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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ミスター追悼

2025-06-06 00:58:10 | スポーツ・芸能好き

 長嶋茂雄さんが亡くなった。プロ野球を代表する「ミスター・プロ野球」という呼び方よりもむしろ何もつけずに単に「ミスター」と呼ぶだけで通じる人など、もう二度と現れないだろう。何しろルーキー・イヤーから16年連続してファン投票でオールスターに選出されるほど、実力だけでなく圧倒的人気を誇ったのだ。かつての溌溂としたユニフォーム姿を知る誰もが、最近の衰えようを目の当たりにして、この日が遠からず訪れることは覚悟していたが、それでも失った悲しみは深い。肺炎だったという。享年89。

 私にとって長嶋さんと言えば、華麗な守備や、ヘルメットを飛ばして大袈裟に大振りするパフォーマンスは後から知ったことで、意味不明のカタカナ英語を交える長嶋語録(アメリカ人の子供は英語が上手いねえ、はミスターならではの迷言だろう)は同時代に聞いたが、何よりも先ず引退試合のことが浮かぶくらいだから、現役選手としては晩年しか知らず、むしろ監督としての長嶋さんに馴染みがある世代である。それでも小学5年生のときにクラスの友達と作った草野球チームで背番号の取り合いになって、「1」(王さん)と「3」(長嶋さん)を取られた私は間の「2」を取って、今だにラッキーナンバーにしている。その代わり守備は長嶋さんが守ったホット・コーナーの三塁を実力で死守して、ショートを守る福井君と鉄壁の三遊間だと、はしゃいだものだった。福井君は今頃どうしているだろう。

 長嶋さんの姿を最初に直に見たのは、最大のライバルだった阪神・村山実さんの引退試合だった。調べたところ1973年3月21日のオープン戦で、長嶋さんご自身が引退する、忘れもしない1974年10月14日の一年半前のことだ。7回に登場した村山さんの前に、高田繁、末次利光、王さんが三者連続三振を喫して、八百長じゃねえかと、大人の機微を知らない小学生の私は怒り心頭で、巨人軍の選手を載せて球場を後にするマイクロバスを見送りながら、一人憤慨したのだった。そのとき、窓辺に映る長嶋さんや王さんの憂い顔が妙にリアルに記憶にこびりついている。野球人にとって、いつかやって来る「引退」は、心に重く響いていたのだろうか。

 その後、監督としての長嶋さんは、1994年10月8日に中日と同率首位で最終戦を迎え、優勝を決めるその試合を「国民的行事」と呼んで世に知らしめたのだが、私はそのとき、アメリカに駐在していて知らなかった。1996年シーズンでは前年に続いて二年越しの「メークドラマ」が流行語になったが、私はまだアメリカに駐在していて知らなかった。

 長嶋さんの姿を最後に直に見たのは、忘れもしない2001年9月30日、東京ドームで行われた監督の引退試合だった。大学時代の友人に誘われて入手した東京ドームのチケットは、当日のほんの二日前に巨人軍監督辞任を電撃発表されて、俄かにプラチナ・チケットに変わった。アメリカで9・11同時多発テロがあって、その時、カリフォルニア州シリコンバレーに出張中だった私は、時代が大きく転換することを実感した9月を複雑な思いで見送ったのだった。

 背番号3のユニフォーム姿、とりわけ哀愁を帯びた後ろ姿は、本当に絵になった。本人も多分に意識されていただろうが、お年を召してからも変わらぬ天然キャラは誰からも愛され、ミスター・プロ野球の名に相応しく、プロ野球を国民的スポーツにのし上げた。私が今なお巨人ファンを脱しきれずにいるのは、長嶋さんや王さんに刷り込まれたジャイアンツ愛ゆえのこと。引退試合で語って一世を風靡した「永久に不滅」なのは、「我が巨人軍」だけではなく、長嶋さんの雄姿と愛されキャラもそうなのだと、失ってから気づく。

 ご冥福をお祈りし、合掌。

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岡本のいない巨人

2025-06-03 00:38:15 | スポーツ・芸能好き

 かつてテレビCMで「クリープを入れないコーヒーなんて…」という決めゼリフがあった。「不動の四番・岡本がいない巨人なんて…」と、つい、こぼしたくなる。5月6日の阪神戦の守備で、打者と交錯した際に左肘の靱帯を損傷し、全治三ヶ月と診断された。それとともに、一日の終わりにプロ野球ニュースを見る私の楽しみも奪われてしまった・・・。
 その後の10試合で巨人は4勝6敗、中でも13日からの広島とのマツダスタジアムでの三連戦で三タテを食らい、一時は首位から四位に沈んだ。岡本が離脱するまでチームは一試合平均3.26得点を稼いでいたが、岡本離脱後は2.6点に落ち込んだ。つながりを欠く打線は5月7~17日にかけて70イニング連続でタイムリーが出なかった。エース戸郷も調子を落とし、エースと4番を欠く絶体絶命の状況で、投手では山崎伊織や井上温大、赤星優志などが、野手では増田陸や泉口友汰が踏ん張り、その後の11試合では盛り返して7勝4敗、一試合平均得点も3.1まで回復した。我慢して使っていれば、奮起する若者が出てくるものだ。
 それでも岡本が抜けた穴は大きい。
 かつて長嶋さんは、巨人の4番を打つには心・技・体が充実して、ファンの期待に応えられる技量が備わっていなければならない、ただ4番目を打つだけではダメで、品格や人間性も問われるのだ、というような難しい注文を付けておられた。長嶋さんはその4番として1460試合に出場し、王さんは1231試合、原さんは1066試合、阿部監督は505試合、在籍10年の松井でも470試合の実績がある。そして我らが岡本は、2018年6月2日のオリックス戦で第89代の4番に起用されてから、なんとほぼ全試合に当たる904試合で4番を張っているのだ。ムーミンを思わせるようなぽってりした体形で(今年はちょっと身体を絞って、春先から3割の好調をキープしていたが)、どっしり構え、ホームランを放ってもガッツ・ポーズはおろかニコリともせず、淡々と塁を駆け抜ける。いいねえ。大きく調子を崩すことはなく、ケガもしない偉丈夫で、無事之名馬だったのだ。関西(奈良)出身で、インタビューでは独特の“岡本節”を披露する、飄々としたところがあり、ジャイアンツ球場でのリハビリでは常に気丈に振る舞い、送球が逸れて打者と交錯する原因となった、三塁を守っていたルーキーの浦田を、報道陣に対して「浦田君は元気ですか? 皆さん優しくして下さいね」と気遣う優しさもある。「プレー中に起きたことなんで誰のせいとかないんでね。全く気にしなくていいし、気にしてほしくない」と。
 岡本離脱の影響は、期待されていたはずの秋広優人放出に繋がり、驚かされた。代わりに獲得したリチャードは打率.114でパッとしない。3番・吉川尚輝は固定しそうだが、5番をどうするか、岡本復帰後も課題になりそうだ。
 首位・阪神と3ゲーム差の3位で、明日から交流戦に入る。若者たちの奮起に期待したいが、私の心にはしばらくの間、隙間風が吹く・・・

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太陽の塔

2025-05-24 12:41:52 | 日々の生活

 私の世代には馴染みの1970年大阪万博のシンボル「太陽の塔」が重要文化財に指定されそうだ。文化審議会が文部科学相に答申したという(16日、読売新聞ほか)。折しも開催中の大阪・関西万博のシンボル「大屋根リング」の取り扱いも焦点になると伝えている。

 「太陽の塔」は、「万博のメインテーマ『人類の進歩と調和』に対し、プロデューサーを務めた岡本太郎は縄文土偶を思わせる対極的な反近代の象徴としてデザイン」(読売新聞)したと言われる。

 彼は、縄文文化の芸術性を再評価したことで知られるが、私はその話を知るまで、なんとなく弥生式土器の先進性や機能美に単純に惹かれていた。子供心に、戦後日本の経済成長に浮かれるメンタリティにどっぷり浸かって、永遠の「進歩」を素直に信じていたのだろう。「太陽の塔」は、塔頂部に未来を表す「黄金の顔」、正面の腹部に現在を表す「太陽の顔」、背中に過去を表す「黒い太陽」という3つの顔を持つとされる。背中の顔には原始の素朴な生命力を、また、正面の顔には現代社会の不貞腐れたような不機嫌さをユーモラスに表現した芸術性を感じさせるが、塔頂部の顔は、ずんぐりした胴体の上にちょこんと乗っけられた、如何にも取ってつけたような「金ぴか」の、という言葉は、1870~80年代にアメリカで資本主義が急速に発展を遂げ、拝金主義に染まった成金趣味の時代として揶揄する言葉<Gilded Age、金メッキ>で、未来の顔という割には安っぽい工業デザイン的なチャチな成りで、子供心にもアンバランスに見えた。彼は縄文時代の土偶をモチーフに、シンプルで力強い機能美で装って「調和」を図ったかに見せているが、求めていたのは安っぽい金ぴかの「進歩」などではなく、土着の民族性やその力強いエネルギーだったのだろうと、今にして思う。それは、万博と同じ1970年に自決した三島由紀夫の思いにもどこか通じるように思う。

 万博閉幕後には撤去される予定だったが、反対する署名活動などにより、保存が決まった。そして高校で陸上部にいた私(たち)は、ロード・トレーニングと称して、時々、万博公園まで走りに行ったついでに、「太陽の塔」周辺の芝生の上を走り回ったものだった。高二の冬に参加した四市一町駅伝大会(吹田市・摂津市・茨木市・高槻市・島本町)は万博公園内の周遊道路で行われた(私の高校時代最後のレースで、涙の準優勝に終わった)。その後、耐震改修工事を経て、2018年から万博以来の内部の一般公開が始まったと聞いていた。

 国の重要文化財は、文化財保護法に基づき、美術工芸品や建造物などの有形文化財のうち特に重要なものから選ばれ、意匠や技術、歴史的・学術的価値などの基準に照らし、文部科学相が指定するものだという。建造物の場合、指定後は許可なく改築や移築ができず、修理費用は最大85%国から補助され、相続・贈与などで税制上の優遇措置もあるらしい。建造物の場合、完成から50年が一つの目途とされ、子供の頃に出来たものが指定されるという時間の流れを感じないわけにはいかない。

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中国的修辞法2

2025-05-23 05:13:54 | 時事放談

 中国政府の対外発表は興味深い。

 自由な言論空間が確保されない権威主義の中国では、政府発表や国営メディアの提灯記事が全てである。それを受け止める人民は、身の回りの現実との間で齟齬を感じれば、政府への信任に揺らぎが生じ、ひいてはそれが社会不安に繋がりかねないから、政府は慎重に対応せざるを得ない。なにしろ中国を統治する中国共産党の核心的利益の第一は共産党統治を維持することにあるのだから、政府の対外発表は内向けの人民を意識したものにならざるを得ない。中国共産党が最も恐れるのはアメリカではなく、中国人民だと言われる所以である。

 4月に日本の外務省がウェブサイトに「中国を渡航先とする修学旅行等を検討される学校関係者の皆様へ」と題するページを掲載した。中国各地で一般市民が襲撃されるなどの重大事件が発生しており、邦人も犠牲になっていることから、中国を渡航先とする修学旅行を検討している学校関係者に対し、外務省海外安全ホームページなどを十分参照の上、「渡航の是非」を判断するよう求めた。そうは言っても、渡航の自粛を求めるものではなく、安全確保や警備強化における外務省の支援、修学旅行出発15日前までの旅行届の提出、「たびレジ」への登録など、一般的な注意喚起を含むものだそうだが、これに中国外務省の報道官が噛みついた。そこまでならともかく、「中国は開放的で寛容で安全な国だ。我々は日本を含む全ての国の人々が中国を旅行し、中国で学び、ビジネスを行い、中国に住むことを歓迎する。中国国民と中国に滞在する外国人の安全を分け隔てなく守るために、引き続き効果的な措置を講じる」と言い募った上、「中国は日本に対し、直ちに誤った慣行を是正し、日中間の人的交流に前向きな雰囲気を作り出すよう強く求める」と、日本に注文まで付けたそうだ(4/25付ニューズウィーク日本版)。とりわけ反スパイ法の施行以来、中国以外のどの国の誰が、この報道官の発言を信じるだろうか。中国外務省の報道官が気にするのは、日本人ではさらさらなく、中国人民の目であろう。

 中国が2008年に北京五輪を成功させ、4兆元の経済対策を実施してリーマンショックから世界を救ったと言われ、2010年にGDPで日本を超えて世界第二の経済大国に躍り出て以来、大国たらんと欲し、そのように遇されることを望むのは、「未富先老」(豊かになる前に老いる)社会が現実のものになりつつある中、人民の自尊心をくすぐり、中国共産党の統治を正当化せんがためだ。こうして中国は、益々、自縄自縛に陥り、世界から奇異の目で見られるばかりで、ソフトパワー大国の夢は遠のき、中国の覇権は夢のまた夢となるだけのように見える。

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中国的修辞法1

2025-05-22 05:13:54 | 時事放談

 中国政府の対外発表は興味深い。

 古来、中国では、天が徳を失った王朝に見切りをつけると、革命(天が「命」を「革(あらた)」める)の名のもとに王朝交代が正当化される。一見、西欧の啓蒙主義思想のように、「被」統治者目線で、人民の支持を失う王朝を倒すことが正当化されるかのように思われるが、どうも中国の場合は統治者目線で、革命を目指す反逆王朝が現王朝の不徳と悪逆を詰り自己を正当化するロジックのように思われる。それは現代の中国でも同様で、だから社会不安を招かないよう中国共産党は社会(例えばメディア)や人民を、ひいては国家を「領導」することになっている。「領導」とは、日本の専門家によれば、指揮命令に服従させる含意があるそうだが、中国では命令でも強制でもなく、影響を与えることだという。まあ、いずれかはともかくとして。

 14日付ロイターによると、中国外務省の報道官が定例記者会見で、2021年12月に上海で拘束され2023年10月に初公判が開かれていた日本人男性に対し、中国の裁判所がスパイ行為で懲役12年の判決を下したことに関連し、「日本は中国の司法主権を真剣に尊重すべきだ」と述べたそうだ。報道官は、「中国は法治国家であり、当該案件の処理にあたっては法的手続きを厳格に順守し、関係者の正当な権利と利益を保障している」、「日本は自国民に対し、中国の法律や規定を遵守し、違法・犯罪行為に関与しないよう教育・指導すべきだ」とも述べたそうだ。

 中国の法治はRule by Lawで、法の上に中国共産党が君臨し、法を利用して統治するもので、法が最上位にある西洋の法治Rule of Lawとは似て非なるものだ。それでも英語ではないのをよいことに「(中国流の)法治」と呼んで日本人を惑わせる。そして、上の報道官談話で「教育・指導すべき」と訳されているのは、日本国政府は日本国民を「領導」せよ、と言いたいのだろう。強制や命令ではなく、(中国から見て)正しい道を外さないように影響力を行使せよ、ということか。かつて、日本のメディアが中国共産党の気に障ることを書きたてたことに対して、ある日本の政治家は中国の政治家から、政治はメディアを指導(領導)するべきだと言われたらしい。中国は自らの文法なり文脈に沿って(それは必ずしも日本や西洋の文法なり文脈と同じではない)あれこれと指図し、無意識の内にその異質さを露呈する。

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