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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

Made by Japan 対 Made in Japan

2012-01-21 00:20:49 | ビジネスパーソンとして
 前回、ホンダNSXがアメリカで開発・生産されるという話をしました。こうした製品は“Made by Japan”(日本企業製)と呼ばれるようです。「連結経営的に日本全体の経済をとらえ、海外投資収益などを日本国内に還流させ、先端的な技術革新に結びつけていく戦略」(日本経団連、2003年)として呼び習わしたもののようで(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/vision2025.html)、恥ずかしながら私は、先日、ブックオフで見かけた本のタイトルで初めて知りました。ご存じの通り、1960年代から80年代にかけて、“Made in Japan”(日本製)の衣料品に始まり家電製品や自動車が世界の消費市場を席巻しました。まさにこの“Made in Japan”をタイトルにした本をソニーの盛田昭夫会長がアメリカで出版し、「自社の海外進出の体験を通して日本とアメリカの経営思想の違いを明らかにし、独自の哲学を打ち出した」(アマゾン)のが1988年のことであり、それとは裏腹に、“Made in America”をタイトルにした本をマサチューセッツ工科大のレスター教授が出版し、米国の製造業復活のための処方せんを著したのが1989年のことで、まさにバブル前夜で日本の製造業が絶頂の時代でした。
 底知れないデフレ経済に喘いでいるのは、中国をはじめとする新興国とのグローバルな競争によるものだと信じられていますが、実は“Made by Japan”との競争だったりするのかも知れません。それはとりもなおさず日本人によって考案されたものであり、日本の精神文化や慣習によって裏打ちされたものです。これからの時代は、この“Made by Japan”が幅を利かせるのでしょうか。
 翻って、ダルビッシュ有がレンジャーズと、日本球界史上最高の6年6000万ドルで契約調印に至りました。核開発を止めないイランに対する制裁を強めるばかりのアメリカにあって、彼がイラン人の父をもつことを心配しましたが、杞憂に終わったようです。他方、日本球界で三度の首位打者を獲得しながら、ブリュワーズ球団幹部の前でプレイを披露させられてようやく契約に漕ぎ着けた青木は、日本の年棒の三分の一に甘んじながら、夢に賭けます。彼らは、アニメ同様、今なお世界を席巻する、ちょっと手垢にまみれた“Made in Japan”そのもの。まだまだこの“Made in Japan”を信じたい。
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ホンダNSX復活!?

2012-01-19 00:05:22 | ビジネスパーソンとして
 先週の北米国際自動車ショー(デトロイト・ショー)のアキュラ・ブースで「NSXコンセプト」が出展され、美しいフォルムが話題になったそうです。三ヶ月ほど前、英国の自動車メディアが、ホンダ関係者から得た情報として、排気量3.5~3.7リットルのV型6気筒ガソリンVTECエンジンが後輪を駆動し、前輪左右にそれぞれインホイールモーターを組み込むという、4WDのハイブリッドシステムのNSX後継車について報じましたが、ついに私たちの目の前に姿を現したわけです。NSXと言えば、かつて日本車で唯一のスーパーカーとも評され、ホンダの、と言うよりも、日本のメーカーの乗用車最高額で、ホンダの顔とも言うべきフラグシップ・モデルでした。
 振り返れば、四半世紀前、今は亡きホンダ・プレリュード三代目に心を奪われたました。当時、独身寮で一つ上の先輩が、濡れ手に粟のNTT株式上場益で、プレリュードを現金で買って、羨ましくてしょうがなかったのを懐かしく思い出します。それほどホンダのデザインはとんがっていて、ホンダらしさに溢れていて、多くの若者の心を捉えました。その後ほどなくして、私が生まれて初めて手にしたマイカーは、中古のホンダ・アコード二代目ハッチバックであり、アメリカ駐在が決まって手放しましたが、帰国して購入したのは、アコードの姉妹車トルネオでした(因みにアメリカでは、前任者から引き継いだトヨタ・カムリの90年モデルのほか、購入したのはホンダ・シビックでした)。それほどホンダ車に思い入れがある私にとって、NSX復活は、久々に心躍るニュースでした。
 ところが、3年以内に量産を目指し、研究開発はアメリカ中心に行い、製造はオハイオ工場で一貫して行うと報じられて、二度、驚かされました。先の会場でアナウンスがあった時、アメリカ人は大いに喜んだようですが、私は、な~んだ、日本じゃないんだ、という落胆でした。閉塞感漂う日本で投入して欲しかった気もしますが、これもグローバル企業ホンダの一つのカタチなのかも知れません。どうもあれから私たちファンとともに老いて行ったように見えるホンダは、アメリカでもトヨタを意識し過ぎと言われ、日本経済の凋落と軌を一にするように、ホンダらしさを失い、元気がありませんでしたが、これが復活の狼煙になってくれればと切に願っています。
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ビッグデータ

2011-12-17 23:11:50 | ビジネスパーソンとして
 ビッグデータが、最近、話題です。Wikipediaによると、「通常のデータベース管理ツールなどで取り扱う事が困難なほど巨大な大きさのデータの集まり(構造化データ+半構造化データ+非構造化データ)であり、その格納、検索、共有、分析、可視化などに困難さを伴う」ものの、「より大きなデータの集まりを分析することで、ビジネス傾向の特定、病気の予防、犯罪の対策などにメリットがある」ということです。より大きなデータの集まり・・・どこまで大きいかと言うと、通常は数百テラバイトからペタバイト級以上のデータを指し、単に大きいだけでなく、非定型で、リアルタイム性が高いデータを指し、更にそれを活用した新たなサービスや製品が生まれる状況を指すようです。
 私たちの身の回りで感知できるビッグデータだけでも、例えばFacebookは、私は同窓会名簿替わりに維持しているだけ(その中で私は幽霊部員)ですが、知人は、iPhoneで撮った写真をこまめに投稿しており、Facebookには彼のような人たちが毎月75億枚もの写真を投稿しているそうです。iPhoneは、今、触れたような写真だけでなく、動画や音楽も蓄積されますし、アプリケーション・ソフトもダウンロードされます。Twitterでは、1日当たりのつぶやきが2億件に達するそうです。YouTubeは、動画データが一方的に高精細になるばかりだと思っていた私に、多少荒くても見えれば良いという発想の転換で、新鮮な驚きを与えてくれましたが、いくらそれほど高精細ではないとは言え、今や毎分48時間分の動画が投稿されるそうです。そして私たちが気が付かないところでビッグデータが爆発的に増大しているのが、センサーによって収集される領域(気象データや交通データなど)なのだそうです。
 かれこれ三年前、私がシドニーに引っ越して半年経った頃に、観光名所の一つ、ハーバーブリッジの有料道路が完全ETCに切り替わりました。旅行者や出張者のようにETC端末を持っていない人は、予め車両番号とクレジットカード番号を登録しておく必要があります。さもなければ、料金所の代わりに設置されたセンサーカメラによって車両ナンバーから所有者を割り出され、追いかけてくるわけです。オーストラリアは総じて交通規制に厳しく、信号機や、制限速度が切り下げられるところにカメラを設置するケースが多く、交通違反を厳しく取り締まっていました。一度、タスマニア島を旅した時、一ヶ月ほど後に、タスマニア警察からメールが届いて、何事かと訝しがったら、レンタカー会社経由で割り出されて、速度制限オーバーのペナルティを請求するものだったことがありました。いつ、どこそこの町で、何キロ・オーバーしただろうと書いてあると、だいたい思い当たるものですが、そうでない場合は証拠写真を要求することも出来ます。
 これだけなら、違反取締が人から機械に切り替わっただけですが、ストックホルムでは、市街地の交通渋滞を緩和するために、市内の一般道路で通行料を徴収することに決め、市内に入るための18ヶ所もの出入口に、ナンバー情報を識別するセンサーカメラを設置し、画像処理してナンバーを認識し、通行料を課金する仕組みを構築したそうです。この課金制度によって、交通量を25%削減することができ、CO2排出量も14%削減できたと言います。更に、市内を走行する一日70万台の車両の内、約20万台に達する公共交通機関の車両(バス、タクシー)にセンサーを設置し、そこから集めたGPSデータを分析し、70万台の自動車がどう動くかを予測し、渋滞が発生しないように、市内を走るクルマに経路を変更するように促す仕組みもあるそうです。
 このようにビッグデータをコンピュータ処理し、現状を把握したり異変を察知したり未来を予測するための応用開発がどんどん進んでいるようです。ストックホルムのように交通渋滞情報から交通の流れを最適制御することが出来ますし、SNSをリアルタイムで把握してトレンドを分析したり、センサー情報から電力消費量を予測するといった話はどこかで聞いたことがあります。Googleでちょっと調べただけで、アメリカに滞在していた当時の私の個人情報が、二度引っ越した住所と電話番号と家内の名前を紐付けされて販売しているサイトがいくつか見つかりました。39ドル出せば、どんな情報が出てくるのか興味がある一方、誰か知らない人に買われて何に使われるのか想像するだに空恐ろしくなります。軍事衛星のカメラは人の顔を識別できると聞いたことがありますが、コンピューターがオープンなネットワークで繋がれてほんの20年の間に、便利を実感する一方で、とんでもない時代に入りつつあることもまた実感する今日この頃です。
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新ウルトラライトダウン

2011-11-25 02:30:37 | ビジネスパーソンとして
 ご存じ、東レとの共同開発によるユニクロのダウン・ジャケットで、「想像を超える軽さ 199グラム」のコピーでTVコマーシャルでもお馴染みです。昨年の「ウルトラライトダウン」は発売後三ヶ月で完売となる人気商品となったため、今年は2.5倍の数量を用意してシーズンに備えているそうです。
 近所のイトーヨーカドーに入っているユニクロでは、先週末、5990円のジャケットが3990円の特売になり、色気づいた上の子が欲しいというので、混雑覚悟で付き添って、実際にレジ待ちに30分以上並びました。実に軽い。とにかく軽い。小さな袋がついていて、ダウンジャケットのくせに、その中に納まるほどの軽さです。こんなんでほんまに保温性があるのかと疑問に思うほど貧相に見えますが、最新テクノロジーを侮ってはいけないようです。私が学生時代に出始めたばかりのダウン・ジャケットは、ボンレスハムのようにもこもこで、お世辞にもカッコ良いとは言えなくて、私などはとても買う気になりませんでしたが、それでも多くの若者の人気を博したものでした。あれから30年、もこもこのボンレスハムはすっかりスリムになり、技術革新は、私たちの時代をout of dateとしてもはや手が届かないくらい遠くに流し去るほどに、残酷です。
 待ち時間に、ぶらぶら調べてみると、この「新ウルトラライトダウン」をはじめ殆どの衣類は中国製で、中にはベトナム製があり、ジーンズはバングラディシュ製でした。かつて高品質を誇ったmade in Japanも、今では、円高とも相俟って、中国製といいベトナム製といいバングラディシュ製といい、made by Japanに置き換わり、日本のデフレを先導します。
 貿易において、輸出は日本の輸出産業を、雇用の点から支えるという意味で貢献するのに対し、輸入は私たち消費者にそのままメリットをもたらすものであることも分かります。
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準国産機B787の凄さ

2011-10-29 11:31:43 | ビジネスパーソンとして
 三日前、ANAの香港行きチャーター便で、中型旅客機B787(ドリームライナー)が世界で初めて営業運航しました。エンジンはロールスロイス製ながら、日本企業が機体部品の35%を手掛け(B777では20%、B767では15%、なお35%という数字はボーイング社自身の負担割合に等しい)、ANAがローンチ・カスタマーとして深く関わってエアライン側のニーズを多く反映したこともあって、準国産機と呼ばれています。ニュースや新聞で見た方も多いと思いますので、繰り返しになりますが、その「凄さ」を私なりに再確認したいと思います。
 ポイントは、東レの炭素繊維複合材が多用されていることで、重量ベースで機体の50%を構成します。先ずはその軽くて強い素材が、主翼の設計(三菱重工)変更と相俟って、燃費を20%向上して航続距離を伸ばし、これまでLCCに見られるように中型機は中・短距離主体という常識を覆し、NY便などのアメリカ東海岸路線や欧州路線の直行便など長距離運行を可能にしました(航続距離が延びただけで、全ての長距離路線をカバーできるわけではない)。そして、これまでの主力素材だったアルミなどに比べて軽量で強度が高いために可能になった設計上の余裕を、機内の気圧や湿度を快適にするなどの居住性を上げることに活かしているのが最大の特徴です。例えば、目・・・その強度により、これまでより天井を20cm高くして閉塞感を和らげ、客室窓を広く取って(高さ39cm→47cm)視界も広くなりました。耳・・・客室内の気圧は高度6000フィート(ANAによれば富士山の三合目、しかし実際には五合目くらい?)に保つことができ(在来機では高度8000フィート、ANAによれば富士山の五合目、しかし実際には六合目強くらい?)、酒にも酔いにくいし、耳鳴りも緩和されたようです。またエンジン音が伝わりにくい設計で客室内は以前よりも静かになりました。肌・・・これまで金属疲労や腐食を防ぐために機内の湿度は下げざるを得ませんでしたが(0~5%)、B787では気にすることなく湿度を25%まで上げて、肌のカサカサ感も少なくなったと好評のようです。そのほか、ここまでやるのかという工夫が随所に見られます。TOTOの洗浄機能付き便座ウォシュレットが標準装備されているほか、窓がついたバリアフリー仕様のトイレも機内に一ヶ所ですが装備され、窓の日除けは、透明度を電動で5段階に調整できるエレクトロクロミズムを使った電子カーテンに代わり、室内照明は、レインボーカラーを含めて14種類のLED光を客室乗務員が調整できるそうです。
 ご覧の通り、準国産機と呼ばれる所以は、日本企業のかかわりが、単に量ではなく質としての工夫にあらわれていることで、エコであることと、居住空間としての快適さにあります。トヨタやホンダや日産が自動車業界で仕掛けてきたことと似た変化が航空業界でもようやく起こりつつあるのを見るような既視感(デジャヴ)があります。これまで飛行機と言えば、安全性第一であることは別格として、機能性が重視されてきました。一度になるべく多くの人をなるべく早く目的地に送り届ける。狭い機内に閉じ込められて、まるでブロイラーのように、時間が来ると飯を食わされ、用がなくなると灯りを消して寝かしつけられるだけの、アメリカ的な効率を追求した、およそ人間性には程遠い設計でした。所詮は移動時間なのだから、座席は狭くても仕方ない、窮屈に本を読むか寝るしかない、飯は不味くても仕方ない(機体の問題ではなく、航空会社の方針ですが)と、誰もが諦めてきましたが、B787を見ると、さすがにこんなトイレが必要なのかと、馴染みがないアメリカ人からは反発が多かったようですが、日本人が設計するとこうなるという、きめ細かな心配りが感じられ、飛行機だから・・・と思考停止していたのを、飛行機でも・・・と発想転換する、ごく当たり前の感動が湧いてきました。これが世界標準になるかというと、そういうわけでもないでしょうが、一定の支持を集める世界として厳然としてある、これがニッポン(日本という漢字よりもカタカナ表記したくなる)の面目でしょう。
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FOR STEVE・続

2011-10-09 15:42:51 | ビジネスパーソンとして
 スティーブ・ジョッブズが亡くなる前の晩、たまたま、明石家さんまの「超ほんまでっか!?」という番組に澤穂希が出ているのを見つけて、つい、チャネルを変える手を止めて見入りました。悩み相談のような形で、リズム感がとびっきり悪くて、チームでリズム運動をしていても周囲に付いていけないのだと、それほど深刻に悩む風もなく、自棄になっているわけでもなく、他人事のように淡々と話すのを聞いた会場には、世界の澤が!?と衝撃が走り、お茶の間でも、えっ!?ほんまかいな・・・!と、さんまではなくても、その意外性に驚いたことでしょう。これに対して、様々な分野の”評論家”を自称する人たちが、好き勝手に自論を述べていくのですが、最初の内は、そりゃ大変!とばかりに、澤のリズム感を試すテストをやったり、どうやったらリズム感が良くなるかという雰囲気に包まれて番組は進行するのですが、ある人が別のことを言ってから完全に潮目が変わりました。他人と違う澤独自のリズム感でやっているからこそ、周囲を圧倒するパフォーマンスを発揮しているのかも知れないのだから、わざわざ矯正する必要などない、澤は澤のままでいい、というような骨子で、いつの間にか議論は現状容認に収斂し、むしろ積極支持で落着しました。
 澤は、澤のリズムでサッカーをやっている・・・そこまでは良いとして、実は澤は普通の人のリズム感にはついて行けない、他人とは明らかに違う(一見、劣った)動きをする、というところが驚きなわけですが、更に一般には劣っていると見えることが知らず知らずに強みに転じているかも知れないところが、面白い。勿論、リズム感が抜群に良いサッカー選手がいて、それで他を圧倒していることもあるでしょう。要は、それぞれに持ち味があるということなのだろうと思います。アメリカなどは、まさに徹底したエリート教育、悪いところには大して注目しないで放ったらかし、むしろ強いところを徹底して追求させるのだろうと想像されるのは、大リーグなどのように、とんがった才能を磨いて勝負している世界を見ていて思います。選手それぞれに個性があって、実にユニーク。コツコツ悪いところを矯正しているヒマはないのでしょう。月並みな言い方ですが、和を尊び、出る杭を嫌う、潔癖症の日本人にはなかなか出来ない教育(むしろ放任)だと思います。そのお蔭で日本では国民全般の民度が高くなっているわけで、一概にどれが良いとも悪いとも言えませんが、個性がやや乏しくなるのはやむを得ないのかも知れません(澤のような例が、さんまの番組で注目を浴びる所以です)。
 話はタイトルに戻りますが、スティーブ・ジョッブズはアメリカという土地柄のそういった大らかさを体現していたのだろうと思います。幸せかどうかなどまるで関心がなく、自らの心のままに、自らが愛することに打ち込み、長くない人生を駆け抜けて行った。彼が6年前にスタンフォード大学で行ったスピーチは、”Stay Hungry. Stay Foolish.”と言ったことで有名ですが、全体を通して、彼の人生と重ね合わせて味わい深く、恐らく歴史に残る名スピーチに数えられるでしょう(日本にはありませんが、欧米では名演説を集めた本をよく見かけます)。是非、原文を読んで頂きたいと思います(Stanford大学のサイトにある文章は彼自身が語った言葉と微妙に違うと言われていますが)。その中に次のような一節があります。

 Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

 彼がすい臓がんで余命三~六ヶ月と診断され、その後、手術して復帰して間もなくの頃のことだったので、死を巡る考えが色濃く反映されていますが(もともと禅に傾倒した仏教徒で、ベジタリアンでもあるらしい)、スピーチの中で何度か出てくる、自分の内なる声、心、直観に忠実であれ、という言葉が心に染みます。
 Stanford大学URL: http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html
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FOR STEVE

2011-10-08 01:36:29 | ビジネスパーソンとして
 アップル創業者のスティーブ・ジョッブズ氏が亡くなりました。昨晩、書きかけのまま寝入ってしまって、今、あらためて続きを書き加えています。
 私自身は、パソコンを、仕事ではともかく、家庭で使い始めたのはほんのここ十数年のことで、アップルやマックへのこだわりはさほどありませんが、同時代を生きてきたビジネス・パーソンとしては、気になる存在であり続けました。これは同時代人の共通認識だろうと思います。私なりに英語風に今の気持ちを表現するならば、「同時代最高のアイコンが逝く(passed away)」。
 56歳という早すぎる死を惜しむ声が各方面からあがりました。投資家のバフェット氏は「アメリカのビジネス史上、最も素晴らしい経営者であり発明者だった」とオーソドックスに語ったそうでうし、ビル・ゲイツ氏も「スティーブのように、何世代先にも深く影響を与えるような人物はめったに現れない。彼と働くことができたのは大変な名誉だった」と、多少大袈裟ながらも、秀才らしく穏当なコメントを寄せており、私たちにも納得感があります。ソフトバンクの孫正義さんに至っては、「芸術とテクノロジーを両立させた現代の天才だった。数百年後の人々は彼とレオナルド・ダビンチを並び称することであろう」と破格の賛辞を贈り、ブルームバーグNY市長も、「今夜、アメリカは、エジソン、アインシュタインと並んで我々の記憶に残るであろう天才を失った」とまで持ち上げたそうです。はなむけの言葉と割り引いてなお、私たちが直面した心の喪失感は、日に日に高まっているようです。
 中でも私を驚かせたのは、彼の死を、ジョン・レノンが殺された時以来の衝撃で迎えたという声があがったことでした。スティーブ・ジョッブズ自身も、ジョン・レノンやボブ・ディランが好きだったようですが、どうやらこの三人は、年は離れていても同じ系列に属しているように見えます。一種のヒッピー文化の流れを引くというような。誰かがあるサイトで、ギター片手に生み出す作品が、ただのアルバムではなく彼ららしさを表すものとして愛されたように、スティーブ・ジョッブズが生み出す作品は、単なる機械を越えて強烈な彼らしさそのものであり、多くの人々を惹きつけたと語っているのを見て、私が、尊敬しながらも、自分とは違う雰囲気やニオイにやや距離を置いてきたのは、単に天才と凡人の差だけでなく、こうした世代という名のどうしても越えがたい溝なり、あるいは(ヒッピー)文化という壁があったせいかも知れないと思い至りました。
 オバマ大統領は、「世界はひとりのビジョナリーを失った。彼の訃報を彼自身が生み出した機器でこれだけ多くの人が知ったという事実が、Steveに対する最大の賞賛かもしれない」と、やや皮肉な現実で哀悼の言葉を締めくくりました。レコードからCDへと受け継がれた伝統的な音楽産業を、「iTunes」で始めた音楽配信事業で突き崩したのは圧巻でした。複雑な権利関係で身動きが取れずとても不可能だろうと言われながら、大手レコード会社幹部や歌手を自ら口説き落として、あれよあれよという間にネット配信を実現させた話は語り草で、天晴れと言うほかありません。更に、タブレットPCは10年前にもありましたし、同じ10年位前に訪れた欧州の展示会CeBitではPDA(Personal Digital Assistance)がもてはやされたものでしたが、結局、鳴かず飛ばずだったのに、「iPhone」や「iPad」によって、自ら育てたパソコン産業までも切り崩すという、他の誰もが成し得なかったことをいとも簡単に成し遂げ、創造的破壊を地で行く手腕に、成功体験に埋没しがちな私たちシロウトは敬服します。
 折しも彼の遺作となったiPhone 4Sの予約受付が始まりました。4SはFor Steveの意味だと噂されますが、都市伝説ではなく、その通りなのでしょう。Appleのホームページが白黒の彼の写真を載せて哀悼の意を表したのは当然としても、あのGoogleまでが、広告を頑なに拒む検索画面の下に「Steve Jobs 1955-2011」と小さく書き込んで最高の敬意を表していたのを見て、あらためて失われたものの偉大さを思いました。
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