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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

供給過剰の大学生

2012-11-08 02:22:30 | ビジネスパーソンとして
 先週の日経新聞に興味深い数字が出ていました。断片的には漏れ聞いていましたが、あらためて突きつけられると感慨深いものがあります。それは一面記事の「働けない若者の危機」という特集記事の第三部・シューカツ受難①で、「供給過剰の大学生」というサブタイトルを掲げて、大学進学率はほぼ四半世紀前の1985年に26.5%から2012年には50.8%に上昇し、毎年の卒業生は37万人から55万人に急増した、と説明されていたものです。少子化の時代にかかわらず。ところがほぼ同じ時期に、従業員1000人以上の大手企業の採用数は増加傾向にあるとはいえ現在15万人程度(従い大卒の3割未満)、人気100社に限ると1.6~1.8万人(同じく大卒の3%)と言うと早・慶の学生総数にほぼ等しい狭き門だというわけです。
 「大学は出たけれど」というキャッチフレーズは、昭和初期の就職難の時代を描いた小津安二郎監督の映画(1929年公開)のタイトルで有名になりました(その後、1955年に野村芳太郎監督の作品も公開)。卒業予定ながら内定がない4年生は10万人以上と言われ、毎年のように、ロストジェネレーションを再び出さないためにも早急な対策が必要・・・と叫ばれ続けて久しいですが、日本の経済が縮小して雇用を支える仕事が減る問題がある一方、大衆化すればやむを得ないとは言え大学生の価値もまた低下している問題が当然ながら指摘されます。
 こんな数字が頭に残っていたので、田中文科相が、秋田・札幌・岡崎の3大学の開校を不認可とした問題は、よりによってこんな時期に相変わらずの「人騒がせ」ではありましたが、問題意識としては間違いではないという思いは一層強くありました。今日の会見で、3大学の内の一つの関係者が「勝った」「学生が救われた」などと思わず発言したことには、却って反発を覚えました。経営が成り立たない大学のご苦労はあるでしょうし、学生は、確かに専門学校でも短大でもない、「四大」の肩書を無事得られるかも知れませんが、入るときの称号は何であれ、それが出るときの就職を約束するものではありません。まさに「大学」のもつ価値が希釈されているのに気付かず、学生はそんな「大学」の名誉に拘って、却って不幸になるのではないかと心配ですらあります。
 先の日経の特集記事に戻ると、従業員1000人未満の企業では、来春採用の求人倍率は1.79倍、従業員300人未満の企業では、3.27倍だそうです。明らかにミスマッチがあり、何かと学生の選り好みが問題視されますが、企業側が「質」による学生の選別を強めている現実もあるはずです。つまり求人すれどもひっかかるような人材がいない、田中文科相が指摘したように、大学の量より質の問題があると。さらに、短大生や高専、専修学校の学生も加えると、若い人の雇用を取り巻く環境は益々厳しくなるばかりで、本当に気の毒です。私は企業人なので、大学側の問題はさておくとして、こうした特集記事を見ると、最近はやりの生活保護問題とも相俟って、若い人(別に若い人に限りませんが)がしっかり自立して生き生きと働ける健全な社会を築く責任が私たちオトナにはあるはずだと、まさに失われた20年を前線で過ごしたオトナの一人として痛恨の極みでやるせない・・・という思いについ囚われてしまいます。
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スバルというブランド

2012-08-26 10:49:44 | ビジネスパーソンとして
 一昨日の夜、あるニュース番組で、この不景気にも係わらず業績を伸ばしている企業として、東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランドとともに、スバル・ブランドで特に米国市場で売上を伸ばす富士重工業が取り上げられていました。共通するポイントとして、リピーターをつかんで離さないことが挙げられていました。ディズニーランドでは実に90%がリピーターだそうですし、スバルについても、ポルシェやBMWやベンツと比べて遜色がないと、あるアメリカ人マニアがTVカメラの前で得々と語っていたのが印象的でした。
 かれこれ20年近く前、アメリカ出張で、たまたまトヨタやニッサンがなくて、スバル・レガシィをレンタルしたことがありました。私にとって生まれて初めての四駆だったので、ちょっと重い感じがしたのはやむを得ないとして、乗り心地は完璧で、地味ながらとても良い印象が残っています。
 なんと言っても富士重工業と言えば、戦前の航空機メーカー・中島飛行機の流れを汲む会社であり、「航空機に通じる機能性・合理性優先で、既成概念に囚われないユニークなメカニズムを特徴とする自動車を多く送り出してきて」「今なお日本の自動車メーカーの中でも特に技術至上主義の傾向が強い」(Wikipedia)会社です。マニアに言わせると、「燃費は多少譲っても、走行性と安全性が高ければよし」とし、「雨でも雪でも氷でもどんな道でも絶対的な安心を与えてくれる懐の深さ」があり、「派手さは無いが実直で頑なに良いモノ造り」をしており、「『所有する喜び』と『運転する楽しさ』を感じさせてくれる」・・・という意味では、ドイツのポルシェやイタリアのフェラーリなどの職人気質に通じるところがあるように思います。
 こうした消費者の好印象の経験はやがて「ブランド」として結実し、リピーターを生む好循環が生まれるのでしょう。
 私が3年前にアジア・大洋州事業をたたんで帰国するまでの3年間ほど、その製品事業でジャパン・プレミアムを印象づけるキャンペーンを張ったことがありました。今、後知恵で思うに、2~3年では短過ぎますし、投じた予算も少な過ぎた上に、そもそも「ジャパン・プレミアム」が生きる事業領域だったかどうかは甚だ疑問で、結果としてうまく行きませんでした。自動車業界は、コモディティでありながら、贅沢品でもあるという、極めてユニークな業界で、富士重工業は、20年間、地道に車そのものと言うよりレガシィ・ブランドを売り込んで、今の地位を築いたのでしょう。所謂一朝一夕で出来ることではありません。
 ポルシェやフェラーリを見るまでもなく、EV化する自動車業界で生き残る日本の自動車メーカーは、トヨタやニッサンやホンダではなく、富士重工業のような会社ではないかと思ったりします。
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戸越銀座のコロッケ

2012-08-25 00:46:31 | ビジネスパーソンとして
 今朝の日経によると、戸越銀座商店街が、コロッケ人気で活気づいているそうです。名前くらいは聞いたことがある戸越銀座がどこにあるのか、関西人の私には分かりかねますが(調べてみると、品川区豊町・戸越・平塚にまたがる商店街で、東急池上線の五反田駅から二つ目に戸越銀座駅があります)、かまぼこ店の「おでんコロッケ」、洋食屋の「フォアグラコロッケ」、中華料理店の「ギョーザコロッケ」など、今では20を越えるお店がそれぞれ個性を生かしたコロッケのこだわりの味を競っているのだそうです。面白いと思ったのは、そのきっかけとなったのが、10数年前、宝飾・時計店のおやじさんが立正大学・経営学部の学生に話をもちかけて始まった「立正コロッケ」とか。戸越銀座のHPによると、

(引用)
立正大学経営学部池上ゼミは、戸越銀座商店街と協働で、商店街を「コロッケのまち」にしようと活動しています。その一環として、コロッケの土産用の箱、コロッケ店のマップ、コロッケ店に置くのぼりの作成、そしてコロッケ店のプロモーションビデオ製作も行いました。さらに、「戸越銀座コロッケ」の一つとして「立正コロッケ」をつくって、月一回の販売を行っています。
(引用おわり)

 もっと面白いと思ったのは、昔ながらの地元の商店街が凋落するのは、大型スーパーのせいにされがちですが、戸越銀座の場合、あるお年寄りに「おたくの商店街に欲しいものはない」と言われて、発奮したという話です。マスコミや私たちは、「大型スーパー=強者で悪者」、「地元の商店街=か弱き善」といった公式で、つい判官びいきに傾いてしまうものですが、そうならなかったところが、あっぱれと言うべきです。
 景気などの外部のせいにしたりしますが、実は智恵を絞れば、なんとかなるものなんですねえ。是非、戸越銀座でコロッケの食べ歩きをしたいものです・・・
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MICEとは?

2012-05-26 11:38:36 | ビジネスパーソンとして
 先日、知人に誘われて、某ホテル・グループ主催MICEオーガナイザー/プランナー向けイベントなるものに参加しました。マイスと発音するMICEなる言葉が何たるかも知らず、タダ飯が食えるというだけでホイホイついて行くゴキブリのような気楽さです。
 会場は恵比寿にある、なかなかシックな一軒家の二階で、まさにディナー・パーティの装いです。プレゼンテーションを聴いていると、企業において営業マンや販売店の優れた営業活動を報奨する旅行やパーティ等を企画する担当者を招待し、新しいホテルや施設を紹介するとともに、これら企画担当者の中からホテル・グループの売上に貢献した最大顧客を報奨する毎年恒例のパーティであるらしいことが分かって来ました。どうりで全国に散らばるホテル支配人や営業部長が次々に名刺交換の挨拶に訪れて来るわけです。実は私の知人すらも企業内のこうした企画担当ではなく、ただの営業マンで、技術者を長期出張させるアレンジをする中でたまたま知り合ったホテルの営業の方からお誘いがあっただけのことです。まして私はその中のただの出張者の一人、畑違いで場違いなことを痛感させられてヒヤヒヤものでした。そうは言っても4月にダラスで泊まったホテルはこのホテル・グループの一つであり、またアメリカやアジアやオーストラリアに駐在中に家族旅行で利用したホテルも多く、満更、貢献していないわけではないと開き直って、ワイン片手に、フォアグラや新鮮なシーフードに舌鼓を打っておりました。
 MICEというのは、国土交通省・観光庁のサイトにも説明があって、企業等が行うMeeting(会議)、Incentive Travel(報奨・研修旅行)、国際機関・団体、学会等が行うConvention(国際会議)、Exhibition/Event(展示会・見本市、イベント)の頭文字を取った、これらビジネス・イベントの総称だそうです(http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/kokusai/mice.html)。アメリカなどのグローバルなホテル運営会社や、シンガポール、タイ、韓国などの国が、最近10年ほどの間に積極的に使い始め、国際会議のみならずMICE全般の振興に積極的に取り組み、外国人旅行客の増大などの経済効果と、地域の国際化・活性化等に大きく貢献してきたといいます。そこで我が国としても後れを取ってはならじと、2007年1月施行の「観光立国推進基本法」に基づき、同年6月マスタープラン「観光立国推進基本計画」を閣議決定し、「我が国における国際会議の開催件数を2011年までに5割以上増やすこと」を基本目標の一つとして、アジアにおける最大の開催国を目指して官民を挙げて取り組んでいるようです。結果は・・・知りません。
 さてこのイベントに話を戻すと、ただ、タダ飯を期待していただけの客ではない証拠に、全く違う業界のことながら、一介のビジネスマンとして、こうしたビジネスの進め方や、個別の接客やプレゼンテーションの仕方は興味深く観察しておりました。というのを言い訳にした上で、二点コメントです。こうしたイベントを、何故、自分たちのホテルで開催しなかったのか、と彼らの言葉で説明するくだりで、この会場の素晴らしい360度パノラマ・スクリーンを是非見て頂きたかったと語った時には、耳を疑いました。自分のホテル・グループではこうした演出は出来ませんと言っているようなものですから。しかし、ホテルのスペースはお客様を優先した・・・と言ってしまうと、ここにいるのもお客様であって、自己矛盾に陥りますし、言い訳はなかなか難しかったのかも知れません。それから、報奨、所謂Award授与のところで、受けたお客様も一言挨拶をする際に、折角、ご招待を受けて頂くわけですから、ホテルの対応の良さを褒めそやし、あるいは普段の良好な関係を自慢するわけですが、これがなかなかわざとらしくて耳障りです。何故かと翻って考えるに、個人の多少の巧拙は問いません、このようなイベントはもともと日本にはなかったからではないかと思い至りました。欧米からの輸入で、普段は英語で耳にして、ごく自然に聞き流すものですが、日本人はそもそも短いものであっても気のきいたスピーチは苦手ですし、相手を褒めることも苦手です。何しろ他人を褒めるより、自らを謙遜して相手を立てる国民性です。さらには、そうした文化的な背景があるために、このような場面で使われる日本語がまだこなれていないのではないか。そんな印象をつらつら思っておりました。余りに美味しかったので二度並んでたっぷりとフォアグラを満喫しながら・・・
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アクアスキュータム経営破綻

2012-05-06 18:30:12 | ビジネスパーソンとして
 先月17日にアクアスキュータムが経営破綻したニュースをアメリカ出張中にネットで見かけて、ちょっと衝撃を受けましたが、今朝の日経朝刊にあらためて解説記事が出ていたのを見て、その衝撃を思い出しながら書きます。
 ビジネス用のオーバー・コートと言えば、トレンチ・コートやステンカラー・コート(実は和製英語で、バルカラーまたはバルマカーン・コートが正式名称らしい)で、日本では圧倒的にバーバリーのブランドが有名です。1856年創業、第二次ボーア戦争(1899~1902)で士官用コートとしてトレンチ・コートの前身となるタイロッケン・コートが親しまれ、第一次世界大戦で英国軍の塹壕(トレンチ)戦に合わせて製造されたトレンチ・コート(今も腰回りのD字型リング(D環)は手榴弾や剣・水筒をぶら下げるものだった等、物騒な軍服の名残りを残しています)がヒットし、1919年にはジョージ5世からコート・ジャケット部門の英国王室御用達(ロイヤル・ワラント)を受けました(Wikipedia等)。アクアスキュータムも同じような発展を、実は一歩先んじて遂げて来ました。創業は5年早い1851年、ロンドン万博の時で、世界で初めて防水ウールの開発に成功し、クリミア戦争(1853~56)で将校の活躍を支えたことで知名度を上げ、第一次世界大戦では、抜群の防水性と保湿性が塹壕(トレンチ)で戦う兵士を守ったことが、現在のトレンチコートの原型となったとされています(Wikipedia等)。英国王室御用達を受けたのも、一足早い1897年、エドワード7世の治世でのことです。
 そんな相似形の両社ですが、バーバリーが二桁増収を続ける一方、アクアスキュータムが経営破綻に追い込まれた理由を、今朝の日経の解説記事は、成長市場であるアジアでの事業展開の違いに求めていました。アクアスキュータムは、1990年に日本のレナウンに買収されて、欧州で客離れを招いたのが躓きの始まりで、その後、レナウン自身も2010年には中国メーカー傘下に入るような苦境に陥ったように、2009年に全株式がイギリスのブランドライセンス会社・ブロードウィック社に売却されました。その時には、老舗ブランドが地元に戻ってきたと、イギリスのメディアからは好感されたようですが、実はその際に日本を含むアジア地域での商標権だけは香港YGMマートに売却されました。日経の解説記事は、「ブランド市場が急拡大しているアジア地域での事業を分断され、バーバリーのような成長シナリオを描くことができなかった」「アクアスキュータムの破綻は、ブランドビジネスがアジアを抜きにしては成り立たないことを物語っている」と結論しています。しかし、ネットで調べてみると、レナウンが買収した時には約190億円を支払いながら、20年後に売却した時には、アジアでの商標権20億円強、英国ブロードウィック社への全株式とアジア以外の商標権20億円弱、合計40億円と推定されており、その間の事業価値の毀損は明らかです。つまり、ここ2~3年の話ではなく、より根本的には、レナウンが、かつてダーバン・ブランドでアラン・ドロンを起用したことがありましたが、決して高級品ブランドには成りきれず、アクアスキュータムのような高級ブランド・ビジネスを上手く展開できなかったから、と言わざるを得ないのではないかと思います。
 さて、何故、かくもしつこく本件を追いかけるのかと言うと、かれこれ二十数年前に就職した当時、バーバリーのチェック柄をよく見かける中で、当時の上司が見慣れないチェック柄のコートを着ていたので、わざわざ尋ねたのが、アクアスキュータムとの初めての出会いで、その後、新婚旅行で訪れたロンドンで購入した思い入れのある一張羅のコートだったからです。その時、Gパン姿でロンドン本店に足を踏み入れることに、一瞬、ためらいがあったのを覚えていますが、時あたかも日本のバブル絶頂期であり、若い日本人観光客がロンドンのリージェント・ストリートやパリのシャンゼリゼを闊歩し、生意気にもルイ・ヴィトンやエルメスなんぞを買い漁っていた時代です。ちょっと大きいんじゃないか?と、たどたどしい英語で聞いたら、店員は慇懃に”It’s up to you.”と、答を私にあずけて来ました。それがイギリス流なのか、それともこの東洋の若造が、と内心苦々しく思っていたのかは、今となっては分かりません。
 ところがそうやって恐る恐る仕立て直してもらって購入したコートは長らく眠ったままでした。当時、既に着ていたチップ(Chipp)という今は懐かしいトラッドのブランドのコートや、二度の海外生活を挟んで、ブルックス・ブラザーズのぴらぴらのコートを着潰して、アクアスキュータムのコートに袖を通したのは、実に20年の歳月を経た昨年のことです(ついぞレナウン傘下の時代におろさなかったのは、ただの偶然です)。20年前に買ったコートなど、俄かに想像できませんが、どんなものかと思ったら、シミひとつなく、昨日買った新品と見分けがつかないほど生地は滑らかでしっかりしていますし、仕立て直してもらったはずの袖や裾はそうと気付かないほど歪みもなく、中島誠之助ふうに言うと、良い仕事をしていて、さすがです(以前、アメリカで仕立て直してもらったポロのスーツに皺が出て使い物にならなくなったのは、たまたまだと思いたい)。むしろ、第一ボタンを外しても見栄えがする約束通りのつくり(これは、モノトーンのビジネス・シーンで唯一のおしゃれとも言えるネクタイが覗くのが、なんとも粋です)や、ずしりとした重厚感が、昨今の薄っぺらでチャチなコートと一味違い(あるいは素材や織りに技術革新があったせいでしょうか)、20年前のイギリスの厳しい冬や、ひいてはイギリスの風格を感じさせます。何でもかんでもユニクロに席巻されてしまうのではなく、いつか着てみたいと思わせるような、昔ながらのホンモノのコートを愚直に作り続けるブランドがあって良いと思いますし、そういう遊びと粋を忘れない世の中であって欲しいと思います。
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L'OCCITANE

2012-04-29 21:45:42 | ビジネスパーソンとして
 アメリカ出張の落穂拾いが続きます。
 表題は「ロクシタン」と読むそうです。これまでさして気に留めて来なかったのですが、今回、サンフランシスコ空港のDuty Free Shopで大々的に販売されているのを見かけ、JAL機内販売でも見かけたということは、最近人気の化粧品ブランドなのでしょう。
 Wikipediaによると、南フランスのプロヴァンス地方におけるライフスタイルを取り入れた自然派のコスメティックブランドとして、1976年にオリビエ・ボーサンによって創業されたのだそうです。植物原料を主原料に化粧品(スキンケア、ボディケア、バスケア)、芳香剤(フレグランス)などを製造・販売ならびにカフェ運営しており、1998年に日本に上陸、2008年5月には、世界1000店目であり日本で最大店舗である旗艦店「テラス・ド・プロヴァンス渋谷」が渋谷駅前交差点にオープンしました。とあるサイトを見ると、ロクシタンの信念として5つのポイントを挙げています。
(1) 植物療法やアロマセラピーの考え方によって作られている。生産者や環境に対する尊敬の念を持って原料を選んでいる。
(2) 商品の製造工程で、動物性原料、副産物を使用しない。動物実験もしない。
(3) 環境保護のために、汚染物質を出さない工場作りを進めているほか、環境にやさしいパッケージを選択し、必要のない包装を行わない。
(4) 伝統的な製造方法を支援し、仕入においてはその品質と、地元の生産者を最優先する。またシアバターの生産地であるブルキナファソへの継続的な支援を行う。いかなる製品も児童労働によって生産されたものではないことを保証する。
(5) 視力障害のある方にも私たちの商品を自由に選ぶ喜びをもって頂くために、ほとんどの製品にはパッケージに点字で製品名を記載している。
 これを読んでいると、ボディショップ(The Body Shop)を思い出しました。このブランドを知ったのは初めてロンドンを旅行した時で、かれこれ20年前のことです。こちらも天然原料をベースとしたオリジナル化粧品を製造・販売する企業として、偶然にもロクシタンと同じ1976年に、アニータ・ロディックによって設立されました。同じ時期に同じようなコンセプトで南フランスとロンドンという違う場所で創業されるという、歴史に時々見られる同時性で、面白いですね。日本に上陸したのは一足早い1990年で、神宮前の「表参道店」、今では世界50ケ国以上、2000店舗以上を展開しているそうです。企業の社会的責任を果たすために、企業理念として5つの価値を掲げているのも似ています(Wikipedia)。
(1) Against Animal Testing (化粧品の動物実験に反対)
(2) Support Community Trade (公正な取引により、地域社会を支える)
(3) Activate Self Esteem (自分らしい生き方を大切にする)
(4) Defend Human Rights (ひとりひとりの人権を大切にする)
(5) Protect Our Planet (私たちを取り巻く環境の保護に努める)
 ところが、ボディショップは、2006年3月、化粧品大手のロレアル社に買収され、俄かに取り巻く環境が変わって来ました。ロレアルは、ボディショップが中心的な価値として否定している動物実験を依然続けているため議論を呼び、世界中で顧客や小売業者からボイコットを受けたのだそうです(最近どういう状況なのかは分かりません)。
 化粧品の世界でも、自然派の流れは止められないということなのでしょうね。
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神の手・天野教授

2012-02-20 23:37:37 | ビジネスパーソンとして
 前回、健康ネタを書いたばかりだったので、この週末に行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術のことが気に掛かりました。東日本大震災の被災者を気遣われて七週連続で被災地をご訪問されたことの記憶が新しいですし、更に、一周年の記念式典への参加を強く希望されているといった話も漏れ伝わって、国民に寄り添われる皇室の姿勢がこれまで以上に多くの日本人の心を捉えました。ご無事を祈る記帳者は5万人を越えたそうです。こうした思いも伝わったか、術後の経過は順調のようです。
 なにしろ天皇陛下の手術ですから、日本で最高の医師団が組織されるわけですが、医学部の頂点として言わずと知れた東大医学部で固めずに、順天堂学医学部との混成チームだったことが話題を呼びました。執刀医を務めたのは、請われて参加した順天堂大医学部の天野篤教授という、三浪して日大医学部に入り、パチンコ三昧の日々もあったという変わりダネで、心臓のバイパス手術を4千件以上手がけて、「神の手」を持つと崇められる心臓外科のエキスパートだそうです。
 そもそも外科医や歯科医は、頭の良し悪しよりも先ず手先が器用な職人でなければならないと思っていたので、天野教授のことを聞いて、失礼な話かも知れませんが、日本の現場の良識を心強く思いました。
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タニタの鼻息

2012-02-18 15:03:21 | ビジネスパーソンとして
 今朝のTVで、タニタの特集をやっていました。話題になったレシピ本「体脂肪計タニタの社員食堂」発売から既に2年になるそうですが、「『社員以外でも食べられる場所を提供してほしい』という声にお応えして」(ホームページ)、とうとう東京・丸の内に「丸の内タニタ食堂」をオープンしたそうです(先月11日)。メニューは日替わり定食800円と週替わり定食900円の2つだけなのは、いろいろ選べると食べ過ぎるという配慮から。いずれも500kカロリー未満で、レシピ本のサブ・タイトル「500kcalのまんぷく定食」そのままです。レシピ本を読んで実際にどんな味なのか試しに来たという人がインタビューに答えて「意外に味がしっかりしている」と褒めていましたが、「全体的に薄味&固いが、あれはあれで良い・・・(中略)・・・味が薄いだ、高いだとの酷評はあるも、コンセプトを理解すれば当然の味」など、食べログの口コミでは、むしろ薄味と思う人が大勢を占めるようです。ヘルシーを標榜するのですから当然ですね。業務用体組成計を備えたカウンセリング・ルームもあって、相談に乗ってもらえるそうです。
 更に。ここぞとばかりに、他業界とのコラボもやっています。「タニタ食堂の100kcalデザート」なる名前のカスタード・プリンが森永から120円で販売されています。宣伝文句は、「タニタ社員食堂の栄養士さん監修の100kcalながら満足感のあるカスタードプリンです。卵の味がしっかりと味わえます。カラメルソースの隠し味の黒みりんを増量して『うまみとコク』をアップしました」と、今やタニタの栄養士さんの権威は絶大です。また、タニタ監修の「快眠ルーム」なるものがNTT都市開発によって企画され、さいたま市大宮区の分譲マンション「ウェリス大宮」のモデル・ルームで常設展示されているそうです。カーテンはタイマーで自動開閉して朝陽を適切に取り入れて目覚めを良くし、壁はマイナスイオン・クロスで温度調節するとともにリラックス効果を狙い、ベッドは高反発マットレス、床のクロスはコルクを使って湿度を適切に保つなど、至れり尽くせり。入居後はタニタから生活習慣改善プログラムを受けられるのだそうです。そのほか、フィットネス・クラブを運営する子会社タニタフィッツミーは既に5年前に設立されていて、フランチャイズ募集中で、後発故の「女性向け小型フィットネス・クラブ」というコンセプトがなかなかユニークです。
 いずれも、タニタの企業理念「我々は、『はかる』を通して世界の人々の健康づくりに貢献します」(同社HP)からすれば、ややはみ出していますが、それに続くトップ・メッセージには「タニタは新しい健康習慣を提案します。『健康をはかる』から『健康をつくる』へ。タニタは、食事・運動・休養のベストバランスのご提案を通して、24時間皆様の健康づくりをサポートしていきます。”日本をもっと健康に!” タニタの新しい挑戦にご期待ください」(同社HP)と鼻息が荒い。来年、創業90年を迎える老舗は、自己革新を図らないと成長しませんからね。「健康」という永遠のテーマは、ただでさえ安定した根強い需要がありそうですが、これからの世の中は、益々「健康オタク」が増えて、ブームに乗って暫くは笑いが止まらない状況が続きそうです。そう考えると、あのレシピ本のタイトルになった社員食堂こそ同社にとって最大のヒット商品だったのかも。
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貿易赤字転落(後編)

2012-02-06 23:35:01 | ビジネスパーソンとして
 前回の続きで、超円高について徒然なるままに書き綴ります。
 果たして今の円高はどれくらい異常なのか、逆に言うと、どのレベルが妥当なのかを探るのは、簡単ではありません。1990年代後半、アメリカで生活していた頃は、生活実感としてアメリカの物価を知っていたので、1ドル=180~200円くらいだったことはある程度確信をもって言えました。所謂購買力平価と呼ばれるものです。しかし、最近は、アメリカに行くのは年一回、しかもホテルの高い食事や空港の高いスタバの珈琲を楽しむのが関の山で、生活実感から程遠く、よく分かりません。
 そこで、英・経済誌エコノミストが発表しているビッグマック指数を調べてみると(1月14日付)、アメリカのUS$4.20に対して日本では1月11日の実勢レート換算でUS$4.16と、ほぼ実勢レート並み(80円弱)の値付けです。しかし、アメリカでマクドナルドと言えば、国民食と言ってもよい、食文化そのもので、当たり前のファーストフード(もっと安売りの店もあるし高級店もある)であるのに対し、日本では、日本食と比較して劣位にあり、牛丼屋などとの競合が激しく、安めの値付けになっているものと想像されます。
 もう一つ、トール・ラテ指数(スタバ指数)を調べてみましたが、なかなか最近の価格を見つけられず、ようやく辿り着いたのは2年前のデータで、アメリカの$2.55に対し、日本は370円でした。ただ、スタバでもファーストフードのコカ・コーラでも、飲み物の容器がワン・サイズ違う日・米を比べるなら、アメリカのトール・サイズに対して日本はショート・サイズ320円が妥当であり、その場合、換算レートは125円になります。しかし、マクドナルドと違って、日本でスタバはプレミアム価格で販売されていますので、125円は過大評価されていると考えるべきです。
 こうして見ると、80~125円の間に正解がありそうです。ここ10年くらいの間に、デフレが続く日本では、特にインフレ高進するアメリカとの間で、内外価格差が縮小したものと考えられます。長期的には購買力平価が正しいとして、昨今の超円高は、「円高の正体」(安達誠司著、光文社新書)によると、米国の量的緩和により、ドルと円とでマネタリー・ベースに差が出てしまっていることが原因のようです。
 今以上の円高を予想するエコノミストもいますが、私としては中期的に円安を期待して、もう暫くガマンでしょうか。
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貿易赤字転落(前編)

2012-02-04 01:24:49 | ビジネスパーソンとして
 先週、財務省が発表した昨年度の貿易収支が31年ぶりの赤字に転落したことが注目を集めました。国内でモノづくりをし、輸出をして外貨を稼ぐという、戦後の日本を支えてきた経済モデルが転機を迎えているという視点での報道が多かったように思います。まるで貿易赤字基調が続くかのようなもののいいで、海外で投資して得た金利や配当を国内に還流させて再投資に回すといった良い循環をつくることが必要になるとか、モノだけでなく所得も合わせた経常収支で黒字を維持できるかどうかが今後の日本の成長のカギを握る、などといったテーマが論じられていました。
 しかしマクロに見ていてもよく分かりません。神は細部に宿る。財務省の「貿易統計」では1~11月までの国(地域)別輸出・輸入・貿易収支を見ることが出来ますので、リーマン・ショック前の2007年と比較してみました。すると11ヶ月間のデータですが、この円高にも関わらず輸出は1000億ドル増え、同時に輸入が2000億ドル増えたため、収支は1000億ドルの悪化で赤字転落という状況です。地域別にみると、アジアとの間ではこの4年間で輸出も輸入も1000億ドル増えて収支上はチャラ、中東と大洋州との間では輸入が増えて(輸出はさほど変わらず)赤字幅が拡大、北米との間では輸出が減って(輸入は変わらず)黒字幅が縮小、欧州との間では輸入が増えて(輸出は変わらず)黒字幅が縮小していました。これだけでは偉そうに“細部”とは言えなくて、更に品目別に見ていく必要がありますが、恐らく、報道されている通り、停止する原発が増えたために火力発電用燃料の輸入が急増していること、東日本大震災やタイの洪水による予想以上のサプライチェーンの分断で輸出が落ち込んだこと、円高の影響で輸入が増えていることが想像されます。今のような超円高が永続するのかどうかという問題はさておくとして、このたびの貿易赤字は、原発問題や自然災害問題といった一過性の特殊要因によると言うのが正しいのではないかと思います。
 問題は超円高です。私は製造業に身を置く性(サガ)で、つい円高=輸出にとってマイナス、とばかり見がちで、輸入が増えて国内産業が痛手を被るなどというところにまで、これまで思いが至りませんでした。あらためて、輸出企業であれば生産を海外に移転してでも生き残りを図ることが出来るのに対し、地場産業は逃げも隠れも出来ず、安い輸入品との競争に晒されることを思うと、日本の産業に対する影響という意味では地場産業により深刻であるように思います。いずれにしても(つまり輸出企業の海外生産移転拡大や地場産業の弱体化により)日本の雇用は、円高によって相当のダメージを負っているに違いないと思います。日本以上に加工貿易立国の中国がアメリカの圧力をものともせず人民元安に拘り続け、韓国もまた通貨安を演出しているのは、まさにこの理由に他なりません。それに引き換え日本は、プラザ合意による急激な円高を易々と受け入れ、最近の超円高に対してもよくも無策でじっとガマンの子でいられるものだと思います。為政者は、このあたりをもっと真剣に考えないと。
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