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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ビーハグ?

2013-10-08 23:32:59 | ビジネスパーソンとして
 今朝の日経によると、企業が飛躍する過程で、外からは無謀と見えるほどの思い切った目標設定を「BHAG」(ビーハグ)と言うのだそうです(経営学者ジェームズ・コリンズ氏が命名)。Big Hairy Audacious Goalsの頭文字をとったもので、日本語に訳すと「社運を賭けた、とてつもない目標」とでもいうべきものだと。その例として、先日、亡くなられた豊田英二さんが、「カローラ」の開発・生産にあたって、どんな車になるのかまだ不明の段階で専用工場の建設を決め、月産2万台という当時としては常識はずれの量産体制を確立し、ライバル会社の度肝を抜いた・・・といった話が挙げられていました。結果として、日本にもマイカーが急速に普及し、自動車社会が到来したわけですが、ただ単に時代の流れや勢いに乗ったわけではない、時代を変えるこうした一人の経営者の英断を称え、現代においても、それが待望される、というようなニュアンスの記事でした。
 確かに、時として、漸進的ではない、ある種の飛躍や天才が、市場を創ることがありますし、社会を変えることがあるのを、感得出来ると思います。ブレークスルーという言葉で形容されるものです。今の日本では、長引く経済停滞とデフレの中で、すっかり縮小均衡に陥ってしまったかのようですが、それでも、同記事では、現代の「ビーハグ」の例として、JR東海の「リニア新幹線」や、三菱重工の小型ジェット機「MRJ」、サービス業では、大型投資で日米を跨いだ携帯サービスを構想するソフトバンクや、「宅急便」の網の目をアジアに広げるヤマト・ホールディングスが挙げられていました。アベノミクスの金融緩和が「異次元」と形容されたのは大袈裟でしたが、これらはまさに現状を突破(ブレークスルー)し「異次元」を目指すものと言えます。
 同じ企業経営の世界で、レベルが違いますが、例えば経費削減目標を、こぢんまり5%削減と設定すれば、小手先の対応でなんとか出来るレベルと思わせるために、甚だ心許ない一方、20%や30%削減を打ち出せば、ちょっとやそっとでは済まない、大胆な発想により、却って局面打開できることがあると言われるものです。
 ところで、スポーツ・ライターの相沢光一さんが、男子マラソンの世界記録が更新されたことを紹介するエッセイで、日本はアフリカ選手に完全に後れてしまった、こうなれば破天荒な選手に期待するしかない、と述べておられました。ケニア選手は2時間3分台を目標に練習しているようですが、日本人選手は、例えばモスクワ世界陸上の代表選考基準として設定された2時間7分59秒を目指すとすれば、3分台はおろか5分台とか6分台すらも難しそうだと感じてしまいます。
 目標設定というのは、なかなか難しいものですね。さて、私は、マラソンにせよ仕事にせよ、どのレベルを目指すべきか・・・。
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ものづくり命

2013-09-25 23:36:47 | ビジネスパーソンとして
 一週間ほど前の話になりますが、トヨタの最高顧問・豊田英二さんが亡くなられました。享年100。大往生と言えるのではないでしょうか。
 私が入社した頃には既に会長職に退いて久しく、同時代人としての直接の記憶はありませんが、1982年の工販(トヨタ自動車工業×トヨタ自動車販売)合併まで約15年にわたって社長を務め、その間、豊田喜一郎氏(創業者・佐吉氏の長男)が考案した「ジャスト・イン・タイム方式」を更に発展させた「カイゼン」活動を徹底し、「トヨタ生産方式」を確立したことで知られる「トヨタ中興の祖」です(実際に体系化したのは大野耐一さんですが)。
 もはや「カイゼン」はKAIZENとして海外でも通用するばかりでなく、私たちにとっては業務上不可欠と言ってもよいほど、ごく当たり前の取り組みになりました。「トラブルの芽を、小さいうちにどんどん摘んでいく」、「データで仕事しよう、ワーストから潰そう」(現状を洗い出し、データを分析する。次に一番クレームの多いところから潰していく。但し重要度・緊急度の高いものには優先して取り組む)、「事前の一策、事後の百策に勝る」(コトが起きる前に準備しきちんと対応する方が、コトが起こってから慌てて対応に走り回るより遥かに効果的)、「横展(横に展開)しよう」、「自分が楽になることを考えろ」、「真因を探せ」(問題にぶつかったとき、「なぜ」を5回繰り返せば、真の原因が浮き上がってくる)、「カイゼンは巧遅より拙速」(要はあれこれ考えてばかりいないで、まずはやってみる)など、トヨタの口癖とされるもので馴染みのものは実に多い。
 しかし、巷にトヨタ本があふれ、トヨタ用語やトヨタの口癖を知る人は多くても、言葉の表面だけでなく本当の意味を理解し、さらには当たり前のことをきっちり習慣として抜かりなくやる、大きな組織の中でも徹底してやる、というのはなかなか生易しいことではありません。すなわちトヨタ生産方式の本質は「毎日のリスクマネジメント」にあり、「当たり前のことを習慣にする」点に強さの秘密があるとされます。要はトヨタの強さはDNAとしてのカイゼンにあるということです。だからトヨタは他社に対して常にオープンで、トヨタ生産方式を学ぶ企業は、製造業からイトーヨーカドーのような小売業まで幅広いのですが、トヨタを超えること、すなわちDNAとして根付かせることは、なお難しい。豊田英二さん自身も、「トヨタのジャスト・イン・タイムは60年近い年月を経て、ようやく体の一部になってきた」「ノウハウの蓄積が非常に大切」などと言われたものでした。当たり前のことを愚直に実行することほど難しいものはないというのは、身の回りを見渡してもそう思うわけですが、そこに気づかせてくれた功績は計り知れないほど大きい。
 また、豊田英二さんは、製造業の空洞化についても警鐘を鳴らしておられました。「モノ作りは絶やさんように」「一度、空洞化してしまうと、失ったノウハウを取り戻すのに、大変な労力がかかる」と言って、平安時代、醍醐と呼ばれたチーズは、醍醐味という言葉があるくらいで、美味しいと思われて作られていたはずなのに、いつの間にか製造技術が失われ、明治になって西洋から入ってくるまで製造出来なかった話とか、やはり8世紀頃の遺跡を発掘すると、勾玉みたいなガラス製品がたくさん出てくるのに、9世紀に入るとぱったり途絶えて、16世紀半ばにビードロとかギヤマンなどが入ってくるまで、空白ができて、その間、日本のガラス製造技術は遅れてしまったといったような話を例に挙げておられました。
 さらには、「経済の中で価値を生み出す一番の源は、今でもモノ作りにあるんであって、何もないところにサービスだけあるわけがない」「モノ作りという基礎がしっかりしておって、その上にサービスや金融のようないろいろな産業が乗っかっておるなら、それでええんです」「コンピュータはモノサシみないなもので、いくらいじっても何も出てこない。ものづくりが出来ない国は衰退する」と言って、「ものづくり」に相当の自負と責任感をもっておられたようですし、製造技術を日本の国内に残すことに並々ならぬ情熱を傾けてこられました。今では日本の製造業と言えば、悲しいことにトヨタをはじめとする自動車産業しかない・・・とまで言わなければならないような趣です。
 そんな「ものづくり」への思い入れが強い豊田英二さんも、実は「ものづくりよりヒトづくり」と言われていました。この点に関して、松下幸之助さんの話が有名で、その昔、得意先から「松下電器は何をつくるところか」と尋ねられたならば、「松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております」と答えるよう若い社員に伝えた・・・というものです。企業は人なり、とは簡単に言いますが、日本の「ものづくり」ひいては「日本的経営」の強さの究極は、日本人の資質にあるのですね。そこさえ揺るがせにしなければ、今はたとえ自動車産業だけと言われるような状況であっても、将来は決して暗くないと思います。トヨタだけでなく広く企業人に影響を与えた豊田英二さんの死に、合掌。
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スマートな時代

2013-07-17 00:24:31 | ビジネスパーソンとして
 任天堂がファミコンを発売して丸30年になるそうです(30年前の昨日、1983年7月15日発売)。最近はスマホの無料ゲームに押されて、すっかり色褪せてしまったようで、同社の業績を調べてみたら、2013年3月期の売上高は6354億円(前期比2%減)、営業利益はマイナス364億円(前期比+9億円)と横這いで、最高益を叩き出した2008年の売上高1兆8388億円、営業利益5552億円とは比べるべくもありません。かつて、「会社の寿命は30年」という日経ビジネスの記事が話題になったことがありましたが、その符合には感慨深いものがあります。それにしてもほんの数年のことで、技術革新の速さ、技術浸透の速さには驚かされます。
 スマホが駆逐した技術は、任天堂のファミコンだけではありません。日本のパソコンの代名詞であるNECのPC-9800シリーズ初代機種PC-9801が発売されたのは、ほぼ同時期(1982年10月)でしたが、そのNECも単独での生き残りが難しく、中国レノボ・グループとの合弁に移行したのは周知の通りです。今や世界のデルとて安泰ではなく、創業者で大株主のマイケル・デル氏と投資ファンドなどがMBOを発表したのは、ちょっとした衝撃でした(著名投資家のカール・アイカーン氏も対抗案を提案)。上場から外して、株主の意向に左右されずに経営の建て直しを急ぐ構えですが、隔世の感を覚えます(デルの株主はMBO案をめぐり18日に投票を行う予定)。
 パソコンだけではありません。スマートフォン市場(敢えてスマホとは言いません)の草分け「ブラックベリー」は1億5000万台以上が販売され、世界のビジネスマンの必需品と見なされてきましたが、2012年第4四半期の世界市場シェアは3.4%まで落ち込みました。製造・販売するカナダのリサーチ・イン・モーションは、今年1月に社名をブラックベリーに変えて巻き返しを図るとしていますが、2月に日経によって日本市場から撤退することが報じられ(同社日本法人は否定)、中国レノボ・グループに買収されるとの噂も聞こえます。
 しつこいですが、もう一つ、デジカメは、1975年12月、イーストマン・コダックによって発明され、一般向けには1988年に富士写真フイルム(現・富士フイルム)が発表した「FUJIX DS-1P」が最初(しかし店頭には並ばなかった)とされる30年選手ですが、やはりスマホ全盛の煽りを受けているテクノロジーの一つです。デジタル一眼レフは徐々に売上を伸ばしていますが、全体では2010年の1.2億台をピークに3年連続前年割れとなり、最盛期の約7割のレベルまで落ち込む見通しです(CIPA:一般社団法人カメラ映像機器工業会より)。
 テクノロジーの進歩やイノベーションこそ成長の原動力であり、驕る平氏は久しからず・・・が世の常とは言え、開発・製造業者にとっては情け容赦ない世界と言えます。一人の消費者に過ぎない私は、さして必要性を感じず、いつガラケーからスマホに乗り換えるかいまだに思案するばかりの、呑気なものです。
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スカイツリー満1歳に寄せて

2013-05-26 14:12:23 | ビジネスパーソンとして
 東京スカイツリーが、この22日で開業一周年を迎えました。昨年の夏休みに、街の構造物を写生する宿題が出たときに、中一の子供が選んだのは、懐かしの東京タワーで、子供の目にもスカイツリーは、そういう目で見た面白さには欠けるのでしょうか(それとも単に子供が、誰に似たのか、ひねくれているだけなのでしょうか)。そんな私も、昇らないどころか足元にも近付かない、遠い存在のスカイツリーに、この一年で展望台入場者638万人と言われても焦るような数字ではありませんが、スカイツリータウンの来場者総数5080万人(当初予想の1.6倍)と言われると、なんだか出遅れ感を覚えないわけではありません。これだけの集客力ですから、経済への波及効果は計り知れず、関西大大学院の宮本勝浩教授によると、東京スカイツリータウンへの観光客の買い物や宿泊代などで700億円、その周辺施設だけに来た観光客の消費総額3500億円、更に、これらの仕入れ先などの関連企業への経済循環1700億円、合計5900億円と弾きました(産経新聞)。日本人は金がありますから、そのはけ口さえあれば活性化するという好例でしょう。
 そんな私ですから、当日の日経・朝刊で、スカイツリー開業1年の見出しには、さしたる感慨が湧かないのですが、「高い技術力健在」「地元中小に脚光」と題する記事が、地元経済の頁に掲載され、地味ながらつい惹かれました。
 一つは、スカイツリー開業式のテープカットに使われたハサミを製作する会社(石宏製作所)です。20年以上にわたり手作業を続け、刃に独特のひねりを付け、軽い力でもよく切れるそうで、普段は手術などに使う医療用が主力ですが、長引く不況で受注が減少していたところ、「スカイツリーに使われた」ことが評判を呼び、最近は「式典で使いたい」という依頼が増えているほか、一般向けにもソラマチ内で販売しているそうです。
 二つ目は、スカイツリーの形状をバネで忠実に表現した片手を広げた位の高さのインテリア雑貨を作る会社(楓岡ばね工業)です。名刺やちょっとしたメモを挟めるようになっていて、たかがインテリア雑貨と言っても、下の方こそ三角錐状でも伸びた先はほぼ円柱形になっており、その形の変化を表現するのに、バネの弾力や寸法調整など試行錯誤を繰り返し、培ったノウハウを結集して、完成まで2年もかかったそうで、その甲斐あって、かつては油圧シリンダーや発電所のコイルなど産業向けの売上が8割を占めていましたが、今では雑貨の比率が4割まで高まったそうです。新たな分野に挑戦することで新たなノウハウを身につけ、飛躍した(と言うと大袈裟ですがご褒美を貰った)好例ですね。
 三つ目は、地上と展望台を行き来するエレベーター内に装飾されたアートパネルの一つ、「都鳥の空」の真鍮製の鳥を作った会社(東日本金属)です。銀メッキを施し、薬品で黒く燻した後に銀色を磨き出したもので、鋳物を作る際の材料や温度管理などに神経を研ぎ澄ました逸品だそうです。
 日本経済は、財閥が強いだけの韓国経済と違って、こうした技術力をもつ町工場の厚みにこそ強みがあると思いますので、スカイツリー効果であろうが、何をキッカケにするにしても、脚光を浴びて、あらためてその技術力が見直されるのは良いことだと思います。どんどん日の目を見させてあげたい。日本には、知られていないだけで、キラリと光る会社は一杯あるのでしょうね。技術好き日本人の面目です。
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中国経済のあやうい本質・続

2013-01-20 00:39:23 | ビジネスパーソンとして
 昨夕の日経一面に、中国の実質GDP成長率が2012年通年で前年比7.8%と、13年ぶりに8%を割り込んだことが報じられていました。一面記事を飾るほどのことはないように思いますが、「世界の工場」として海外の景気の影響を受けやすく、世界の景気を連想させるという意味で極めてシンボリックであるのは事実です。昨日に引き続き、中国経済を巡る最近の日経記事3つを紹介します。
 一つ目、一昨日の日経には、日経・CSISバーチャル・シンクタンクがビジネス・パーソンを対象に実施した日中関係に関するアンケート調査が紹介され、「生産拠点や市場としての中国の重要性に対する認識が著しく低下し、中国へのビジネス心理が急速に冷え込んでいることが裏付けられた」と報じていました。「生産拠点として」日本経済に対してもつ意味は、「必要不可欠」(14.3%)を抑えて、「必要不可欠だったが今後はそうとも言えない」(76.8%)が圧倒し、「市場として」も、「必要不可欠で、今後重要性を増す」(27.9%)を、「必要不可欠だが重要性は減る」(56.4%)が上回りました。新興国投資で最も有望な国・地域は、「中国」(3.6%)に対して、「インド」(41.9%)と「タイ・インドネシアなどASEAN諸国」(47.9%)が多くなっているのは、今の日本人のムードを反映しているとは言え、これほどまでかとちょっと驚かされます。
 二つ目、中国商務省は、世界から中国への直接投資(実行ベース、2012年)が前年比3.7%減の1117億ドル(約10兆円)になったと発表しました。リーマン・ショック後の2009年以来、3年ぶりに前年実績を下回ったのだそうです。債務危機の影響が長引く欧州からの投資は3.8%減、海外資金の経由地でもある香港を含めたアジア10ヶ国・地域からの投資も4.8%減となった一方で、米国からの投資は4.5%増、日本からの投資に至っては16.3%増と、5割近く増えた前年から伸びが鈍ったとは言え、尖閣諸島を巡る対立で対中投資リスクが浮き彫りになったにも関わらず、堅調だったようで、世界からの対中投資が落ち込む中で、日本からの投資が全体を支える皮肉な構図となっていると伝えています。もっとも10月まで対中投資を手控えていたが、年末にかけて遅れていた分を含めた投資の実行に動いたとみられていますが、先ほどの日経・CSISバーチャル・シンクタンクを見る限り、先行きは明るくなさそうです。
 三つ目、一週間くらい前の日経によると、台湾の対中投資にもブレーキがかかり始めているようです。昨年11ヶ月間の実績ですが、対中投資は前年比21%減となった一方、中国を除く対外投資は前年の2倍強に増加しており、昨年来「中国離れ」が鮮明になっていると報じています。背景として、中国の人件費上昇や労働力不足があり、中国政府が2015年までの5カ年計画で最低賃金を毎年13%以上引き上げる方針で企業の負担増が懸念されています。中国当局や提携企業との契約や安全を巡るトラブルも多発しているようです。代わりに投資が向かったのは、やはり人件費の安い東南アジアで、ベトナム向けは87%増、マレーシア向けは79%増に拡大したそうです。日本や欧米の投資は、台湾や香港経由のものも少なくない、いわば中国投資の牽引役だったという意味で、一つの転機を示しているようにも思います。
 東大大学院の伊藤元重さんによると、30~50歳はベビーブーマーで(0~30歳は一人っ子政策の時代の子)、日本のベビーブーマーが50歳になったのは2000年だったのに対し、中国のベビーブーマーの最期の人が50歳になるのは20年先と、日本ほど急速に高齢化していくわけではないものの、中国の経済成長率が低くなるのは当然、と見ておられます。そして何より中国の経済成長を支えてきた三点セット(①輸出への依存、②低い賃金水準、③外資系への依存)が崩れ始めていることから、中国の先行きはについては余り楽観的ではないが、それでも大きく躓くことはない、というのも、中国は何よりも社会の安定を重視する国家である、それが共産党一党独裁国家というものであると述べておられます。
 昨日に続いて再び登場して頂く浜矩子さんは「中国経済 あやうい本質」(集英社新書)の中で、中国経済が抱える数多い問題点の中で最も深刻なのはインフレだと述べておられます。中国経済がインフレになる要因の一つには、人民元の上昇を抑えるために中国の通貨当局が凄まじいばかりの為替介入を行っていることが挙げられます。中国は経済成長8%以上を達成するため、「世界の工場」として輸出に依存するビジネス・モデルを維持するべく、人民元を人為的に低く抑えたい。そのため、中央銀行がドルを民間市場から買い上げて、その見返りに人民元を放出しています。結果として、景気の過熱と物価上昇で経済のバランスがどんどん崩れていくことになるのは、様々なメディアやチャイナ・ウォッチャーが報じている通りです。
 日本は、かつて輸出競争力の高まりとともに円高が進行し、国内生産を海外にシフトするなど、円高に耐えられるよう構造調整しながら、今に至っています。そして中国も人民元高が進むことは中国経済にとって理にかなっているにも係らず、アメリカからプレッシャーを与えられようが世界と妥協しない共産党一党独裁国家は、飽くまで人民元安にこだわり、イビツな経済に苦しんでいると見るわけです。日経新聞の記事を引用しながら見てきた外資の引き揚げは、反日暴動などに見られる政治リスクもさることながら、まさに中国においても、経済という複雑系あるいは化け物を手なずけるべく、構造調整に着手せざるを得ない、その一端が始まっている(あるいは人件費上昇という形で矛盾が噴出している)証拠だと思います。果たして中国は将来的に人民元高を受け入れて構造調整に耐えられるのか。実はこれこそが中国経済のより根源的な「あやうい本質」です。さて、どうなりますことやら。
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中国経済のあやうい本質

2013-01-18 23:53:17 | ビジネスパーソンとして
 昨日の日経新聞に面白い統計データが紹介されていました。OECD(経済協力開発機構)とWTO(世界貿易機関)が公表した「付加価値貿易統計」のことです。日経では、こう説明しています。例えば、日本から中国に60ドル相当の部品を輸出し、中国で完成させて100ドル(40ドル分の価値増)で最終消費地の米国に渡った場合、日本が60ドル、中国が40ドル、それぞれ米国に輸出したと計算される、と。そうだとすると、どの国で生み出された付加価値が、どの国で最終消費されたかが分かる、非常に腑に落ちる統計データと言えそうです。
 これによると、2009年の実績ですが、日本の最大の輸出相手国は米国で、全体の19%を占め、従来の統計では首位だった中国(全体の24%)は、付加価値で見ると2位(全体の15%)に下がるそうです。また、貿易黒字は、中・韓向けでは殆どなくなってしまい、米国向けで360億ドルと、6割も増えたそうです。
 中国は「世界の工場」と言われて久しいですが、かつて、英国やドイツや米国や日本が「世界の工場」だと言われた時とは全く様相が違います。これらの国々で工場生産の主軸となっていたのは、いずれもそれぞれの国の企業群でしたが、今の中国で工場生産を主に担っているのは外資系企業であり、素材やキー・コンポーネントを輸入して組み立てるだけの「下請け工場」に過ぎないことが、この付加価値統計によって裏付けられたと言えるのではないでしょうか。いみじくも浜矩子さんが「中国経済 あやうい本質」(集英社新書)の中で述べておられたように、「中国が世界の工場になったのではなく、世界が中国を工場にしている」のが実態です。そこで中国人が手掛けていることは、設計・開発や、生産技術や生産計画といったノウハウの厚みがない、安い労働力によって「組み立てる」だけの薄っぺらな付加価値でしかありません。まさに「あやうい本質」と言えないでしょうか。
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リーダーシップ(後)

2013-01-06 11:57:26 | ビジネスパーソンとして
 前回は、時に「頑張り過ぎる」ことは、必ずしも良いことばかりではないであろうことを、さわりとして述べました。これは現場力とリーダーシップのバランスの問題として捉えているのですが、より正確に言うと、現場力はカイゼンを重ねて磨かれていくもの、その現場力を活かしつつ、リーダーシップは環境変化を察知し適切に方向を変え、将来に向かって繁栄を目指すもの、とするならば、リーダーシップは、頑張り過ぎる現場に埋没してはならない、悪者になろうとも敢えて変化を主導しなくてはならないこともある、と言えます。当たり前のことですね。ところがこの当たり前のことがなかなかスムーズに行かない。日本は伝統的に現場力が強いためにリーダーシップがなくてもよしとするのか(はたまた村長のように調整型でよしとするのか)、リーダーシップが弱いために現場力に頼らざるを得ないのか(そうこうしている内に現場力がますます磨かれるのか)、欧米とは明らかに違うダイナミズムをもっています。
 産業界(私は製造業に属していますので、その界隈の話になりますが)に関して言うならば、日本はかつて戦後の復興から高度成長を経て1980年代に至るまで現場力によって世界に躍進しましたが、それは生産・品質技術という現場力の一つを磨いたからでした。そして今もなお現場力によってよく持ちこたえていると思います。ところが、その間、環境は大きく変わりました。政治的な東西冷戦の終結とともに、かつては東側として対峙していた中国や東欧が西側の市場経済に組み込まれ、経済活動面でグローバリゼーションが進行するとともに、技術的には米国・国防総省は独占していたネットワークが全世界に開放され、IT業界が勃興してかつてない革新が続き、そんなグローバルな跛行性をもった成長を捉えて、全世界を対象にした金融技術が高度に発達しました。そんな中で、日本においてもYahooやソフトバンクや楽天といった環境変化を捉えた新興企業が躍進しつつも、日本経済の屋台骨は、相変わらず1980年代以前の大企業が頑張っている状況と言えます。
 高度成長が時代の波を捉えた幸運な時期だったとするならば、失われた20年は時代の波に乗れないもどかしさに悩む日々と感じます。その間、大企業と言えども盤石ではなく、優秀な人間を囲い込んだまま、かつては聖域だった給与を下げてでも、時には構造改革を断行してでも、頑張り続けています。日本人はここでも「頑張り過ぎ」ているのではないか。もう少し緩めて、変化を志向し、あるいは同じ事業ドメインに留まるにしても、大幅に戦線縮小してもよいのではないか。勿論、痛みを伴います。だからこそ頑張っている。
 昨年、ソニー、パナソニック、シャープといった家電メーカーの凋落ぶりが話題になりました。短期的には超円高をはじめとして、韓国などに比べて日本の投資環境の悪さ(所謂六重苦)が論われ、それはその通りだと思いますし、競争相手として国家資本主義を背景とする中国企業が台頭し、太陽光パネルに見られるように在庫・生産調整などといった市場原理にとらわれない増産に次ぐ増産で価格破壊を招くなど、これまでとは違った意味で市場が攪乱されたりもしましたし、あるいはこうした新興国の従来にないスピード感と技術の接近により、日本企業の大型の投資判断が墓穴を掘ったと批判されたりもしました。そしてその背後には、優秀な技術が盗まれるだけでなく、(敢えて頑張り過ぎるばかりにと言いたいのですが)停滞する企業の先行きに不安を覚える技術者が引き抜かれたり自ら進んで外に出るなどして、製造業としての企業基盤が劣化しつつある現実があります。JALは復活したとされていますが、そのプロセスで、それまで囲い込まれていたパイロットが市場に流出し、LCC等の他の航空会社が救われたと言われます。つまり長期的に見れば、同じ持ち場に留まって頑張り過ぎるばかりに、優秀な人材や金を縛り付け、有望な新興市場も育たないまま、共倒れに終わり、結果、全体として緩やかな衰退に向かっているのではないかと感じざるを得ません。雇用ひいては社会の流動化は、常に日本の課題とされて来ましたが、これはひとり企業だけの問題ではなく、広く、企業を含む日本人全体の心の問題として(つまり企業の中にいてもどうにもならない部分も抱えるからこそ)敢えて言いたいと思います。
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リーダーシップ(前)

2013-01-03 23:47:52 | ビジネスパーソンとして
 新年が明けました。
 年頭のブログなので、我が身や我が社ひいては我が国に共通する課題・・・課題というのはその時々の関心のありようによりますので、今の思いをつらつら描いてみたいと思います。
 昨年、読んだ本の中で印象に残るものの一つに「特攻の思想 大西瀧次郎伝」(草柳大蔵著)があります。1972年に刊行されたものの復刻で、BOOK OFFで見つけました。余談ですが、BOOK OFFというのは、このように興味があったことが記憶の彼方にあるような本に出会える宝探しの楽しみがあり、最近は新刊で余程興味があるもの以外はBOOK OFFに出向いて探すようになりました。
 さて、平和ボケした現代の私たちには想像もつかない「特攻」では、昭和19年10月25日から敗戦の日まで、2367機が出撃し2530名もの若者が海の藻屑と消えました。あらためて、ただの思いつきではない、制度的に継続して行われていた事態に驚かされるとともに、苦々しく思いながらも、誰も止められなかった、その時代状況の異常さを思います。その「特攻」の産みの親と言われる大西瀧次郎・海軍中将は、自ら書き物を残さないまま、敗戦の翌日、自決したため、その思いは関係者の証言からしか推し量ることが出来ませんが、その本人すらも、ある時、猪口先任参謀に向かって「特攻なんてものは、こりゃ、統率の外道だよ」と呟いたと言われます。日露戦争以来の大艦巨砲主義に批判的で、艦隊決戦から航空決戦に向かう時代の流れを誰よりも早く読んでいたのは、山本五十六と大西瀧次郎というのが定説で、中でも大西中将は海軍航空隊育ての親と言われるほどの飛行機通、航空戦力の専門家でした。それでもなお源田実氏(大日本帝国海軍の航空参謀であり大佐、自衛隊では初代航空総隊司令、第三代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設)をして、大西の立場に立たされれば、山本五十六も山口多聞も同じことをやったろうし、彼ら自身が特攻機に乗って出撃したであろう、それが海軍軍人である、と言わしめました。
 今は特攻とは何だったかということに余り深入りするつもりはありませんが、本書で触れている、特攻の背景をなす考え方を記しておきたいと思います。戦争末期には、航空機生産力や整備力(の標準化)やガソリンのオクタン価でもアメリカに比べて圧倒的劣位にあり、制空権を失って久しく、大半の歴戦のパイロットを失って、育てる時間が十分ではない(初期の空中戦で活躍したパイロットは2000時間以上の経験があったそうですが、最後は十分の一程度にまで減っていたそうです)練度の低い若者を戦地に赴かせても、ただなすすべもなく撃ち落されるだけの状況は、軍人として本人たちもいたたまれまい。特攻はいわば死地を与えるものだったという、若者を思う気持ちが一つ。それから、ここで若者が起たなければ日本は滅ぶ、しかし若者が国難に殉じて如何に戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びない、とする国を思う気持ちがもう一つ。
 こうした考え方自体は、必ずしも理解できなくもないところが、極めて日本的な心性と言えましょうが、だからと言って特攻が正当化できるわけではありません。こうした特攻を含めて、大日本帝国軍人はよく戦いましたし、軍人以外の日本人はよく耐え忍びました。このように欧米人(などと一括りにするのは申し訳ないですが)一般に見られる以上に「頑張ること」自体は美徳には違いありませんが、誤解を恐れずに言うならば、場合によっては諦めが悪いばかりに局面打開の決断を遅らせる悪徳にもなり得るものだと思います。例えば硫黄島の戦いは、日本軍の守備兵力の戦死あるいは戦闘中の行方不明20,129名を、米軍の攻略部隊の戦死(6,821名)と戦傷(21,865名)を合わせた損害実数(28,686名)が上回るという稀に見る激戦で、日本軍の驚異的な粘りは米軍の心胆を寒からしめ、その記憶があるばかりに、本土決戦にでもなった暁には米軍側の被害は甚大なものになることを恐れて原爆投下に至ったなどというまことしやかな言い訳をされることにもなりました。
 後知恵ではありますが、それぞれの立場において、日本人は「頑張り過ぎた」のではないか。これは所謂現場力の発揮ということですね。そして現場力をよしとして必ずしも自己評価が高くないのがリーダーシップで、上位にあって現場を総覧し、現場力を超越し得るはずのものですが、日本においてはなかなか育たない、そのため適切に発揮されない恨みがあります。近いところでは東日本大震災が思い出されます。秩序を保ちつつ忍耐強く働く現場力は世界中から絶賛されましたが、日本政府のリーダーシップ欠如は非難の的になりました。長くなりましたので、続きはまた別途。
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労働者受難の時代

2012-11-10 19:02:43 | ビジネスパーソンとして
 前回触れた話題の三つの大学、「秋田公立美術大学美術学部美術学科」(入学定員100、3年次編入学定員10)、「札幌保健医療大学看護学部看護学科」(入学定員100)、「岡崎女子大学子ども教育学部子ども教育学科」(入学定員100)の行く末を、伊東乾さんが、素人の私とは違って専門家の立場から具体的に案じておられましたので、そのエッセイから抜粋します。
 伊東乾さんの、「東京大学で建学以来初の音楽実技教官として13年」やって来られた経験から、また「東京芸術大学はじめ伝統を誇る芸術系教育機関で非常勤指導」もされてきた現場の証人として、と断った上で、「秋田公立美術大」に入学する100人からの若い人が「貴重な青春の4年を『美術』に使ったとして、その先に『美術』の仕事が100は(中略)ない、まったくない、ぜんぜん、もう呆れるほど一切、ない」と断言されていました(苦笑)。例えば欧州、中でも旧東欧には「音楽大学の大学院を出ると『国家演奏家資格』が取得できて生活が一定保証される可能性が高くなる国が少なくなく(中略)要するに医者や弁護士と同様、社会人として活躍して行けるプロとしての資格とそれを支える国の経済システムがある」そうですが、所詮、日本では「確かに学校を出て数年は、OBもOGみんないろんな形で頑張りますが、20代後半になり30を過ぎ、結婚し子供ができ・・・なんて間に、だんだん別の生活になってゆく、それが今の日本社会の現実」だという訳です。
 また、「岡崎女子大学」は、短期大学を4年制大学に発展改組することを望んでいるもので、「保母さんや幼稚園の先生は、(美大と比べれば)専門性をもった就労の可能性や資格などとは親和性が高いのかもしれない」けれども、「札幌保健医療大学」は、専門学校を晴れて4年制大学としてスタートするものですが「果たしてこれを4年制大学にする必要があるのか?」と素朴に疑問を投げかけます。「少なくとも4年制の『看護学科』をさらに『大学院重点化』して看護師の修士という珍しい存在を作ったところ、そういった環境から先日の、世にも恥ずかしいiPS細胞移植詐欺・森口さんという人が出てきたのも、記憶に新しいところだ」と、伊東さんは手厳しい。
 前置きが長くなりましたが、芸術や医療の世界だけではなく、そもそも一般企業社会でも労働者に決して明るい未来が待っているわけではないことに関して、かれこれ8ヶ月前の日経・経済教室で、東大の伊藤元重教授が展開されていた議論が興味深かったので、要約して紹介します。
 随分昔に聞いた話と断りつつ、「働く」という言葉には3つの異なったタイプがあると言います。肉体を使った労働が「レイバー」、工場や事務所での仕事が「ワーク」、そして「プレイヤー」というのは説明が難しいですが、指揮者や歌手やスポーツ選手を例に挙げておられました。「遊ぶ」意味ではなくて、本論稿からすると、人間本来にしか出来ない付加価値の高い仕事というような意味合いでしょうか。かつて産業革命では、多くの「レイバー」が機械に置き換わり、労働者は苦役から解放された反面、仕事を失って、機械に八つ当たりする「打ち壊し」運動が起こったのは、昔、歴史の授業で学んだ記憶があります。もっとも機械が「レイバー」としての労働を奪っても、長い目で見ると、機械の利用が進む中で産業が成長し、「レイバー」より高所得をもたらす「ワーク」としての仕事が増え続けたという意味ではハッピーだったと言えます。そして今や、工場の中の「ワーク」は自動化機械に吸収され、オフィスでの「ワーク」もIT化やビジネス革新や海外の低賃金労働者に奪われ、「ワーク」が減って人が余りつつあります。中には一部に高所得の「プレイヤー」が出ていますが、多くは低賃金の海外の労働者に引き摺られて、所得が上がらない単純労働に成り下がっています。日本をはじめとする先進国で、現在、起こっているのは、こうした構造変革だというわけです。
 伊藤教授は、(労働の)需要サイドから、新たな産業を創出する必要があると説きます。ユニクロを展開するファーストリテイリングのような合理的なビジネスモデルの企業が成長すれば、「ワーカー」の仕事は海外に出て行きますが、グローバル化を見据えたマーケティング戦略やデザインなどのプロである「プレイヤー」の仕事は増えるはずだと言います。また製造業が高度化すれば、例えば炭素繊維や高度な産業機械のように日本でなければ出来ない素材や機械を開発するエンジニアの需要は拡大し、「ワーカー」の仕事は海外に一部は取られますが、「プレイヤー」の仕事は増えるはずだと。そして高齢化に伴って、国内で不足する医療や介護の人材を、どれだけ「ワーカー」から「プレイヤー」に変えていくのかも大きな課題だと述べます。理想を言えば、「レイバー」や「ワーカー」部分は出来るだけ機械や情報機器に回して、人間にしか出来ない仕事をどれだけ創り出せるか、これが医療や介護の高度化の課題だと言うわけです。現実はそんなに簡単ではないけれども、少なくともそうした方向を目指さない限り現状は打破できないのだと。
 他方、(労働の)供給サイドの取り組みは更に重要だと述べます。次世代の人材を育てない限り「プレイヤー」は増えないだろうし、「プレイヤー」が増えない限り日本の成長もない、教育や技能習得には時間がかかる、しかしそうした道筋をきちんと示せれば、多くの若者は自分の将来に対して明るい展望を持てるだろう、それが経済を活性化するはずだ、人的投資が「プレイヤー」を増やす鍵となる、と。
 これまで「レイバー」や「ワーク」が着実に機械や情報機器に置き換わって来たのは確かな現実です。四半世紀前には(そして、つい最近まで)、事務職の女性が部やライン毎に一人はいて、伝票処理やコピー取りを代行してくれて、朝十時と午後三時にお茶を出してくれるという、今となっては信じられないほど長閑で贅沢な風景が当たり前でした。プレゼンテーション資料も、上司が構想を手書きした下書きの紙をもとに、事務職の女性や下積みの若者がワープロや表計算ソフトに入れてプリントアウトして切り貼りしたものをOHPシートと呼ばれる透明シートにコピーし更に半透明の色セロハンを貼りつけて資料として完成させ(なんて長ったらしい説明・・・)、OHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)で映し出すという、前近代的作業を繰り返し、お陰で当時若かった私は誰よりも手際良く「レイバー」をこなせるようになりました。そんなオフィス内の「レイバー」はいつしか駆逐され、今では、アメリカ人のエグゼクティブよろしく、管理職自らパワーポイントで構想の段階からプリントアウトまで全て一人でパソコン上で作業する(あるいは前工程と後工程を分担する)など「レイバー」は「ワーク」や「プレイヤー」業務に吸収されていきました(それは景気が悪くなって若者が入社しなくなった悲劇と裏腹でもあります)。アメリカのエグゼクティブと言えば、日本では部下を一人か二人引き連れて大名旅行するのが当たり前だった当時(というのはアメリカに駐在していた15年くらい前のことです)、一人でレンタカーを運転して顧客やベンダーに乗り込むのが新鮮でカッコ良くもありました。その頃から、アメリカでは各種申請などの事務処理をパソコン上で本人自らが行なうようになるとともに、アシスタントの女性がオフィスから消えて行き、それは程なくして日本でも一般的になりました。
 以上のようにIT化がオフィスの生産性をあげ、「レイバー」が駆逐されて「ワーク」や「プレイヤー」業務に取り込まれて行く過程が雇用構造の変化の第一の波だとすれば、マーケットのグローバル化が第二の波となります。勿論、日本の労働市場がグローバル化すれば計り知れない衝撃を与えることになるでしょうが、そんな直接的な影響は当面は限定的で、むしろ間接的にじわじわっと真綿で首を絞められているのが現状です。つまり、競争がグローバルになるということは、コスト競争がグローバルに行われ、日本のように高コストの国内雇用がグローバルな競争に負けることと同義であり、端的には仕事が海外に逃げていく、あるいは正社員が減って派遣社員のように低コストの労働に置き換えれれていく、というのが失われた20年の日本で起こった確かな現実でした。これらの事実を見れば、最低賃金や派遣労働制限など、雇用ありきで考えることの愚は明らかです。
 こうした中で、「プレイヤー」全盛の時代ともてはやせるのかどうか、そもそも「プレイヤー」だけで事業が成り立つとは思えませんし、「プレイヤー」にどれほどの需要があるのかも疑問ですし、供給サイドのタレント(人財)もそれほど大量に存在するのか疑問です。しかし、鎖国でもしない限り、あるいはTPPやFTAに参加せず孤立してガラパゴス化していくならいざ知らず、グローバル社会と共存する以上、労働者が生活レベルを落とさないためには相当の覚悟が必要であることは論を俟ちません。一つは、伊藤教授も指摘されていたように、医療や介護のような内需型サービス産業を開拓・拡大することは国内雇用の受け皿の基本であること、もう一つはMade in Japanを支える国内のものづくりはもとよりMade by Japanをも支えグローバルに活躍できる人材を育成するというように、国内にせよ海外にせよ日本企業の労働の全ての領域で高品質をめざし、プロフェッショナル化することが必要であるように思います。日本の教育は、こうした国のありようを支える人材の基礎教育を提供できるか。田中真紀子文科相の投げかけた課題は重いと思います。
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供給過剰の大学生

2012-11-08 02:22:30 | ビジネスパーソンとして
 先週の日経新聞に興味深い数字が出ていました。断片的には漏れ聞いていましたが、あらためて突きつけられると感慨深いものがあります。それは一面記事の「働けない若者の危機」という特集記事の第三部・シューカツ受難①で、「供給過剰の大学生」というサブタイトルを掲げて、大学進学率はほぼ四半世紀前の1985年に26.5%から2012年には50.8%に上昇し、毎年の卒業生は37万人から55万人に急増した、と説明されていたものです。少子化の時代にかかわらず。ところがほぼ同じ時期に、従業員1000人以上の大手企業の採用数は増加傾向にあるとはいえ現在15万人程度(従い大卒の3割未満)、人気100社に限ると1.6~1.8万人(同じく大卒の3%)と言うと早・慶の学生総数にほぼ等しい狭き門だというわけです。
 「大学は出たけれど」というキャッチフレーズは、昭和初期の就職難の時代を描いた小津安二郎監督の映画(1929年公開)のタイトルで有名になりました(その後、1955年に野村芳太郎監督の作品も公開)。卒業予定ながら内定がない4年生は10万人以上と言われ、毎年のように、ロストジェネレーションを再び出さないためにも早急な対策が必要・・・と叫ばれ続けて久しいですが、日本の経済が縮小して雇用を支える仕事が減る問題がある一方、大衆化すればやむを得ないとは言え大学生の価値もまた低下している問題が当然ながら指摘されます。
 こんな数字が頭に残っていたので、田中文科相が、秋田・札幌・岡崎の3大学の開校を不認可とした問題は、よりによってこんな時期に相変わらずの「人騒がせ」ではありましたが、問題意識としては間違いではないという思いは一層強くありました。今日の会見で、3大学の内の一つの関係者が「勝った」「学生が救われた」などと思わず発言したことには、却って反発を覚えました。経営が成り立たない大学のご苦労はあるでしょうし、学生は、確かに専門学校でも短大でもない、「四大」の肩書を無事得られるかも知れませんが、入るときの称号は何であれ、それが出るときの就職を約束するものではありません。まさに「大学」のもつ価値が希釈されているのに気付かず、学生はそんな「大学」の名誉に拘って、却って不幸になるのではないかと心配ですらあります。
 先の日経の特集記事に戻ると、従業員1000人未満の企業では、来春採用の求人倍率は1.79倍、従業員300人未満の企業では、3.27倍だそうです。明らかにミスマッチがあり、何かと学生の選り好みが問題視されますが、企業側が「質」による学生の選別を強めている現実もあるはずです。つまり求人すれどもひっかかるような人材がいない、田中文科相が指摘したように、大学の量より質の問題があると。さらに、短大生や高専、専修学校の学生も加えると、若い人の雇用を取り巻く環境は益々厳しくなるばかりで、本当に気の毒です。私は企業人なので、大学側の問題はさておくとして、こうした特集記事を見ると、最近はやりの生活保護問題とも相俟って、若い人(別に若い人に限りませんが)がしっかり自立して生き生きと働ける健全な社会を築く責任が私たちオトナにはあるはずだと、まさに失われた20年を前線で過ごしたオトナの一人として痛恨の極みでやるせない・・・という思いについ囚われてしまいます。
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