが、詩的、文化的側面は劣っていない」(仏国営テレビ)だとか、「カラフルではあるが、妙に落ち着いたセレモニーが独特なパンデミックの中でのオリンピックにふさわしい雰囲気を醸し出した」(AP通信)などと、大人の寛容を見せてくれたものだけ引用しておく(笑)。ベルギー通信社ベルガの記者に至っては、「厳しい状況だが、大会中止より、無観客でも開催される方がいい。他の国がホスト国だったら、日本のように開けるかは分からない」とまでヨイショしてくれた。他方、NYタイムズ紙のように、「2016年のリオ五輪では施設の建設が遅れた問題があった。五輪が始まる前はいつもネガティブなニュースが出る」と指摘し、現在の東京五輪に対する批判も特別な状況ではないといった冷静な声もあった。いやまさにその通りなのだ。だからこそ、根本に立ち返るべきなのだが、これについては後述する。総じて、社交辞令を剥ぎ取ってしまえば、無観客であるのはやはり寂しく、世界的なイベントに相応しい派手さに乏しい、地味なものだった、ということに尽きるのかも知れない。そのため、当初、東日本大震災からの力強い復興を示すことを目指しながら、パンデミックに今なお翻弄されて打ち勝ったことすら示すことができず、メッセージ性がないと、実に安易で残酷な言い草まであった。しかし、メッセージなど、所詮フォーマリティを整えるための自己満足でしかなく、そこに拘る必然性はもはや乏しいように思う。
 選手団の入場行進に使われたのは、ドラクエやFFなどのゲーム音楽だった。此度のオリンピック参加世代には恐らく馴染みのものだろうし、日本が世界に誇るポップ・カルチャーの代表であるのは間違いないが、私のようにゲームに関心がない者は物足りなく思ったに違いない。
 50種目のピクトグラム・パフォーマンスは、欽ちゃんの仮装大賞のようだと揶揄する声があった。日本人らしい職人技はなかなかよく出来ていると思う一方、世界の檜舞台でこの手作り感がどこまで通用するのか疑問に思っていたら、案に相違して、そのコミカルな動きが好感を集めたようだ。NBC Olympicsのウェブサイトでは、「オリンピックの開会式には、厳かで感動的なものなど多くの印象的な場面があった。しかし“人間ピクトグラム”のパフォーマンスほど純粋に楽しめたものはない」などと紹介された。
 さらに、競技場の上空で1824台のドローンが市松模様のエンブレムを形成したかと思うと、地球の形に変わるパフォーマンスを見せて、日本の技術は素晴らしいと感嘆する声があがった。しかし、使われたのは米インテルのShooting Starシステムだった。因みに、2018年の平昌五輪でも使われたが、本番でトラブルがあったため、事前に撮影された映像が使われたらしい。なお、2~3年前に中国が100機超のドローンを軍事演習に使って話題になった。しかし、軍事で言うところの「ドローン・スウォーム」は、本来は各ドローンが自己判断で自律戦闘を行う徘徊型兵器であり、さらに群れの仲間同士で連携を行いながら、群れ全体が一つの生き物のように戦う群体兵器システムであって、敵と味方と非戦闘員を識別して戦闘を行うには高度な人工知能を完成させる必要があり、実用化はまだ当分先の話のようで、予めプログラムされた今回のような趣向とは次元が違うようだ。
 ことほど左様に、いまどき、何をするにしてもcontroversialにならざるを得ない。オリンピックという格式を重んじる方からは厳しい目が向けられ、三枝成彰さんは、「ロンドン五輪では英国を代表する指揮者のサイモン・ラトルが演奏し、北京五輪では国際的映画監督のチャン・イーモウが演出した。どちらもその国の文化の顔ともいえる人物で、スポーツと文化の大国であることを十分にアピールしていた。東京五輪の人選にはそうした文化への深い理解がまったく感じられない。元文科相や政府首脳らのお歴々が、歴史、哲学、芸術などのリベラルアーツを知らないからこうなるのだ」と手厳しい。その限りでは仰る通り。たけしさんは、「きのうの開会式、面白かったですね。ずいぶん寝ちゃいましたよ」と皮肉を交えながら、「驚きました。金返してほしいですよね。税金からいくらか出ているだろうから、金返せよ。外国に恥ずかしくて行けないよ」と、これまた突き放された。巨匠には物足りなかったのかも知れない。
 誰のための五輪か?といった議論もあった。こうした国際的な舞台を日本が演出するのは、もはや私の世代が思うほど晴れがましいものではなく、成熟した日本が国民の総意として歓迎するのは難しいのかも知れない。子供の頃、大坂万国博覧会に心躍らせ、札幌五輪のテレビ放映にかじりついたといった記憶は、スガ総理が国会で、子供たちに夢を見させたいというような答弁をされたことと大同小異で、昭和という時代のノスタルジーでしかないのかも知れない。今や海外には(パンデミックさえなければ)簡単に出掛けることができるし、SNSでリアルタイム・コミュニケーションを取ることができ、多様性と調和といった五輪テーマとは真逆の、トランプ氏のように自国第一を公言して憚らないアメリカ合衆国大統領が登場する時代である。日本代表というプレッシャーに圧し潰されて自害された円谷幸吉さんのような方はもう出て来ないだろう(と言う意味では、実感と言うより観念的に日本を捉えているのではないかと思える大坂なおみさんが3回戦で敗退して謝罪したのは、ちょっと気の毒だった)。むしろ、オリンピックでなくとも、実力を試すために物おじすることなく世界の舞台に飛び出し、のびのびとプレーし、プレッシャーさえ楽しむような時代だ。他方で、旧態依然たるIOCの運営が物議を醸し、コマーシャリズムや五輪貴族ぶりが批判された。テニスの参加選手からクレームがあがったように、日本のこのクソ暑い時期の、しかも最悪の時間帯に競技を行わせる理不尽が、最大のスポンサーであるアメリカに配慮されたものであることを知らない者はない。かつて8割の日本人が東京五輪誘致を歓迎し、今、8割の日本人が延期や中止を訴えるのは、パンデミックの閉塞感がもたらすストレスのせいではないのではなく、こうした前時代を引き摺る五輪の虚飾に嫌悪しているに過ぎないのではないだろうか。競技が始まれば、日本人は熱中すると、スガ総理は見切っておられたようで、その限りにおいてはその通りだが、根本的な不信が消えるものではなさそうだ。もはや金満国しか誘致出来ないほどにぶくぶくに膨れ上がった肥満体の五輪は、手垢にまみれて、魅力に乏しく、見苦しくすらある。いっそのこと持ち回りを止めてアテネでの永久開催にしてはどうかという斬新な意見が出ていたが、そういうことを考えてもよいのではないかと思う。純粋に、スポーツのドラマ性に、限界に挑む人間の美しさに、感動するだけでよいのではないかと思う。
 そんな中、唯一、選手団の入場行進が「あいうえお」順であったことに新鮮な驚きを覚えた。台湾がこれまでの「チャイニーズ・タイペイ」の「チャ・・・」ではなく「タイペイ」に基づいて、大韓民国とタジキスタンの間に登場したこと、NHKの和久田麻由子アナウンサーが「台湾」と紹介したことは、台湾の多くの人を歓喜させた。他方、米NBCテレビは、中国の選手団の入場行進の際、台湾を含まない中国の地図を画面上に映したため、中国から「中国人民の尊厳と感情を傷つけた」としてクレームを受けた。今だに国民ではなく人民と呼ぶのは奇異以外の何ものでもないし、「人民の尊厳と感情を傷つけた」などと文句を言う国も、この広い世界に他にいなさそうだ(いや、韓国や北朝鮮はそれに近いことを言うかも知れない 笑)。そんな中国の、歴史を逆行するような在り様もまた、いずれ手厳しいしっぺ返しを受けるのではないかと思う。
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