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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

WBCの熱狂

2023-03-19 21:33:07 | スポーツ・芸能好き

 野球ファンは、今頃はオープン戦を眺めながらペナントレースをあれこれ占う静かな楽しみに浸るところだが、今年はWBCで大盛り上がりを見せて、正直なところ戸惑っている(笑)。侍ジャパンが第1ラウンド4戦全勝で駒を進めたのは予想通りだが、負けたら終わりのトーナメント方式一発勝負の準々決勝イタリア戦にも快勝し、順当にアメリカ行きを決めた(アメリカ行きと言えば、ウルトラクイズを思い出す 笑)。少々先制されてもひっくり返す切れ目のない打撃力と、追加点を許さない手堅い投手力は前評判通りで心強い。

 「ベースボール・アメリカ」編集長によると、チームとして防御率1.80、安打率(9イニングあたりの安打数)5.2、与四球率1.0、奪三振率12.6、出塁率.475はいずれも出場20チーム中のトップで、長打率.521こそ2位だが、得失点差はなんと+36、最も競った試合でも6点差という盤石の展開だった。

 もとより3月前半の時期のことだから、選手に好・不調があるのは止むを得ない。その中でも傑出した存在感を示すのが大谷翔平で、これだけ注目を浴びてマークされながら結果を残すのは並大抵ではない。しかも、試合以外のところでも何かと話題を提供して、心休まる暇がないのではないかと心配になるが、本人は大いに楽しんでいるようで、文句のつけようがない。

 大谷と並んで話題をさらったのが、日系メジャーリーガーとして侍ジャパンに召集されたラーズ・ヌートバー(カージナルス)だった。私のような生半可な野球ファンは何者!?と訝ったが、今月2日に来日してから僅か2週間で、すっかり日本中の野球ファンを虜にした。毎試合ヒットを重ねる打撃だけでなく、中堅の守備でもファインプレーを連発し、ペッパーミル・パフォーマンスは高校球児にまで広がって物議を醸すほどのブームになり、打席に入ると「ヌ~~~」とコールする“ヌーイング”も定着した。試合前の国歌斉唱では、お母様から習ったという「君が代」を他の選手の誰よりも一所懸命に歌っているのが何とも愛おしい。単に血のなせるわざではなく、日本人は彼の礼儀正しさや野球に向かうひたむきさを愛している。

 そして不思議な縁と言うべきか、所謂「持っている」と感じさせたのが、佐々木朗希だった。大谷、ダルビッシュに次いで第三戦に登板することは予想されたが、まさかそれが東日本大震災から12年目の3月11日になるとは思わなかった。当時9歳だった彼は、岩手県陸前高田市の高田小で震災を経験し、生まれ育った街は津波に呑み込まれ、父と祖父母を失い、自宅も流され、母と兄と弟との4人で老人ホームでの生活を余儀なくされたのだった。偶然にしても出来過ぎで、栗山監督も、野球の神様が朗希に頑張れというメッセージを送っていると、驚きを隠せないようだった。

 イタリア戦では、ようやく村神様と岡本和真に当たりが出て、今後に期待したい。

 対戦相手も印象的だった。イタリアを率いた監督が、かつてドジャースで野茂英雄とバッテリーを組んだマイク・ピアザだったのは感慨深かったが、それ以上に、ロースターの大半を国内アマチュアリーグの選手が占めたチェコが善戦したのが印象に残る。普段は電気技師のサトリアが先発し、3回3失点で負け投手になったが、120キロ台の直球と110キロ台のチェンジアップを制球よく駆使して侍ジャパン打線を翻弄し、3回、大谷を三球三振に打ち取ったのは見事だった。4回、佐々木朗希が投じた162キロが1番打者エスカラの足を直撃し、悶絶させたが、立ち上がって一塁に向かい、問題ないことをアピールするかのようにダッシュして見せたのも爽やかだった。それで佐々木朗希は休日に早起きして、チェコ代表が球場に向かう前のホテルでエスカラの出待ちをして、両手に持った2袋分の(ロッテ!の)お菓子をお詫びにプレゼントし、大谷翔平はチェコ代表のキャップをかぶってマイアミ入りした。

 こうして話題は満載だが、このWBCで最大のキーマンを挙げるとすれば、ダルビッシュを措いて他にないだろう。8月16日に37歳の誕生日を迎えるベテランは、大リーグ勢でただ一人、2月の宮崎強化合宿から参加して、後輩に惜しみなく技術や経験を伝え、「自分としては(日本での登板は現役生活で)最後になる可能性があるので、しっかり感謝を持ってやりたい」と、イタリア戦の中継ぎで熱投した。何かと軽々しく「リスペクト」が流行る此度のWBCだが、ダルビッシュの心意気にこそ本当の意味での「リスペクト」がよく似合う。

 かつてイチローが日本中の野球少年を熱狂させ、今、ダルビッシュと大谷が日本中の野球少年を熱狂させている。野球ファンにとってはたまらない瞬間である。野球はやっぱり面白い。

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今年のプロ野球

2022-10-30 16:25:09 | スポーツ・芸能好き

 今年は例年になく寒さが堪えるのは年齢のせいかもしれないが、そこに一抹の寂しさを覚えるのは、それが野球のシーズンの終わりを意味するからでもある(日本シリーズは今宵、第七戦を迎えるが)。巨人ファンの私にとって、今年はとりわけ秋が来るのが早かった(苦笑)。

 世に「罪を憎んで人を憎まず」と言う。『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった)」から来たようだ。聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があるそうだ。負けは負け。ましてやチームプレイの野球で個人を論うのは憚られるところだが、しかし敢えて言いたい。今年の巨人の体たらくは、投打の柱たるべき菅野智之と岡本和真が精彩を欠いたことにあった。期待が大きいからこその「喝」である。菅野は辛うじて二年振りに二桁勝利を挙げたが、完封はおろか完投もなく、4年前に8完封を含む10完投を成し遂げたときの面影はない。岡本の打率.251、30本塁打、82打点は、レギュラーに定着した2018年以降でいずれもワーストで、8月11日に4番の座を中田翔に譲ったまま、取り返すことはなかった。本人たちも自覚しているだろうから(あの飄々として見える岡本でもロッカールームで荒れたという話が漏れ伝わって来た)、これ以上は差し控える。

 もとよりそれが全てではない。FAによる補強に積極的な巨人にしては、昨オフは「発掘と育成」を掲げてFAを封印し、原監督は、「若い人たちの力に頼ろうとするとなかなか難しかった」と総括された。育成の面では、大勢が新人最多タイの37セーブを上げたし、平内龍太、山﨑伊織、赤星優志ら若手8投手が同一シーズンにプロ初勝利を記録するのは史上初の快挙とされるが、チーム防御率3.69はリーグ最下位だった。打つ方でも、チーム本塁打数こそ163本でリーグ2位だったが、チーム打率.242はリーグ最下位、73犠打、15犠飛はリーグ最少と、派手な一発攻勢は出来ても、1点を取りに行く緻密な野球が出来なかった。

 暗いトンネルの先に光明が見えるとしたら、ドラフトで高校通算68本塁打の高松商・浅野翔吾を引き当てたことだろうか。いや、ドラ1が活躍するとは限らないのがプロの世界の厳しさなので、浅野がどうのこうのと言うよりも、過去1勝11敗(球団としても11連敗)とクジ運がなかった原監督が、ようやく当たりクジを引き当てたのだ。その夜はシャンパンを開けたらしい(笑)。

 もう一つ、なんとなく期待したいのは、親交のある高木豊氏が「育てるのが上手いよデーブは」と、指導者としての実力を高く評価する大久保博元氏が打撃チーフコーチに就任したことだ。「やっぱり熱いし、これだと思った選手は首根っこをつかまえてでもやらすから。それとホームランの打ち方、打たせ方。それとケースバイケースでの形、打ち方、考え方。そういうのを全部注入していくと思う。デーブはああ見えて細かいからね」「おそらく岡本がデーブの理論とか、そういうのに1年間はまったとしたら間違いなく50本近くは(本塁打を)打つと思う。中田もそう」と明言される。今の巨人に欠けているものを持ち込んでくれそうな予感がある。

 こうしてシーズンを通して傷心の私を毎朝、慰めてくれたのが、海の向こうのメジャーで進化を続ける大谷翔平だった。投手として15勝、防御率2.33、打者として34本塁打は、いずれもリーグ4位という異次元の活躍で、二桁本塁打と二桁勝利は「ベーブ・ルース以来104年ぶり」と讃えられた。何より今年は、規定打席と規定投球回数を同時にクリアするという、現在の二リーグ制になった1901年以来、誰も成そうと思わなかったし成し得なかった偉業を成し遂げたことこそ、特筆すべきだろう。昨年もそうだったが、チーム事情が悪く、大谷へのマークは厳しかったし(14敬遠はリーグ3位)、クオリティ・スタートしながら白星をつかめなかった試合が5度あった。まだ伸びしろを感じさせるのが心強い。

 日本プロ野球に話を戻すと、今年は、千葉ロッテ・佐々木朗希の完全試合に始まり、ヤクルト・村上宗隆の史上最年少三冠王に終わり、若い人の活躍が注目された。巨人ファンとしては、王貞治さんのシーズン55本塁打を破る日本人が現れたのが何だか癪だが(笑)、実は王さんと同じ140試合到達時点では55本で並んでいて、村上は、王さんより1試合多い自身141試合目に56号を達成したのだ(と、負け惜しみ 笑)。そんなこんなで、今年のMVPは、日本ハムの公式チアリーダー・ファイターズガールによる「きつねダンス」に捧げたい(爆)。

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アントニオ猪木が輝いていた時代

2022-10-04 00:52:24 | スポーツ・芸能好き

 アントニオ猪木氏が10月1日、心不全で亡くなった。享年79。全身性トランスサイレチンアミロイドーシスとかいう、100万人に1人と言われる心臓の難病で闘病生活を送っておられたそうだ。呼吸するにも楽な姿勢はなく、痛みが全身を襲って、とにかく苦しかったらしい。随分痩せて、身長が10センチも縮んだと言われた。

 私の世代にとって、昭和のプロレス界の圧倒的なヒーローである。幼稚園の頃こそ、将来、大きくなったらバスの運転手やお医者さんといった身近なヒーローになりたがったが、その後、金曜夜8時のプロレス中継を見るようになると、将来はプロレスラーになって外人レスラーを倒すんだと、友達とプロレスごっこに夢中になった。今も、テーマ曲『炎のファイター INOKI BOM-BA-YE』が脳内を駆け巡る。情熱的な赤のタオルや、赤のショールがよく似合う人だった。1960年9月にデビューし、1998年4月のドン・フライ戦をもって正式に現役を引退したので、実に40年近くもの間、日本が高度経済成長を謳歌し、バブルが崩壊して沈むまで、元気な日本を象徴するように、リングの上で「燃える闘魂」そのままに闘い続けた。恩師の力道山が北朝鮮出身だったことから、訪朝は33回を数え、その北朝鮮コネクションに目を付けた韓国・金泳三政権が北朝鮮との橋渡しを依頼したほどだったそうだし(辺真一氏による)、湾岸戦争では日本人人質解放のキーマンとなるなど、リングの外でも闘い続け、最後は病魔と闘って、ついに力尽きた。

 アントニオ猪木と言えば、何と言っても「プロレスこそ格闘技の頂点」とする「ストロングスタイル」が売りだった。先輩のヒロ・マツダ氏は、「猪木はどんな相手でも強く見せて名勝負をする」と話していたそうだが、相手に得意技をかけさせて、その良さを十二分に引き出し、自らも応酬することで、名勝負を演じて、最後は勝つ、というタフネス振りと切れのあるワザが魅力だった。1974年3月、“昭和の巌流島”と呼ばれたストロング小林戦で勝利した後には、「こんなプロレスを続けていたら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかもしれない」と語ったこともある。アメリカに滞在していた頃、テレビで見かけたプロレスのいかにも大袈裟なリアクションが目障りなショーだったことから、猪木氏が旗揚げした新日本プロレスが切り拓いた、「しっかりとしたレスリング技術を基盤にしたストロングスタイル」(日刊スポーツ)が無性に懐かしくなったものだ。あのハルク・ホーガンも、猪木氏らが見出した当初は、パワーだけが取り柄の粗削りなレスラーで、レスリングが出来なければやっていけなかったことから、試合前のリング上で積極的に練習に取り組んだらしい(同)。

 白眉は、1976年6月に行われた、ボクシングの世界ヘビー級王者ムハマド・アリとの異種格闘技戦だろう。土曜のお昼の吉本新喜劇が人気の大阪で、ついぞ昼日中からテレビを見る習慣がなかった私でも、この時ばかりはテレビにかじりついた。蓋を開けたら、当時の多くのファンと同じように、がっかりしたのだったが、総合格闘技が当たり前の今なら、違った見方をしていたかも知れない。猪木氏は日本の総合格闘技のパイオニアでもあった。日本経済の成長が鈍化し、成熟するにつれて、量から質へと、猪木氏自身の中でも変化していたのだ。

 以前、雑誌のインタビューで、自分の墓について、「墓石はオーストリアのラジウム鉱石で作りたいね。有名なパワーストーンなんですよ。猪木の墓にくれば元気になれるって話題になるでしょ?」と語ったそうだ(女性自身)。いやあ、まさに、元気ですか~っと気合いを入れて貰えそうだ。一度でいいから、闘魂ビンタを注入して貰いたかった。

 アントニオ猪木が輝いていた時代がなんだか無性に懐かしい。ヒールがいて、場外乱闘が当たり前で、ハチャメチャなこともあって、一喜一憂しながら、日本も日本人も元気だった。

 心よりご冥福をお祈りし、合唱。

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オリビアを聴きながら

2022-08-13 13:21:49 | スポーツ・芸能好き

 「オリビアを聴きながら」は、尾崎亜美が作詞・作曲し、後には躍動的な杏里がしっとりと歌ったデビュー・シングルで、数えたら、かれこれ44年も前のことになる(信じられない・・・)。発売当時はオリコン・チャートで最高65位とパッとしなかったようだが、その後、多くの人に歌い継がれ、愛されている名曲だ。ここで歌いこまれたオリビア(・ニュートン=ジョン)が亡くなった。享年73。

 「オリビアを聴きながら」では、私らしく一日を終えたい夜に、眠り誘うジャスミン茶を飲みながら、オリビアを聴くのだが、私はメランコリックに当時の雰囲気に浸りつつ、日本酒をちびちび舐めながら、聴く。私が彼女を知ったのはラジオの「ながら族」だった中・高生の頃で、「カントリー・ロード」のようなカントリー調から現代風の「ジョリーン」や更にはディスコ調の「フィジカル」へと移り変わる躍動感を目の当たりにした。その変化を象徴するようなミュージカル映画『グリース』に出演したことから、月刊誌『スクリーン』にもしばしば登場し、歌声といい笑顔といい、妖精のような愛らしさに魅せられたものだった(今でこそYouTubeで当たり前に動画を見ることが出来るが、当時は音と静止画が中心だった)。「歌姫」と言えば、私の世代では聖子ちゃんや明菜が浮かぶが、一足先に洋楽において「歌姫」の原型イメージを植え付けた存在だった。

 死因は明らかにされていないが、1992年に乳がんの宣告を受けた後、繰り返し再発し、2017年からステージ4の状態で、脊髄に転移していると診断されていたそうだ。このあたりの事情は知らなかった。そのため、財団を設立し、がん治療の啓発活動や環境問題に取り組んでいたらしい。欧米の成功者らしいところだが、その華やかな前半生と、社会的名士としての後半生のストーリーが、今となっては涙を誘う。オーストラリアでは国葬が執り行われるというニュースが流れて来た。さもありなん。

 1970年代(から80年代初め)という、古き良き時代の話だ。今、動画で見る初代「歌姫」にあらためて魅せられながら、当時の時代風潮と相俟って、私たちの青春時代と重なるような、明るい歌声と若々しくきらめく躍動感は、私たちの記憶に永遠に生き続けることを思う。ご冥福をお祈りし、合唱。

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次元大介、死す

2022-08-10 01:27:24 | スポーツ・芸能好き

 「ルパン三世」の次元大介役を務めた声優の小林清志さんが7月30日に肺炎のため亡くなっていたことが判明した。享年89。

 小林さんは、1971年のテレビアニメシリーズ放送開始から50年にわたって次元役を演じて来られたが、昨年10月放映の「ルパン三世 PART6」の第一話「EPISODE 0 ―時代―」を最後に降板され、後任の大塚明夫氏(父上の大塚周夫氏は、初代・石川五ェ門役の声優)に引き継がれていた。その時、次のようなメッセージを残されている。「次元はそんじょそこらの悪党とは違うぞ。江戸のイキというもんだ。変な話だが、次元は江戸っ子だ。明夫ちゃん、これは難しいぞ。雰囲気はJAZZにも似ているんだ。最後にこれまで応援してくれた人たちにお礼を申し上げる。ありがとうございました。ルパン。俺はそろそろずらかるぜ。あばよ」

 「ルパン三世」は私にとって特別な存在である。小学校6年の時の担任の教師が「ルパン三世」の大ファンで、私は見ていなかったが、授業中の雑談で屡々語られたものだから、気になっていた。中学生になって、本屋でたまたま見つけたコミックを生まれて初めて買って読んでみると、これが滅法面白い。劇画のタッチは凡そ日本人らしくなく軽妙洒脱で、内容は凡そ子供向きではなくニヒルでセクシー。結局、小遣いをはたいて10数冊のシリーズを買うほどに熱中した。コミックでは「粋でいなせな大泥棒」と銘打たれたルパン三世は、テレビ・アニメでは明るく憎めないコメディー・キャラで、世界を股にかけて活躍する大泥棒となって、私にとっては忘れられない「大阪万国博覧会」と「日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行」という30分の紀行番組と並んで、私の目を世界に見開かせてくれた。10数年前のマレーシア駐在時、ペナン島のとある鄙びたショッピングモールで買い求めた海賊版DVD(テレビ・アニメ第2シリーズ(1977~80年))は、日本語の番組に飢えていた私たち家族を大いに慰めてくれた。

 小林さん演じる次元大介は単なる脇役ではない。五ェ門とともにルパン三世の両脇を固める相棒であり、「ルパン三世」は、彼らの足を引っ張る峰不二子を加えて、際立つキャラの4人が揃ってこその「ルパン・ファミリー」の物語だ。

 私に馴染みの“ほぼ”オリジナルの「ルパン・ファミリー」声優陣は代替わりし、ルパン三世役の山田康雄さんは1995年3月19日(享年62)に、銭形警部役の納谷悟朗さんは2013年 3月5日(享年83)に、石川五ェ門役の井上真樹夫さんは2019年11月29日(享年80)に鬼籍に入られ、残るは紅一点・峰不二子役の増山江威子さん(1936年生まれ)だけになった。生みの親、モンキー・パンチさんも2019年4月11日に亡くなっている(享年81)。私自身もいい歳なのだから、これも世の習い、しかし声の記憶は今も生々しく耳に残る。なんと素敵な商売だろう。そして作品としての「ルパン三世」もまた、「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」と同様、代替わりしつつ、国民的アニメとして長く愛され続けることだろう。

 長年にわたるご活躍に感謝し、ご冥福をお祈りしつつ、合掌。

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巨人 対 佐々木朗希

2022-06-05 08:33:43 | スポーツ・芸能好き

 ON時代以来、巨人ファンから抜けられない私としては、金曜のナイターは願ってもないカードだった。

 さすがのミスター(長嶋さん)は、東京ドームで試合前に、敵チームの先発なのに佐々木朗希投手とわざわざ対面して、往年の名投手・杉下茂、金田正一、佐々木主浩と並べて、「私が見てきた約80年の中で、今は佐々木朗希くんがNo.1」とデレデレだった(笑)。かつて巨人軍監督時代に、試合などそっちのけ(!?)で惚れた4番バッターばかり集めたチーム作りをして超越した存在感を示された、根っからの野球好きで奔放な長島さんらしい(微笑)。

 しかしこの日の巨人は、周到に準備していたようだ。増田陸は試合前にバントマシンで3メートル以上前に立って剛速球を想定した練習をしていたというし、試合でも各打者はバットを短く持って、「初回から徹底して直球に狙い球を絞」って強振し、「高めに浮いたボールを逆らわずに逆方向」へ、さらに「塁上から足を使って揺さぶる対策を徹底した」(いずれも東スポ)。片や佐々木朗希投手は、「直球がシュート回転し、フォークも高めに浮いていたし、調子は悪そう」だったと、かつて同じ岩手で対戦した専大北上高の監督・中尾孝義氏は解説された(日刊ゲンダイ)ように、ピリッとしなかった。

 そのため、初回こそ、最速161キロを記録し、吉川・岡本の3・4番コンビをフォークで空振り三振に仕留めたが、2回に増田陸にタイムリー二塁打されて先制を許すと、3回には岡本和真に、打者233人目にして今季初被弾となる2ランを浴びた。3月18日のオープン戦(東京ドーム)では満塁本塁打されていたので、そのリベンジを期待する向きもあったが、返り討ちにあった形だ。岡本和真は佐々木朗希と余程相性が良いのか(5月はバットが湿りがちだったから)、それにしても彼の強運(それこそがスター性の重要な要素でもある)を思う。その後、5回に降板するまで毎回得点を許し、89球で被安打8、盗塁3、プロ入りワーストの5失点で、今季初黒星がついた。

 巨人ファンには嬉しくも、佐々木朗希ウォッチャーには想定外で残念な展開だった。投球が単調だったという意味では、前日のヤンキース戦で、スライダーが曲がり切らず、ボールが高めに浮いて、自己最悪の3被弾を浴びて4敗目を喫したエンゼルス・大谷翔平投手を思い出した。いくら傑出した投手でも、5試合も6試合も良い状態が続くわけではないのだ(そういう意味では、アメリカに渡る前年に、開幕24連勝(その前年からだと28連勝)したマー君は余程凄かったということか)。それでも5回に、この試合6個目の三振を奪い、2リーグ制になってから史上最速タイとなる10試合目で100奪三振に到達したのは素晴らしい。

 こうして、次の対戦に向けてまた一つ話題ができた。だから野球は止められない・・・

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ユーミンも50年

2022-05-20 20:23:50 | スポーツ・芸能好き

 先般、アリスがデビュー50年だと本ブログに書いたが(https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/cbdbaeaf4ab0c5c3347608abc918a636)、ユーミンもまた、この7月にデビュー50周年を迎えるそうだ。それを記念したベストアルバムに収録されるリクエスト楽曲やエピソードの募集が、9日から特設サイトで開始された(*1)。

 ご本人はかつて「天才」を公言して憚らなかったのは有名な話。密かに思っていても、なかなか公言出来ないものだ。確かに、多くのTVドラマや映画の主題歌・挿入歌に使われ、CMでも引っ張りだこで、多くの歌手にカバーされるといった活躍の「量」だけでなく、今、聴いても「懐かしい」という過去の記憶との結びつきもさることながら斬新さすら感じさせる(という意味では永遠性・普遍性を持つ)曲作りの完成度の高さという「質」の面からも、「天才」発言には文句のつけようがないように思う。むしろ、それを公言した当時の荒井由実という一個の天才の(その凡人の及ばぬ奇矯さの)一頁を彩る微笑ましいエピソードと言うべきかも知れない。

 私の音楽のキャパシティは狭くて、とは以前にも書いたことで、ユーミンとサザンで半分位は埋まってしまう。学生時代に、京都で遊んだ帰りに(いや、一応、大学に学びに行った「ついで」のことだが)、深夜の国道171号線で眠気覚ましにガンガン鳴らしたのも、また、社会人になって、ちゃらちゃら湘南に出掛けて、海を横目に国道134号線を走りながらBGMで流したのも、ユーミンやサザンだった。

 つい一週間ほど前のプレジデント・オンラインに、「日本でガラパゴス進化した音楽『シティポップ』が、全米1位の楽曲に引用されて大ブームになった背景」なるコラムが掲載された(*2)。「シティポップ」とは、「70年代から80年代にかけて生まれ発展していった日本のポップスで、大人っぽいロックやソウルミュージックなどの洋楽に影響受けて洗練された音楽の総称」(同コラムより)だそうで、例えば、として、山下達郎、松任谷由実、南佳孝、吉田美奈子、角松敏生、稲垣潤一などが代表的なアーティストとして挙げられている。

 実は最近、私もたまたまYouTubeで腐るほどに出て来る「日本の‘80年代シティポップ」を好んで聴くようになって、ユーミンをはじめとするメジャーな「ニューミュージック」とは違う、当時のマイナーな楽曲をイメージしていたのだが、ひっくるめて「シティ・ポップ」と総称されるようだ。Wikipediaによると、他に大瀧詠一、竹内まりや、大貫妙子、山本達彦、杉山清貴の名前が挙げられ、「1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた」とある。なるほど、そういうことか。さらに、アルバム・ジャケットのイラストレーターとして、永井博、鈴木英人、わたせせいぞうが挙げられている。う~ん、これもよく分かる。

 YouTubeで竹内まりやの「プラスティック・ラブ」を検索すると、Official Music Videoの再生回数は841万なのに、英文記載の「Mariya Takeuchi Plastic Love」は5千万回を超え、日本の国境を越えて世界的な広がりを見せていることが分かる(コメント欄は当然ながら英語だらけ)。松原みきの「真夜中のドア/Stay with Me」に至っては7800万回を超えており、リリース当時はマイナーだったことからすれば尋常ではない。道理で、YouTubeでこれら「シティポップ」の英文表記が増えているわけだ。先のコラムによれば、最近の欧米のビッグ・ネームが、当時のマニアックな、と言ってもよいような楽曲をサンプリングして、ビルボード・チャートで上位にランク・インされることもあるようだ。インドネシア人のRainychさんがカバーする「Plastic Love」などの「シティポップ」は、先ずイスラーム女性としてヒジャブをまとって歌う姿に、時代は変わったものだと驚かされるし、日本語を知らないにしては日本語の曲としてごく自然に歌いこなしていることに二度驚かされる。K-POPが初めから世界を視野に(国内市場は限られているので)、ウケを狙いに行った(ある意味で媚びた)のとは対照的に、日本のアニメ同様、世界など歯牙にもかけない日本のガラパゴスな楽曲が、YouTubeというメディアを通して、じわじわっと世界で認められるようになったというのは、如何にも日本らしい現象と言えるのではないだろうか。

 ちょっとどころか大いに寄り道してしまった。ユーミンの、それ以前のフォークの反戦・平和のメッセージ性や四畳半的な湿っぽさと比べて、都会的でカラっと乾いて洗練されたフュージョンなところは、時代背景を異にして、まさに「シティポップ」の中心的存在と言ってもよいのだろう。この「天才」と同時代を生き、つまり、ともに齢を重ね、その音楽に存分に浸れたことは実に幸せなことだと思うのは優等生的なコメントだが、実は成熟した松任谷由実より夢見る天才少女・荒井由実の方が私は好きなのだった(笑)

 

(*1) https://www.weloveradio2022.jp/

(*2) https://president.jp/articles/-/57441

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サンデー朗希・続

2022-04-25 18:20:52 | スポーツ・芸能好き
 ミーハーながら、恒例なので続ける。
 昨日のオリックス戦に先発し、5回90球、被安打6、失点2で今季3勝目をあげた。直球は自己最速タイの164キロを記録し、球威は十分だったが、制球力に欠け、与四死球5で奪三振は僅かに4だった。3回以外は全ての回で得点圏に走者を背負う苦しいピッチングで、それでも先発投手としての責任投球回数は全うしたから良しとすべきなのだろうが、彼に対する期待値は気の毒なほど大き過ぎる。
 記録については、初回、オリックス先頭打者の福田周平外野手に初球の159キロ直球を右前に運ばれて、完全投球は17イニング連続で、連続打者凡退記録は52人連続で、あっさり止まった。3回には再び先頭の福田外野手に死球を与えて、連続イニング無四死球が25で止まった。5回には安打と連続四球で無死満塁のピンチを招いて2点を失い、連続イニング無失点が22で止まった。
 オリックスとは完全試合から二週間ぶり二度目の対戦となり、月並みだが、研究されただろうし、オリックスには当然プロとしての意地があっただろう。四球が多かったのは審判のせいかもしれないが(2回に佐々木が判定に不服そうな態度を示したと見た球審がマウンドに歩みよる場面があった)、三振が少なかったのは「とにかくバットに当ててやろう」という意地があったと見る人がいる。槙原寛己氏によると、「全員が直球狙い。5回90球のうち、直球で空振りが取れたのは2球だけ。前回対戦で5回まで13三振を奪ったオリックス打線からわずかに4奪三振。軸となる直球で押し切れないからフォークも見逃される」と手厳しい。谷繁元信氏は、「先発投手が好調を維持できるのは2~3試合ぐらい。状態が悪い時に、どう対応できるかに真価が現れる」と言い、悪いなりにも、「要所では配球パターンを変えて抑えるすべを持っている」と辛うじて評価された。
 ロッテは今日、佐々木朗希投手を登録抹消した。私は先週、二試合連続完全試合を見たいなどと欲張ったが、甘かった。吉井理人ピッチングコーディネーターが言われたように、「佐々木は1年間フルに戦ったことのない見習い投手」ということなのだろう。先の谷繁元信氏は、次のようにも語っている。「前回登板でも直球がシュート回転することが多く、今回に向けて準備してきたが修正は図れなかった。これが1年間ローテを守る難しさだ。今後、成長する中では、とてもいい経験を積んでいる。まだまだ学ぶことも多い」と。そして最後に一言、「佐々木朗希も人間だ。」
 再起を期待したい。
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ボブ・ジェームス

2022-04-23 01:07:04 | スポーツ・芸能好き
 知人がfacebookでBob JamesのYouTube動画を紹介していた。比較的最近の演奏と思われるもので、名曲「Angela」だった。1970~80年代に活躍したBob Jamesも、今や(1939年生まれの)82歳である。鍵盤を叩く手は節くれだって、頭髪は薄く、無精髭は白く、背は丸まっている。それでも、学生時代によく聴いた私は、即座に反応して聴き入ってしまった。あの頃と変わらない軽快なリズム感は、彼の身体に沁みついたものだろう。
 今月3日にラスベガスで行われた第64回グラミー賞の授賞式にサプライズ登場したウクライナのゼレンスキー大統領は、「わが国は、爆撃で恐ろしい静寂をもたらしたロシアと戦っている。沈黙が訪れた。この静寂をあなた方の音楽で満たしてほしい。きょう、私たちの物語を伝えるために」と訴えかけた。主要国の議会で世論戦として行われて来た彼の演説の中では、最も気が利いたものだったように思う。知人がこの話を意識していたかどうかは知らないが、私はそんな思いで、聴き入った。
 プーチンは、冷戦崩壊後の束の間の平和を(もっと言うと戦後の冷戦=「長い平和」さえも)、そして習近平ともども、その間のグローバリゼーションの繁栄を、ぶち壊してしまった。その責任は重い。グローバリゼーションそのものに問題がないとは言わないし、所詮はアメリカをはじめとする西側諸国の強者の論理でしかないのだが、「エレファント・カーブ」に見られるように、新興国に恩恵をもたらしたのは事実だろうし、14億もの人口を抱える国家資本主義の中国(の補助金政策や技術移転の強要や技術窃盗など)によって歪められ、本来の道から外れてしまったと言っても、あながち間違いではないだろう。
 YouTubeでは、「Angela」に続いて、同じ時の収録と思われる、彼のアレンジによる「Feel Like Making Love」と、「Night Crawler」が流れて来た。単にあの頃を、失われた平和を懐かしむのではなく、あの平和を失ってはならない、この自由・民主主義の世界をプーチンや習近平の野心(=屈辱の歴史!?に対する復讐?)によって権威主義が優位な世界へと塗り替えさせてはならないとの思いで、聴き入った。メロウな調べは、言葉以上に人の心を揺さぶる。

Bob James - Angela (theme from 'Taxi') : https://www.youtube.com/watch?v=kqw3UNXUdbU
Bob James - Feel Like Making Love / Night Crawler: https://www.youtube.com/watch?v=UoFZD-rtWNk
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サンデー朗希

2022-04-19 22:07:08 | スポーツ・芸能好き
 ロッテの佐々木朗希投手が、この日曜日にまたしても快投を演じた。8回を投げて14奪三振、102球に達して、一人の走者も許さないまま降板したのは、前回よりもコントロール、球質ともに良くなくて、疲れも見えていたから、ということのようだが、野球ファンとしては素直に、史上初となる2試合連続完全試合を見たかった。
 井口監督によれば、「いろいろなことを加味しながら、今日は100球弱だと思っていた。できれば我々も最後まで見たかったし、ファンの方も見たかったと思いますけど、いろいろと先々のことを考えると、ちょっとあそこが限界だったのかなと。7回が終わった時点で朗希がちょっとへばりつつあったので、何とか8回までと思っていました」とのことであり、たとえロッテがリードしていても「8回で代わっていました」ということだ。吉井理人ピッチングコーディネーターもブログで、「佐々木は1年間フルに戦ったことのない見習い投手です。(もはや見習いとは言えない実力だが)壊れてからでは、遅いのです」「若者が早い時期に故障するのは、見ていて辛いです。野球に故障はつきものですが、なるべく故障しないよう、我々指導者がしっかり管理していきたいと思っています」と記されたらしい。試合後には佐々木自身もテレビカメラが入ったインタビューに、「途中疲れている部分もありました。首脳陣の判断なので、納得する形で降りました」と語ったということで、本人の素直さと言うより、この年齢にして目先のことに拘らないスケールの大きさには驚くばかりだし、球団としても慎重過ぎると思えるほど、まだ成長途上の佐々木朗希投手を今後ともじっくり育てて行く方針のようで、外野の私は何とも言いようがない。もはやロッテという球団を超えた球界の至宝であり、分からなくはないのだが、ミーハーな私は、やっぱり史上初となる2試合連続完全試合を見たかった。
 世に記録は残さないが記憶に残る選手がいると言われる。私が大好きな清原や江川がそうだろう。しかし、リアルタイムで見た私が忘れることはないにしても、そうじゃない世代には忘れ去られる。今回、完全試合達成を目前に控えて投手交代を告げられた先例として、2007年の日本ハムとの日本シリーズで中日が3勝1敗でリードして迎えた第5戦で、8回まで完全投球を続けていた山井大介を、完投ペースの86球で交代させ、その後を引き継いだ守護神・岩瀬仁紀も日本ハム打線を三者凡退に抑えて1-0で逃げ切った落合博満監督の采配が物議を醸したことが、再び話題になった。しかし、確かにそういうことがあったなあと朧気な記憶を辿るが、所詮、記録にないものは記憶からは薄れてしまうのだ。
 そんな「記録」ということでは、2回までに4三振を奪い、山本由伸(オリックス)に並ぶ日本人最長タイの25イニング連続三振をマークした。17イニング連続の無安打(完全投球)は実に1948年真田重蔵(大陽)がマークした16回を74年振りに更新するプロ野球新記録で、記録を継続している。4月3日の西武戦8回2死でから岸潤一郎から空振り三振を奪って以来、メジャー記録46を超える52打者連続アウトも、記録を継続している。
 佐々木朗希投手のどこが凄いのか、専門家によると、「ボールに角度があり、回転数が違う。大谷翔平と比較してもボールの質が違っていて、実際は伸びているのではなく落ちていないだけなのだが、打者の感覚としてはコンタクトしようと考えているポイントからボールが浮き上がっているように感じるのではないか。打者はストレートを狙っていても空振りになりボールが前に飛ばない。そこで同じ腕の振りで147kmのフォークを落とされては誰も対応できない。しかも、そのフォークはコントロール、落差も含めて抜けたボールがほとんどなく精度が高いのだ。打者は追い込まれたくないので早めに仕掛けてくるので、そこでカウントを稼ぎ、ストライクが先行することになり、ますます佐々木が有利のカウントで打者を支配することができるので、ほとんど打たれる感じはしない」という。球威があり、本来は落ちて行く球筋が落ちなくて、却って球がホップしているように見えるのは、かつて江川や小松にも言われたことだった。いつの時代にも「怪物」は出現するものらしい。
 もはや終わったことに拘るのはやめよう。何と言っても弱冠20歳で、将来性十二分な佐々木朗希投手のことだ。次の日曜日にはまた登板する。17イニングまで続けている完全投球回数と、52打者まで続けている連続アウトがどこまで伸びるのか、楽しみにしたい。
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